第3話:カフェ店員の特殊ルール
日曜の早朝。今日は治がここで初めての働く日だという事と日曜という事もあり、店長と私だけでなくアルバイト店員の桜さんも出勤し総出で挑むこととなり、現在朝礼の真最中である。
基本的にここの店員は全員店長からの勧誘によって雇用が決まった人ばかり。一番最初に誘われたのが私。初めて訪れ店内で寛いでいる時に店長から声をかけられた。そこそこに良い給料、正社員という条件も魅力的に感じたので私も即答した。
その次が桜さん。桜さんはよくここに訪れる女子高生の一人だった。目まぐるしく忙しい日曜日のお昼に現れた桜さんの天真爛漫な笑顔に癒された店長と私が声をかけてみたのだ。
最初は断られたが……彼女はチョロかった。特別にサービスを重ねて、彼女自身の魅力を彼女に伝えることを繰り返しているうちにアルバイトとしての雇用が決まった。雇用すること自体は良かったがとても苦労した。仕事を覚えるのも時間がかかりクレームやトラブルも多くて、ここ最近になってようやく落ち着いてきた所だった。
「治く~ん。いいわぁ、いいわね。すごくその制服お似合いよ」店長は自分が仕立てた男性制服がお気に入りの様だ。
「店長~。治君だけズルいです。私ももっと可愛い制服で働きたいです」
今年大学二年生になるとは思えない程、駄々をこねている。
店長は桜さんの両肩に手を添えて言う。
「あなたたちは十分に可愛いのよ。制服なんてただの飾り。それ以上可愛くなってお客様に言い寄られたら私もカバーできないわ」桜さんは頬を赤らめ照れる。
……チョロすぎる。
「さっ、今日のスケジュール伝えるわよ!」
今日の店長はオネェ系強めよりも、少しダンディなおじ様に見える。いつもこんな感じならいいのに……。
「佐藤さんはスタッフルームで基本的な業務と接客の指導をして頂戴。治君も時間があったら接客マニュアルにちゃんと目を通しておいて。午前中は私と桜ちゃんで何とか回してみるわよっ!いいわね!」
「えぇ~!私と店長だけで日曜日回るんですかぁ~」
「そうね、桜ちゃんが頑張ってくれたらご褒美上げちゃうわよ!」
「店長ッ!早く厨房入って準備してください!佐藤さんも治君に早く指導してあげてくださいね!私清掃に行ってきま~す!」
桜さんはご褒美という言葉に目を輝かせて先に業務に戻った。
「あの子、文句は言うけど扱いやすくて助かるわぁ」店長は上機嫌で厨房へと向かう。
「桜先輩、ご褒美の内容聞かないで行ったけど大丈夫なんですか?」
「治君も桜さんの扱いには慣れておいた方がいいよ。まぁ、私たちも早速始めよっか」
私と治もスタッフルームへ移動し業務指導を開始した。
◇ ◇ ◇
スタッフルームでは桜さんの元気いっぱいの声が響き、カフェの忙しなさが伝わってくる。
治は物覚えも早く、もう接客を任せても良いかも知れないレベルである。
しかし私には一つだけ気掛かりがあった。
このカフェはお客様とのトラブル回避の為と従業員の個人情報を守るために幾つか特殊なルールが存在している。
【本名は教えない】
これはお客様に対しては勿論だが、実は店員同士もそのルールが適用されている。
【店員同士も偽名で通すこと】
従業員同士も互いの本名を知らない。
店長は店長。店長の名前も知らないし桜さんの本名を知らない。
今までそんなの気にしたことがなかったし、知る必要もなかった。
私の気掛かりはこれだ。
「――君は自己紹介の時点で既に治という偽名を使っていたんだね」
「お姉さんだって十分ズルいよ。佐藤さんって偽名でしょ?」治は悪びれる事なく話す。
「私はいいのよ。そういうルールだから。でも君はまだ違ったでしょ?」
「俺のは、その……偽名と言うかペンネーム?」
あざとく笑うな馬鹿野郎。間違って危険な奴に惚れてしまうだろ。
「ペンネームねぇ……まぁ、いいよ。私も偽名だったし許してあげる」
治は黙ってガッツポーズをした。
「――気になったんだけど治ってどんな由来で治にしたの?」
「太宰治」即答だった。
「ブッ―」
「笑わないでくださいよ、どうするなんて俺の勝手でしょ?お姉さんのなんか絶対安直」
