勇者チヒロは究極の難問に挑む

新巻へもん

伝説のソロ〇〇

 私たちは船に乗って、三日三晩荒海を超えて、ようやくこの島にたどり着いた。海面に小さな舟を降ろし、縄梯子で私達6人だけが乗り込む。カムリが2本のオールを持ち力強く漕ぎ出した。背が低いが樽のような胴から突き出した逞しい腕は規則正しく海面をとらえる。舟はすいすいと私達を陸地へと運んで行った。


 がっと舟が砂浜に乗り上げる。舳先からシンディが身軽にトンと飛んで乾いた砂地に飛び降りる。私とチヒロが船を降り、舟を押さえた。青白い顔をしたシャールがよろよろと這い降りる。ローブの裾が濡れてまとわりつき歩きにくそうだ。チヒロがすかさず寄り添って支えてやった。


「この粗大ゴミは置いていくかの?」

 カムリが短い足でへりを乗り越えながら言った。舟に残って丸まって異臭を放っているアンディは身じろぎもしない。私が首を横に振ると、カムリは肩をすくめて、舟の舳先を持って引きずり始めた。


 私も手伝って、舟を完全に陸地に上げる。乾いた砂のところまで引き上げるとカムリがアンディの足をつかんで舟から引きずりおろした。舟べりに頭があたりゴンという音がする。砂の上にアンディを転がしたカムリと2人で舟をさらに陸地側に寄せた。打ち寄せられた貝殻や海藻のきれっぱしより内側に舟を運ぶ。


 その間にチヒロとシンディが周囲を探索して小川を見つけていた。潮風でべたついた手や顔を洗うと生き返った心地がする。水を汲んでいきアンディに飲ませた。しばらくするとアンディが自分で歩けるまで回復する。

「どうもご迷惑をおかけしました」


「いつも酒に酔っているのに、船酔いまでするなんて」

 シンディがからかう。最初の頃は距離を置いていたエルフ娘も最近ではすっかり私達に打ち解けてきていた。これも異世界から来た勇者であるチヒロのお陰だろう。

「ははは。面目ない」


 まったく迷惑をかけたとも、面目ないとも思ってもいなさそうなアンディが笑う。私たちの中で最高齢であるアンディは鼻が赤く酒焼けしていた。風貌はどこにでもいる酒飲みのおじさんだが、高位の神官で、知識も豊富である。彼の頭脳のお陰で、この島に魔神の住処を示す魔法の道具があることを突き止めた。


 海岸から林の中に足を踏み入れて、しばらく歩くと石造りの建物が姿を表す。一つの面が三角形をした錐の形をしており、階段で半分ほど登ったところに黒い入口が口を開けていた。人の背丈の半分ほどもある石段を苦労して10段ほど登る。特にアンディは苦労していた。


 魔法使いのシャールが自分の杖の先端に明かりを灯す。入口から先は坂道となって下っていた。入り口を塞ぐ蔦をかき分けて中に入る。ずっと下っていくとやがて道は水平になり程なく広い空間に出た。正面には複雑な文様の刻まれた金属製の壁がある。その正面には棺ほどの大きさの四角い塊があった。


 アンディがひょこひょことそちらに進んでいく。

「気を付けて」

 私が警告したがひらひらと手を振った。

「大丈夫ですよ。ここには我々しか居ないはずです」


 急ぎ皆でアンディを追いかける。アンディの目の前にあったのは大きな石板だった。表面には私の読めない文字がびっしりと刻まれている。

「チヒロ。この石板に触れてみてください」

 進み出たチヒロが石板に手を伸ばす。


「わっ!」

 アンディが大きな声を出した。チヒロをはじめてとして皆がびくっとなる。それを見てアンディが大笑いをした。

「もう。びっくりしたじゃないの」

 顔を赤くしてチヒロがアンディの方を向き抗議した。


 その際にチヒロの左手の先端が石板に触れる。すると石板が淡く発光を始めた。みるみるうちに光は強くなり、一つに集まって一人の白髪の老人の姿に変わる。

「よく来た。勇者よ」

 白髪の老人は手を広げる。


「ここへ来たということは、魔神の住処を示す魔具を求めているのだろう?」

「はい」

「確かに私はそれを持っている。しかし、それを渡すにはそなた達が資格を持っているということを示してもらわねばならない」


「何をすればいいのでしょうか?」

「簡単なことだ。我が質問に答えてくれればいい。問題を2回読みあげる。問題を出し終わって5つ数える間に答えを言うのだ。いいかね?」

 チヒロは唇を引き締めると頷いた。


「では問おう。456.78×923.45÷65.23+92565.286は?」

 その瞬間に私の頭は物凄い衝撃を受けた。なんという難しい問題だろう。カムリは口から泡を吐き、シャールは青ざめ、シンディはチヒロにすがりついた。アンディだけが額に皴を寄せて考えている。無理だ。こんな難問に答えられるはずがない。


 チヒロは背負い袋に手を突っ込むと引っ掻き回して何かをつかみだす。木製のそれは微かにカチャカチャという音を立てた。それを見てアンディが呟く。

「あれは伝説の神級アーティファクト。ソロ〇〇……」

 かすれ声のせいで最後が聞き取れない。


 老人が再度声を出す。

「456.78×923.45÷65.23+92565.286は?」

 チヒロの手元でシャッと音が走り、次いでパチパチという音が弾けた。チヒロは顔を上げると叫ぶ。

「99,031.84266104553!」


 老人は莞爾と笑う。

「さすが勇者よ。見事だ。では報酬を受け取るがいい」

 光が薄れていき、石板の一部がゆっくりとスライドしていく。シンディがチヒロに盛んに賛辞を浴びせていた。


 私はアンディにたずねる。

「あれは一体何だったんだ?」

「勇者が用いたという伝説の道具かと。複雑な計算を瞬時に行うための補助道具です。名前はソロバン」

 私はその神々しい名前に畏怖の念を抱きつつ、チヒロに駆け寄っていった。

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