第2話:交換条件
治という男子高校生から告白を受け、色んな経緯があって小説を読んで欲しいと頼まれた。今、私の手には一冊のノートがある。
しかし、私はその中身に一切触れることなく、スタッフルームのロッカーにしまった。
お客様とのコミュニケーションの中でよくある事なのだ。毎年のバレンタインで逆にチョコを貰ったり、他にも見境なくご飯を誘いに来たり、連絡交換を求められたり……。
その一つ一つを丁寧ていねいに対応していると、最終的にはストーカーが現れた事もある。
カフェの店長は事前にそういうトラブルを回避するために幾いくつかマニュアルを用意している。
その中の一つ。
【本名は教えない】
だから、このカフェで働く店員たちは互いの本名を知らないで偽名を呼びあう。
私の佐藤というのも、お砂糖の砂糖から由来している。
「はぁ~キリがない……仕事に戻ろ」自分の頬を軽く二度叩いて喝かつを入れる。
スタッフルームを後にした。
「佐藤ちゃ~ん。あの子から何受け取ったの?……もしかしてだけど、ラブレター?」ニヤけた面をした店長が絡んできた。
なぜにそこまで鋭するどいのか。
「店長。変顔ハラスメントで訴えますよ?なにも受け取ってませんよ」
なぜか咄嗟とっさに嘘をついてしまった。
「ふ~ん……で、知り合いなの?」
「……そうですね。雰囲気が変わってて知り合いだと喋るまで気が付きませんでした」
「ふ~ん……」店長は腕を組んで疑っている。
これは私の推測だが店長なりの心配なのである。店長は変な人だけどスタッフを守ろうとする責任感だけは一流だ。
純粋な心配に対して、私は何故か治をかばうように嘘をついてしまった……。
「――佐藤さん、お願いがあるのよ」
「何ですか店長。これ以上労働賃金を下げたら厚生労働省にチクりますよ」
「ったく、嫌味ねぇ。前はあんなに可愛かったのに……。違うわよ、あなたと親しそうにしてたあの子、勧誘して来てくれない?」店長は唐突とうとつなお願いをしてきた。
「いやですよ。何であの子なんですか?」
「いやだってあの子、身長高いし、よく見たらイケメンじゃない?うちは佐藤さんと桜ちゃんがいるけど、忙しさの割に人少ないし、何より男がいないのよ」
「店長いるじゃないですか」
「私は乙女よ!……はぁ、あの子がここで働いてくれたら女性層のお客様も来ると思ってね。ね?お願いできない?」
「店長自分で言ってきたらいいじゃないですか」
「自慢じゃないけど、私が行って解決するなら、とっくに自分でなんとかしてるわよ!」
私はもう何も言わなかった。店長は自身が乙女であると言いながら、自身の逞しい肉体と心のギャップが赤の他人にとって不愉快であると認識しているらしい。
私は店長が思うよりか気にはしてないが……。
しかし、純粋な疑問が頭をよぎる。
「私や桜さんの時は店長が誘ってきたのに何であの子だけ?」
「いやだって、ほら……あの子、イケメンじゃない。私恥ずかしいのよ……」
言葉を失った。店長の心はまさしく乙女である。
「店長、それなら今日は早く上がらせてください。そうしてくれたら、あの子を確実にこちら側に引き入れましょう」
そう伝えると店長はウサギのように飛び跳ねて喜んだ。
「ほんとに?助かるわぁ~。もうじき桜ちゃんも来るし問題ないわ!早く上がって頂戴!さっ、仕事頑張るわよぉ~!」店長はスキップをしながら厨房へと戻った。
ふっ、早く上がれる口実が出来て大助かりなのは私の方だ。エプロンを脱いでスタッフルームの扉に手をかける。
その時だった。さっき厨房へと駆け込んだ店長が、私の真後ろに立ちボソッと一言。
「勧誘、上手くいったら今度のボーナスちょっとだけ弾んじゃう。けど失敗したら…………わかるわよね」
怖い怖い怖い怖い。こんな時だけその年齢に相応ふさわしい野太い声に戻らないで頂きたい。
そういうのパワハラって言うんですよ。職権乱用ですよ。訴うったえますよ。そんな言葉を口にする機会もなく、振り返ると背後には店長の姿はなかった。
「えっ……さっき……えっ、こわ」
鳥肌が立った。私は急いでスタッフルームに入り荷物をまとめて帰宅の準備を進めたのだった。
◇ ◇ ◇
荷物をまとめて、もう一人のスタッフ桜さんと交代してもらい早めに仕事を終える。
店内を見渡して、今回のターゲットである例の男の子がまだいないか探してみると、店の奥の暗い所で一人。本を読んでいる治が居た。
「治君、ちょっといいかな?」
「佐藤お姉さん、仕事終わったの?」
こちらから声をかけると治は嬉しそうな顔をして本を閉じた。
「ちょっと野暮用やぼようでね。予定より早く仕事が終わったんだ」
「野暮用?」
「う~ん……回りくどいのも好きじゃないから単刀直入たんとうちょくにゅうに言うね」
治は何やら期待の眼差しでこちらを見ている。しかし君が期待しているような返答ではないのだが。
私は治の向き合うように席に座って、少し深呼吸をしてから治に伝える。
「このカフェで働かない?」
こう伝えると治は先ほどまでの嬉々ききとした表情は消え失せてダルそうな顔で即答した。
「嫌ですよ」
即答で断られると思ってはいなかった。しかし、私には保険がある。
カバンの中から例のノートを取り出して治に見せた。
「中身みた?」治は強張った顔で聞いてきた。
「いいえ。まだ」
交渉はこの一手で優勢ゆうせいか?
