第6話

「此度の事は、愚息がすまなかった。この通りだ……」

 数日後、シュタイン子爵家のタウンハウスに謝罪に訪れたのは、ハーレイ伯爵。勿論、オスカー様も一緒に頭を下げている。

 それは、下げてから数秒で上げられるような短いものではなく、膝に握られた伯爵の拳が細かに震え、そして永かった。

 頭を下げたまま、オスカーがチラと父親の方な視線を向けた。

 伯爵が頭を上げない限り、元凶である息子のオスカーは頭を上げることは叶わない。



「……どうぞ、もう、顔をお上げください」

 幾ら不貞があった、婚約破棄を言い渡され娘が傷つけらとは言え、相手は上位貴族。

 謝罪は受けとる。しかしいつまでも頭を下げられる格好は、些か心苦しいものがシュタイン子爵にはあった。


「シュタイン子爵、レティーナ嬢、本当にすまない。今回の事は勿論、こちらの瑕疵によるものだ。レティーナ嬢には一切の落ち度もなかった。全て、オスカーが愚かだったせいだ」


「もう、その件は良いですよ。賠償金も過分な程に用意して頂きましたし。……まぁ、こちらもこれから少しばかり慌ただしくはなりますが……」

 レティーナが爵位を継ぐにしろ、婿を取って継がせるにしろ、条件は変わらない。貴族出身、次男以降、武の腕の立つ見識と良識の持ち主であれば、誰でも構わないのだから。

 勿論、第一はレティーナと人生を共に歩んでくれることが大事なのだが、年頃の見合う優良株は既に婚約が内定している方が多いだろう。

 辺境とはいえ、国防の一端を担うシュタイン子爵家。戦となれば辺境伯と共に先陣を勤めるのが役目。生中な腕前では使えないし、頭が鈍いのも困る。


「それなんだが……。こんなことを言うのは厚かましいとは重々承知なのだが……。どうだろう?このままでオスカーと婚約を継続しては貰えないだろうか?」


「それは……!!いや、それは、こちらとしてはその方が良いとは思うが……。レティーナ本人がどう思うか……」


 チラと、シュタイン子爵は、ここ最近考えの読めない娘の顔を見る。この件に関すると無表情を貫き、怒りとも悲しみとも伺わせないたった一人の娘……。


 母親を早くに亡くし、男手一つで大切に育ててきた。そんな娘の意思を尊重したい、とは親心で。

「レティは、どうしたい?」


「オスカー様と婚約の継続?……それは、難しいかと。心変わりはいざ知らず、他の女性と肌を重ねたなど、到底受け入れられませんもの」


「……っ!!それは!レティーが無理に連れていったから……。君だって見ていたじゃないか!!」

「あら、宜しいので?この場であの件をお父様達に知られても……」


 娼館での出来事を引き合いに拒むレティーナ。あれはオスカーの言う通り、レティーナが連れ出してさせたこと。とは言え、なにもしなくとも何れはそれをセリーナとしていたのだと思うと、どうしても嫌悪感と言うものが湧いてしまうのが困ったところで、レティーナとしては婚約の継続よりも破棄、もしくは解消が望ましい。



 そう、現時点では。


「何だ、まだ何かあるのか?」

 ハーレイ伯爵が、訝しげな視線を向ける。

「あ、いえ、大したことではありません……。どうか気になさらず」

「そうです。例の方と口付けを交わして愛を囁くぐらい、たいした事では有りませんから。……けれど、オスカー様のお気持ちは、私には向いていないのです。婚約して八年。これまでの交流が、全て意味の無いものだったのだと告げられたようで、私の心は折れてしまったのです。ですから、今はどんなに謝罪して頂いても、この婚約を継続しても私達の未来に希望が見いだせないのです」

 慌ててオスカーは、これ以上は何も無いと否定する。レティーナも、事実とは違うが最もらしい事を告げて誤魔化した。最後は、涙を流しながら切々と婚約継続は、困難な旨をハーレイ伯爵と父親のシュタイン子爵に向け訴えた。


「仕方がない。ハーレイ伯爵、すまないが婚約は白紙と言うことにしてくれ。娘が傷つけられたんだ。このままと言うのは流石に無理だ。私はこの娘に家の為に不幸になって欲しい訳じゃ無いんです」

