第10話 空に舞うあなたへ

 いつの頃からある噂が流れていた。それは何もない所にふと誰のかもわからぬラジオが現れ、そのラジオから奇妙な実況が流れるという。


 酔っ払いの男が夜道を歩いている。千鳥足になりながら彼が家に帰ろうと歩いているところ、


「おっと」


 何かが足に当たり、男はバランスを崩して倒れ込んでしまった。


「なんだあ」


 男は何が脚にぶつかったのかと思い、見ると道のど真ん中に黒いラジオが置かれていた。


「なんで、こんなところにラジオが?」


 男がそう思っているとラジオから、


「皆さんこんばんは、今日もお元気に過ごされているでしょうか。さあ、今宵も夜空には多くの星々が光り輝いています」


 起動させた覚えもないというにも関わらず、音が流れ出した。男は奇妙なものを見るようにしながら近づく中、ラジオは続ける。


「〇〇町の市川商事の屋上に35歳の男性が立っております」


 酔っ払いの男はその言葉を聞いて自分の働いている会社ではないかと思った。


「何をしようとされているのでしょうか。おやおや男性の方、靴を脱ぎまして、一緒に何か封筒のようなものと並べておきました。几帳面な方なのでしょうか。とても綺麗に並べております」


 ラジオは屋上の男の行動をまるで実況しているかのように伝えていく。


「さあ男性は屋上のフェンスを上っていきます。少し太っているためか登るのに苦労しているようです。それにしても髭の剃り残しが目立ちますねぇ。シャツもヨレヨレですし、ネクタイもヨレヨレですねぇ」


 屋上の男性の奇妙な行動を他所にラジオは男性の不摂生な部分を話しているが、それはどうでも良いことなのではないか。それよりも重要なことがある。


(屋上のフェンスを上って何を……まさか……)


「男性はフェンスを上った後、屋上の端ギリギリの場所に降り立ちました。男性は下を見て、息を吞んでおります。緊張しているのでしょうか?」


(おいおい、何をのんきなことを言っているんだ)


「男性は次は空を見上げます。今日は実に月も星も綺麗な夜空ですねぇ」


 状況に対し、ラジオは何も変わることなく現在の状況を伝えていくのみである。


「男性、一呼吸置いて目を閉じた後に、さあジャンプぅ」


(まじか)


「月と星々の輝きを背に男性は夜空に舞うかのようなジャンプ、男性の体はくるりと周り、下へと向かっていきます」


 ラジオは落ちていく男性の様子を実況するかのように述べていく。


「こ、これはけ、警察に連絡……」


 だが、これはラジオから流れている内容である。本当にこんなことがあるというのか。警察に連絡した後に何もありませんでしたではすまされない。


「グングンと男性の体は落ちていきます。男性は目を開け、その顔は恐怖が浮かんでいるようです。それでも彼は飛んだのでしょう。それほどに飛びたい思いがあったのでしょうか」


 ラジオはそんな酔っ払い男性の思いとは裏腹に淡々と述べていく。


「さあ、男性の飛び込みも終わりを迎えようとしています。道路に向かって男性の体が、今、激突しようと……おおっとここで車が落下箇所に向かっていくぞお、これはどうなるのかぁ」


 まるで激しいスポーツの勝負を実況しているかのようなハイテンションな実況が行われていく。


「男性の体が走っている車に激突ぅ。車はコントロールを失い、近くの電柱に向かってああぶつかりました。黒い煙は出ています。これは大変なことですよぉ。周りの人々はなんだなんだと集まっていますねぇ」


 ついに恐れていた。いやそれ以上の出来事が起きた。それにも関わらず、実況は普通のことのように話している。


(いや、はは俺、酔っぱらっているのかなあ)


 そもそもただ目の前の奇妙なラジオが伝えているだけではないか。


「さあ、ここで男性に今の気持ちを聞いて見ましょう」


 その時、ラジオはまるでインタビューをするかのようなことを言い出した。


「では、今のお気持ちを聞かせてください」


 飛び込んだ男性はもう死んでいるはずである。もしまだ死んでいなくても何か言えるような状態では……


「『あ、荒川部長、ど……うですか……勇気を……だ、出して…み……みました……よ』」


 酔っ払いの男性は思わず、声を上げる。今、ここでラジオから流れた声を、彼は知っていた。そして、荒川というのは自分である。


「嘘だ。おい、あいつがこんなことできるわけが……は、はははやっぱ俺は酔っぱらっているんだな。ははは」


 荒川は笑いながら千鳥足で家に向かって歩き出した。目の前にあったラジオがいつの間にか消えていたことに気づかないままに。














「本日のニュースです」




 テレビでニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げる。




「昨日、23時に市川商事のビル屋上から佐藤義夫35歳男性が飛び込み自殺を行いました。屋上には男性の靴と遺書が残されており、その遺書には上司や会社のパワハラに関する内容が書かれていたそうです」




「本日のニュースです。今回の市川商事の会社員・佐藤義夫さんの自殺事件を受け、市川商事社長による記者会見が行われるそうです」




「本日のニュースです。本日、会社員・佐藤義夫さんの自殺事件を受け、警察は市川商事に対し、捜査が入るそうです」




「本日のニュースです。佐藤義夫さんのご家族様たちによる弁護団が結成されたそうです。佐藤義夫様のお母さまである光江様は真実をしっかりと明らかにし、息子と同じような目にある被害者を減らしたいとコメントを残されております」












 お昼のワイドショーにおいて。




「いやあ残業時間30時間もあって一切、残業代払わないって可笑しいですよねぇ。こんなことあってはならないです」




「そんなに辛い環境でいるよりはさっさと転職するべきですよねぇ。そもそも日本という国転職しやすい社会になるべきなんですよ。アメリカなんて転職することは当たり前なんですからねぇ」




「パワハラ問題は常に言われていたことなんですよ。それへの問題をいつまでも後回しにしていたからこのような事件が起こったんです。社会全体でこのことを考えて行かないといけません」




「市川商事の会見、見ましたぁ?あれ謝罪する人の会見じゃなかったですよ」










 ネットにおいて。




「いやあブラック企業ってマジクソだわ」




「いっそのこと会社爆破すれば良かったんじゃね?」




「それマジウケる」




「そもそも上司がクソだよなあ。首吊れよ」








 ある日のニュース。




「本日のニュースです。佐藤義夫さんの自殺事件の渦中にある市川商事の一室で荒川洋一56歳が首を吊っているのを発見されたそうです。遺書には今回の佐藤義夫さんの自殺事件に関して、全ての責任は自分にはあると書かれていたそうです」


















「さあ、日が落ちていく夕空が広がる中、こんにちは」


 何処からともなくある場所にラジオが現れ、声が流れ出す。


「〇〇市△高校の屋上に少女が立っております」


 今日もラジオは空に舞うあなたの姿を流す。




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 怪異奇譚 大田牛二 @sironn

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