魔女のお姉様は今日も妖しげに微笑む
乙島紅
魔女のお姉様は今日も妖しげに微笑む
僕たちの村のはずれには魔女が住んでいる。
魔女、といってもおとぎ話に出てくるような鉤鼻のおばあさんではないし、大層な魔法を使っているところも見たことがない。彼女は薬を作ったり簡単なまじないをしたり――例えば嫌いな相手がタンスの隅に足をぶつけるようにする呪文とか――を
それでも彼女は「魔女」と呼ばれ、村の人たちからどこか敬遠されている。子どもの頃はその理由がよく分からなかったけど、今なら少し分かる気がする。
鬱蒼とした木々に囲まれた小道を抜けて、ツタの生えた木の扉に立つ。すると家の主はまるでそこに来ることを知っていたかのように、ノックをする前にすうっと扉を開けた。
漂ってくる甘い匂い。ほんの僅かに開いた隙間からそっと顔を出すのは黒いローブに身を包んだ妙齢の女性。地にまで着きそうな長い空色の髪が絹糸のように彼女の肩からこぼれ落ちる。何を考えているのか分からない灰色の瞳が僕の顔をじっと覗き込んだ後、やがてふわりと柔和な笑みを浮かべる。
「おはよう、カインくん。今日も配達お疲れさま」
ああ、ほら。やっぱりこれだ。
この圧倒的な美しさ。
彼女は僕が生まれてから会ってきたどんな女性よりも美しく、何度見ても目を奪われてしまう整った容姿をしていた。まさしく魔性の美である。
しかも、彼女は少女と大人の狭間のような若々しさを保っている。僕が物心ついた頃から十数年間、ずっとだ。それどころか、村の長老さえも「あの魔女はわしが子どもの頃から見た目が変わらん」と言っていたのを聞いたことがある。
「どうしたの? ぼうっとしちゃって」
彼女は口元を隠すようにくすくすと笑った。黒いローブから露わになる白い腕がまた可愛らしい。
「お、おはようございます、リリベルさん。あの、今日もヤギのミルクを持ってきました」
「うん、知ってる。いつも通りそこに置いておいて」
そうして彼女はごそごそとローブの右側のポケットを漁り、代金の銀貨を取り出す。それからハッと思いついたような表情を浮かべると、左側のポケットからキャンディーを取り出して、銀貨とともに僕に向かって差し出した。
「はい、お駄賃。キャンディーはおまけ。ブドウ味好きでしょう?」
「もう、いつまでも子ども扱いしないでくださいよ。僕、今年で十五ですよ」
僕は少しだけ拗ねた。
彼女は知らないかもしれないが、僕はもう嫌いだった人参を克服したし、女の子はいじめる対象じゃなくて守りたい相手に変わったし、毎朝立派にヒゲも生えてくる。
それでも彼女はおかしそうにくすくす笑って、幼い子どもにするように、自分より背の高い僕の頭を撫でた。
「ふふ、かわいい。私にとってはいつまでも坊やなのに」
「坊やなんかじゃ、ない」
僕はむっとして、運んできたヤギのミルクが並々入った瓶を持ち上げてみせた。どうだ。もう大人の男と同じくらい力はあるんだ。
「たまには中まで運びますよ。一人じゃ大変でしょう」
まぁありがとう、力持ちなのね、助かるわ。
……そんな言葉を期待していたのに、彼女はふるふると首を横に振って、立ちはだかるように玄関扉の側から離れようとしなかった。
「だめ。魔女の家の中に気楽に入ってはいけないわ」
「どうしてですか」
食い下がると、彼女は妖しげな笑みをたたえて囁いた。
「もう二度と、戻れなくなるかもしれないから」
人間離れした表情に、ぞくりと鳥肌が立つのを感じた。恐ろしかった。彼女の吸い込まれるような魅力に、やっぱり本物の魔女なのかもしれないと思った。だが、だからこそ余計に好奇心がむくむくと膨れ上がる。彼女の家になら取り込まれてしまってもいいとすら思えてしまう。もうすでに魔法にかけられてしまっているのかもしれない。
目が覚めたのは、家の中からシューッと何かが吹きこぼれる音がしたからだった。
「あら、いけない。薬を煮込んでいたのに、火を消し忘れていたわ」
彼女はそう言って僕の上着のポケットに銀貨とキャンディーを差し込むと、ひらひらと手を振った。
「またね、カインくん。明日もよろしく」
それからバタン、と。木の扉は閉ざされ、中で錠をかける音がした。
僕は仕方なくミルク瓶をいつもの場所に置き直し、元来た道を引き返す。
道中、リリベルさんとのほんの短いやりとりが何度も頭の中で蘇った。今日もまったく男として見てもらえなかった。進まない関係に虚しくなるも、「明日もよろしく」という言葉についつい乗せられてしまう。
大丈夫、嫌われているわけではないんだから。
もっともっと男らしさを磨いて、いつか彼女を振り向かせて見せる。
よし、そうと決まれば村まで走り込みだ。
うおおおおおおおおおおおお!
