ひとりぼっちのギターソロ

吉岡梅

ソロライブのステージは河原

 スマホが刻むメトロノームのリズム。自然と体が揺れだす。す、と目を閉じると瞼の裏には観客たちオーディエンス。期待に満ちた目でこちらを見つめている。


 待ちきれないみたい。でも、一番待ちきれないのは、欲しがっているのは、他の誰でもない私だから。


 まくらの右手が軽やかに動き、部屋中に音が溢れる。単純シンプルで、だからこそ力強いギターリフ。繰り返す度に自分の中の何かが解放されていく。まだまだ、もうちょっと。


 と、急にメトロノームの音が遮られた。着信音だ。出てみると、小屋ライブハウスの店長からだった。


「おう、まくらお疲れ。言いにくいんだけどさ……」

「あ、やっぱ駄目ですか」

「うん。駄目だわ。ごめんな。今月こそはと思ってたんだけどな」

「いえ。仕方ないです。またお願いします」

「もちろん。俺達もなんとか頑張るわ」


 通話を終えるとアプリが再びリズムを刻み始める。が、まくらがギターを弾くことはなかった。


###


 車から出ると、うーんとひとつ伸びをした。眼前の川原は朝日を受けきらきらと早瀬を揺らし、広がる山々には薄もやがかかっている。外気は程よく冷たく、風はほとんどない。気持ちがいい朝だ。クソくらいに。


「さて、と」


 軽自動車のハッチバックから、大きなバッグを取り出して河原へと運ぶ。中に入っているのは小さなテントだ。慣れた手つきで支柱を組み上げポケットへと差し込み、固定していく。


 よっ、と掛け声を出してぐぐっと持ちあげる。ひとりでもなんとか立てられるものだ。ペグを取り出し、テントの足を固定する。石ころの多い河原ということで、長めのペグを用意してきた。さらにテントへとロープを結んだところで、まくらは「あ」、と声を上げた。


「忘れてた。川の水でいけるかな?」


 慌てて車へとウォーターウエイトを取りに行く。給水口を開けて川に浸けてみたが、水はなかなかうまく入って行かない。水道のあるところまで戻ろうか。悩んだが、続行することにした。どうにか注ぎ入れ、ロープを結び付けてテントを固定する。うん、大丈夫。


 お気に入りのリクライニングできるデッキチェアを取り出して、テントの脇に据える。方角は山方面だ。足元が川に浸かった方が気持ちいいかな、と考えたが、やめた。どうせ思いっきり椅子を倒し、足を上げて寝そべることになるのだから。


 ソロキャンプがブームとなり、キャンプ用品が手軽に手に入るようになった。専門店に行かなくても、ホームセンターに一通りそろっている。テントにコンロに椅子、それに薪。着火用のガスバーナーや日除けのターフといったものまである。個々の製品のバリエーションも豊富になって、価格もお手頃になってきた。


 ありがたい反面、ご時勢のせいもあるのだろう。人と接触せず、ひとりで楽しめる趣味という観点からの人気。コロナめ。キャンプ好きのまくらにとっても、ちょっと複雑なブームでもあった。


 春になり気温も暖かくなってきた。今は自分の他に誰もいないこの河原もキャンプ地も、だんだんと賑わっていくのだろう。


「今のうちにいっちょやりますか」


 まくらはハッチバックから車内へと頭を突っ込むと、もうひとつのバッグを取り出した。中に入っているのは、ステンレス製のアウトドアストーブだ。テント内へと運び入れると、石ころを馴らして耐熱布を敷き、その上に組み上げていく。筐体が斜めにならないように足の位置を調整し、分割されている煙突を差し込んでいく。


 天井に届くほどまで伸びた所で、今度は外に周ってミニ脚立に登り、テント上部の煙突用カバーを外す。そこから残りのパーツを差し込み、中へと戻って連結した。


「よしとします」


 まくらが持ち込んだテントは、ロシア製のものだそうだ。煙突用の穴を持ち、防寒・耐熱構造がしっかりとした生地で作成されており熱が逃げにくい。中でストーブ点ければ、テント内は100℃を越える温度まで上げることも可能だという。


 ストーブの上に、――サウナストーンを並べ、川からバケツへと水を汲んで脇に置く。そのバケツの中に、ヴィヒタを漬けた。


「やっぱこれがあると違うよね」


 ヴィヒタ。乾燥させた白樺の葉を束ねて作った扇のようなそれ。大きさはウクレレほど。あるいはZO-3ぞうさんギターくらいか。この乾燥ヴィヒタを水やお湯で戻すと、良い香りを放つのだ。アロマポットで香を焚いて香りを楽しむのと同じように、香りを楽しむことができるというわけだ。


 ストーブ脇に薪のカゴを置き、火ばさみと耐熱グローブも一緒に置く。炊きつけ用の新聞紙も万全だ。まくらはテント内にもう一つ椅子を置くと、室内をぐるりと見渡して頷いた。


「うん。OK。それじゃあ、始めますか」


 炊きつけ用に細目に割っておいた薪を新聞紙でくるみ、ストーブの中に入れる。できるだけでこぼこにして空気が入る隙間を残す。着火用のバーナーで火を点けると、パチパチと音を立てて火がおこった。今日はすんなり着火してくれた。


