婚約破棄の行方

婚約破棄の行方


「それじゃあ、あとは若い二人で話すなりすると良い。私達は、工場の視察に出向くから、夕方まではゆっくりしてなさい。くれぐれも令嬢に無理強いはダメだぞ?まだ病み上がりなのだからな」

「……はい、お父様」


 ニコニコと笑みを浮かべながらそう言うアルヴァン伯爵様に、子息であるルーカスは愛想の無い口調で答えた。サラサラとした黒髪に紫の瞳。血色が悪いのか肌は青白く、体の線も同じ年頃の男子と比べると幾分窶れていて細い。


「レイラ、お前もしっかりとルーカス殿をもてなすんだぞ?今日ばかりは、お転婆はナシだからな?」

 茶化すような口調。でも、目は笑っていない。私の父は、『おかしな真似はせず、ルーカスの心をしっかり掴み取れ!!』と、言外に語っていた。


「はい。承知しております、お父様。では、アルヴァン伯爵様。お父様。お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 レイラは拙さの残る淑女の礼で、二人の父親達を見送った。



 二人の姿が見えなくなった所で、ルーカスに向き直る。チラとその顔を伺えば、顔には『不満』の大文字が。


 やっぱりね。

 ルーカスのその表情を見て、レイラは確信した。ここは、レイラが前世で読んだ少女小説を模した世界だ。


『花舞う園の乙女セリーナ

 内容は、良くある異世界ヒロイン物。貴族の庶子として産まれ、市井で育った少女が母親を亡くしたことを切っ掛けに貴族父親の家に引き取られる。魔法の才能を見出だされ王立学院に通い、見目麗しい男性陣と恋に落ちる。

 妖精の園と呼ばれる、学園裏の森から通じる花園で、妖精の雫と呼ばれる石を得ることで特別な力が開花。国を救い、恋に落ちた誰かと結ばれる……。


 ありふれた内容の、ありふれた物語。


 そんな世界に転生して、いまいち確信が持てなかったけれど、今日でその確信が持てた。

 この世界は、小説が舞台の世界で、私は一番最初に婚約破棄されるモブ令嬢なのだと。


 そして目の前のルーカスは、レイラに婚約破棄を突き付ける張本人だと……。


(なんて事なの……。よりにもよって、真っ先に婚約破棄されるモブ令嬢だなんて……)



 この顔合わせは、レイラとルーカスの見合いを兼ねている。それも、婚約は決定事項として。

 けれどルーカスは、自分の将来を、未来にレールを敷かれることを、良しとしていない。

 彼には夢がある。それは、ルーカスの一番上の兄同様に王国を守る騎士となる事。

 しかし今のルーカスは、病弱で剣を握って習うどころの状態ではない。

 常に付きまとう倦怠感。それ故、食欲もわかず顔色は良くない。いつ発生するかわからない頭痛と目眩と吐き気。それを医者は未知の病と診断し、自力で将来の生計を立てるのは困難とアルヴァン伯爵は早々に判断を下したのだ。


 ルーカスとレイラの婚約は物語の通り、二つの家の共同事業の関係強化を目的としたもの。

 でも実のところ、アルヴァン伯爵にとってそれは建前で、実際は病弱なルーカスの将来の為に、事業を起こして将来の糧を残してやる為の画策の一つだった。

 ルーカスの病弱は、実は病が原因ではない。魔力回路の不備が起こす副反応の一つで、体内に溢れた魔力の漏洩が原因だ。これは、ルーカスが学園入学直前の十四歳頃に似た症例が報告されたことから治療、完治される。

 ルーカスの将来の目標は騎士だったが、これまでの症状のせいで体力が伴わず騎士となるのは諦めた。変わりに安定して巡るようになった魔力を利用して魔法使いとなる決心をするのだ。

 魔法科に進学し才能を開花。元来、真面目で実直な性格故に融通が効かない部分は有るものの、王太子の側近候補にも抜擢され将来は宮廷魔法使いとして活躍を期待されるようになる。

 体は治った。自らの力で将来の活路は開けた。だから、ルーカスがレイラと婚約を結ぶ必要は無くなったのだ。


 だが一度結ばれた婚約は、ルーカスの意思に関係なく、簡単には覆らない。婚約に関する協議は既に両家の間で締結され、事業展望、経営体型に至るまで事細かに取り決められているのだから。


