婚約破棄の行方Ⅲ


「さあ、お姫様。お手をどうぞ」


 今日、エスコートを頼んだのは母方の従兄弟のアーバン。さらりとした癖の無い茶髪に緑の瞳と言うありふれた組み合わせ。容姿は可もなく不可もなく、普通かしら?

 王宮で官吏として働く四歳年上の男性だ。


「お姫様だなんて……」

「ははっ、レイラは我が一族の自慢のお姫様だよ」

「くすくす……。もう、アーバンたら口がお上手だこと!」


 こんな風に、婚約者のルーカスではなく従兄弟や友人にエスコートを頼むのも何回目だろう?


 いくらルーカスの為とはいえ、物語の軌道修正の為とはいえ、大好きなルーカスを傷付けていることには違いないとチクリチクリと胸が痛む。


 もう、ルーカスはセリーナさんをエスコートして会場入りしたのかしら?


「レイラ、その男は誰?」


 切羽詰まった様な、悲愴な声音。そんな声が、アーバンの背後から聞こえた。

 振り返ったアーバンのお陰で見えたのは、傷付いた様に悲し気で今にも泣き出しそうなルーカスの顔だった。


「ごきげんよう、ルーカス。こちら母方の従兄弟のアーバン・フェデリック伯爵子息よ」


「従兄弟……(なんだ、従兄弟か……。あ、でも…!)」


 従兄弟という言葉に一瞬ほっとしたような表情に変わったが、従兄弟ならば婚姻も可能だということに気付くと再び険しい表情をルーカスは浮かべた。


「はじめまして。今夜はロイもレヴァンも団の仕事でね。非番の俺にお役目が回ってきた次第なんだ。うちのお姫様は責任を持ってエスコートするから、そちらも気兼ね無く今夜は楽しむと良いよ」


 人当たりの良い、兄の様な態度をアーバンは示す。それに、少しだけ表情を緩めたルーカス。


「そう…そうですか……。それじゃ今夜は、レイラをお願いします」

 何とか平静を保ってアーバンにレイラのエスコートを頼んだルーカス。

 それでも内心は、アーバンとの仲に疑惑を抱きモヤモヤともドロドロとも付かない感覚に陥っていた。


「ルーカスゥ~♡こんなところにいたのね。探しちゃったじゃなぁい!」

 鼻につく、甘ったるい声をあげてパタパタと駆け寄るのは、件の主人公セリーナ

 ルーカスが声の方向に振り返ると、これまた淑女らしからぬ動きでルーカスの胸に飛び込んで来た。

「コロン嬢!?何を……っ!!?」

「何をって、待ち合わせの場所にルーカスが居ないんだもの。探したんだからね!!」

 プクウッと頬を膨らまし、まるで幼子の様な仕草をセリーナは見せる。つぶらなタレ目を『私、怒っています』とでも主張する様に、キッと睨む。


 多少なりとも好意を抱く女性が、自分に対してこの様な態度を取るなら『愛らしい』とか、胸の高鳴りを覚えたりもするのだろう。


(何なんだ、コロン嬢は。こんな易々と人に触れて、淑女としての振る舞いも出来無いのか?)


 しかし、好意の欠片も抱いてない身からすれば全てが迷惑極まりない行為でしかなく、ルーカスは眉に皺を寄せたくなるほどの苛立ちを覚えた。


(いつまでこんな事を続ければ良いんだ?何時になったら終わる?もう、耐えられない。僕にはレイラ一人しか居ないのに、その君が僕を拒むのか?)




 その後、幾度かの夜会とお茶会が過ぎレイラが婚約破棄をされる日がやってきた。

 場所はアルヴァン伯爵家。ルーカスの二番目の兄、セイロンが騎士団で目覚ましい活躍を見せ褒章と準男爵の爵位が与えられた。

 その叙爵を祝うパティーだった。


「おめでとうございます。セイロンお義兄様」

「ありがとうレイラ。見ない間に随分大人になったなぁ。あのお転婆も今じゃすっかり立派な淑女レディだな」

 ニコッ。人の良さげな笑みを浮かべそう言うのは、子供だった頃アルヴァン伯爵家の大きな樫の木に登って降りれなくなったことを指しているのか、それとも屋敷の書庫で積み上げすぎた本が倒れて埋もれた日の事を指したのか……。


「ほほほ…。嫌ですわ。人は成長するものです。ルーカスだって、あの頃の病弱を快方して騎士を目指してますのよ?私もあの頃のままのお転婆な訳が無いでしょう?」

 パサリ。繊細な色鳥の羽をあしらった扇子を広げ、笑って誤魔化す。


「ははっ、そうだったね。ルーカスの事は、レイラ嬢のお陰だよ。本当に立派な淑女に成長して、君が本当の妹になる日が楽しみだな。……なぁ、レイラ嬢。こんな事を聞くのも何だけど、ルーカスと何かあったかい?」


 ずっと騎士団の寄宿舎生活を送っているセイロンは、最近のルーカスとレイラの仲違いぶりを知らない。

 だから、本当に心から楽しみだと言ったのだが、今日、屋敷に帰ってきてルーカスの顔を見るなり『おや?』と、首を傾げた。


 ルーカスの病がレイラのお陰で快方し、それからと言うもの将来目指していた騎士への道に進めるとあってルーカスの顔は明るく覇気に満ちたものだった。

 レイラとの仲も、学園に入るまでは特段気にかかる様な事もなく順調だった。


 それなのに、何であんなに暗い顔をしているんだ!?


