言葉で君を殺したい

ナルク

第1話:この小説を読んでください

 一時間三十分近くかけて職場へと向かう電車での通勤。最初の頃はこの時間を有意義なものにしようと電車の中で本を読んでいた。しかし、電車の揺れがひどくて文字を読んでいると次第に胸が気持ち悪くなるので断念。


 次はスマホ、スマホも快速電車のために揺れが激しく手元が狂うから断念。


 そして最終的には寝ることにしたが人の気配が気になって寝るに寝れず、目を閉じて寝たふりをする。読みもしない小説を片手に寝たふり。


「次は新大阪~、新大阪で止まります」電車のアナウンスが鳴る。


 ゆっくり目を開ける。すると、向かいの席に座る学生服の男の子と目が合った。男の子も私の目線に気付いて、こちらにニッコリと笑いかけてきた。姿勢がすっと伸びて座高が高い、正直言ってカッコいいのだが髪が乱れて少し残念。まじまじと見ていると段々恥ずかしくなってくる。私はすぐに目を逸らして席を立った。


 電車は新大阪駅に到着してドアが開き、私は電車を急いで後にした。駅から歩いて五分から十分程度で職場に到着する。私の職場は駅近くに構えるカフェである。朝早くにきて準備を進めなければ仕事に向かう社会人や、ちょっとおしゃれを気取った学生たちにコーヒーの販売に遅れが出てしまう。


 駆け足で店内に入り「おはようございま~す」とあいさつをする。


「おはよ~、佐藤さん。今日も寒いわねぇ~」店長だ。


 店長はこのカフェの経営者。気のいい人だが所謂、オネェ系のおじさんである。初めてあった時の印象はとてもいい人なのだが忙しすぎたりすると少し癖が強くなる。


「寒いですねぇ~……準備していきま~す」エプロンを身に着けて朝の準備にとりかかる。


 テーブルに乗ったイスを順に降ろして整えていく。同時に付近でテーブルとイスを布巾ふきんでキレイに拭き上げていく。バリスタの点検とサンドイッチの在庫をチェック、最後にレジのお金を確認して準備完了!


「店長~、準備オッケーです」レジから厨房に向かって店長に準備完了を知らせる。


「コルクボード外に出してちょうだ~い、今日もバリバリやるわよぉ!」姿は見えないが厨房から野太い声が響く。


 コルクボードには開店を知らせる簡単なメニュー表が掲載されていて、コレを店の外に出すと開店の合図。


 一人、また一人とホットコーヒーとサンドイッチをテイクアウト。


「すみません、注文いいですか?」

「はーい!」


 私もテンションが徐々に上がってきて元気な声で返事をして急いでレジに向かうと、そこには今朝目が合った男の子がいた。向こうも今朝のことを覚えていたのか『あっ……』と互いに言葉に詰まる。やっぱり背が高い。高校生かな?日本人かな?


「佐藤さ~ん、後が詰まってるわよ~」厨房から店長の急かす声。


 一体どこから見えているのだろうか……。気を取り直して「注文はお決まりですか?」


「あっ、はい。ホットコーヒー…ショートと、ハムサンドとタマゴサンドください」

「お持ち帰りですか?店内でお召し上がりですか?」

「あっ、店内で」


 自ら聞いておいてなんだが、君は店内じゃ不味いだろ。学校はどうした?と、思いながらも私には関係のない事と言い聞かせて普通の対応をする。


「七百十円になります。またお持ち致しますので席にかけてお待ちください」


 例の男の子は会計を済ませて客席の奥へと向かった。サボりか……今時の子はいいな。こんなオシャレで暖かい環境で時間をつぶせるのだから。


 唐突なことで戸惑ってしまったが、次々にくるお客様の対応をしていると気にならなくなった。


 朝から昼にかけての忙しい時間帯を終えて店内はオシャレなカフェらしい落ち着きを取り戻す。


 店長が厨房から出てきて「佐藤さんお疲れさま~、休憩取っちゃって~」と言ってくれた。


「ありがとうございます」エプロンをスタッフルームの机に畳んで置き、自分にコーヒーを入れる。朝に作って余っているサンドイッチを自由に一つ食べていいのでタマゴサンドを頂戴する。


