婚約破棄の行方Ⅱ
ついに、待ちに待った 王立学園に入学し、いよいよ小説の舞台が幕を開けた。
この世界が、前世で見た小説の世界だと言うことは、ルーカスには伝えてある。
そうでなくては、この良好な婚約関係から物語序盤の『険悪な婚約関係』は、演出出来ないだろうから。
攻略対象の一人であるルーカスには、物語の進行の為にも、またルーカス自身が幸せになって貰う為にも、色々と協力して貰わなくてはならない。
その為には物語同様、レイラとの関係を設定通りに戻さないといけないのだ。
レイラは、婚約破棄に向けて最後の仕上げに取り掛かる決意をした。
「婚約破棄計画、その①。人前では、出来うる限り険悪ムードを実演しましょう!!」
キラキラと、レイラの蜂蜜色の瞳が輝く。
吸い込まれそうな程の生気に満ちたその煌めきに、ルーカスは眩い物を見るように目を細めた。
けれど、レイラが嬉々として語る計画は、到底ルーカスとしては、聞き入れられない内容で。
「険悪ムード?それって、僕達が険悪になるって事?」
「そうよ、ルーカス!ルーカスはもう直ぐ、本当に愛する人に出会うから、その前に私達は険悪にならなくちゃならないの!!」
(もう直ぐ本当に愛する人って……本当に愛する人は、もう目の前にいるんだけど……)
「……そんなの、現れるかなぁ?」
ルーカスの剣呑な視線かレイラに向けられる。けれど、前世の記憶による物語の再現に燃えるレイラが、そんなルーカスの様子に気付くわけもなく。
「現れるわよ!!現れるの、絶対!!だから良い?私がツンケン、チクチク嫌味を言うわ。そして、その態度に辟易したルーカスが、心優しい
何度説明してると思ってるの!?と、腰に手を当て、プリプリ怒るレイラ。まるで毛を逆撫でた子猫みたいで可愛いなと、ルーカスは思った。
最早、どんな説得もルーカスの静止も聞き入れそうに無いレイラの様子に、なす術無しと諦めたように一つ息を吐き、楽しげに表情を変える様子を眺めていた。
学園では、二人は顔を合わせる度に険悪な空気を漂わせていた。
「今日は、私を昼に迎えに来なかったわね。婚約者を放っておいて何をしていたのかしら?お昼と帰りは、毎日共にするように有ってあったでしょ?」
ジロリ、眼尻を吊り上げたレイラが、咎める視線をルーカスに向ける。
「……はぁー、まったく。婚約者と言う立場で、何もかも縛り付けないで欲しいな。僕達はまだ婚姻前だ。そこまで君に尽くす必要も義務も無いと思うけど?」
ルーカスも辟易した表情を浮かべ、嫌がる口調で答える。
「……はっ!義務?義務ですって!?私との婚約が義務だとでも言うの?昔、あんなに尽くしてあげたのに?あの献身を忘れた訳じゃないでしょうね!?」
「………あれは!あれは、感謝しているが……それを何時までも引き合いに出すの、は卑怯じゃないのか?」
「卑怯ですって?何が卑怯なのよ!……ルーカスがそんな薄情な方だとは思わ無かったわ。凄く、残念ね」
「残念?言ってくれるね。はっ!エスコートが欲しいのか?仕方がない、今日は送っていってやるから、待ってろ」
昔、レイラがフォグラム草を採取してルーカスを救ったというのは社交界でも有名で、『幼い令嬢の献身の愛』と、美談として語られている。
まさか、その美談の二人の成の果てが、今の顔を合わせる度に口論に発展するほど険悪だとは、誰が想像したことか。
(本当は、普通に話したいのに何でこんなことしてるんだっけ……?本当は、レイラと普通に過ごしていたいのに。イチイチ心にも無いこと言って、わざといがみ合うなんて滅茶苦茶しんどいんだけど……)
隣を歩くレイラは、ムスッとした表情を浮かべている。
最近、レイラの満面の笑顔を見られていない。この険悪お芝居を始めてから、どうにも二人でいても、普段のような気楽な雰囲気にはならず、嫌な空気を変えづらくなっている。
(このままは、嫌だ。このまま、芝居の筈の殺伐とした関係なんて、絶対に……。僕は、レイラの笑顔が見たいのに。彼女の曇った顔なんか見たくない……!!)