「仕方がないだろう。しかし、この八年と言う歳月か無駄になるとは……惜しいな。もし、オスカーにチャンスが有るとしたら何をすればその可能性が得られるだろうか?」


 シュタイン子爵が、一人娘のレティーナを愛しむように、ハーレイ伯爵もまたオスカーの伴侶となる筈だったレティーナを愛しく思っていた。

 今回は、不詳の息子の不徳とするところだが、一度は引き下がっても諦めきれるものではなかった。

 ハーレイ伯爵家にとっては、シュタイン子爵家の血筋を入れる事が、悲願でもあったから。


 遡ること、三代前。ハーレイ伯爵家と隣国の侯爵家との間に結ばれかけた縁。その相手こそレティーナの曾祖母に当たる女性なのだが、時の情勢が悪化して叶うことが無かった。その女性の子孫たる直系の血筋が、レティーナなのだ。


 そしてその姿は、ハーレイ伯爵家に残るその女性の絵姿と瓜二つ。


 ハーレイ伯爵は、幼い時その絵姿に心惹かれた。その女性の血を引き、その姿の生き写しを義娘に迎える。彼にとっての悲願が息子によって崩された。

 それは、何としてでも時が掛かっても再び結びたいと願う縁だった。


「そうですね……。私としては、結婚の相手は、条件さえ合えば誰でも良いのです。だから本当はオスカー様でも構わない。けれど、何事もけじめは必要だと。何もせず謝罪だけで元の鞘に収まっては、婚姻後に同じ過ちを繰り返すでしょう?だから、もし、オスカー様が私との婚姻を望むと言うのなら、団長……、騎士団長ぐらいになってからもう一度申し込んでください」

「騎士団長……!?」

 さらっと提案したが、騎士団長など一朝一夕でなれるものではない。速くて十年は掛かると言われる出世街道。

 それを実現させてから出直せと言っているのだ。

 十年と言う歳月があれば、交遊幅も変化するし、人心も変わるだろう。そんな歳月、一途に一人を想い続け精進し続けられるのか?


 オスカーは今、失恋の直後。

 八年間の婚約者に向けていた想いとは質も量も違う物を失ったばかりだ。それなのに、父親の、家の悲願など押し付けられて律儀に答えるか?


 ───答えは否だ。


「勿論、その間に私が他の誰かと愛し合って結婚、何て事もあり得ますけど、出直すならそのぐらいの誠意は示すべきでしょう?」


「そうか……。わかった。オスカーが騎士団長になれば、その暁には求婚しても良いのだな?」

「それまでに、他に良い縁が無ければ……ですけどね」

 場の空気を変える為か、悪戯気に肩を竦めて答えるレティーナ。


 そんな感じで、父親とレティーナの間で会話は続けられる。

 にこやかに、ふわりと微笑むその顔は、オスカーが今まで見たことがない。いや、見てこなかったレティーナの表情だ。

 こんな風に笑うなんで知らない。纏う空気も、伯爵党首相手に優美にも見える余裕の姿で、父親を前に縮こまるオスカーとの器の差を思い知らされる。


 小さい頃から、同い年なのにレティーナは何処かオスカーを見守る目を向ける時があった。それが、年頃になると男として見られていないと感じだし、同じ目線に立って見てくれるセリーナに惹かれた。

 それなのに、婚約破棄を申し付けた後のレティーナの見せる表情が忘れられない。


 特に、暗闇から向けられたあの氷のような金色の瞳がずっとオスカーを追いかけてくる。

 怖いとは思わない。ただ、何時まででもあの目に見つめられたいと何処かで思う自分に気付いた。

 一度気付いたら、レティーナを今度は目で追うようになっていた。

 自分でも信じられない変化だった。


 だけど、婚約は白紙に戻される。



 レティーナは、可能性を残してくれた。


 俺が騎士団長になったら?そうしたら、求婚をしても良い。けれど、それまでに良縁があればそちらを婿に迎える……とは、オスカーにかなり部の悪い条件だった。


 今になって、惹かれてどうする?

 裏切って、傷付けて、怒らせて、その後に本当は、好きだったと気付いて今更……。


 それでも、これから先レティーナ一人を追い続けるオスカーの日々が始まるのだった。


        ──終り──























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