 全ては、病弱だったルーカスのために。

 それが改善されても、最早婚約、結婚の決定は簡単に覆す事は叶わなかった。


 鉱物資源は、レイラの家のトーニ子爵家が。

 技術は、ルーカスの家のアルヴァン伯爵家が。

 資金は両家から3対7の割合での拠出。両家の中間点に工場を建設し、従業員は両家の管理領地から募る事で合意している。

 何れは工場の管理を、アルヴァン伯爵家三男のルーカスとトーニ子爵家次女のレイラが受け継ぐ事で、これも合意してる。


 共同経営、共同事業ともなれば、後継者の二人を婚姻させた方が後々も問題が生じる危険は少ない。


 そしてこの顔合わせの日、レイラはルーカスの容姿に惹かれ恋をする。心を通わせずとも収まった、婚約者の座。物語でのレイラは、その立場からあれやこれやとルーカスに要求する。他の令嬢と少しでも楽しげに会話しようものなら鬼の形相で怒りだし、婚姻前なのに早くも妻気取り。ことあるごとにルーカスに口を挟む。



 そうして、嫌われた。


 王立学院二年の夏、ついにルーカスはレイラに婚約破棄を突きつける。理由は、他の女生徒セリーナに想いを寄せたから。

 将来、共同経営予定の工場は名義は残るものの実質経営はレイラに委譲することで婚約破棄は成立する。




 そう。この婚約者とは、将来、婚約破棄される前提で向き合わなくてはならない。

 レイラは今自分が嫌と言っても、顔合わせをさせられた時点で覆らない決定事項として受け入れた。


 同時に、決意も固めていた。








 父親に連れられてサロンに向かえば、初めて顔を見る令嬢がトーニ子爵の傍らに座っていた。

 ルーカスは同じ年頃の令嬢なんて、久しぶりに見た。去年、ランティス王子のお茶会に招かれて行ったときには見なかった顔だとも思った。

(そうか、あれは伯爵家以上の家が招かれた会だったのか……)

 レイラの家、トーニ家は子爵家。ルーカスの家、アルヴァン家は伯爵家。

 王家主催の限定的な集まりでは下位貴族に分類される子爵家は大抵振り落とされる。

 だから、会わなかった。

 淡い金色の髪か、差し込めた昼の日差しに反射してキラキラと輝く。淡い蜂蜜色の瞳は、黄水晶のようで、顔立ちも愛らしい方だと思った。

 ただ、容姿云々よりも血色の良い肌や、ほんのりの桃色に染まるふっくらとした頬が健康そうで羨ましいと思ったのが、この時のルーカスの率直な感想だ。




「取り敢えず、サロンに戻りましょうか?」

 そう促すと、「うん」ルーカスは頷いた。


「さて。折角だから、これからの関係事を話をしましょうか」

 席に戻るなり、何を言い出すかと思えば、トーニ嬢はそんなことを口にした。


「これからの事?(……どうせ、互いの趣味だの何だのの話だろ。下らない)」

 気の無い声で、ルーカスは答えた。


「そう!これからの事!!これからの、、今からしっかりと話し合いましょう!!」

 レイラは、“ぱぁっ”と輝く笑顔でさらりと告げた。


(……か、可愛い。可愛い……けど、ええっ!?婚約破棄って言ったか、いま!!?)


 レイラのキラキラと輝く満面の笑顔に、目を奪われていたルーカスは、その言葉に理解が及ぶと動揺を露にした。


「……えっ!ちょっ、ちょっと待って、トーニ嬢。僕達、婚約もまだなのに、もう破棄について考えてるの??」

「アハハ…そう思うよね?フツー。……本当は婚約回避がベストだけど、私達、今日が初めての顔合わせよね?そして両家の共同事業もその後の展望も決定してる。だから、既に私達の婚約が決定事項だとして、今すぐ白紙なり撤回すると判断して貰うにしても、今は時間が足りないの。だから、仮に婚約したとして、将来は解消なり破棄なりするのを最終目標に計画しておきましょうって、話よ」


