第4話

 レティーナとの約束の一週間も、残すところあと二日になった。

 その間、セリーナの他の男との交流を嫌と言うほど見せ付けられ、その度に少なくない衝撃を受けながら日々を過ごしたオスカーは、精神的に疲弊していた。


 最初こそ、『誤解だ』と自分に言い聞かせていた部分もあった。

 一週間も会えないのだ。きっと、不安と寂しさで間違った言葉を口に乗せたのだと、何処かでセリーナを信じたかった。

 けれど、愛の告白が……それを匂わす言葉を投げ掛ける相手が二人、三人となれば話は違ってくる。


(セリーナ……君は一体……。俺の事が、好きだったんじゃないのか!?)


 自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことを信じたくない思いと、今すぐ問い詰めに飛び出したい気持ちとを押し込め、どうにかレティーナの言うと降り過ごしてきた。


 あと二日、あと二日もすればセリーナの元に帰れる。もう、セリーナに寂しい思いをさせなくて良いんだ。


 そう、自分に言い聞かせ何とか堪えていた。



「今日は、校舎裏の裏庭に行きましょう」

「はっ?何でまたそんなところに……」


 裏庭にも、花々は植えられている。けれど裏庭と言うだけあって花よりも樹木の方が多く鬱蒼とした雰囲気で生徒からの人気は余り無い。

 それに、主に屋外で使用する大型の学校備品保管庫が建ち並び、どちらかと言えば休憩場所と言うより、木々で目隠しされた学園の裏側と呼べる場で、用もない限りは近寄る場所ではない。

 当然、人気はまばらで此方に足を向ける生徒はほぼいない。


「最近、裏庭の一部でんですって。ちょっときっと直ぐに消えてしまう小鳥だから、こんな機会はもう無いかも知れないわ。だから、見に行きましょう?」

「珍しい小鳥……?」



 訝しげに首を傾げるオスカーに構わず、レティーナは裏庭にある用具倉庫側の木々に身を隠した。

 そこからは用具倉庫の換気用の窓と出入り口の扉が良く見える。しかし、身を隠してから五分経過しても何の囀りも聞こえはしなかった。

「珍しい小鳥って何だよ?」

「シッ!静に!!」


 唇に人差し指を立ててオスカーの腕を軽く引っ張り、その長駆を木陰にと屈ませようとする。

 その行為に抵抗することなく従うが、納得はいず不満げな表情をオスカーは浮かべた。

 普段よりもレティーナとの距離が近い。彼女の身に付ける仄かな香水の香りが鼻腔を掠めた。


(前と、香りが違う。香水……変えたのか……?)


 こんなにも近付くことが無ければ気付かなかったこと。

 前の匂いは少しばかりオスカーの好みとは違っていた。今のは少し甘い感じの漂うスッキリとした香りで、これはまぁ悪くはないと思った。



 オスカー達のいる方向とは反対の方向から、女が歩いてきた。

 ピンクブロンドを靡かせる、華奢な体つきは遠目からでも誰なのか一目瞭然で。


「セリー……(むぐっ!?)」

 セリーナの名前を呼ぼうとするオスカーの口を両の手を交差させるようにレティーナが塞ぐ。

「しっ…!!気付かれたら小鳥は囀ずらないわ!!」


 レティーナが小声で告げる言葉に、オスカーは顔色を失う。


 まさか!?と言う表情を浮かべ、視線だけセリーナの後ろ姿を追った。

 用具室の前に止まり、『コンコンッ』と扉を叩けば内側から扉は開く。


 扉の向こう側に誰がいるのかはオスカー達からは見えない。けれどセリーナの様子からして、嫌々ここに訪れているわけでも、脅されているわけでも無いことはわかった。


 歩き方も、扉を叩くまでの一連の動きにも、躊躇いも迷いも感じられなかった。

 自らの意思でここまで来て、自らの意思であの扉を潜ったのだ。



 それをオスカーは理解した。




 そして…………。





『……んッ!あぁっ……』


 泣くような叫び声にも似た、それでいて甘さの宿る声が耳に届いた。


 セリーナの様なピンクブロンドは学園でも珍しい。大抵は金色か茶色が多く、次いで黒が多い。他にも様々に髪色を持つ生徒はいるが、狭い貴族社会。血縁者も多く通うため、身内だと同系統集まりやすい。

 だからこそ、元平民で男爵家に引き取られたピンクブロンドのセリーナは、今のところ唯一と言って良い髪色の主なのだ。



「毛色の珍しい小鳥」とは良く言ったもので、それは正しくセリーナを示した呼び方なのだと、オスカーは今更理解した。


『最近裏庭で珍しい毛色の小鳥が囀ずっているんですって』

 レティーナの言葉が脳裏に甦る。


 小鳥とはセリーナ、囀ずりは矯声なのだと理解したオスカーは、ここ連日のレティーナが連れ回す先にセリーナが他の男との会瀬を繰り返し、その度に愛の囁きを耳に入れられていた。

