第4話:これはきっと暑さのせい

 私が勤めるカフェは人通りの多い駅という事もあり、それなりに繁盛している。


 従業員は店長、桜さん、治、そして私。この四人。土日祝は客数が格段に増えるため全員が駆り出される。


 しかし、ここ最近は異常に客数が増えてしまった。


 外は熱くアイスコーヒーの需要が高まったとは言え、それでも異常な賑わいである。


 原因は幾つかあって……。一つ目は治の登場だ。治は私に惚れてしまっているのと乱れた頭髪を除けば基本的に容姿端麗、いわゆるイケメンである。


 ここに来てからというものの店長の頭髪のテコ入れがあり店の制服と働く姿があまりにも様になっていて女性客の人気を集めて治が出勤する日は間違いなく店が繁盛する。私と治の関係も忙しすぎてそれほど進展はない。むしろ、読んで欲しいと頼まれた小説も読み終えたのに一切その話をしていないのだ。


 ……まぁ、他にも客数が増えてしまった原因がある。それは桜さんだった。


 元々、天真爛漫な笑顔が非常に魅力的な彼女でファンも多かったが、店長考案のメイド服が彼女の魅力を引き上げて人気大爆発。


 誰にでも優しく、誰にでも柔らかい彼女の対応は老若男女と幅広い客層から支持を得ている。


 桜さんと治の二枚看板が強力過ぎて、現在カフェのような静けさはなく戦場の様に忙しくなってしまったのだった。



 元々休憩は交代制、年中無休だったが忙しさのあまり閉店時間を設け、週に二回店を休めなきゃいけない状態にまでなっている。


 今は私を含めた店長、桜さん、治の四人で店を閉めて休憩している所だった。



「店長、私そろそろ労働基準法に触れそうなんですが……」サービス残業は当たり前。最近は休みもろくに取れていない。残業時間を計算したら月半ばというのに九十時間を越えようとしている。流石に死ぬ。


「えぇ~佐藤さんかわいそー。私と治君はいつも先に上がらせてもらってるのに……」


「……店長、俺タフなんで佐藤さんの負担を少しでも減らしてください」


 私が一言呟いただけで桜さんと治がどんどん援護射撃をしてくれる。店長は耳が痛いのか塞ぎこんだままプルプルと震えている様子。それでも桜さんと治の口撃は止まらなかった。


「店長聞いてるんですか?」

「店長!」

「てんちょぉ~」



「こっ……こんなの私が目指したカフェ経営じゃないわ!」私たちスタッフよりも先に店長が根をあげた。


 雄たけびを上げて立ち上がった店長の顔にはもう乙女の片鱗も伺えない状態だった。


「皆!暫く店閉めるわよ!」


 店長から告げられた突然の決定に理解が追い付かず、揃って放心状態。


 ワンテンポ遅れてから口を揃え『えぇ~……』と、驚きはしたが驚愕と言うよりドン引きの方のリアクションだった。


 ◇ ◇ ◇


「佐藤さん……あれ、読んでくれましたか?」

「読んだよ?」

「どうでした?」

「ん?言わないよ?」

「……何でです」

「私は読む約束をしたけど、感想まで伝える約束なんてしてないもの」

「…………わかりました」

「へぇ、物分かりがいいね」

「そんな気がしてました」


 治が自身の小説を読んで欲しいと言ってきてから、まだ本人の口から感想を求められたことも無かった為、私はずっと感想を言わないでいた。それが全く心の準備もしていない状況で今聞かれたので私は強がって意地悪な事を言ってしまった。


 ……ふっ、いいじゃないか。確かに読む約束はしたが本当に感想を言わなきゃいけない約束まではしてないからな!


 感想を言わなかった為か治はショックを受けている……というよりは、何も言い返す気力もないという感じだ。


 まぁ、それもそのはず。


 私たちは今炎天下、海の家でアイスコーヒーを販売しているのだから。


 事の経緯は店長のあのセリフから始まる。


 ――暫く店閉めるわよ!