 婚約は間違いなく決定事項。それはルーカスも理解はしていた。心が受け入れるかは別として。だからって、まだ婚約が決定していないのに『婚約破棄について、しっかりと話し合っておきましょう!!』なんて、満面の笑みを浮かべて言われてどう対処したものか。


(一体、何を考えているんだ!?トーニ嬢は……)


 ルーカスには、これから長い付き合いになりそうな令嬢の、突拍子も無い言動に振り回されそうな予感が、早くもよぎっていた。





「トーニ嬢は、どうだ?」

「別に、どうって事も無いですよ?……ただ、変わってるなとは思いましたけど(婚約する前から破棄について提案するなんて、変わってるとしか言いようが無いよなぁ……)」

「そうか」

 アルヴァン伯爵は、ルーカスの言葉に一言あいずちを入れただけで、特には踏み入った話はしなかった。




 レイラとルーカスの婚約は決定した。

 ルーカスが父親の質問に否定的で有ろうと無かろうと、この婚約に子供達の意思は反映されることは一切無いのだ。


(本当に、トーニ嬢の言う通りになったな。まぁ、顔を合わせた時点で大体は察していたけど……)


「お前とトーニ嬢の婚約が決定した」


 そう告げられた時、レイラの輝くような満面の笑みと「私達の婚約破棄について、今からしっかりと話し合いましょう!」と告げた弾むような声が脳裏に浮かんでいた。




 ♛♛♛♛




 あれから三ヶ月。その後、何度かルーカスとレイラは互いの屋敷を行き来した。その間に二人は打ち解けあって、今では名前で呼び合う仲になっていた。


「ルーカスの顔色、何時も悪いよね。病気、治療方法はまだ見つからないの?」

「うん。原因不明、未知の病気なんだって」


(それは間違いよ。ルーカスの病気は病気じゃない。体内の魔力回路に異常があって、それが原因で魔力が体内に漏れ出すことで起きる不調だもの。四年後には治療方法が見つかるけど、その間二回は生死を彷徨う……)

 レイラは小説から、ルーカスの症状の原因も治療方法も知っている。けれど、それを今語ったところで直ぐに信じては貰えないだろうとも理解していた。

 僅か十歳の少女が、長年医療に従事する医師ですら見付けていない原因を言い当てても、説得力の欠片も無いから。


 けれど、症例は少ないけれど治療の実例が無いわけでもない。

 一度発生した症例は、治療実績の有無に関わらず医学書の何れかには記載されている筈なのだ。


 そして、治療方法も。ただ、医学書と言う物は、大多数の医師の報告書を纏めた物では無く、著者別に綴られた膨大なものだった。そんな医学書の中から目的の項目を探し出すのは骨の折れる作業には違いない。


(ルーカスの侍医が見付けられなかった医学書を見つけ出す。それだけでも、もしかしたらルーカスの本当の不調の原因に行き着く切っ掛けになるんじゃないかかしら?)


「ねぇ、ルーカス。ルーカスの病気は、もしかしたら前例があったかも知れないわ。だから、医学書から同じような症状の病気を探してみない?」


 折角、縁があって婚約したのに、物語が始まるまで常に顔色の悪い状態なんて、直ぐにでも改善する手段が有るのに放っておくなんて出来ない。


「……え?」

「医学書は、お医者様毎に執筆されたものでしょ?その数って物凄く多いのよ。それに、量産されてるわけでも無くて、もしかしたらルーカスの侍医様がまだ見ていない医学書なのかも知れないじゃない」