 これまでは、一目を忍んで抱き合うか口付けを交わす程度だった。それがここに来て肉体関係の最中の音声を聞かされることになるとは…………。


 一昨日、娼館に連れていかれた時レティーナは、なんと言ったか。


『この先、彼女と繋がることが有れば、その具合を確かめてみたら?経験者のそれかそれとも……』


 その言葉が、そう言った時のレティーナの氷のように冷たい瞳が甦る。


(レティーナ……。これを、思い知らさせる為にあんなことをしたのか?)



 だとしたら、俺は何て馬鹿なんだろうか?

 ここ数日、セリーナが他の男にも愛を囁いたり、淑女らしからぬ距離感で身を寄せているのを目の当たりにしてきた。

 同じように、同じ手法で身を寄せられ親しくなり、そして愛を囁かれて心を許した。

 それなのに、他の男にも愛を囁き口付けを交わし、終いには……。


 セリーナには、幻滅した。



 気持ちが悪い……吐き気がする。



 あんな女に、心を許したなんて。



 あんな女に、騙されたなんて。



 くそっ!何でこんな事しているんだ!あの女は!?

 淫らで、フシダラで、汚らわしい。

 そんな女に、恋心を抱いたなんて………。

 俺は、セリーナの何を見ていたんだ!?


「大丈夫?顔色悪いけど……」

 レティーナが、気を使って声を掛けてきた。大丈夫なものか。

 物凄く気分は、悪い。

 知りたくなかった。

 何も、知らずにいたかった。

 だけど……何も知らぬまま、このままあの女と関わり続ける未来があったとしたら、それはそれで底無し沼に墜ちるかの如く、恐ろしさが込み上げる。


 あの女との関係が、学園に知れたら?

 複数の男に身を寄せる、その様な風紀を乱す女と俺もそう言う関係に陥っていたなら?

 それを、父上に知られれば学園に通うどころではない。

 良くて退学になり、領地に下げられる。一から領地で鍛え直され、おそらく王都に出ることは許されないだろう。

 そうなれば、王宮騎士になる俺の夢は途絶える。そこで消えて、先の見えない暗い人生になったかもしれない。


 レティーナとの一週間が終わったら、色々と問い詰めるつもりでいた。けれど、そんな気持ちは一ミリの欠片も残さずこの場で霧散した。



(もう…、もう……、いい。あんな女だと知っていたら、心を寄せたりなんかしやしなかった……)



 平民出身の貴族の血を宿した女。

 人懐こく、明るく笑い、くるくると良く変わる表情を浮かべる、淑女らしからぬ少女。

 平民出だからなのか?物怖じしないその態度が、距離感が心地よく感じた。

 貴族同士だと、どうしても本心と言う物を隠し、或いは偽って接することが多い。そう言う鎧を着けず、素のままに接せられる彼女が、その存在が輝いて見えたのに……。


 ここ数日、レティーナに連れられて見た彼女は、対で応じるときとはまた違った物に見えてしまった。最初は驚いた。だけど、それを認める気には何処かなりきれない部分があった。

 簡単に男にすり寄り、愛の言葉を口に乗せる。


 その様子が、娼館の女達の姿と重る。


 娼婦達のそれは本心ではない。あくまでも、客に金を落とさせるため、客皮引きの一貫としての駆け引きだ。

 だから、簡単に『素敵』『良い男』『いやーん惚れちゃうわぁ』なんて言葉が飛び出す。


 けれど、それじゃセリーナは?

 何で、幾人もの男にのか?


 気持ち悪い。ただただ、セリーナと言う女が気持ち悪い存在に成り下がり、真意も本心もどうでも良いと思えるぐらい、二度と関わりたくない存在になっていた。




「今日も……行くのか?」


 翌日、昼休み。

 昨日と同じ方向にレティーナは向かっていた。


「そう。けど、昨日と場所が少し変わっていてね……って、大丈夫?大分顔色が悪いけど……」

 見ればオスカー様は顔色が真っ青だ。

 まぁ、そうよね。真実の愛に目覚めた相手が、見目が良くて羽振りの良い貴族子弟に片っ端から粉掛けるくらい、ビッチな行動していたら、ね。

 セリーナ・コロン男爵令嬢とは、将来有望な純情若手貴族の代表格とも言えるオスカー様にしたら、理解の範疇を超えた絶対に関わりの無い人種その物でしょうよ。


 とは言え、アレはアレで適当と言う訳でもないのよね。より高位貴族の子弟に近付くためには、普通にしていたんじゃ辿り着けない。

 下位の、目的の子弟に近い、少しでも親しい子弟に近づき顔見知りとなるチャンスを作る。その為には、足掛かりになる相手に少しでも心を開かせる必要があると、踏んだんだろうけど。

