第3話
窓の外には、白銀に輝く半月が登り始めているのが見えている。
ふかふかと良く弾みそうなベッドには、赤毛の男──オスカーがその身を横たえ、その上にはブロンドの髪の女──娼婦レベッカが、結わえていた髪を手解く。フワリと拡がる様子に、これが開始の合図なのだとオスカーは、ゴクリと喉を鳴らした。
レベッカは、ツウッ……とオスカーの胸から腹までを指先で優しく伝い撫でる。
「ふふふっ……。怖がらなくても良いのよ?直ぐに気持ち良くなるから……」
指先から、掌全体に触れる面積も広げながら、愛撫するように繰り返されるそれは、目の前の娼婦、レベッカの大人の色気も相まってオスカーの鼓動を早めた。
(ど、どうしたら良い?今更、
けれど、状況は芳しくない。解消するとは言え、仮にも婚約者のレティーナの目の前でこんな情事を披露するなど、常軌を逸している。
それが、レティーナの求める事だとしても、受け入れるのはオスカーの男としての矜持に反する。
しかし、レベッカを買ったのはオスカーではない。オスカーの婚約者であるレティーナが、今晩オスカーと男装の麗人に扮したレティーナの夜の相手として買ったわけで、今夜の主導権はレティーナにある。
だからオスカーがレベッカに止めるよう言っても、レベッカは止めない。
そんなはず無い。そんな……こんな、娼婦に触られた位で……。
オスカーの理性とは裏腹に、体は行為に対して生理反応をみせ、『うぁっ…』と、オスカーの小さな呻き声が上がれば、レベッカの唇も愉しげに弧を描き『ふふふっ……』と、笑った。
こんな姿を、人に見られている。
それも婚約者に。彼女が望んだこととは言え、一週間もしないうちに解消される婚約だとしても、これはどうなんだ!?
堪らず視線を窓辺に移す。
窓の側に置かれた椅子には、一人の人物が足を組み座り、こちらを静観する視線を向けてくる。
部屋を灯すランプの灯りに照らされ、暗闇の中に金茶色の瞳が反射した。
その瞳からは何の感情も読み取れ無い。そこに宿るのは、怒りでも憎しみでもない、ただ見ているのだ。オスカーはその視線にゾクリと戦慄に似た悪寒を走らせた。
その間もレベッカによる行為に至る前戯は続けられる。手のみのそれから始められたそれは熱の籠った軟らかな舌まで繰り出されていた。レベッカの指一つの動きから舌遣い、その刺激に変化するオスカーの表情の変化の様を、一つ一つを無感情な監視の視線が向けられているのだ。
(……クソッ!何だって、こんな事……。レティーナ、いったい何を考えているんだよ!?)
好きでもない女に奉仕されている。それも最後までなんて……しかもその場面を婚約者に見られてる。
「……こんな事、出来るわけない!!これ以上は、止めてくれっ!!」
オスカーの理性が、全霊をかけて叫んでいた。
「駄目よ。続けて」
レティーナが酷薄に告げる。
「な…なぁ、もう良いだろ?勘弁してくれよ……」
「駄目よ。最後までして」
情けない声のオスカーに、再び暗闇の中からピシャリと言い切るのはレティーナ。
一分の譲歩も許しはしない。そんな口調で言い切られ、オスカーは目を丸くするだけ。
「お…おいっ!本気で言っているのか!?」
「本気よ。じゃなきゃ貴方、分からないでしょ?そっちの……経験者と未経験者の違いが。今後、愛する