 自分の食事をプレートに乗せて客席に向かおうとするとき、厨房の窓から店長が手招きしていた。


「ちょっとちょっと、あの子。朝からずっとここにいるの」お客様に聞こえないように小さな声で話す。店長が指す方を見ると今朝のサボりの男の子がいた。


「ほんとですね……店長、でもほか常連さんも何人か朝からずっといますよ?」


「常連さんはいいのよ。コーヒーもおかわり買ってくれるし」


「……ようするにおかわりの催促をしてこればいいんですか?」


「ストレート過ぎる気もするけど、平たく言えばそんな感じよ。おかわりないなら、学校に連絡いれちゃうんだから」店長はそう言うと、私の背中を押して客席に向かわせた。


 店長、若干渋い男声に戻ってますよ。


 心の中で突っ込みを入れつつターゲットの男の子に近づく。まずは様子見。男の子が座る席から三つほど離れた席に自分のプレートを置いて座る。


 コーヒーを一口飲んで、チラ見。こちらには気づいていないようだ。サンドイッチを口に入れている間にチラ見。男の子は変わらず机に向かい何やら本やらノートを出して勉強している。


「ここで勉強するなら学校いけばいいのに……」おそらく周囲には聞こえない小さな声で呟いた。


 すると男の子は顔を上げてこちらを見て私と目が合ってしまう。聞こえてしまったのか?なんて地獄耳なんだ。ぼそっと陰口のような事を言ってしまった罪悪感からか、私は今朝の電車と同様にまた目を逸らしてしまった。


 なんでこんなことをしているんだ。照れ隠しするように急いでコーヒーを口にする。


「ッーー」あっつい。まだ湯気立つくらい熱いのをスッカリ忘れていた。


 これは恥ずかし死ぬ。

 こんな醜態をほかの誰かに見られていないだろうか?自身のハンカチで急いでテーブルを拭きながら、辺りを見渡す。


 常連のお客様は一切見向きもしない。いや、店長はカウンターからこちらの様子を伺っていたのか、頬杖をついて鼻で笑っている……ように見える。例の男の子の方を見ると口元を抑えて笑っている。


「勘弁してほしい……」


 サボりの男の子が荷物をまとめて席を立ち、こちらに向かってきた。当たり前のように隣の席に座って一言。


「お姉さん、意外とドジだね」ニヤニヤした顔して馴れ馴れしい。


 丁度いい、そちらから詰めてくるのならこちらも攻めさせて頂こう。


「君、そのカップにコーヒー残ってるの?」


「ん?ないけど?」


 ないけど?じゃねーよ。


「その一杯のコーヒーだけでいつまで居座るつもりなのかな?」


 男の子は気まずそうにニッコリ笑う。私はニッコリ笑ってレジを指さした。指さす方には店長もニッコリ笑いながら手招きしている。


「……おかわり頂きますね」


「はい、どうぞ」これで私のミッションはクリア。さっきの失態をチャラにしたかのように清々しい気分。


 男の子は会計を済ませて湯気立つコーヒーカップ片手に当たり前のようにまた私の隣へ座った。


「これでいいんでしょ?」


「……そうですね」


 一つ、気になっている事を聞いてみた。


「君、この近くの高校でしょ?学校どうしたの?」


「ーーいや、ほんとはサボる予定はなかったんだけれども予定を変えました」


「予定じゃないってどういう事よ」


「正直に言うならお姉さんとまた会えたからいい機会だと思ってお姉さんが仕事終わるまで待ってようと思ってました」淡々と言う。


 怖いな。


「ちょっあんまり年上の人をからかっちゃダメだよ?」


「本当の事です」


「……」なんなんだこの子は怖い怖い怖い。


「そんな変な顔しないでくださいよ……そうだなぁ……ずっと前からお姉さんが好きでした」


「……」は?


