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 言われたことはないけれど、私は嘘をつくのが割と得意だ。嘘を語るとき、少し真実を混ぜた方がいいのは明白で。私の場合、それに少しアレンジを加えることで、完全なる嘘が完成する。だからこそ私は今日、裸でベッドの上に横たわっているのだ。

 彼は今、ベランダで煙草を吸っている。私は吸わない。嘘がバレてしまうから。私は今日、父にバイトに行ってくる、と言ったし、自分にも今日はバイトだ、と思い込ませていたし、スマホの予定表だって赤色にしていた。そうすることで、嘘はより強固なものとなる。そして私がバイトしている店は全席禁煙。紙臭い煙草の匂いなど、まとわりつくはずがないから。

 白いベッドの下、黒いカーペットの上に、ピンク色のブラウスとピンク色の下着が無造作に散らばっている。ニュートンが言っていた法則に従って落ちていったのだ。今朝の牛乳のように。

 苺味のホイップのようにふわふわした頭をどうにかして回転させながら、私は枕元に置いていたピンクのカバーのスマホを手に取る。ショートケーキみたいにふやけた顔をした私。顔認証は優秀だった。

 画面いっぱいに、私の予定表みたいなカラフルなアプリが広がる。このスマホを買った当初は、アプリの種類ごとにキーワードを設定してコンパクトにまとめていたけれど、そんなこと、時が経つうちにしなくなっていった。追加されては消えるアプリ、散らばる知識、増える思い出。いつの間にか、彼女を背景にしていたことを忘れるぐらいに。

 右端にあったLINEアプリを長押しして、次のページに移動させてみる。新しいページに広がっていたのは未来ではなく、6年前の世界だった。


「誰、その子」


 いつの間にかベッドに戻ってきていた彼が、私のスマホを背後から覗き込んで呟く。緑色のアイコンが、液晶の絵画の中にインクを落としたみたいに不快な音を放っている。絵画の正体は人魚だった。伏し目がちに遠くを見つめて淋しそうに微笑む、私だけの人魚の横顔。






──人魚が私と月子の前に現れたのは突然だった。


「**から来ました。一橋 魚美といいます。よろしくお願いします」

 

 微笑みと共にお辞儀をする。豪奢な髪が揺れて、その間からぽてっとした薔薇よりも赤い艶っぽい唇が覗いていた。私は、いやこの狭い水槽の中を泳ぐメダカたちは、彼女から目を離せなかった。

 どこか浮世離れした独特な雰囲気のある彼女は担任が教室から出ていった後も話しかけるような隙がなく、みんな気になってはいるけれど、なかなか近付くことができないようだった。そしてこのときの私の行動が、私が雨蛙と呼ばれたる所以なのだと思う。


『はじめまして、私、雨郷 花依って言うの! で、こっちは内海 月子! よろしくね』


 月子を無理やり席まで引っ張り、快活に見せるように笑うと、何処か緊張気味だった彼女の表情が和らぐ。膨らんだ蕾が、春の雪解けを迎えたかのように花開くかのような微笑みだった。いつだって、「明るくて少し空気の読めないムードメーカー」でいなければいけなかった、私の手の震えが止まるぐらい。


『こちらこそ、よろしくね』


 その瞬間、私は悟った。私はこのときのために、雨蛙としてずっと、泥の中で生きてきたのだと。






「ふーん。可愛いじゃん」

「ふふ、でしょ」


 当たり前だ。なんたって、私の人魚なんだから。


「紹介してよ」

「だーめ」


 スマホから手を離し、彼の方に向き直る。怠惰の残り香をダイレクトに受けてしまい、思わず顔を顰めた。それでも「私の方を見て」と言わんばかりに、私は彼の頬に両手を伸ばした。


「どうして?」

「どうしても何も無いよ。だって、人魚はもういないもん」


 胡乱げな彼の唇を自らのそれで塞ぐと、背中に彼の大きな手が私の背中に回された。首の辺りに、彼の髪が当たってくすぐったい。そうだった。彼の男にしては少し長めの髪は似ているのだ。6年前のあの夜、土の下に埋めた、人魚の髪に。


「誰にも渡さないんだから」

「何か言った?」

「ううん、なんにも」


 そのまま私を押し倒した彼は、枕元に落ちたスマホを無造作に遠くへやった。勢いのままに、美しい絵画は重力に従ってベッドの下へと沈んでいく。私の6年間の足跡が、人魚の顔を踏み潰していったかのように。甘いクリーム色になっていく景色の中、私はそのスローモーションをただただ無感情に見つめていた。

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ムーンタワー 小夜 鳴子 @asayorumeiko

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