珠算部の全国優勝を目指す話

名苗瑞輝

珠算部の全国優勝を目指す話

 俺はこの春、商業学校の商業科に通い始めた。

 非常に面倒くさい話なのだが、どうやらこの学校は部活への参加が絶対らしい。

 しかし部活紹介を見ても、なんだかどれもピンとこなかった。

 入部届の提出期限が迫っている。どうしたものかと改めて部活動一覧を目にしていると、ある部活の名前が目に付いた。


『珠算部』


 小学生の頃、俺はソロバンを習っていた。今はやっていないが、もう一度やってみるのも面白そうだと感じた。

 しかしふと気づく。部活紹介の時、珠算部は紹介されていなかったはずではと。

 疑問に感じつつ、見学でもしてみようかと担任に活動場所を尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。


「今は部員がいないから、実質廃部みたいなものだぞ」


 人が居ないのでは活動も出来ない。となると、この部に入る意義はないだろう。……普通は、だ。

 正直なところ、俺は人と接するのがあまり好きでは無い。今だって、先生にきに行くのを少し躊躇ためらったくらいにはコミュ障である。

 つまり、この部に入れば誰かと接することもないし、一人なら自由に活動できる。実質の帰宅部にだってできるわけだ。

 そう考えて俺は珠算部への入部届を出した。


「夏と秋に競技会があるんだが」

「競技会!? そんなのあるんですか?」


 てっきりただソロバンをはじくだけの部活だと思っていたのだが、競技会があると聞いて驚いた。

 この学校には他に簿記部、ワープロ部、コンピュータ部があるのだが、そういった商業科目の名前を冠した部活はどれも夏に全国大会、秋に地区大会があるらしい。コンピュータ部なんかは近年は全国大会優勝しているとも聞いた。


「まあどっちも、県予選に勝たないと先に進めないんだけどな」

「県大会……」


 やっていることは地味でも、その構図はまるで運動部のようだった。

 実際、全国で優勝するコンピュータ部は毎日遅くまで勉強しているらしい。授業後も勉強するとはこれいかに。

 しかし、なんだか途端にやる気が出てきた。全国大会、面白そうじゃないか。


「ただな、問題が一つある」

「なんですか?」

「基本は団体戦で、三人は必要なんだ」


 一人しかいない時点で、俺の目標は一瞬にして潰えた。

 ……かに思えたのだが、先生は「だが」と続けた。


「全国に行けるのは県予選で優勝した1校と、それを除いた個人の上位入賞2名なんだ。つまり、団体としての出場は無理でも、個人での出場は目指せる」

「おおっ」


 これは面白くなってきた。

 ソロバンに関してはブランクはあれど段位は取得している。団体優勝であぐらを掻いている奴らを個人で抜き去るなんて未来を想像すると、なかなか気分がよさそうだ。


「俺やります!」

「そうか。ちなみに珠算か電卓があるんだが」

「もちろん珠算で!」


 電卓を叩いて何が面白いのか。だったら俺はソロバンをはじきたいのだ。


 * * *


 とまあ、そうやって意気揚々と初めて見たのだが、俺は早速壁にぶち当たった。


 まず過去の大会問題をやってみたのだが、なかなか厳しいと感じたのだ。

 乗算や見取り算はいい。問題は応用問題。金利や減価償却といったものの計算だ。

 正直、小学生の俺にはさっぱりなところもあって、それは今も同じだ。商業高校だけあって、いずれ授業ではやるのだろうが、入学したばかりの今ではまだまだこれからの話である。