 驚きでサンドイッチを床に落としてしまった。


「あーあ。お姉さんやっぱり少しおっちょこちょいだね」彼は落としたサンドイッチを拾う。


「――君はストーカーか何かかな?店長呼ぶよ?」店長が居るレジを指さした。レジと席は離れている筈なのに店長の拳を指折る音がバキバキと聞こえてきそうだ。


「いやいやいや、お姉さんにとって悪い話でもないと思うんだけど」


「……どう言う事よ」


「年下の若い男の子を引っ掛けて遊べるお姉様……そうそう居ないと思いますよ?」


「馬鹿なの?君馬鹿なの?初対面でしかも年下の子にムードもクソもない雰囲気で告白されても全然嬉しくないよ寧ろ困るよ」


「ですよねぇ……」男の子は経緯を語り始めた。


 私の電車での通勤時間と彼の通学時間が一緒らしく度々同じくその度に私を見かけていたそうだ。

 次第に私に興味を持ち、一度は気の所為だと言い聞かせたが今日目があって偶然カフェで遭遇して我慢できなくなったそうだ。


「……とにかく絶対付き合わないよ」


「お姉さんは恋をしたことがありますか?」


「……多分、ある」


――小さい頃、私は幼馴染に龍之介という男の子がいた。同級生で常に一緒に遊んでたから家族みたいな感覚で育ち高校まで一緒だった。


 高校生になったある日、龍之介から告白された「好きだ、付き合って欲しい」と。


 私も意識していない訳でもないし嫌いじゃないから付き合ってみた。


 付き合い始めた時は心ときめいた。何もかもが初めてで手を繋いだり軽くキスをしたりするのも心がときめいた。


 でも、次第に龍之介との感覚に違和感を覚え、私は龍之介とは違う大学に行って自然消滅した。


「――恋愛経験ならあるにはある」


「……ふーん」何か不服そうな顔。でもその上目遣い可愛い。


「僕、小説書いてるんですよ」唐突に切り出してきた。


「へー…で?」


「素人でまだまだ手探りしながらだけど一つだけ意識してることがあるんです」


「ふーん、で?」


「相手の心を動かす事」言い切る男の子の顔見て少しドキッとしてしまった。


「僕の勝手な推理だけど、お姉さんが過去に恋愛経験があった様だけどうまくいかなくなった。その理由が僕にはわかる」


「……」


「きっとその男性が独りよがりだったから」


「ッ……」


「的中かな?僕のような書き手たちは下手なりにも相手に喜んでもらいたいというか心動いて欲しい気持ちでいっぱいなんだ。読者が何でもいいから心動いてくれなきゃただのオナニーと変わらない」


「……で、君は違うとでも言うの?」


「そう言われるとわかんない……でもきっと誰よりお姉さんを想う気持ちに自身はある」そう言って男の子は一冊のノートを取り出した。


「最初で最後のお願い、この本だけ読んで下さい」


 それまで軽く砕けた態度だった男の子は、体勢をこちらに向けて真剣な顔つきで頼んできた。


「これもしかして、君の書いた小説?」


「……お姉さん、たまに本読むでしょ?電車の中で本とか手にしてるの見たことあるから」


「…本当によく見てるね。で、何で小説なの?」


「僕の書いた小説はまだ小説って言えるぐらい大層なモンじゃないけど、小説ってのはその人の経験が思想が反映されると思うんだ……」


「だから読んでもらって自分を知ってもらおうってやつね……」

「それもあるけど、違う」

「どういう事よ?」

「僕はお姉さんがどんな人かもっと知りたいんだ」


「それは……良い心がけだね」

 何が良い心がけだねっだ私は馬鹿か?馬鹿なのか?


 年齢も十も離れた初対面の男子高校生から告白されている。


 ハッキリ言って異常なシチュエーションではあるが何故か胸が高鳴り、喉を鳴らす。


 期待してしまっている自分がいる。


 しかし、この子は一つだけ致命的なミスを犯している。それは小説を読んで欲しいという願望を私に押し付けている所だ。


 確かに、私は本を読む。でもそれは素人が書いたものじゃなくて、プロと呼べる作家が書いたものに限る。


 この子が書いた小説が私のために書いたものだとしても、それを読んであげる義理はない。


 そういう意味合いでは、この自作小説を読んでもらうという行為は独りよがりと何も変わらない。


 はぁ……。なんかちょっと白けちゃった。まぁ、私もこの子が書いた小説に興味が無い訳じゃない。


「気が向いたら読むよ……君、名前は?」


「……おさむ、お姉さんは?」


「治くんね、私は佐藤さとう……またコーヒーおかわり言ってね」


 私は彼のノートを手に取って客席を去った。


 読みませんけどね。


 とりあえず貰っておくスタイル。

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