「ふーん、言ってみなさいよ」
「佐藤って苗字は多いけど、どうせお砂糖から取ったんでしょ?」
「……まぁ、そうだけど」大正解過ぎてムカつく。
「なんか楽しそうだね……」桜さんの声が聞こえてスタッフルームの出入り口を見ると、扉を少しだけ開いてこちらを覗き見る桜さんが居た。
目線が合うと扉を少し開いたまま、サッと姿を消してしまった。
何ここ。怖い人しか居ないのかな。
「ここ、面白い人ばっかりだね」
「そう?私はそれに含まれないからわかんないかな」
「佐藤さんも十分だと思いますよ?」
あなた達と一緒にしないで頂きたい。
「……よし、君はもう現場に行こうかッ!」
「えっ、ちょっとまだ覚えてない所色々ありますよ?」
「百聞は一見に如かず!聞くより見る!あとは実戦で何とかする!以上!」
「ほら、やっぱり佐藤さんも無茶苦茶だ」
もう五年もここで働いて店長のスパルタ気味なのが私にも染みついてしまっていたのか……。
「ほら、あれ……私がちゃんと君のカバーをしてあげるから、やれる事からやってみたら?」
治は何も言わないでこちらを見て呆けている。
「なんか言ってみたら?」
「……あ、いえ。とても素敵だなって……つい」
「バッ、バカが!私先に行くからね!」
私は急いでスタッフルームを出た。
スタッフルームを出てすぐの所にレジがある。桜さんが忙しない様子でパフェを作っている。
「桜さん。お待たせ」
飾りつけの果物を隣にそろえていく。
「佐藤さん遅いよぉ~。って、顔真っ赤だけどどうしたの?」
「へ?そっ、そう?気合だよ、気合!何手伝ったらいい?」
「ふ~ん、なんか怪しいぃ~……あっ、このパフェ出来たから五番テーブルに持って行ってください」
「は~い」桜さんに渡されたパフェを持って急いで客席へと向かう。
◇ ◇ ◇
時間が経過して、外の景色はすっかり夕暮れ時。街灯がつき始めて帰宅ラッシュの人混みが見える。
カフェ店内は客足も落ち着いてすっかりのんびりした雰囲気である。店長をはじめ、私、桜さん、治と全員レジに揃って雑談をしていた。
「いやぁ~、治ちゃんイケメンなだけじゃなくて仕事も簡単にこなしちゃうなんて、素晴らしいわ!」ご満悦の様子で治の背中を何度も叩く。
「いえいえ、佐藤さんの教え方が良かったんですよ」
「私はここのマニュアル通りに伝えただけですよ」
治は謙遜するが物覚えが良すぎる。誰しも初めての経験は戸惑ったり慌てたりするものだが、今日の治の振る舞いは何年も継続して働いたベテランの様なものだった。
「ねぇねぇねぇ、治君って彼女居るの?」
「桜さん、唐突ですね。残念ですが今はまだいません」治は視線をこちらにやる。
「こら、桜ちゃん。ここのルール忘れたの?」
「えぇ~!店長、あれ冗談じゃないんですか?」
「ガチよ」
店長、真顔が怖いです店長。
「店長、ルールって何です?」
「まだ治ちゃんは知らなかったのね」
店長は腕を組んで高らかに説明し始めた。
【店員同士の恋愛御法度】
偽名は従業員の個人情報保護のため。店員同士の恋愛御法度は、業務に差し支えない様にする為。
店長曰く、平凡で平和な毎日を守るためのルールだそうで。今まで私と桜さんしか働き手が居なかったから、私もすっかり偽名ルール意外は忘れていた。
「もし破ったりしたら辞めてもらうわよ♡」投げキッスとウィンクをされて悪寒が走る。
桜さんと治は見るからに落ち込んでいた。
「そんな……あんまりだ」桜さんは白目をむいて棒立ち。
「ちょっと二人とも、桜ちゃんは治ちゃんに対しての下心ってわかるけど、治ちゃんまでどうしちゃったのよ!」
あ~……ね。身に覚えしかない。
治の下心は私に向いている。だから治は私と恋仲になることを期待していた。それが私から聞かされていない新事実を知らされて絶望しているのだ。
「店長、治君は悪ふざけに付き合っているだけだと思いますよ?」
「そうなの?そうなの治君?」
治君、君は大丈夫と言わなければいけない。でなければ、君は私との関わりを失うことになる。