 そう、感じたのだ。ルーカスの瞳の奥に澄んだ光が見えず、仄暗い翳りが見えた。



 何か、あった。


 そう、感じざる負えない弟の変化。それは誰よりも傍にいるであろうレイラなら分かる筈だと。



「……えっ!?あ…。え~と、それは……」

 何とも罰の悪そうな、歯切れの悪いレイラの態度に何かがあったことは確信できた。


「何があったのかな?」


 にっこり。怯えさせないよう、穏やかに問いかける。


「その…。私の学園での振る舞いに……ルーカスに、愛想を尽かされたと言うか、嫌われたと言うか……」

 先程までの淑女の手本的な優雅で自信に満ちた物言いとは違い、罰が悪そうにしどろもどろ答えるレイラ。

 その様子に、を確信した。

「婚約破棄……諦めてなかったのか」


 婚約を済ませた十歳のルーカスとレイラ。

 その後、レイラは男子の嫌う令嬢の言動や妻にしたくない女性と言う物をよく尋ねていた。

 然り気無い質問ではあったが、何とはなしに違和感を覚えたことも屡々で。

 ある日、ルーカスが「レイラ嬢は、僕と結婚したくないのかもしれない……」と、溢したことがあった。

 詳細は聞けなかったが、『将来、婚約破棄する時に困らないようにはしておかないとね』ドア越しのレイラの言葉が耳に飛び込んだ時には、何を言っているのだかと呆れたのだが……。


「……世の中に、どうしようもない時勢の流れが存在するなら、そうなるのでしょうね」


 目を伏せ、哀しげにそう答えるレイラ。


「それで、君は良いのか?レイラ嬢、ルーカスが好きだろう?諦められるの?」


「…………それは……」


 答えは、出てこない。

 もし物語の内容通り、ルーカスがこの日、婚約破棄を宣告するなら、それはこれまでの私自身の自業自得でもある。

 前世の記憶を元に、婚約破棄回避に動くことだって、幾らでも可能だったのだから。

 それをせず、敢えて婚約破棄への流れに戻そうとした。

 それは、一重にルーカスがこの婚約を嫌がっていたから。

 最初の顔合わせの時、乗り気じゃないと言うのは理解していた。友人として仲良くなれたのは、ルーカスの病気の治療法や、この婚約を解消、もしくは白紙に持っていきやすくする為。何より、月日が過ぎて、もし主人公ヒロインを好きになってしまったのなら、婚約者との関係を清算しやすくするため。


 その為の事由を敢えて立て続けてきたから。





「レイラ、ここにいたんだ。セイロン兄上、レイラを連れていくよ」

 ルーカスの目が恐い。暗く淀んで、何だか良くない思考を抱いているみたいで……。


「お、おいルーカス?変な気は起こすなよ。ちゃんとレイラ嬢と話し合うんだぞ」


 突然現れて、レイラを連れ出して良いか許可をこう言葉と同時に、ルーカスはレイラの片腕を掴んだ。

「分かっていますよ。レイラ、今日こそちゃんと話し合おう。いい加減、僕にも我慢の限界ってものがあるからね」

「いたっ……!ル、ルーカス……う、うん。分かったわ。分かったから、だから、腕を離して?」

「ダメ。離したら逃げるでしょ?今日こそは、逃がさないから」


 居抜く様な鋭い視線。ルーカスが怒っているのか、それとも切羽詰まって居るのか、今日は直ぐには解放してくれない気がした。


 手首を掴む力が強い。歩きだし、レイラから小さな悲鳴が上がったが、ルーカスはレイラの腕の握る力を弱めること無く個室に連れ込んだ。


 ガチャリ。


 ルーカスの背後で鍵の閉まる音が鳴る。

 それと同時に、手を掴む力が緩む。けれどルーカスは、手を離すつもりは無いらしく握られたままだ。


「それで、僕と婚約破棄してどうするつもりだ?やっぱり、他に好きな男でもいるのか?」


 咎めるように向けられた視線は、鋭利な刃物を思わせるほど鋭い。レイラの背筋に、ゾクリ悪寒が走った。


(ルーカス。……なに?怖いんだけど……。それに、私が好きな男って……?)