 そしてもう一つの問題。基準点が存在しないということ。

 検定なんかは『合格点』というものがあって、少なくともそこに達していればいいわけだ。

 しかし大会は違う。優勝するには誰よりも高い点数を取らなければいけない。

 しかも俺は一人である。他に部員がいれば自分の実力の程を知ることが出来るのだろうが、自分の点数が高いのか低いのかを比べることもできないのだ。


 だが俺は孤独に努力を続け、県予選の日がやってきた。

 しかしその結果は惨敗だった。当然だ。だってまだ入部して2ヶ月なのだから。


* * *


 それから一年ほどが経った。

 俺は二年生になって、新入生もやってきたが、この部活に新入部員はいなかった。未だ俺一人のままである。

 だが俺は努力を続けてきた。部活はもちろん、家でも勉強し、授業中も周りが電卓を叩く中、俺は一人ソロバンを弾いていた。


 こうして迎えた二度目の県予選で、俺は個人成績6位となった。

 俺より上に居るのは全員が団体優勝した高校の生徒。つまり、俺は全国大会への切符を手にしたのである。

 意外にもあっけなく全国大会へ行けてしまった。それがこの県予選で感じたことであった。


 だがその全国大会で俺は衝撃を受けた。

 考えてもみれば当然の話ではあるのだが、県で6位。都道府県は47あるのだから、単純計算しておれは282位なのだ。

 当然のように個人表彰にかすりもせず、俺の全国大会は終わった。


 しかも追い打ちをかけたのが地区大会だった。ここでも個人成績によって地区大会に進むことが出来たのだが、そもそも地区レベルでも個人入賞することができなかったのである。


* * *


 三年目も一人だった。全国大会に出たという実績をもってしても新入部員はゼロである。

 もちろんその理由は俺にある。ここまで来たら意地でも一人でやり遂げたかったから、部員の募集をしなかったのである。その時間を使って俺はさらに研鑽を重ねていった。


 三度目の夏の県予選。

 後から知ったことなのだが、前回6位だったとき、俺より上に同じ学年の奴が二人も居たらしい。それどころか、そのうち一人が個人優勝であった。

 そいつは全国大会でも17位という記録を残していると聞いた。俺にとって、越えなければいけない最初の壁である。


 競技を終え、結果発表となる。団体成績から先に発表され、やはり昨年と同じ学校が優勝した。

 次に個人順位。下位から名前が呼ばれていく。まだ呼ばれるなと願い続けているうちに、3位までの名前が呼ばれた。俺はまだ呼ばれていない。

 そして。


「準優勝──」


 呼ばれたのはあいつの名前だった。そのときに見せた呆気にとられた顔がとても印象に残った。

 しかし、まだ俺が優勝だとは限らない。次は名前を呼んでくれと、さっきとは逆の願いを込めた。

 その願いが届いた……わけではない。俺の努力の結果として、俺の名前が呼ばれた。

 俺は歓喜した。歓喜したが、ここまで来てようやく気がついたのだ。


 この気持ちを共有する仲間が居ない。


* * *


 やがて迎えた全国大会。

 開会式が始まるまでの喧騒の中で、俺の前に座っていたやつがこちらを振り向いた。


「おい」


 そいつは県予選で2位になったあいつだった。


「今回は負けないからな」


 彼はそう言った。俺が一人でライバル視していただけだったはずが、いつの間にか互いに意識し合う存在となっていた。

 だから俺はこう言ってやった。


「俺はここに居る全員に勝つつもりだ」


 とまあ、そんな風に大見得を切ったわけなのだが、感触は最悪だった。

 自信を喪失したまま迎えた結果発表。

 自分には関係ないと聞き流していた団体の発表だったが、なんと優勝したのはうちの県の代表校。つまり、あいつの学校だった。

 こうなると、あいつが個人でも上位に居ると考えていいだろう。既に勝ち誇ったような表情を俺に見せている。


 そして個人順位が発表されていく。十位未満の発表の中に俺の名前はなかった。

 十位から一人ずつ名前が呼ばれていく。五位くらいになると、殆どあいつの学校の名前ばかりだった。


「三位──」


 ここであいつの名前が呼ばれた。ここで俺は勝利を確信した。

 その確信は正しくはあったが、しかし望んだ形ではなかった。


「準優勝──」


 俺の名前が呼ばれた。優勝することは叶わなかった。

 優勝したのは、団体準優勝だった学校の生徒だった。あと一歩というところで及ばず、俺の最後の全国大会は終わった。


* * *


 時は流れ、俺は大学に進学した。

 入学式のとき、トイレに行こうとしたところで声をかけられた。


「お前同じ大学かよ」


 そこにいたのは、去年俺と競ったあいつだった。


「俺と一緒に珠算研行かないか?」


 彼は俺にそう提案してきた。

 知らずに入学したのだが、どうやらこの学校にもそう言うものがあるらしい。


 今まで俺は一人で切磋してきた。だからこそここまで来れたのかもしれない。

 けれど。

 実力の近いライバル。そんな奴が近くに居れば、もっと高いところに行ける。そんな気がした。

 だから俺はそいつの誘いを受け入れた。


 こうして俺のソロ活動は終わりを告げた。

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