僕は雄叫びをあげて全力疾走を開始した。
……まさかその姿を想い人に見られているとも気付かずに。
***
近隣の村にはとっても可愛い男の子が住んでいる。
そんなことを言ったら本人は顔を真っ赤にして拗ねるだろうけど(そんなところもまた可愛い)、彼が産声を上げた時から知っている私からしてみればいつまでも可愛い男の子なのである。
彼はヤギ農家の息子で、毎日重たいミルク瓶を村から外れた私の家まで運んできてくれる。
最初は彼のお父さんの仕事だったけど、いつしか彼のお父さんが私に見惚れていることに気づいた奥さんと交代した。それからしばらくは奥さんと息子で一緒に来ていたけど、やがて大きくなって彼一人の仕事になった。
天使のようだった高い声は少しずつ落ち着いた低音へと変わり、幼いころはもちもちしていた体型もだんだんと骨ばった筋肉質へと変わってきた。
でも、まだまだ精神は子ども。
私がちょっと微笑みかけるだけでどきまぎしちゃって、ついつい悪戯したくなってしまう。
サービスで素肌をちらっと見せてみたり、わざと子ども扱いしてみたり。いちいちウブな反応をしてくれるから、毎日毎日飽きることはない。
……そうそう、ミルク瓶を家の中に運ぶと言ってくれたこと、本当は嬉しかったのよ?
瓶を持ち上げる時に袖をまくった腕にちょっと血管浮き出ていたりして、あらやだたくましいわって舐めてしまいたくなったくらい。
でも、家の中はだめ。
だって……私がカインくんに夢中だってことがばれてしまうんだもの。
壁一面に貼った彼の似顔絵(乳児期から少年期まで)、本棚に入りきらなくなって床にも積んである彼の観察日記+可愛らしさを言葉にしたためたポエム、それから彼がたまに落としていったもののコレクションの瓶詰め(髪の毛とか服のボタンとか食べ終わった後のキャンディーの包み紙とかエトセトラ)……こんなものがずらっと陳列されているのを見たら、思春期のか弱い精神がズタズタになって、元の関係に戻れなくなってしまうじゃない!
あくまで大人のお姉さんらしく、じっくり見守りながら愛を育んでいくの。きっといつか彼は大人になって、年をとらない私ではなく別の素敵な女性の方を見るようになってしまうかもしれないけれど、それならそれでも構わない。彼の幸せな姿を見られるなら、どんな形であれ私も幸せになれるから。
……でも、もしも彼が私にずっと憧れ続けてくれるなら。
その時はこの鍋に入っている薬を飲ませてあげる。そうして永遠にお姉さんと少年のまま、一緒にいられるといいな。……うふふふふ。
***
結論:おねショタは尊い。
〈おわり〉
魔女のお姉様は今日も妖しげに微笑む 乙島紅 @himawa_ri_e
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