暗闇に響く侮蔑の籠ったレティーナの言葉に、オスカーはこの日何度目かの動揺をした。
「ど…どう言う意味だ!?」
その間にも、レベッカの手は動き、オスカーの肌着を捲り、まだ厚みの薄い引き締まった胸板をなぞるように指先を這わせる。
唇はオスカーの耳元に寄せられ、耳朶を軽く食み、息を吹き掛けるように、そして舌をその縁にそって這わせた。
ゾワリと肌の粟立つ感覚がオスカーを襲い、えも言えぬ高揚感が湧き起こる。体の芯が燃え上がるような感覚と熱が下半身へと集まる感覚に戸惑う。
(ウソだろ……こんな……)
「余所見しないで、こっちに集中するのよ坊や」
レティーナの様子と、レベッカの手付きと舌遣いに翻弄され、意思とは裏腹に体が反応してしまう。オスカーの意思とは異なる事態に、視線を天井に彷徨わせるしかない。そんな初なオスカーの様子にレベッカはまた、クスリと内心で嗤いを洩らした。
(可愛そうに、坊や。今夜の事が
これは、レティーナの浮気を働いた(働き掛けた)婚約者に対してのお仕置なのだとレベッカは、悟った。
しかも、その浮気相手は相当奔放な性癖の主らしく、既に幾人かとの経験を持っている……そんな所なのだろう。
『自分だけ』と思っていた相手が、まさか他にも相手が居るとは思っていなかったオスカーにしたら寝耳に水。
……だけど、ここまでの事をオスカーにさせて、含みを持たせた言葉を投げ掛けているのだ。それなりに効果は期待しているのかもしれない。
何にせよ、他人の色恋事に首を突っ込むのはよそうと、レベッカは目の前の仕事に集中した。
娼婦として働き出して七年。培った手技と舌技を尽くして、目の前の初な青年の男性器を口に含んだ。
「あああっ…………」
オスカーの矯声が室内に響いた。
見られている。
それが、こんなにも緊張をもたらすとはレベッカ自身も考えてもいなかった。
普通、仕事でも私的行為でも男との相手は、一対一が基本。複数相手などしたことは無いし、まして今回のように同性に見られているなんて。しかもそれが公認の上で見られているのだ。
私の一挙一道を余すところ無く、鋭く光る金色の目が追いかける。表情の伺えない暗闇の中、感情の読めない金色の目が私の目を、彼に触れる手を、私と彼の絡まる舌の動きを、まるで檻にでも入れた動物を観察する如く見ているのだ。
気持ちの良さに喘ぐ顔も、
見られている。
たったそれだけなのに、何なのこの感じは!?…………恥ずかしい!!
仕事としてしているだけなのに、こんな声を上げて、この声を他人に聞かれているの?
この顔を見られているの?
チラと、堪らず依頼主……ベットの上でまぐわる相手の男の婚約者に向ける。鞭でも持たせたなら物凄く似合いそうな、冷徹とも言えるその居姿に、本物の男とは違う魅力を感じてしまう。
表情を変えなかった金茶色の目と、視線がぶつかった。その瞬間、うっそりと細まる金の瞳を見た。
(あああ……。彼女は、私を見ているんだわ……)
そう思った瞬間、カッと体の芯に熱を持つのが分かった。
見られている。見られている中でしている。彼女は、私が彼とまぐわる事を望んでいる。その姿を見たいと望んでいるんだわ!!
そう認めると、常よりも気持ちいいのだと認識してしまい、何時もより相手の感触を敏感に感じてしまった。
凄い……。娼婦って、こんな事もするのか……?