 まくらはしばらく火勢に集中する。火ばさみで焚きつけの位置を調整し、火が消えてしまわぬように組み替える。もう大丈夫かな、というところで太めの薪を2本突っ込んで、バチーンと景気よく窯の扉を閉めた。


「よっし!」


 まくらは車へと向かう。中でごそごそと何やらやると、窓から顔をひょいと出して辺りを窺う。誰もいないのを確認して現れたまくらの姿は、なんとも珍妙だった。


 頭にはチューリップ型のタオル地の帽子。上着に半袖の野球のレプリカユニフォームを羽織り、下は妙にサイズの大きいチャイナ柄の海水パンツ。そして足元はビーチサンダル。あまり人には見られたくない格好だ。そのままテントへとダッシュすると、中に入ってしっかりと入り口を閉じた。


 テント内は、ぐっと暖まっていた。まくらはストーブの釜を開け、薪を追加して椅子へと座る。


 まくらの持ち込んだテントは、サウナ用のテントだった。室内でストーブをどんどん炊き、サウナとするのだ。見る間に室温は上がっていき、汗ばむほどになってくる。上着を脱いで、上下水着に帽子だけの恰好になったまくらは、バケツの中のヴィヒタを手に取った。程よく戻ったヴィヒタからは、水がぽたり、ぽたりと滴り落ちる。さあ、だ。


 ヴィヒタをサウナストーブの上へとかざし、ささ、と左右に軽く振る。水滴が熱せられた石の上に落ち、じゅわ、じゅう……と音を立てて蒸発する。と、ともに、アロマを含んだ蒸気が室内へと広がり、白樺の香りも広がっていく。


 ――気持ちいい。


 熱さと香りがないまぜになってまくらの肌を撫でる。おでこや肩には、すでにぷっくりと汗が噴き出ている。さらに柄杓ラドルに水を取り、かざしたままのヴィヒタの上からゆっくりと回しかけていく。ジュワアアアア……。音を立ててアロマ水が蒸発していく。沸き上がった蒸気はテントの天井めがけて登っていき、そこまで達すると、今度は降り注ぐように降りてくる。その蒸気のシャワーを浴びたまくらは思わず声を上げた。


「最高じゃん」


 しばらく立ったままその蒸気ロウリュを味わったまくらは、再び窯の扉を開けた。


 ひとりで薪ストーブを操るサウナは、なかなかに忙しい。薪を管理し、室温の調整をするのも自分であれば、座って温まりサウナを楽しむのも自分だ。両方の役割をこなさなくてはいけないため、温浴施設でのサウナ浴のようにのんびり熱と向き合い続けるというわけには行かない。自然と室温はし、一定に保つというわけには行かない。だが、まくらはそれが嫌ではなかった。


――ひとりキャンプサウナって、音楽に似てるな


 まくらはそんな風に考えていた。室温を支えるセクションは輻射熱を発するストーブと、熱を保持する壁面だ。じわりと、じっくりと、しかし確実に心地よさを下支えして保つ。時に激しく薪を燃やし、時に熱せられた石の余熱を使って、室温を微妙に変化させていく。縁の下の力持ちにして、重要なセクション。言うなればドラムやベースのようなものだ。


 その流れに乗って注目を浴び、皆を熱狂させる主役がロウリュだ。サウナストーンにアロマ水をかけると、たちまち皆が聞きたかった蒸発音サウンドを奏で、発生した蒸気は体を熱く包む。その熱狂ボルテージは長くは続かない。が、圧倒的な体験だ。汗と共に、叫びだしたくなるような衝動が、体の底から沸き上がってくる。まさにギターだ。


 しばらく目を瞑り熱に身を任せていたまくらは、すっと立ち上がってヴィヒタのネックを左手で掴む。さあ、サビだ。Aメロ・Bメロはもう過ぎた。ピックの代わりに柄杓ラドルを手に、渾身のソロパートの演奏を始める。


 ジュワアアア、ジュワアアア……。単純シンプルで、だからこそ力強いリフ。テントの中はたちまち熱狂ロウリュに包まれ汗が吹き出す。まくらは思わず叫んでいた。


「コロナのばっかやろおおおおおおおおお!!」


 その叫びを聞いている観客は、朝の河原と山だけだった。


###


「はしゃぎすぎた……」


 ライブが飛んだ勢いに任せて、少々激しくしすぎたようだった。フラフラになってテントから出るとそのまま川にダイブし、川のせせらぎに苔の香りを感じながら体を冷やした。這うようにしてデッキチェアまで辿り着くと、水着のままリクライニングを最大にしてくったりと身を任せた。


 頭の中がぐるぐると回る。が、気持ちいい。なんともいえない安堵感が体中を駆け巡り、ちょっとしたトランス状態になる。ああ、ライブみたい。まくらは知らず微笑んでいた。


 十分に休憩して体をおこす。ふと、体を見るときれいな網目模様が浮き出ている。サウナ後特有のという奴だ。だが、こんなにもハッキリとしているのはめったにない。まくらは我ながら笑ってしまった。


「あー、最高」


 リクライニングを戻して伸びをする。


「店長、やきとん売って潰れないように頑張るとか言ってたなあ。……帰りに買ってこ」


 そうしよう、と、まくらはひとり頷いた。そして、アンコールに応えるため、再び一人きりの灼熱のテントステージへと戻って行った。

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ひとりぼっちのギターソロ 吉岡梅 @uomasa

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