「そのノートで脅して働いてもらおうって魂胆こんたんなら俺は屈しないよ」
依然、劣勢は変わらずか……。
「君の眼には私がそんな下賤げせんなことをする様な乙女に見えたのかな?」
「いえ、そんな風には見えないですよ……でも、これが脅しじゃないならなんですか?」
「交換条件だよ。交換条件。君は私にこのノートに書かれている小説を読んで欲しい。でも読んでもらえるか、わからない。だって、私にはこれを読む義理はないから。でも君がここで働いてくれるのなら、義理を感じて私はこの小説を読むという事……。依然、働かないという選択肢もある。しかし働いて貰えなかったら私はこのノートを手放すかも知れない」
ハハハハハハッ!このノートを、いやっ、この黒歴史がこの手に回っていた事が君の運の尽きだ!
「別に構かまいません」
ん?
「それは……承諾してくれたってことかな?」
「交換条件になっていないという事です。最悪そのノートが読まれなくても誰かの手に渡ったとしても自分は構わない。それは小説だけど小説なんて言えない稚拙なものだけど、恥ずかしいとは思わない」
治は淡々と話し終え、足を組んで本を読み始めた。
あんなに嬉しそうに話しかけてきた男の子が今では我、関せずと言わんばかりの態度たいどをしている。
……なんかイラっとする。
「別に誰かに渡すとも言ってないし……それに治君。君もそこら辺にいる百凡の男と変わらないね。口では私に『興味がある』『知りたい』と言いながら行動が伴っていない。現状、君が私にしている行為はただのストーカーと変わらない」
そう、このカフェで働くという事は治にとっても悪いことじゃない。むしろストーカーという立ち位置から職場仲間というポジションに変換されるチャンスを自ら逃しているという事にこの子は気付けていないんだ。
治は何も言い返さないでいる。確かに少し言い過ぎたかもしれないが「――何で急に何も言わないのよ」
治はこちらを横目に見て鼻で笑った。そしてまた本に視線をやってこちらを見ないで話す。
「佐藤お姉さんと同じで、自分も回りくどいのは嫌いなんだ。だからちゃんと断る理由を話します。しかも、今から伝える内容は正直自分でも相当に気持ち悪いと思う。だから聞いていてヤバいと思ったら、それ以上僕からお姉さんに近づく事もないし、警察にだって言ってもらって構わない……」治は依然、こちらを見ないで話す。
それから少し妙な間があった。静かな店内だからか、警察とか物騒な単語が出たからか、少し緊張してゴクッと喉を鳴らす。
すると、ようやく治の小さな口が動き始めた。
「唐突だけど、お姉さんに見える人の顔はどんな感じですか?」
本当に唐突な質問。
「顔って……普通。皆忙しそうかな?」
「……俺から見える人の顔はどれも無表情で死んだように生きている。お姉さんもその一人で、僕もそうかも知れない。でもお姉さんはほんの時折、生きた顔を見せるんだ。喜怒哀楽がちゃんとある。電車の中で本を読む姿は純粋に美しいと思った」
……だから小説か。何ていうか、割と安直あんちょくで拍子抜け。
「お姉さんにならなんとでも言われても構わないよ」
「へ?何も言ってないよ?」
「へ、って……お姉さん顔に出ちゃってるし」また横目こちらを見て鼻で笑った。
純粋な疑問。こちらを見て話していないのに私の顔の何を見たのか……。
「まぁ、安直だけどお姉さんのそんな生きている表情を見て僕はそんな表情を産み出せる側になりたいと思ったんだ。お姉さんは自分が初めて一目惚れした人でもあり、夢をくれた人でもある。感謝してるんだ。だから報むくいたい。可能なら、他の誰でもない自分自身でお姉さんを幸せにしたいって思った」
かぁぁぁ~。甘いっ、甘いなぁ。聞いている自分が恥ずかしくて耳を、眼をふさぎたくなる程の甘い話。今時こんな子ばっかりなのか?