 貴族の侍医と言うのは、大抵が領地から連れてきている専属医師だ。だから、領主の集めた蔵書や医師個人で集めた医学書位しか閲覧できる物はない。

 もしかしたら、アルヴァン伯爵が所蔵していない書に、魔力回路不全の項が有るかもしれない。


「それは……。確かに、うちに無くても余所には有るかも」

「王立図書館なら、大抵はある筈よね?」

「そうだね。王立図書館ならもしかしたら……」

 レイラの言葉に、光明とは言わなくても決して皆無とは言えない希望をルーカスは見いだしていた。

 その後、目的の項目を見つけ出すまでルーカスとレイラの交流は王立図書館が中心になっていた。





 今日も、王立図書館でルーカスの病気について調べている。

「ルーカス、貴方の症状って、これに当てはまらない?」

 レイラがルーカスに見せたのは艶のある薄茶色の背表紙で、『魔力の異常と人体に及ぼす影響』と書かれた医学書籍。

 魔力に関する書棚に有った為、侍医が見付けられなくても仕方が無かったのかもしれない。

 その中でも、『魔力回路未発達時における人体への影響』と題された項目だ。


「どれどれ…………っこれは!!?」


 項目の後に発生する症状は、ルーカスの身に起きる症状に類似していた。いや、まさにそのままだった。


 小児魔力回路不全による多機能不全症。

 魔力回路が未発達な幼少期に、肉体に見合わず多量の魔力が生成されることで起こる身体的な不具合で、目眩、吐き気、頭痛等の症状が突発的に発生する。

 重度になると、意識喪失による落命も懸念される。

 魔力回路の改善には、フォグラムの根が効果的。一時的ではあるが、回路を押し広げ体内に蓄積された魔力の循環を促す。


「フォグラム……?……あっ!!」

 ページに描かれたフォグラムの挿し絵を見たルーカスが、声をあげた。

「ルーカス?」

「これ、うちの裏山に生えてる!!中腹までは行かないけど、裾から登って二股の分かれ道、沢に向かった方に、これと似たのが生えてるんだ!!」

 ぱあっと明るい表情でそう話すのは、自身の病が病ではなく、自身の抱える苦しみが改善されるかもしれない光明を見いだしたから。


「場所が分かっているの?それなら今から探しに行きましょう!!」

 思い立ったが吉日。かばっと立ち上がるレイラにルーカスは「クスリ」と小さく笑い、眩しいものを見るように目を眇た。

「駄目だよ。今日はもう日が暮れるから、明日にしよう」

 言われてみれば、窓から差し込める陽射しは傾き始めていた。レイラが帰宅する時間も、もうすぐだった。

「そうね。今日はもう遅いから、また明日。明日は絶対に探しに行くから、そのつもりで今夜は早く寝るのよ!?」

 馬車に乗るその瞬間まで、その様な言葉は繰り返され、ルーカスの中のレイラは春の突風の様に突然吹き、暖かな温もりを与える陽射しの様にも映っていた。


 翌日、ルーカスの体調は大きく崩れだす。

 朝は何ともなかった。午後に入り、腹の中で何かが渦巻く様な鈍い感覚が起こりだす。それが全身に広がり、悪寒と頭痛が出てき出したのだ。


「顔色、悪いよ?」

「そんな事……」

「無い」と続けたいのに、そう言いきれない。次第に体調が悪化しているのは本人が一番良く分かっているから。


 フォグラム草を採りに裏山に向け出立する直前、ルーカスの額にうっすらと汗が滲み小さく震え出していた。レイラはそっとルーカスの額に触れると、掌に当たる熱さから発熱を確信した。

「熱……?直ぐに休んだ方が良いわ!!誰か!!ルーカスの様子が変よ!!」

 レイラの言葉に侍女達が駆け付け、ルーカスはあっという間にベッドの住人に。


「申し訳ございませんが、ぼっちゃまの体調が優れませんのでトーニ嬢はお帰りを……」

 執事にそう促されたが、ルーカスの体調急変は病ではなく魔力回路の不良によるもの。そうだとするなら、特効薬とまで言わなくても症状の改善にはフォグラム草が必要だった。


(このまま帰る?ルーカスの具合の悪化は病気じゃない。フォグラム草さえあれば、改善するのに!!ここで、このまま帰るなんて、出きる!?)