 やっていることが、何と言うか手当たり次第な感じで、見ていて不快極まりないわね。








『まるで娼婦みたい』


 令嬢達の流す彼女の悪口に、そんな言葉を用いていたのを思い出した。


 そのまんまじゃないか……。それが見えていなかったのは俺達で、令嬢達は良く見えていたんだ……。




「あれ?珍しいね、二人ともどこに行くの?」

 裏庭への通路をあるいている途中、ランティス王子に声を掛けられた。蜂蜜を溶かしたような金髪と宝石の様な翠の瞳、端正な顔立ちをしている。傍らには婚約者のローゼリア・リヒテンバーグ公爵令嬢が並ぶ。薄紫色の緩やかな波を描く艶の有る髪と、透けて見える同色薄紫の瞳。感情をその顏に乗せなければ、まるで精巧に作られた人形ののような美貌の主だ。


「あ…ああ。レティーナと、ちょっとな……」

 オスカー様の顔色は相変わらずだ。ランティス王子に遭遇して、益々悪化させたかもしれない。

 セリーナが、ランティス王子にも接触を計り始めているからだ。

「ご機嫌麗しく、ランティス王子、ローゼリア様。ええ、そうなんです。裏庭に最近珍しげな毛色をした小鳥が来るようになって、その囀りを聞きに……」

「珍しい小鳥?それは、どんな鳥なのかしら?」

 ローゼリア様が瞳をキラと輝かせた。ローゼリア様は、鳥の観賞を趣味としており、邸宅の温室に南方の色鮮やかな鳥を飼育しているとは有名な話。


 不味い……。迂闊な話題を振ってしまった。鳥は鳥でも鳥じゃない。清廉なローゼリア様には絶対に聞かせられない囀りだし、だけど物凄く食い付いた感じのキラッキラの瞳で問われれば……。

 困ったとオスカー様に視線を向ければ、こちらも真っ青な顔を白くして首を横に振る。

 身から出た錆び。口から溢れた災いの元。


 あっちゃー!!とは、レティーナの脳内会議の結論で、焦った視線をランティスに向けて、釈明を始める。


「と、と、鳥は鳥でも……本物の鳥ではないんです。……えっと、揶揄と言うか例えと言うか……ロ、ローゼリア様のお耳に入れては、お耳汚しと言うか聞かせられるものでは無いので……」

 ワタワタと慌てるレティーナを余所に、ローゼリアはこよなく愛する鳥の揶揄に使われた存在にも興味を抱いた。

「何ですの?小鳥に例えられるなんて、どのような方の歌何ですの?」

「歌か、それは楽しみだな。余程、恥ずかしがりやな令嬢が歌っているのかな?繊細な旋律なのかそれとも耳障りの良い声音なのか、楽しみだな」


『囀り』に例えられた『矯声』は、どうやら『歌』に解釈され、ランティス王子にも『小鳥の囀り』は、どこぞのシャイな令嬢の歌に翻訳され、聞きに行くき満々の表情に、益々真実を口に乗せづらくなってしまった。


 しかしながら、時分で撒いた種とはいえ、未来の主君に勘違いさせたまま聞かせるわけにも行かず真実を話すしかなかった。


「あの……今から聞きに行くのは、歌では有りません。珍しい毛色の小鳥はピンクブロンドの女生徒で、囀りは……その……閨で聞かれる類いのモノになります……」


 とは、言わない。けれど、それだけ細かに言えば、珍しい毛色の小鳥の正体が誰かは二人とも想像出来たようだ。


 パッと顔を見合せ、何時もの王子と令嬢の仮面が剥がれた驚愕の表情を浮かべていた。


「……あ、いや、待て。コロン男爵令嬢が!?裏とは言え、ここは学園内部だぞ?しかもまだ授業の残る時分で……??」

「………………っ!!?」

 最近、ランティス王子はセリーナと顔を合わせる機会が増え出してきた。ローゼリアもその現場を遠巻きに目にする機会が有り、その都度『貴女、殿方との距離が少し近すぎるのではなくて?』と、注意し出していたところだ。

 それが、既にそう言う関係に有るものが居る??


 見合せた二人の視線は、レティーナに向けられた。


「殿下…その様に、学園の風紀を乱す者の所業、見過ごすわけには参りませんわ……殿下、ここはきちんと確認を」


 深層のご令嬢。未来の王太子妃。未来の国母。ローゼリアの凛とした声が決定打となった。ローゼリアに聞かせて良いものか分からないまま、四人は裏庭の目的の地点に向かった。












































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