第5話
昨日よりも奥まった備品庫の側。閉ざされた窓の隙間から室内灯の明かりが漏れ出していた。
やんわりと黄色み掛かった光は、鬱蒼と繁る森のなかに柔らかな光の筋を作り出す。
「なぁ…。あそこって、屋外実習用の備品庫だよな……?」
今見ている備品庫は、魔法学科の屋外実習で使う、的や障害物と言った類いの大振りな用具がしまわれている場所だ。
主に、新入生の初級攻撃魔法や上級生の郊外演習前の魔法訓練に使われる的などで、耐久性を上げる補助魔法や反射魔法、無効化魔法が掛けられた安全なものが置かれている。
「そうですわね。備品庫の鍵をこんな時間に使えるなんて、普通、生徒に出来るものかしら?」
「いや、それはないだろう。生徒が使うなら職員室に鍵を取りに行かなきゃならないし、大抵授業前後の準備時間だろ?今はまだ昼休みだ。そんな時間から準備なんてしないだろ」
「そうですわ。今はまだお話に花を咲かせてる時間ですものね」
チラリとローゼリアは小振りな懐中時計を開く。長針は二十分を指しており、昼休み終了を告げる鐘の音までは四十分は残っている。
「殿下……今からでも遅くは有りませんから、お戻りになった方が宜しいんでは?」
昨日の出来事から、備品庫で何が起きるのか想像の付いているオスカーは相変わらずの顔色の悪さで、気まずげに告げた。
「いや、しかし……」
『…………ぅ、ぅぁ……ぁっ…………』
ランティスの迷う言葉に、呻きにも似た小さな声が重なる。声の発生元は、灯りの点いているあの備品庫だ。
「なっ、何の声ですの!?……もしかして、具合が悪いんじゃ!?」
『……あっ、やんっ、凄い……』
心配げなローゼリアの声に、先程よりもはっきりとした言葉が重なった。
「…………っ!!?」
耳に伝わった言葉と声の調子から、この声が体調不良ではない物だと理解した途端、ローゼリアの顔が大きく歪んだ。肌は耳まで真っ赤に染まったり、カタカタと肩を震わせると今度は青褪めさせて……。
「ランティス王子、ローゼリア様を支えて上げて!!それから、ローゼリア様、耳を塞いでください!!」
前世、二十八歳で、酸いも甘いも知っている私と、十八歳の純粋なお嬢様のローゼリア様とでは、感覚からして天と地ほどの差がある。
何と言っても情報氾濫社会の現代日本と違って、SEX に関する情報など、一部の物語の中でさらっと綺麗なお話としてしか知らないのだ。
実際の本番に関する項目も、版画に載せられた一、二ベージのソフトな絵と、ややぼかし気味の当たり障りの無い文章表記しか無いのだから。
こんな、情事に上がる声を聞けばおぞましさを感じて具合のひとつも悪くさせてもやむ終えない。
「ロゼ、ロゼ、耳を塞いで?俺が居るから大丈夫だよ……」
ランティス王子はローゼリアの肩を抱くと、地面に胡座を掻いてその上にローゼリアを座らせた。ローゼリアは、言われた通り自身の手で耳を塞ぐ。ランティスの右手が、ローゼリアの目蓋に手をやり視界を遮った。左手では、ローゼリアを抱き締めるようにしている。
「ロゼ、落ち着いて。俺の声に集中して、もう何も君の耳に入れないから……良いね、ロゼ」
「ラン……さ、ま……?」
幼い頃は、ローゼリアを『ロゼ』とランティスも愛称で呼んでいた。しかし成長して公の場に出る機会が増えるにつれ、『ローゼリア』としか呼ばなくなったランティスの『ロゼ』と言う愛称呼びが耳に届くと、ローゼリアもまた、戸惑いがちに愛称で呼び返す。
「ロゼ……落ち着いて。……大丈夫かい?」
ぼんやりとする思考の中で、自身の今の状況にローゼリアの羞恥心は爆発した。
(な、な、な、な……何ですの!?この状況はっ!?)