 レイラは決断した。このまま一人でもフォグラム草を取りに行こうと。大体の場所はルーカスの話で聞いていた。だからきっと大丈夫。

 深く考えることもなく、苦しむルーカスを早く助けたい。その一心でアルヴァン伯爵家裏手の山に分け入った。



 実際に山に入ったのは、レイラ一人ではない。レイラの侍女のコニーと、アルヴァン伯爵家から二人の騎士が貸し出され、計四人での山登りだった。

 山に入り、目的付近と思われる場所に辿り着いた時、天候が悪化し始めた。


「トーニ嬢。一雨来そうです、今日は諦めて下山しましょう」

「待って、ルーカスはまだ苦しんでるのよ?折角ここまで来たのに、それじゃ何の意味も無い。絶対、手ぶらでなんて帰れないわ!!」

「ですが、お嬢様の身に万一が起これば、それこそ本末転倒です」

「お嬢様、コルゲン卿の仰る通りです。雨が強まれば足場が悪くなります。お嬢様が怪我でもなさったら、ルーカス様も気を病まれますわ」

 宥める侍従。それに賛同するコニー。彼らの言うことも頭では理解はしている。


 けれど……。


「もう少し!もう少しだけ、お願い!!一輪でも良いの、ルーカスが苦しんでるのに何の成果もなく帰るなんて……」

 ポロポロと涙が溢れた。


 ルーカスは登場キャラの中でも、寡黙で真面目な性格だ。一番最初に主人公ヒロインに心を寄せて、婚約破棄に踏み切る訳だけど、レイラに対してもそれなりの誠意を見せる。

 幼少期は、魔力回路の不具合で何度も生死の狭間を行き来し、後に魔法の能力を開花させると言う、割りと苦難キャラ。


 だからって、後で助かると知ってたって、特効薬が目の前にあるのに知らんぷりなんて出きるわけ無いじゃない!!


「…………分かりました。もう少しだけです。危険と判断されたら、即刻撤退しますよ」

 渋々、レイラの熱意に押された感じで二人の騎士は頷いた。

「ありがとう!!」

 レイラは、涙を拭っただけの顔で無理に作った笑顔を向けた。




 フォグラム草は見つかった。ルーカスの記憶の通り、沢に向かう途中の場所で。


「ルーカス様。フォグラム草の根から抽出したお薬です。さぁ、どうかこれをお飲みください」

 アルヴァン伯爵家専属の侍医、ノーマがルーカスの口元に匙を運ぶ。フォグラム草の根から抽出したエキスは淡い琥珀色で、無味だった。


 ルーカスが匙を三口ほど含むと、体調には明らかな変化が起こる。体内の魔力回路が光り、皮膚下に透けて見える。フォグラムのエキスは体内の魔力に反応。魔力回路を押し広げ修復しながら体内を駆け巡る。


「これは……!?」

「あの本に書かれていた通り、ルーカス様の症状は病ではなく魔力回路の不備によるもの……!?」


 アルヴァン伯爵は、ルーカスやレイラの話を信じていたわけでは無かった。本に書かれていたとは言え、症例の少ない病にまさか掛かっているなど思うはずもない。だから、目の前の光景に呆然とし、しかしこれで息子が快復するならと、歓喜にうち震えていた。


 光が収まると同時にルーカスの目が覚める。

「あ……」

「目が覚めたか、ルーカス!!良かった!これも、雨の中フォグラム草を探しだしてくれたレイラ嬢のお陰だ!!」


 レイラは、アルヴァン伯爵邸に戻ると、雨に濡れ冷えきってしまったせいか、発熱した。それを目が覚めて後知ったルーカスは、こんな献身を示されて、どうして嫌えると言うのかと嘆息した。


 僕から望んで婚約破棄なんて有り得ない。

 だけど、彼女がそう望むなら仕方がない。


 けれど、と、レイラのあの輝くような笑顔が思い浮かぶ。


 あの笑顔を、他のかに向ける?

 あの優しさを、僕以外の誰かにも与えると言うのかと思うと、心が刃物で傷つけられるように痛んだ。


 ぐっと握りしめた拳が、僅かに震えた。




 二日後、ルーカスはレイラの見舞いに訪れた。

「レイラのお陰で助かったよ。そのせいで、君に苦しい思いをさせてごめん……」


「なに言ってるの?これでルーカスが遣りたいこと出来るようになるならお安いご用よ……」


 にこり、とも言えない弱々しい微笑み。けれど、そこに後悔は感じられない。


 満足気な空気を放ち、ルーカスを優しく包み込んでくれるような、そんな感じがしていた。


「レイラ……」



 そんなレイラにルーカスは心の奥底に小さな火が燃えるような、それでいて全身が熱を帯びるような感覚を覚えた。










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