尊い無銭飲食はありえるのか

水円 岳

 スマホでニュースの社会面をたらっとブラウズしているうちに、暗澹たる気分になった。


「尊い、の大判振る舞いだよなあ」


 確かに、尊いと呼ばれるのにふさわしい行為、行動があることは認めるよ。

 例えば、自らの心身をすり減らして重病患者さんと向き合っているお医者さんや看護師さんの献身には、ただただ感謝しかない。それは紛れもなく尊い行為だ。だが。彼らは尊いと呼ばれたいがために職務を遂行しているわけではないだろう。第三者が尊いという概念を一方的に押し付けているように思う。


 自制というのもそうで、己の行動を自ら律するのは当然のことであり、それは尊くもなんともない。だが自制できないやつが有象無象に増えてしまったせいで、自制するのが尊い行為であるかように喧伝されてしまった。

 ちょっと待て! そら、おかしかないか? 常人には到底適わない高貴な行為を行えるからこそ尊いのであって、できて当たり前のことを尊いとは呼ばんだろう!


 そんな風に尊いという概念の叩き売り状態が続くと、実は何が尊いのかよくわからなくなってくる。世の中、どんどんわかりにくくなるよなあ。飯でも食って憂さ晴らししよう。


 飯くらいのんびり食わしてくれと言いたいところだが、このご時世だ。早くに店じまいしてしまうところが多くて難儀する。それに、不味いから客が来ないのかこういうご時世だから客が減ってるのかも見分けにくくなってる。どうしても行きつけの店ばかりになってしまうのは致し方ない。


「珍さんとこで、ニラレバ定食でも食うか」


◇ ◇ ◇


 ところがどっこい。行きつけの中華屋に行ってみたら、これまで閑散としていた店の周囲がどえらいことになっていた。

 突如客が殺到して大繁盛したのかと思いきや、そういうことではなさそうだ。黒山の人だかりは店の外だけで、店内にいるのは冴えないあんちゃん一人きり。


「あとの連中は何してるんだ?」


 店に入れなくてじりじりしているという感じではなく、外から店の中を興味深く眺めている風。スマホをかざして写真を撮ったり、実況中継っぽいことをやってるやつまでいる。見物客? 何を見るっていうんだ? 意味がわからんが、こちとら腹が減っている。人垣を押し分けて店に入った。取り囲んでいる連中の視線が一斉に尖って、俺に容赦無く突き刺さる。気に食わん。銭も払ってないくせに偉そうにするんじゃない!


 店に入って席につこうと思ったものの、異様な雰囲気に思わず足が止まった。珍さんが客の若い男と睨み合っている。


「おいおい、珍さん。どうしたんだ。そいつ、客か?」


 馴染みの俺を見ようともせず、珍さんがずばっと言い放った。


「次は乞食鷄だ!」

「百十二品目だな」

「ああ!」

「楽勝だ」


 若い男はイケメンでもブサメンでもない。道を歩けばそこら中歩いていそうな、どこにでもいる学生風。特におしゃれという感じではなく、とっぽいあんちゃんだ。


 さっと厨房に引っ込んだ珍さんが、香ばしい匂いを漂わせた鶏の丸焼きをでかい皿に乗せて男の前に出した。


「ふん」


 それを一瞥した男は、あっという間に鶏一羽を残らず食い尽くした。


「まあまあだな」

「くっ……」


 青ざめた珍さんが、がっくり肩を落として敗北を宣言した。


「今のがラストメニュー。おしまいだ」

「口程もない」


 そうか。この男、珍さんの店のメニューにあるものを片っ端から注文して食ってたんだろう。一時ゆーちゅで流行っていたメニュー全制覇というやつか。

 だが、どんなに珍さんの店が良心的だと言っても、全メニューを制覇すると代金が楽々十万越すぜ? この男、そんなに金持ちなのか?