「……なぁ、馬車の中ぐらい普通に話さないか?」
いい加減、この空気に嫌気の差したルーカスが、抗議の声をあげる。
「どうして?そんなことしたら、咄嗟の時にボロが出るじゃない」
何を言ってるのか。と言う表情でルーカスの願いはあっさり却下される。
「何でそんなに婚約破棄に拘るんだよ。僕は、破棄なんてしないぞ?僕が好きなのは、レイラ一人なのに」
好意は幾度と無く告げてきた。それでもレイラは『今はそうでも、じきに変わるわ。学園に彼女が来たら、ルーカスだって彼女の方か良くなるに決まってる』そう言って、一度も取り合ってはくれない。
どうしてルーカスの言葉を信じてくれないのか。レイラの態度は頑なだった。ルーカスもレイラに嫌われたく無いあまり、レイラが分かるように強く好意を主張しきれずにいた。
それがルーカスには、もどかしくも、悲しくも悔しくもあった。
「それはまだ、分からないでしょ?ルーカスはまだ、
顔を曇らせて、まるでそれが決定事項であるかのようにレイラは呟いた。その時の横顔が、憂いを帯びた影の差したもので、ルーカスの心にツキンとした痛みが走った。
(レイラはまた……同じことを言う……)
決めつけた物言い。自分の意思とは違う未来を信じる物言いに、苛立ちが募る。レイラの言葉尻は小さく呟いた物で、ルーカスには聞こえなかった。
けれど、それが何だったかを探る程、今のルーカスに余裕もない。
それよりも、この問答が繰り返される度、ルーカスの恋心はまやかしだと否定されているみたいで心苦しかった。それを他ならぬレイラ自身が告げるものだから、尚の事、上手く伝わらないもどかしさと、理解しようとしないレイラに苛立ちを覚えていた。
(何で、何で、分かってくれないんだ!!こんなに好きだと伝えているの、に頑なに否定する!?……まさか、他に好いた男がいるのか?だから、僕の気持ちを否定するのか?好きな男と一緒になりたいから……?だから……だから、僕の好意を否定するのか?レイラ……)
レイラに対するルーカス思考は、暗く重くなる。
良くない方向へと思考は引き摺られ、積み重ねられていた。
「もうすぐパーティーの時期ね」
レイラの声に、泥の中でもがくような思考の渦を遮られたルーカスは、ノロノロと顔をあげた。
シーズンの始まりは建国日が近く、その一週間前が建国パーティーとなるのが通例だ。
婚約者同士は、大抵共に参加するのが常識で、だからこそルーカスは着飾ったレイラと共に参加することがここ数年の密かな楽しみだった。
「……最初は、王宮の建国パーティーか。レイラと行くの、楽しみだね」
「そうね。それからあちこちで夜会も出て来るわね。……ルーカス。私達も次の段階に進むわよ」
レイラの瞳が、何か決意めいた輝きを灯してルーカスに向けられた。
「何……?」
その煌めきにルーカスは、嫌な予感がした。
あの輝くような笑顔は、最近見れていない。それどころか普通の笑顔だって、ルーカスに向けられてはいない。
そして、次の段階に進むとレイラは告げた。その段階とは?何を指しているのか。
「王宮からの招待状、送られてきてるわよね?」
確かに来ている。半月前に届いて、大切に保管している。
「うん、来ているよ」
「そう。……なら当日の迎えは、今回来なくて良いわ」
「はっ?」
なんて事も無いかのように、信じられない言葉がレイラの口から紡がれた。同じ会場に向かうのに、婚約者がエスコートしないなんてあり得ない!!それを拒むと言うのは、どういう理由からなのかルーカスの瞳は大きく見開かれ、レイラを凝視した。
「エスコートも無しで良いから」
「何言って……」
何を言っているんだ、レイラ……?婚約者のいる者は、婚約時をパートナーにするのが常識だろ?それなのに、何で迎えもエスコートも無しで良いだなんて言うんだよ!?