 店長はその言葉通り駅近くの店は休業した。が、しかし。


 その一週間後、私たちスタッフに一通のメールが届く。


『皆!旅行しない?日頃頑張ってくれたお礼って事で皆をねぎらいたいのよ♡二週間近くお泊りになるから桜ちゃんと治ちゃんは保護者に了解貰ってね♡』


 当初の予定ではそうだった。私を含めた全員がバカンスの気分で目的に集合したのだが店長にまんまと嵌められた。


 十一時から十五時にかけての五時間だけ出張カフェを行うことになったのだ。


 店長の目論見はこう。


「店を暫く休業したら再開時には少しマシになってるかも知れない。で、休みの間なにもしないのは利益が出ないから旅行ついでに稼ごう……」


 今度こそ訴えてやる。


「アイスコーヒー一つください」お客様からの注文だ。


「はーい三百五十円になりま~す」注文が来ると陰鬱だった雰囲気も強制的に明るくさせられる。


「おっ、お姉さん可愛いね~!ちょっと俺たちと遊ばない?」


 テンプレなくらいチャラい男が絡んできた。もちろん、私ではなく桜さんに。


「いえいえ~私たちこれでも仕事中なので~」


「そうつれない事言わないでよ~、ほらこんなちっさい店にこんなに人要らないって」


 チャラ男は桜さんの手を取って強引に連れ出そうとして、桜さんも抵抗はしているものの腕を振りほどけないでいる。


 すると厨房から店長が出てきてご機嫌な態度で迫ってきた。


「あっらぁ~、イイ男じゃない!」


 チャラ男は店長を見るなり固まってしまう。それもそのはず。店長の裸エプロンで今日は改めて実感したが物凄い筋肉を搭載したうえでの高身長。


 多くの男は敵いやしない。店長は桜さんの腕を握っている男の手を取り、それを握りしめて言う。


「私も連れてってくれないかしら?」この時の声は完全に男のそれである。


 チャラ男は商品も受け取らずお金だけ置いて一目散に海へと逃げて行った。


「ふんっ、意気地なし……さっ、仕事に戻るわよ」店長はまた厨房へと戻っていった。


「桜さん、腕、大丈夫ですか?」

「治君心配してくれるの?ありがとう!でも全然平気だから気にしないで」


 ふーん……治は普通の気遣いも出来るんだな。


「俺だって誰かの心配くらいします」

「へ?なにも言ってないけど?」

「全部顔に出てますよ。佐藤お姉さんはホントに顔に出るタイプですね」


 そうなのか?気を付けなければ……。


「治君は好きな人居るの?」桜さんからの唐突な質問。


 いや、唐突でもないのか。桜さんは以前も治に対して好意を持っていた。治はルックスもいいし女性客の人気も高い。桜さんも治に対して興味を持ってしまうのは別に不思議でもないか……。


「はい」治は即答した。


「ふーん……それって佐藤さん?」

「はい」


 ――ん?


 ……君は隠すつもりがないんだな。


「ちなみに二人はできてるの?」桜さんは動じる事なく淡々と質問を続ける。


 流石に戸惑いを見せた治は私に視線を向けてきた。桜さんも私を見る。


「馬鹿らしい……私と治が恋仲になる訳がないだろう」


「……怪しい」桜さんは疑いの目を向けてジリジリと迫ってくる。


 目のやり場に困った私は治になんとかしろという目線を送るが、先の言葉が治の精神にクリティカルヒットしたようで柔かな顔ではあるが固まってしまいピクリとも動かないでいる。


 えぇい、面倒だ!いいだろう、看板娘かなんだか知らないが私の怒りを蓄積し続けた、そのたわわに実った果実を周囲に見せてあげな!


