シンドローム・ファクター
夜桜 恭夜
第1話ー蟒蛇
ネオン輝く大都会。東京。
立ち並ぶビルには至る所にホログラムの装飾が施され、目まぐるしく変わるデジタルの波が渦巻いている。
華やかだが、効率化された街の喧騒の中を、奇妙な二人組が歩いていく。
一人は黒髪を短く切り揃え、フードの着いた膝丈のモッズコートに身を包んだ十代後半の少年。
その隣に並ぶのは、紫がかった癖のある髪に濃い紫色の和服に身を包んだ、二十代半ばの男。
「そういえば、ギンさんさ。いつも同じ着物だけど、もしかして同じのがたくさんあるの?それとも一枚だけしか持ってないの?」
不意に少年ー
「阿呆、一枚だけやないわ。微妙に柄や織り方が違いますのや。これやから素人は困ります」
「反物の染め方とか柄とか色々あるのは知ってるよ。知識だけなら」
「知識だけ増やしても、実物に勝るものはあらしまへん」
パンッと、愛用の扇子を出し、着物姿の男ー
「まあね」
吟の言葉に桜華は同意をする。
「それにしても、今日はどんな依頼なん?」
他愛の会話の後、吟は意味深な問いを隣を歩く少年にする。
吟の問いに、桜華はなんの事と言った様子で、キョトンと首を傾げた。
「依頼?」
「入る予定やとか言うてたやろ?」
「依頼なんて無いよ」
不思議なモノを見る目で見上げてくる桜華に、吟は怪訝に眉をひそめた。
「…予定変えたんなら早めに言うてほしいわ…」
しばし桜華を見据えた後、溜め息をついて、吟は携帯端末を懐から取り出し、新着の通知に目を通した。
「それで、珍しいやないの。夕飯桜華君が誘うやなんて」
気を取り直し、ここに出てきたもう1つの理由を何気なく尋ねる。
「ボク一人じゃどうしようもないからさ。どうしても気になるものがあって」
「そうなん?」
「うん」
桜華が行きたいという店を吟は自分なりに想像する。
「阿保みたいな量が出てくるとか?」
「それも、あるかも」
「一人やと、入りにくい店?」
「ギンさんと一緒のほうが楽しいかなと」
「桜華君、あんさんやけに可愛らしい事言いますな」
「そんなことないよ。本店が有名なんだけど最近ココにもできたって情報得てね、それで。抹茶中毒のギンさんは、食べたこと無いかもと思ったから誘ってみた」
「何を食べに行きはるんや?」
「ゲンゴロウ」
ピタリと、吟の歩みが止まる。
それに気づかず、少しだけ先に言った桜華は、キョトンと後ろを振り返った。
「悪いが、あんさんとのコンビもここまでや」
「ボクだって、食べたことないよ」
「良く食べてみよかって、なりますなぁ…」
困惑しながら吟は肩を落とす。
頭を抱えた吟は、ふと地面からの振動に眉をひそめた。
「地震?」
ズズン、ズズン、と、並みを打つような振動が地面から伝わってくる。
「ギンさん、あっちだ」
吟の手を引っ張り、桜華は振動の伝わってくる方向へ向かおうとする。
だが、彼等が向かおうとする方角から、一人、また一人と人が足早に向かってくる。
その、数はどんどん増え、彼等の表情は一様に恐怖と驚愕に歪んでいる。
彼等の動きは、まるで何かから逃れるような動きだった。
次々に押し寄せる人の並みに逆らう形で桜華と吟は、人々が逃げてきた方へ走っていく。
「なんや、何が起こってるんや?」
「ほら、行くよ」
ぐいっと、強く腕を引かれて吟は桜華に促されるまま、人混みを逆走する。
「桜華君っこない人混みを逆に行くんは無理やっ野次馬精神もほどほどにしとかな」
吟の制止をよそに、更に人並みを掻き分けて進んでいた桜華の上着のポケットがブルブルと振動する。
着信音が鳴り出した携帯端末を取り出し、ディスプレイに表示された応のボタンを押す。
「あ、遅いよ。やっぱりボクの感は当たってたんだね」
通話に出るなり、桜華の口から溜め息が零れる。
それを目の当たりにして、吟は電話の相手が誰か、おおよその予想はついた。
そして、その電話が何を意味するのかも。
「ほら、良かったね。ギンさん」
電話を切り、桜華はくるりと吟を振り返る。
その眼は、獲物を求める獣のように、ぎらついている。
「なんやの、一番興奮しとるんはあんさんやないの…」
扇子を顎先に付け、吟は思わず苦笑する。
この相方と組んで退屈しないのは、これがあるからだ。
「だって…ねぇ」
「落ち着きなはれ」
「急がないと、先を越される」
肩越しに吟を急かし、桜華は更に人混みの中を走っていく。
その後を吟が追うと、その先にようやく騒ぎの元凶が現れた。
ビルの一階にある商店やコンビニのガラスが割られ、その一画だけがまるで嵐が来たとでもいうように、段ボールや商品、棚等が散乱している。