「私は他で、パートナーを見付けるから、ルーカスはセリーナさんでも誘ってみて」
「お、おい!?何言っているんだ、レイラ!何でそこでコロン嬢が出てくるんだよ!?それに、他でパートナーってどういうつもりだ!!」
勝手に話が進んでいく。レイラの中で、どんな計画がなされていて、どういうつもりでこんな事を言い出しているのか、ルーカスには理解できるものではなかった。
(他でエスコートを探す?コロン嬢の事はこじつけで、他に好きな男がいるんじゃないのか?だからこんな非常識な事を言い出したんじゃ……?)
一度過った疑念は、心の奥底に黒い染みのように広がりふとした拍子に際限の無い思考の沼を産み出す。
ドロドロとした思いが、体に巣食い、蝕み、拡がり、絡み付くように理性を押し退け競りあげてくる。
レイラに…僕以外に、他に好きな男がいる……?
だから、僕を避けるのか?
だから、僕を遠ざけるような真似をしたのか?
レイラのルーカスを見る目には、恋に浮かれる少女の瞳ではなかった。ただ、友人として心配したり、純粋にルーカスの達成を喜んでくれることはあったけど。
そんなに僕との結婚は嫌なのか!!?
恋情の隠らない、レイラの瞳。
僕は、こんなにもレイラが好きなのに……。
レイラがルーカスに向けたのは、肉親の情。或いは親友…戦友だろうか?
共通の目的の為に協力する、共犯者?
ただ、それだけに思えた。
いやだ……。
それは……嫌だ。
イヤだ。
いやだ。
嫌だ!!絶対に嫌だ!!僕は認めない!!
認められないと思った。
ルーカスの脳裏には、レイラの満面の笑顔が過った。眩しいくらいの笑顔で、病弱故に遣りたいことも儘ならなくて鬱屈していたルーカスの心に、優しい光を照らしてくれた。
幼さの残る、レイラのあの笑顔。
他の男に、あの笑顔を向ける?
あの時の、あの輝くような笑顔を、他の男に……?
そんなのはダメだ。
レイラは、僕の……僕の、たった一人の、たった一つの宝物なのに……。
雨の降る山中で、僕の魔力回路を治療するフォグラム草の花を摘んできてくれた。冷えた体で、ずぶ濡れになって、熱まで出したのに。
『これで、ルーカスが遣りたいこと出来るようになるならお安いご用よ…』
部屋まで見舞いに行ったとき、礼を言った僕にレイラが返してくれた言葉。熱に魘されながらも弱々しく微笑むあの姿……。
そんな君が、僕から離れる?
本当に?本気で?
認めない。
そんなこと、認めない。
認められない。
そんなこと、認められるわけが無いじゃないか!!
「……だって出会ったでしょ?物語の主人公に」
暗く沈む思考の渦の中、それを遮ったのはレイラの間抜けた声で。
きょとんとした表情で返されれば、他に好きな男がいるとかそう言う類いで言っている訳ではないとは、理解できた。
けれどそれが真実かは、今のルーカスに問い詰める度胸は無い。
胸の内で悶々とレイラの心の在り所を推察するしか無かったのだ。
(何なんだよ!?……レイラ)
だから、叫びだしたい気持ちを堪えて、最後まで彼女の意見を聞く。
「出会ったって……?」
「セリーナさん……物語の主人公に」
(そう言えば、そんな事言っていたっけ?だけど、それが何だって言うんだよ?僕と何の関わりが……)
レイラに言われて思い出したのは、今年の春先に編入してきた男爵家の庶子、セリーナ・コロン嬢。
肩口位に切り揃えられた緩くふわふわと広がるピンクブロンド。ややタレ目気味の大きな緑の瞳に、白い肌、血色の良いピンク色の唇。
美人かと問われればそうでもないし、可愛いかと聞かれたら一般的には可愛い部類にはなるだろうなとしか、思わない。
(僕が何よりも可愛いと思うのは、今も昔もレイラ一人だけだ)
「会ったけど、関係ないよ」
「関係無いって……。でも、可愛いかったでしょ?」
「さあ?興味ないから、わかんない」
「興味ないって……。……まぁ、良いわ。まだ出会って間もないんだから、セリーナさんの魅力に気付いてないだけかもしれないし、フラグだってまだそんなに立って無いはずだから……」
「レイラ……?」
彼女の自己完結は、危険だ。他者の意見を聞かないし、一人で暴走してとんでもない方面に走り出す危険性が感じられる。
「ま、でも大丈夫。私がちゃんと
にっこり、満面の笑顔を向けられた。久しぶりの笑顔。眩しいぐらいに輝いて見えて、可愛いんだけど、可愛いんだけど…………。
(何か、とんでもないことを、企んでやしないか!!?)