「あっいらっしゃいませー!」


 視線を誘導する為、お客様など来ていないがわざと視線を海の家の外にして、さもお客様がいるように声をかける。


 桜さんはまんまと私の誘導に引っかかり外へと視線を外す。


 その隙を見逃す私ではない!


「ーーあっ蚊が!」我ながらもっとマシなものはなかったのか。


 言い合えると同時に桜さんの水着の紐を素早く解き、桜さんの大きなさくらんぼが少しだけ露出した。


 ふわっ、とはだけてしまった水着を急いで押さえて「桜さん!水着水着!」と慌てた風に知らせる。


 桜さんも胸の開放感に気づいたのか顔を赤らめ、急いで自身のさくらんぼを覆い隠す。事態を明確に把握し終えた桜さんは鋭い目でこちらを睨み私の頬をビンタして何も言わずに奥の更衣室へと消えていった。


「……痛いな」


「流石に、あれは佐藤お姉さんが悪いですよ」


「……治、まず鼻血を拭こうな。ほら、これ」


 カウンター近くに置いていたティッシュを治に渡して、治は急いで鼻から垂れる血を拭き取った。暫くの間、お客さんも来ることがなく波の音と外で海水浴に来た人たちの声が遠くで聞こえる。海の家は本当に地獄のような場所で今時冷房の一つや二つを設備として準備していれば客足も伸びそうなものの、置いてるのは古びた扇風機が数台と気晴らしの風鈴が一つあるだけ。自然の風によって奏でる風鈴は趣があっていいが数台の扇風機で強引に何回も鳴らされる風鈴は、セミよりも煩く感じて不快だ。


 桜さんも戻ってこないし、店長は厨房で何をしているのか籠ってしまってから一向に出てこない。私と治の二人っきり、沈黙が続く中で治が店の椅子の持って風鈴をぶら下げている位置を扇風機の当たらない場所に移動させた。


「急にどうしたのよ」そう問いかけると治は振り返り「これ、うるさいよね」と言って笑って見せる。


 治の乱れた頭髪の先から汗が滴り、それが外から入ってくる太陽によってキラキラ輝いて見えて、でもアホみたいに汗かいてるから馬鹿らしくて……


「フッ――」


「なんか俺おかしかったですか」


「ハハハハハッ、今更だけどやっぱりおかしいその髪型」


「そんな変ですかね?」治は自分の髪を弄りながら照れくさそうにする。


「あぁ~、おかしいおかしい、せっかくカッコいいのにそれで全部台無しな感じ。これ使ってまとめなよ」私が使ってるヘアゴムを治に渡す。


 治も受け取ってみたものの、どうすればいいのか戸惑っている様子。


「はぁ~……その首のタオルで頭拭いて」


 治は言われた通り急いで汗を拭きとった。


「はいっ、ゴム貸して。ほらほら、後ろ向いて――」


 ……治の頭に手が届かない。


「座って」

「はいっ」もう言われるがままの治。


 無駄に長い前髪も寝ぐせで跳ねた横上も全部全部後ろへとまとめてゴムで止める。ちょっと強くやりすぎたのか、治がイテテテっと少し抵抗したが問答無用。


「よしっと……うん、これでいいんじゃない」


 髪の毛を後ろへまとめ終わると同時くらいに桜さんが更衣室から出てきたのと店長も厨房から物凄い形相で出てきた。


「てっ店長、どうしたんですか?」


「もっ、もう無理」


「あぁ、確かにここ物凄く暑いですよね。倒れたら熱中症でも労災で行けますかね?」


「佐藤ちゃん……普段ならあなたの嫌味もちょっとは笑ってあげれるけど、違うわよ。いったん店閉めて遊ぶわよ」店長はそういって海の家を一人飛び出して行った。さっきのチャラ男でも探しに行ったのかな?