まさか、アレを口にするとは……それが、あんなに気持ちいいのだとは……。
…………あ、いや、そうじゃなくてだな。
ヤッてしまった…………。
そして、見られてた。全部……。
レテナィーナに。
途中から性的な本能に抗え無くなったオスカーは、積極的にレベッカの中を突いていた。
レテナィーナが居るのは分かっていた。分かっていても、出したい衝動が、欲求がしまいには止められなくなっていた。
隣では、ついの今まで体を繋げていた相手、レベッカが体をヒクヒクさせて横になっている。
下半身は、白い掛布で隠した状態でベットに座り、頭を抱えんばかりに下げて落ち込むオスカー。
頭の上には、『ずうぅぅーーん…』と言う吹き出しでも出ていそうだ。
愛が無くては、閨の行為など出来るわけがないと思っていたのに、少しの刺激で簡単に性器は勃つし、口に含まれると言う刺激の後はただ出したいという欲求に逆らえなかった。
見も知らぬ、今日初めて出会った商売女を相手にデキてしまった。
ヤってしまった。それが悔しく、情けなく、そして婚約者に見られていると言う中にも関わらず最後までしてしまった己が不甲斐なく情けない。
行為の最中、金色の目が俺を見ていた。
何の温度も感じない、ただ見ているその目が脳裏に強く焼き付いて離れない。
目を閉じてもその目が見ているようで、婚約関係にある相手が望んだとは言え、そんな姿を見せてしまったと言う罪悪感が湧いた。それとは別に、あの金茶色の目に見られていると、狼等の肉食獣に追い立てられたウサギにでもなった気分になる。
これで、俺が女なら『もうお嫁にいけない!!』って、気分だった。
「坊や、ちょっと良いかしら?」
「何ですか?」
店を出る直前、レベッカはレテナィーナについて同じ女の視点から感じたことをオスカーに教えてあげようと思った。
「あのね、あの娘……何だけれど……」
「レテナィーナが何か?」
「坊やはまだ若いから分からないだろうけどね。世の中には、決して怒らせてはならない人種ってのが存在するのよ。だから、貴方気を付けなさいね?」
レベッカは、この哀れな年若い青年に同情した。自業自得とはいえ、
そしてこれ以上、人生の躓きを経験して欲しくはない……と、仕事とはいえ奪った責任として、良心からの忠告だった。
「………それは、レテナィーナがそうだと言うことですか?」
「たぶん、ね。……何があったかは聞かないけれど、仲直り出来るのなら早く謝って機嫌を直してもらった方がいいわよ」
ああいう目をする人種と言うのは、一度排斥した人間に対して容赦ない所がある。
懐に入れているうちは寛大だが、一度拒絶すれば、徹底する質だ。
もしかしたらある日突然『ブスリ』何て事も有るだろう。
何をしてオスカーがレテナィーナを怒らせたのかは知らないけれど、謝って許してもらえるなら早い方が良い。
仕事とはいえ知り合った、肌を重ねた相手が、明日物言わぬ冷たい骸になった何て聞きたくない。
それこそ寝覚めが悪いと言うものだ。
「忠告……有り難う。たぶん手遅れだけど、もう一度謝ってみるよ」
オスカーは、力無い言葉でレベッカに答えた。
「随分と遅い帰りだったな」
寮の門を門限ギリギリで潜り、階段を上がりきった所で、蜂蜜色の金髪と澄んだ翠の瞳の青年に声を掛けられた。
「ランティス王子……。その…レティーナと……出掛けていたので」
「顔色が悪いな。それで、そんなに疲れているのか?」
ランティスもオスカーとレティーナが最近疎遠なのは知っていた。だから、午後二人で出掛けると聞いて、何事も無く終われば良いと思っていたのだが、帰ってきたオスカーの表情は落ち込んでやや憔悴しているようにも見えた。
約、半年振りになる婚約者との外出。平穏に終わるはずもなく、何か有ったのは分かったが。
どう答えるべきか、オスカーは残り少ない思考回路をフル動員させていた。
まさか、婚約者の放つ威圧に屈して娼館に行き、彼女の目の前で行為に及んできた……等とは口が裂けても言えるものではない。
「ちょっと、ここ最近色々と有って……。ですが、殿下が気に掛けるような事は……有りませんから」
そう言われても、顔色が悪い。気にするなと言う方が無理な話で、オスカーに近付いたランティスは、彼から漂う匂いに顔を顰めた。
(香水の匂い……女物か?図気分と濃いし、令嬢が着けるには華やかさに掛ける)
移り香でこんなにも匂うと言うことは、それだけ肌との接触があったと言うことを物語る。
オスカーと出掛けたのは婚約者のレティーナ・シュタイン子爵令嬢。
しかしこう言った香りは彼女は着けない。と、なればオスカーに香りを移した女は別に居る。けれど、今日オスカーが出掛けたのはレティーナ嬢に会うため……。
「まさか、レティーナ嬢と一線を超えたのか?」
「そんなことはしません!彼女とは、何もありませんから……」
答えたオスカーは気まずそうな顔付きで、「部屋に戻ります」と、言い残し背を向けた。
(駄目だ!さっぱりわからん!!)
ランティスは、部屋へと帰るオスカーの背を眺めながら、この謎を解明すべきか悩み出していた。
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