その笑顔に、不安ばかりが募った。
さぁ、ルーカスの魔力回路不全を直したことで、ズレちゃった物語序盤の設定を何とか元に戻すわよ!
本来、物語の中では魔法科に通ったルーカス。けれど、原作より四年早くあの症状が改善されたことでルーカスはの肉体は、健康に育った。
剣も兄よりかは遅い年齢での開始になったけれど、学園の専攻科目で騎士科を専攻出来る位に鍛練を積んできた。勿論、物語と同様で魔法科も専攻し将来は魔法騎士を目指している。
この辺りは、原作と大きくズレてしまったけど、ルーカスが元気ならそれで良いよね?
けれど、ストーリーは戻さなきゃ!!
その為には、私はルーカスと仲違いしなくちゃならない。
そうしなくちゃ、ルーカスは過去のレイラの影を追い求めて、セリーナの魅力に気付かないじゃない。
私は、ルーカスが幸せになってくれればそれで良い。
前世でも今世でも、ルーカスが一番の押しなの。けれど、私は早々に婚約破棄をされるモブ令嬢。今、ルーカスが私を好きだと言ってくれても、
もしかしたら、他の物語のように転生したらキャラが変わって上手く行く……なんて事も有るかもとは思ったのよ。だけど、そこで油断して物語の強制力が働いたら?
油断した分、余計に傷付いてそれこそ立ち直れないじゃない。
だから、だから……ルーカスごめんね。ごめんなさい。私は、臆病なの。人一倍疑り深くて、臆病で、弱虫なの。
ルーカスの気持ちは知っている。散々好きだと言ってくれたから、それを疑ったりはしたくない。
だけど、不安なものは不安なんだからしょうがないじゃない。せめて、物語の期間が過ぎるまでは安心してルーカスの懐に飛び込むなんて出来ないもの。
王宮の前には馬車が続々と停められる。
ルーカスは入り口でレイラの到着を待っていた。
てっきりレイラは家の馬車で来るのだと思っていた。
パートナーはレイラの二人の兄のどちらかだろう。
そう、たかを括っていたんだ。だから、馬車から降り立った一組の男女に女の姿に愕然とした。
淡い水色のシースルーのドレス。レイラの体にピタリと合っていて、それでいて可憐で華やかに見える、見覚えの無いドレス。
(僕が送ったドレスじゃない……。それに、一緒にいる男は誰だ?)
僕の知らない男にエスコートされるレイラ。
あの男は、誰だ?レイラとどんな関係なんだ!?
先に降りた男の差し出された手に、そっと自身の手を重ねるレイラ。
ふわりとした微笑みを浮かべ、地上に降り立った僕の女神。
ああ、駄目だ。レイラに触れて良いのは、あの笑顔を向けられるのは僕だけ菜のに………。
ドロリ、ドロリとルーカスの胸の奥から、泥の様な毒の様な思いが滲み出す。
(ああ、もう耐えられない。レイラを他の誰かに触れられるなんて、僕には耐えられなよ……)
だから、この場で落ち合う約束をしたコロン嬢の事など頭の片隅からも消し飛んでいた。
「レイラ、その男は誰?」
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