「店長、結構勝手な人ですね」

「全部とは言わないけど経営者って、たぶんあんなのばっかだよ」


 私と治は店を閉めるための準備にとりかかる。桜さんはずっと立ち尽くしたままで、やっぱりまだ怒ってるのかな。


「桜さん、さっきは悪かったから手伝ってください。アイスとかジュースくらいならおごりますから」


「それ、約束ですよ!」すっかり笑顔。


 ふっ、やはり彼女はチョロい。


「あっ、それとぉ~。こんなノート見つけたんですけど凄く面白いですね」彼女がそう言ってしたり顔で出してきたノートは治が書いた小説だった。


「そっ、それ!私の勝手にカバン開けたの?」


 治から読んで欲しいと言われた小説を完全に読み終えたので今日はタイミングをみてから返そうと思ってた一冊のノート。


「だってぇ~、やられっぱなしは性分に合わないのでカバンの中砂だらけにしてやろうと思ったんですけど、そんなのよりもっと面白いもの出て来たんですよぉ」


 桜さんのチョロいという印象を私は少し改めなければいけないかも知れない。彼女は結構やばい奴。


「桜先輩、全然来ないから体調悪いのかと思いましたよ。で、それ読まれたんですか?」

「うん」

「どうでした?」


 治が桜さんに質問する。いつもより少し食い気味で。それもそっか……。一応、作者だし気になるのも当然っちゃ当然で。


「正直、詰まんないかも~。話は前に進まないし、しかもこれ途中だし――」桜さんは笑顔で次々と物語の内容を批判し続ける。


 治のリアクションは笑ってこそはいるが、明らかにおかしいな様子ではある。


「先輩。それ、貸してもらっていいですか?」桜さんが持つノートに手を伸ばして治はお願いした。


 ……桜さんは私が書いたのだと思っているのだろう。さっき私が桜さんにした仕打ちの仕返し。


「桜さん。それ返して大事なものなの」


「治君も読みたいかも知れないけれど一応持ち主は佐藤さんだから」彼女は私にノートを渡して海の家を出て行った。


 私と治は立ち尽くしてたままで動かなかった。


 自分の事じゃないのに無性に腹が立つ。


 桜さんに?


 いや、違う。自分にだ。


 元を辿れば全部自分が悪いんだ。桜さんにいたずらして恨みを買ってしまった。そこにたまたま治のノートが犠牲になってしまった。そもそも、これも持って来なければ私のカバンが砂だらけになるだけで済んだのだから。それだけじゃない。何でこれを私のってことにしたんだ。治のことをこれで助けたつもりか?違う。これはそんなんじゃない。


「治、ごめん」


「いやいや、何でお姉さんが謝るんですか。ただただ事実を言われただけですし。こういう事をしていたら必ず誰かから評価を受けるって事は分かってた事なんですよ。それが突然だったのと、それに慣れていないだけで。それに桜さんの言ってたことも的外れじゃない。字は汚くて読めないし、完結だってさせてないし、それに、俺はお姉さんに庇われて……直接的に恥をかいてません。むしろ佐藤さんに気を遣わせてしまったりして、謝らなければいけないのは俺の方で……むしろ、すんませんでした。いやぁ~それにやっぱり佐藤お姉さんは俺の惚れた人って感じで、あんな機転を思いついて実行するなんて――」


 治は笑顔を取り繕って平気な振りしてずっと一人で喋り続けてる。


 私は何も言えないでいた。


 私も何で治の心配なんかしなきゃいけないんだ。そのことにも無性に腹が立つ。


 こんなこと、普段なら皆揃って笑っていたかも知れないのに何で今日に限ってこんな感じなんだろう……。


「はぁ……アイス。おごるよ」

「俺チョロいから、助かります」

「……今日は暑いね」

「そうですね……ほんと、暑いです」


 今は全く外の騒がしさや波の音なんて気にならない。それよりも扇風機の乱暴な風の音がやたらと強調して聞こえて……鬱陶しいと思った。


 とりあえず全部店長のせいだと思って、後でいっぱいご馳走してもらおう。

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言葉で君を殺したい ナルク @naruku0928

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