治君にそう耳打ちした。
「えっ、えぇ……店長、俺はなにも問題ありません」唇噛んでますよ。唇噛んでじゃないですか。
「桜ちゃん?桜ちゃんはどうなの?」
「私はガチでへこんでます」真顔である。
「店長、大丈夫みたいです!」
「そうね。大丈夫そうね」
「どこがッ、私をちゃんと見てくださいよ!私、こんなイケメンを前にして我慢なんて出来ません!」
うわぁ~、桜さん必死だなぁ。店長は憐みの眼差しを向けて言う。
「ここは働く場で会って猿が盛る場所じゃないのよ。桜ちゃんも一応人型なんだから理性ある選択を心がけて頂戴。それに治ちゃんだって困ってるじゃない」
桜さんに向けての言葉であるはずが治にもクリティカルヒットしたようで……何とも言えない苦い顔をしている。
変な奴だと思ったけど、こういう反応は普通の男子高校生っぽくて……。
くだらない。私には関係のない事だ。
「店長、私もう仕事に戻りますんで店長も厨房に戻ってください」
「佐藤さんは仕事熱心ね。そうね、桜さんと治君はもう上がって頂戴ね。あっ、それとご褒美あげなくちゃね。はいこれ」
店長も大きな紙袋を桜さんと私に差し出した。
「きゃー!店長店長!何ですか?プレゼントですか?」
「いいから二人とも中身開けなさい」
店長の言われるがまま紙袋を上げてみると、中には制服と思われる服が入っていた。
桜さんは制服だと確認した瞬間にスタッフルームへ直行した。数分もしないうちに勢いよくスタッフルームから飛び出て来た桜さんは制服に着替えており、子供のようにはしゃいで着替えた制服を見せびらかす。
「店長ぉ~私の好みわかっててくれたんですね!感激です!」
「桜ちゃんは、桜の様にひらひらしたレースにワンポイントのアクセントとしてピンク色のラインを入れてあるわ。黒をベースにしたメイド服っぽい仕様だからこの店の使用にも合うと思ったのだけど……私の眼に狂いはなかったわね」
「店長。私のこれは……」
「佐藤ちゃん、あなたのも特注よ。着替えてみたら?」
「はぁ……」気が進まないが言われるがままに着替えてみる。
着替え終えてスタッフルームから出ると、先ほどまで死んだような反応だった治まで目を輝かせて頷いていた。
「佐藤さんカッコイイ~!一緒に写真撮ろうよ!」
カシャァ、カシャァ
「ちょっ、ちょっと――」私の許可なく桜さんは写真を取り忘れた。
「これはこれでありですね店長!」
「治君ちゃんもこの魅力わかってくれるのね!佐藤ちゃんは可愛いというより寡黙なイメージだから執事さんみたいにピシッと決めてみたのよ。サイズ感はどうかしら?」
「どうって……ちょっと……胸が…」
「あら?佐藤ちゃんもしかして見かけによらずちょっと大きいのね?」
店長、あなたをセクハラで訴えても構いませんよね?いいですよね?
「ブッ――」
「ちょっと治ちゃん、鼻血鼻血~。もぉ~、ウブね~。ほらっ、これで拭きなさい」
治は店長からハンカチを借りて鼻を抑えているが顎から血が滴るのを止められていない。
「ねぇねぇ、この際だから今誰もいないこの瞬間で記念写真撮っちゃおうよ」桜さんは自撮り棒を取り出してやる気満々。
どこから取り出したんですかね。
「桜ちゃん名案ね!治ちゃんもちゃちゃっと気合で鼻血止めてしまいなさい!私はここで、佐藤ちゃんがここで、桜ちゃんはここで――」
店長はポジションを指定して身なりを整える。
「じゃ、皆さん行きますよ~」
パシャシャシャシャシャシャシャ。
センターには治。両サイドは私と桜さん。店長はバック。皆で視線は上目遣いで気恥ずかしいけど、ちょっと楽しい。
桜さんのスマホで撮影した写真を確認したがよく見ると治の鼻からまだ血が滴っていて治も恥ずかしそうにしているのを見て、気を遣っているのが馬鹿らしくなった。
店の扉が開き冷たい風と共にお客様が入ってくると皆慌てて体裁を整えて『いらっしゃいませ~』と口を揃えて言う。
こういう雰囲気で働くのも悪くないと思った。
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