地面のアスファルトには何かが這ったようなヒビが入り、それを視線で追うと、白く太い尻尾があった。
胴体の先、頭と思われる箇所を酒屋の店内に突っ込んでいるそれの傍で、桜華と吟は立ち止まった。
「これは…なかなか大物やね」
「別に人を襲うわけじゃないから、ほっといてもいいけど」
「いや、この惨状見て、ようそない呑気なこと言えますわなぁ…」
「これは、
「アルコール依存症って訳かいな」
「だね」
酒屋に首を突っ込み、恐らく店内にある酒瓶を貪っているであろう巨大な蛇を前にしながら、吟はペロリと下唇を舐めた。
「これは、倒しがいがありそうや」
「いちおう、生け捕りで。だってさ」
「雇い主の要望に応えるんも、プロの仕事やさかい、任しときなはれ」
肩を竦め、吟はそれまで手にしていた扇子を懐に仕舞う。
「頑張って」
「なんや、興味なさげやな」
「だって、今ならそんなに難しい案件じゃないでしょ?ギンさんだけでどうにかなりそうだし」
「やれやれ、一人で倒すのも骨が折れますのや…まぁ、余裕やけど」
ニヤリと、一歩前に進み出た吟は懐から銀色の四角い容器を取り出した。
本来はウォッカ等の酒を入れるステンレスの水筒ースキットルの栓を器用に指だけで回す。
「
口許に注ぎ口を寄せ、吟は中に入っている液体をごくりと飲み干した。
口許についた緑色の液体を手の甲で拭うと、黒かった瞳が深い緑色に染まる。
グシャッと、吟の手元で何かが潰れる音がする。
手の中で潰れたそれを、ひょいっと吟は桜華の方へ投げて寄越した。
吟が投げたものを桜華がキャッチすると、手の中には握り潰されたスキットルがあった。
「あーあ…」
呆れた表情で桜華は握り潰されたスキットルを見下ろす。
「それ、直しといて」
肩越しに桜華を振り返った後、インバネスコートに隠れた背中側へ手を差し入れた。
彼が取り出したのは、銀灰色に輝く30センチ近くある少し長めの扇。
ただの扇ではなくそれは、鉄で出来た重厚な鉄扇。漆塗りの親骨で隠された中骨は全てが鉄で構成され、武骨さは隠されている。中骨に張られた扇面は、鮮やかな抹茶色の布が張られている。
要に結われた京紫の房飾りが持ち主の動きに合わせてひらりと揺れた。
「さぁ、蛇退治と参りましょ」
鉄扇を広げ、吟は楽しげにほくそ笑むと蟒蛇の側へ近づいた。
ズズズっ。
酒屋に首を突っ込んでいた蟒蛇が動き出す。
酒瓶を咥え、酒屋の壁を破壊しながら蟒蛇が道路へと顔を出す。
スグリの瞳が自分を見据えている吟と視線が絡み合う。
「ギンさーん、生け捕りだからねー忘れんなよー。今日のギンさんのご飯がかかってるんだからねー」
「分かってるわ」
鉄扇を逆手に持ち、右足を前に出し、左足を後ろに引いて構えを取る。
ちろちろと赤い下を蠢かせ、蟒蛇は巨体をぬるりと滑らせた。
ニタリと口端を吊り上げた直後、吟は自身へ向かってきた蟒蛇を迎え撃つ形で、一気に踏み込んだ。
牙を剥き出した蟒蛇が巨体に似合わぬ素早さで吟へ突進する。
蟒蛇の牙が当たるギリギリの所で、横に跳んで突進を躱した吟は、踵を返して鉄扇を振り下ろした。
蟒蛇の背に鈍い痛みが打撃となって襲来する。
背中を叩かれ、びくりと全身を震わせた蟒蛇は、ズズズと巨体を引き摺り、背後に構えた吟を見据えた。
「ほぅら、かかっといで」
ニヤリと、鉄扇の先端をヒラヒラと揺らし、蟒蛇を挑発する。
頭部から丁度胸に当たる部分を蟒蛇は俊敏に伸ばし、自身を挑発してくる着物の男へ飛びかかった。
「ふふん」
鼻歌混じりに、自身へ迫ってきた蟒蛇を前方に進んで躱しながら、鱗に覆われた額を鉄扇で
ヒラリ、ヒラリ。身軽に舞を踊るようにステップを踏み、インバネスコートの裾を翻して、吟は向かってくる蟒蛇の額や背を鉄扇で殴り付けた。
「単調でつまらんなぁ、もうちょい骨のある攻撃したらどないなん?」
そうやって、またすぐ挑発する…
蟒蛇の周りを飛び回る吟を遠くから見ていた桜華は、呆れた様子で溜め息をついた。
吟が戦闘に慣れているのは知っているが、遊び過ぎるのが彼の悪い癖である。
ましてや、生け捕りとなると力加減が分からない分、吟は相手を挑発しては、時間をかけるのだ。
長引くと被害が増えるからヤバいんだけどなぁ
桜華の呟きを体現するように、既にアスファルトの地面はひび割れが増え、抉れて盛り上がっている。
更に、近くの商店や飲食店の入り口や窓等に太い尾が当たり、被害は徐々に増えていく。
このままでは、街の損害は計り知れない。