それでも私は何も口を挟まず治の言葉に耳を傾け続けた。
「ね?それなりに痛いでしょ?ここから先はもっと痛い……。いや、変態的。想いが重いと自分でもおかしな奴だと思う……」
それなりに緊張しているのだろうか、治はまた間をおいて深呼吸をしてから話を始めた。
「――突拍子もないけどね。自分なりに幸せって考えた。相手を幸せにすることを考えた。何も始まってもないのに妄想の中でお姉さんを幸せにする事。それは、僕が何かしてもらう事じゃない。僕がお姉さんに尽くす事。でもそれは当たり前で、楽しいとか美味しいとか気持ちいいとか、当然の事。極論、自分を捧げて幸せでいてくれるなら奴隷であっても構わないとかも考えている」
「……成程ね」もうこれ以上は何も言えない。確かに痛々しく、愛が重く、変態的だ。
「こんなのお姉さんからしたら危険人物だよ。一般的じゃない。そんな危ない高校生が一緒に働いても良いのって話です。僕は自分自身で自覚している。常軌を逸っしている。誘ってくれたのは凄く嬉しいしほんとは両手を上げて喜びたいけど、お姉さんの気持ちを無視して一緒に働きたくないから一度断ったんだ……」
治は本の角度を上げて顔を隠してしまう。
私も黙り込んでしまった。
私がこの子の発言に耳を傾けていられるのは店長から与えられたミッション遂行すいこうの為。
この子は確かに危険だ。今までも多くの人がこのカフェで私や他の従業員にも告白してきたが今回みたいに自覚していたり、重すぎるのは初めての事で私も戸惑っている……。
誘っておいて失礼かも知れないが、本人もこう言っているし断っても良いんじゃないか?
いやしかし、店長からのミッションを果たせなかった時のリスクがデカい。減給はないと思うが法に触れない地味な嫌がらせがありそうだし。どうすれば……。
いや、いっそのこと傍そばに置いて知ってもらったら良いじゃないか。私だけじゃない、日常はそんな死んだ人ばかりじゃない。
この子が見た顔がたまたま私だっただけだ。何も知らないから私に幻想を抱いているだけ。
ここには沢山の人が来る。確かに死んだような人も居るけどそうじゃない。
その事を知ってもらったら良い。
幸い治はルックスが抜群ばつぐんに良い。髪型を整えさえすれば間違いなくファンが出来る。それで年上の私よりももっと魅力的な若い子に目移りするかも知れない。
「……いいよ、良い。歓迎するよ」私から沈黙を破る。
「君は確かに危険だ。そんな君を野放しにしている方が私は逆に安心できない。だから君には一緒に働いて知ってもらう。私に興味を持つ。私を知る。私だけじゃなくて、もっと色んな事も知る。それでも尚、好きでいられるなら私も一向にかまわない!」
「…………マジですか?」治は手にしていた本を床に落として、呆けた顔をこちらに向けている。
空気が止まるような感覚。
何でそんな何とも言えない顔を向けられるんだ。おかしなことを私は言ったのか?
最後に言った言葉を思い出す。
――私は一向にかまわない!
何を?
――それでも尚、好きでいられるなら私も一向にかまわない!
死ねぇぇぇえ!何を口走っているんだ!言葉の意味を思い出したら顔が熱くなってきた。
「今のは構わないって言うのは!えっと、そのっ――」
「言い間違い。それでいいんじゃないですか?」治が笑うのを必死にこらえた様子でフォローしてくれている。
可愛いじゃないか馬鹿野郎!かわいいとか言うな私!落ち着け!落ち着け!
「そっ、それじゃ……君を勧誘で来たという事でいいのかな?」
「はい、末永くよろしくお願い致します」
末永くってなんだ!こちらこそよろしくお願いします!
「はぁ……取り乱してバカみたい。とりあえず店長に報告してくるよ……あと連絡先、交換しておこうか」
冷静に戻った私。
カバンからスマホを取り出して連絡先を交換する。対する治君は再び嬉々とした表情を取り戻している。
客席を後にして店長に報告した。店長は両手をあげて大喜びである。上機嫌になった店長は帰り際にサンドイッチと熱々のカフェラテを持たせてくれた。
一人分ではなく、二人分。
治君の分か……。不本意だが今度は自分の意志で誘ってみるか。
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