「なあ、珍さん。どうなってんだ?」


 やっと俺に気づいた珍さんが、しぶぅい顔をして振り向いた。


「こいつ、無銭飲食のプロなんだよ」

「なんだってえっ? 食い逃げ野郎かっ!」


 だが、男は逃げる素振りなどこれっぽっちも見せない。踏ん反り返ったまま食後の茶をすすっている。太え野郎だ!


「警察呼ぼうか?」

「いや」


 珍さんの渋い顔が、なお一層渋くなった。


「こいつ、俺はおまえらにとって尊い存在だって言いやがる」

「食い逃げの分際で、何を」

「逃げてるか?」


 のほんとしていた男が、急に態度を硬化させた。


「何も知らないくせして、偉そうな口利くんじゃねえよ」

「金ぇ払わないでタダ飯食らえば、ハンザイじゃないか。何が尊いだ。泥棒野郎が!」

「金は払われるよ。俺が払わないだけだ」

「は?」


 何が何だかわからない。うろたえていたら、外で俺たちの様子を見ていた連中の一人が、千円札の分厚い束を持って店に入ってきた。


「これで足りるっすか?」


 十枚以上に及ぶ注文品の代金を計算した珍さんは、それを男に見せ、その金額分の千円札を数え取ると、残りの札を端数のお釣りとともに男に渡した。


「ど、どういうことだ?」

「あのな、おっさん」


 男が、のっそり立ち上がって俺の真ん前に立った。鬼面のような表情に気圧されて、思わず後ずさる。


「あんた、何が尊いか言えるか?」

「は?」

「人の役に立つだけじゃ尊いって言えないんだよ。俺に言わせりゃ、自分が生きてる、生きてくってことが 他の何より尊いんだ」

「……」

「いいか? 俺は腹一杯食って生きてく。店は注文をがばがば取って生き延びる。どっちも尊いだろ?」


◇ ◇ ◇


 あの男も取り巻きの連中も去って。店には俺と珍さんだけが残った。


「あいつらなんなんだよ、いったい」


 俺がぼやいたら、珍さんも負けじとぼやいた。


「確かにありがたいよ。今月は特にピンチで、休業協力金だけじゃしのげなかったからな」

「は?」

「あいつら、賭けをしてるんだよ。店にいた若い男は場末の芸人だ。食うや食わずで思いつめてた時に、無銭飲食芸を思いついたらしい」

「あれが、芸だあ? 芸が聞いてあきれるわ。ただひたすらに食うだけじゃないか」

「違う」


 珍さんが、ぐいっと腕を組む。


「俺も最初は芸なんかじゃないと思ってたさ。だが、あれは賭けの条件がはんぱない」

「??」

「店のメニューを全制覇できなかったところで、あいつの自腹になるんだよ。飲食代金を支払うだけじゃなく、あいつの負けに賭けてる連中にオッズに応じて賭け金を払わんとならん」

「げ……」

「負けた連中は千円の損で済む。だが、あいつが食い切れずに残した時点で、残したメニューの品数をかけた賭け金が支払われるんだとさ」

「ぐげげげげげっ!」

「命懸けの芸だよ。ただ……」

「うん?」

「尊くはねえよなあ。少なくとも、俺にとっては。双方ウインウインと言っても、いつも目の前に爆弾置かれてるような気分だ。とても偉業を讃えようとは思えん」


 最後の一品。骨だけになった鶏をじっと見つめていた珍さんが、はあっと大きな溜息をついた。


「食って生き延びることが尊いなら、食い過ぎでくたばるのはどうなんだよ。そらあ矛盾してねえか?」


 そのあと、珍さんがどうにもすっきりしないという顔で厨房に戻ろうとしたから、慌てて呼び止める。考え事ができんくらい腹が減った。


「ああ、珍さん。レバニラ定食」

「悪い。今日はあいつ対応で冷蔵庫がもうすっからかんなんだ。キムコしか残ってない。食うか?」

「食えるかあっ!」


 あいつの気持ちが骨の髄までわかったものの、どうにも腹の虫が収まらん。尊いなんてもんは煮ても焼いても食えやしない。くそったれえっ!



【 了 】

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尊い無銭飲食はありえるのか 水円 岳 @mizomer

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