幾ら、成れの果ての退治が承認されているとはいえ、これは本来は政府管轄の討伐軍の仕事である。
自分達はあくまで個人からの依頼で動いているモグリのハンター。
戦闘が長引く事によって発生する損害を保証など出来ないのだから。
蟒蛇の尾が、吟が立つ地面から槍の如く突き出す。
それを吟は紙一重で躱す。
だが、避けた瞬間に尾の先端から液体が飛び出した。
「うわっ」
背後からネバネバと粘着性の高い液体が、吟に背中から全身へと掛かる。
勢いに押されて吟は正面から地面に倒れ込んだ。
「くっ、なんや…これ…」
べちゃくちゃと、粘着いた液体が地面に身体を縫い付ける。
起き上がろうと膝と肘を曲げるが、動く度に液体の粘度が増し、吟の身体を地面に縫い止めた。
抜け出そうと必死にもがく吟から顔を逸らし、蟒蛇は巨体を引きずって進み始める。
「ギンさん、やり返せ!」
「阿呆っ動けへんのに出来るかい!」
トリモチに引っ掛かったカブトムシのように、じたばたしながら吟は離れた場所からこの状況を見守る桜華を睨み付ける。
自分を睨みつける吟に桜華は、自身の左腕を挙げ、右の人差し指で左腕を示す仕草をする。
「なるほど…」
桜華が出したシグナルを受け取り、吟は自身の左腕に視線を移す。
手に嵌めた革手袋を剥ぎ取るように外すと、そこから現れたのは銀色に輝く無機質な機械の腕。
右手を肘の関節に添え、視界の向こうでうねる巨体に標準を合わせる。
仕込まれたボタンを吟は迷わずに押す。
手首の関節が下方に折れ、真っ黒な空洞から勢い良く何かが発射される。
「よしっ」
発射された物体は、次の酒を求めて道路を進んで行く巨大な蛇の頭上で弾けた。
蟒蛇の身体に、ネバネバとした白い物体が降り注ぎ、道路のアスファルトに縫い止める。
突如降りかかった液体に身体を拘束され、蟒蛇はじたばたと身を捩る。だが、動けば動く程、粘着性の増した粘液によって、蟒蛇は諦めた様子で大人しくなった。
「桜華ー!なんやのっあれは!」
「トリモチ。ギンさんお揃いだね」
にやにやと桜華は地面に縫いつけられた吟を見て笑う。
「またギミック弄ったんか!この間のロケットパンチ気に入ってたんやで!」
「あれ、コストかかるからヤメタ。ギンさん、対象を木っ端微塵にしたし。それにロケットパンチじゃなくてミサイルだよ」
桜華は携帯端末を取り出しどこかへ電話をかける。
何回かのコールの後、連絡先が通話に応じた。
「あ、確保したからよろしく。場所は」
淡々と桜華は連絡先に場所や状況等の情報を伝えた後、携帯端末の通話を終了して、吟の前に膝を折った。
少年らしい無邪気な表情で桜華は吟を覗き込む。
「じゃあ、先に帰るから。回収班の人、もう少しで来るって」
「先帰るって、このトリモチどないかしてくれませんの?」
桜華とは対照的に、憮然とした顔で吟は相方に助けを求めた。
だが、返って来たのは、残酷だが実に最もな答えだった。
「貴重なサンプルだし。ギンさんが動けないなら、装備もないボクには外せないよ」
「このまま、俺を置いて帰るつもりか?」
「大丈夫だよ、それにボクはこれ直さないとならないでしょ?」
すっと、戦闘の前に吟が抹茶を入れていた潰れたスキットルを見せ、桜華は愛らしく首を傾げる。
「う…我ながら戦闘となると何するか分からへんわ…」
粘着液に捕縛され、一先ず戦闘が終了した為か、緑色に変色していた吟の瞳は、本来の黒に戻っている。
冷静さを取り戻した吟は、自身の軽率な行動に苦笑いを浮かべた。
「あ、ホンマに帰る気か!?」
「じゃあね、ギンさん」
吟の前から立ち上がり、ヒラヒラと手を降って桜華はその場から立ち去って行く。
「えっ、ちょっズルいわ!少しくくらい一緒にいてくれてもええやんかー」
四肢をバタつかせ、トリモチから抜け出そうと踠く吟を残し、桜華は一人ネオンの中へ消えて行く。
「あり得へんわー!桜華のアホんだらー!」
吟の罵詈雑言は、虚しくもビルの隙間に吸い込まれていく。
蟒蛇騒動で消えていた人々の賑わいとホログラムの喧騒は、すぐさま本来の姿を取り戻す。
桜華に置き去りにされて15分後。
吟と彼が取り押さえた蟒蛇のいる現場に、数台のワゴン車と二台のヘリが駆け付けた。
アスファルトが抉れ、商店の破損した通りは、1時間もしないうちに、本来の姿を取り戻す。
巨大な蟒蛇が暴れていたことなど、誰も目に止めていないと言うように。
シンドローム・ファクター 夜桜 恭夜 @yozacra-siga-kyouya
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