「好きな男なんて、(ルーカスだけなのに)……誰も、いないわ」

「なら、婚約破棄はしなくて良いな。……まあ、レイラに好きな男がいても、婚約破棄なんかするつもりもないけど」


 ニヤリと歪むルーカスの口。酷薄に見えるのは、その瞳が鋭くレイラを見下ろす格好のせいか。

「……えっ!?」


 戸惑うレイラの様子に、ルーカスの目の鋭さが僅かに緩む。と、同時にレイラの掌にルーカスの唇が押し当てられた。ルーカスの視線が、少し熱を帯びたものに変わりだす。


「……あ、あのっ、ちょっと?ル、ルーカス!?……あなた、この婚約嫌がってたじゃない。それなのに、どうして、こんな……??」


 ルーカスの行動が、その意味がレイラには分からなかった。掌に押し当てられた唇も、熱を帯びて向けられた視線の意味も。

 ただ、その仕草が色気を帯びている様に見えてしまい、ドキドキと心臓が飛び出しそうな勢いで脈を打った。


「嫌がる?一体何時の話を。……ああ、出会ったばかりの時か。でも、直ぐにレイラが好きになったよ」


 そんな訳がない。だって、ルーカスが本当に好きになるのは、物語の主人公セリーナ・コロン男爵令嬢なんだから。彼女に出会って、恋に落ちるはずなんだから、もう私を好きなわけ無いのに……。


「で、でも……。出会ったでしょ?その、可憐な美少女に……(そして、好きになったんでしょ?)」



「出会った…?まぁ、一応は。でも、何もない。それに僕が心底惚れて側にいて欲しいと願うのはレイラだけだ。なぁ、そんなに信じられない?」

 これでも分からないのか?と、咎める視線を向けられ、本当に信じて良いのか分からず答えらない。ルーカスと合わさったままの目は、きっと涙目になっているだろう。


「……なら、これならどう?」

 ルーカスが、手にしたままのレラの指をクチュッと口に含む。


 ゾクッ。


 指を口に含む瞬間、一瞬外された視線は再びレイラに向けられた。その瞳が、動作がです艶めいて見えて背筋に悪寒が走った。


「……あっ」


 ルーカスの口に含まれた指は、薬指。ジットリとしたそれでいて熱さの籠る口中。ルーカスの柔らかな舌が指先を包み込む様に絡み付いて、そして……。


「痛っ……!!」


 指の根本が噛まれた。


「ル、ルーカス……!?」


 ちぎれるような激痛では無いものの、思わず悲鳴の様にルーカスの名を叫ぶ。

 ポロリと瞳から溢れた涙に、ルーカスはフッと微笑む。

 ルーカスの口から解放された指は、横に走る赤い小さな歯の跡から少しだけ血が滲んでいた。


「ごめんね。痛いよね?だけどこれはレイラへの罰だよ」

「…………?」

 申し訳無さげに表情を変えたルーカス。けれど、薄青の瞳の奥には、メラメラと燃えていそうな熱が隠れていて。


「これはここに、本物が嵌まるまでレイラが僕の愛する唯一だと言う印だから」


 言い終えた時には再び口の端が引き伸ばされ、満足気な笑みに変わっていた。


「こ……婚約破棄は?」


 だって、ここが小説の世界ならルーカスはセリーナに恋をする筈で、レイラは物語の中盤にはいち早く婚約破棄されるのだから。


「まだ、それを言う?そんな馬鹿な事を僕がするとでも?僕が好きなのは、こんなにも苦しい程、妻にと望むのはレイラ一人だけだよ。だから、婚約破棄はしない。レイラ、覚悟しろこれからお前に、僕と言う男を刻み込むから」

「だけど、それじゃ物語ストーリーが……んんっっ!!」


 黙れとばかりにルーカスの唇がレイラの唇に重ねられる。


 触れるだけの口付け。それも、初めてのキスが、こんなにも突然のモノとは。レイラは、ただ驚いた。


「ルーカス!どうしてぁ……んんっ!!」

 今度は、更に深い口付けに変わり口中を好き勝手に弄られた。


 息、出来ない……!!何で?どうしてこんな事をするの??



 レイラは、必死にこれまでを振り返った。

 レイラは、ルーカスに嫌われる為、ここに半年の間、贈られてきたドレスもアクセサリーも付ける回数を減らしていた。

 そして、同じお茶会やパティーに招待されているのにも関わらず別々の出席をしたり、ルーカスではなく従兄弟のアーバンや友人の想い人にエスコートを頼んだりとしていた。


 全ては、物語の通りルーカスに嫌われてセリーナとのハッピーエンドが迎えられるように。幼い時に狂ってしまった、ものがたりの起動の修正を図ったのだけど……。





 うっ……ま、まさかルーカス。






 ………………ヤンデレた!!?








 レイラ転生令嬢。頑なに原作小説ストーリーの流れに乗るのだと信じて突っ走った挙げ句、婚約者をヤンデレ化させてしまったと言うお話。

 人の話は聞きましょう。聞かなかったら、こうなった的な?


 ルーカス、心優しい押しの弱い受け身タイプ。寡黙、真面目キャラから、レイラに振り回されてヤンデレ化してしまう感じで。








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婚約者とわたし モカコ ナイト @moka777

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