ローゼリアは、今プチパニックの最中にいた。卒業後の結婚は控えているものの、学園に通う三年間の間、形式的な遣り取りと言うものが目立ち始め、こんなに間近に居ることなんて無かったから。
「だ、だ、だ、だ、だい…大丈夫、ですわ!おみ、お見苦しい所をお見せしまして……」
口をパクパクさせる回数が目立ち、どもりながら『大丈夫』アピールをするローゼリア。
その様子に、ふっ…と、ランティスの口元が緩む。
「まだ、この場を離れるわけにはいかないけど、ロゼはまだ耳を塞いでおいてこのままでいよう」
「えっ……!?は、はいぃっ……」
これは、王子命令である。
王子の胡座の上に乗せられ、耳を塞いで忌まわしい時が過ぎるのを待つ。あんな声を耳に入れるのは不快だし、かといって一人、この場を去るわけにもいかない。ローゼリアに選択肢は無く、王子の言葉に従うしかった。
例え、これ迄に無いほど密に接触している姿を第三者に見られているのだとしても、羞恥から顔が真っ赤に熟れていようともローゼリアには拒否できないのだ。
それから二十分程が経過した。悲鳴にも似た喘ぎ声は、時おり大きく外まで聞こえていた。それがパタリとやみ、更に十分ほど経過の後、扉が開いた。
「出てきたぞ」
セリーナは、何事も無かったかの様に、澄ました顔で備品庫から出てきた。辺りにキョロキョロと視線を走らせたのは、一応第三者の目が無いかを確かめるためなのか。
「何かあったとは、思えないな……」
「これが始めてじゃ無いってことじゃないのか?」
「……ま、まぁっ!汚らわしい!!」
遅れて備品庫を出たのは、淡緑の癖の有る髪を肩口に束ねた優男……教師のミヒャエルだった。
「うそっ……相手はミヒャエル先生ですの!?」
「…………」
「…………マジかよ」
魔術講師のミヒャエル・ランカスタ。ランカスタ伯爵家の四男で二十六歳、独身。
主に風魔法が得意で、ランティス王子の魔法クラスを受け持つ。
「まさか、グループ分けでやたらコロン嬢と被るのは、これが原因では無いよな?」
眉宇を顰めて苦々しげに言うのはランティス。
ここ最近、課題のグループ分けで特定の生徒とばかり一緒にいるのは噂として広がりを見せたところだった。
『聞きまして?今度の魔法科の課題、ランティス王子はまたセリーナ・コロン男爵令嬢と一緒なのだそうよ!』
『まあ!またなの!?この間の課題の時も、郊外演習も一緒だったじゃない!……まさか、ローゼリア様と言う婚約者がいながら、意中の女性はセリーナ嬢なの?』
『そんな!それなら、少しでもそ側に居たくて、王家の権力で組分けを操作したのかも……』
その様な噂が広がるのは、対して時間は掛からなかった。組分けで被るのが二度や三度なら偶然。しかしそれが幾度と重なれば作為を感じるのも無理はない。
けれど、それをランティスが望んだことは一度たりとも無かった。それなのに、そうなると言うことはやはり第三者による作為があったと言うことなのだろう。
それが、魔法講師ミヒャエル・ランカスタだったと言うことだ。
「はあー…っ。これは……大々的に学園内部を調査する必要が有るね」
ランティスは、溜め息を吐き軽くこめかみを押さえた。
(まさか、教師が生徒と関係を持っていたとは……。コロン嬢と関係を持ったのはミヒャエルだけか?王家の影を使って調査するか?)
「ランティス様、大丈夫ですか?コロン嬢の事、やはり……ショックですわよね?」
険しい顔付きのランティスに、婚約者のローゼリアは心配気に声をかけてきた。
「……ん?まぁ、学園内でこう言うことが起こるのはちょっとね……」
「そうですわよね。心寄せた方が他の殿方とあのような……」
顔を顰め、苦々しげな表情をするローゼリアにランティスは怪訝な顔付きになった。
「…え?ちょっと待ってロゼ。俺が誰に心寄せてるって??」
「あら、それは勿論、コロン嬢ではございませんの?ですから備品庫の真偽を確かめに要らしたのでは無かったのですか?最近は随分と親しげに話す機会が増えているではありませんか。それこそ婚約者の、私よりも……」
ここ最近の、寂しい思いや悔しい気持ちが溜まりに溜まり、ローゼリアの瞳からは涙が溢れ俯いてしまう。
「えっ!?ちっ…、違う!断じてそれは絶対に違うから!!ここに来たのはただ単にシュタイン嬢の聞いたと言う噂を確かめるためで、俺がコロン嬢に心を寄せてるなんて一ミリの欠片も無いから誤解しないでくれ!!俺が好きなのは昔からずっと、ロゼ一人だけだから!!」
普段、決して涙を流すことの無いローゼリア。その彼女の滅多に無い涙に動揺するのは当然かもしれない。必死になって弁明と、誤解だと訴えるランティス。ロマンチックな告白でも、正統派な告白でも無く、弁明混じりのかなり格好の悪い告白になっていたが、それよりもローゼリアの抱く誤解を解く方が大事だった。
「…………うぅっ、それは……本当ですの?」
「も、勿論だよ!くそっ、本当はもっとちゃんと告白したかったのに……ごめん、今、俺…かなり格好悪よな…?」
「……ふふっ……そうですわね。ロマンスはございませんが、嬉しいですわ。殿下がその様に想っていてくださったなんて……」
王家の幼馴染み、婚約者カップルは、上手くまとまったようだった。
甘い空気を漂わせる、王子達とは反対にこちらは冷え冷えとした空気が漂う。
「知りたくなかったって顔ね。けど、良かったんじゃない?手遅れになる前に知れて」
色の無い顔を俯かせるオスカーに、乾いた声でどうでもよさげにレティーナは告げた。
「………………そうだな」
長い沈黙の後、『真実の愛』故の幸福な未来を夢見た男の愛は色を失った。
それを認めるには、まだ時間が掛かるだろう。だからと言って、セリーナと共に歩む未来は、とっくに閉ざされていた。
前の、木陰でのクラウドとの会瀬の件に始まり、連日違う男に愛を告げるセリーナの姿。交わされる幾多の男との口付け。昨日の相手の男までは確認できなかったが、明らかな肉体関係を結んだ現場然り……。
少しずつ深まる疑惑、突きつけられる現実。
それらに、当初こそ問い詰めるつもりでいたオスカーの心は、もうセリーナの顔も声も見聞きしたくない程の嫌悪にまみれていた。
だからもう、セリーナと関わることは今後一切無い。心を許すことも、親しく会話することも無いだろう。いや、あってはならない。
「予定どおり、今夜には婚約破棄の申し入れがあったとお父様に伝えるわ。……それで、構わないわよね?」
レティーナの無情とも取れる宣言に、オスカーはグッと拳を強く握った。
時分で撒いた種だ。今更、レティーナに『婚約破棄を無しにしてくれ』とは、言えるわけがなく、オスカーは自らの発言の責任を取らないとならないとこれ以上の思考を諦めた。
「…………ああ。すまない、君にも迷惑をかける」
帰ったら、伯爵たる父親に婚約破棄を告げたらどんなことになるのか……想像だに出来なかったが、全てはオスカー自身が自分で招いた事態だった。
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