第9話 今ならやれる

「いるな」


「いますね」


 坂上洋一警視と山本タケ刑事は天井を見ながらそう言い合った。


 天井には乱れた長い髪を持つ老婆の顔をしたものがぶら下がっていた。そして、その下の床には手足を引きちぎられている男性を遺体が転がっていた。


 この奇妙な光景に二人はどう反応していいのかわからないでいた。


 事の始まりは数日前に遡る。


 1月28日・午後8時40分。警察署に、被害者・聖澤和夫氏により、通報有り(この時点では緊急性のあるものとは思われていなかった)。


「おい、あそこになんか変なやつが……天井に……いるんだ。あいつが……おい、お前何をして……」


 そこで通話が途切れたため、担当者は迷惑電話であると判断す。


 2月1日・午後1時25分。警察署に、発見者・前田南氏より、通報有り。


「井所マンションの305号室に男の人の死体があります。速く来てください」


 午後1時40分。警官が現着。前田南氏と井所マンションの305号室の男性遺体を確認、発見する。それと共に、天井でぶら下がる存在を確認する。


 それを受け、午後2時00分。坂上洋一警視にこの事件の担当に任命され今に至る。


「天井にいるのは「天井下がり」ですよね」


 天井下がりとは江戸時代に確認された妖怪である。


「だが、人を襲ったという記録もないわけではないが、基本的には危害を加えるとはされていないはずだが……」


 元々陰陽師の家系のものである坂上は実家にあった記録を思い出しながらそう言う。


「しかし現にあいつの下に遺体があるんですよね」


 山本はそう言って遺体に近づく。


 遺体は顔は苦悶の表情が浮かべられており、手足を引きちぎられていた。そしてその手足は現場の何処にもなく、胸にはナイフのような刃物が刺さっていた。


「そもそもそれほどのことをあれができるとは思えん」


 坂上は天井下がりを睨みつける。


「取り合えず、どうなさいますか?」


「先ずはあれを天井から降ろせ」


 山本は指示を受け、部下と共に天井下がりを天井から離すため脚立などを用意するように指示を出した。


 坂上はその間、発見者・前田南氏に話を聞きにいった。


「発見時の状況を教えてください」


「はい……あの私はこの部屋の……佐々木泉さんの上司でして……」


 そう、この井所マンションの305号室の住人は今回の被害者である聖澤和夫氏ではなく、佐々木泉という女性である。


「ここ数日、無断欠勤しておりまして、電話にも出ないので元々仲が良く上司である私が見に来たのですが、インターホンを押しても反応しなくて、その……ドアノブを触ったら開いていて、中に入ってみたらあの男の死体と。あの天井の何かが……」


 前田南は体を震わせながらそう言った。


「遺体の方とは面識は?」


「ありません」


「そうですか。では、佐々木泉さんについてお聞きします」


 佐々木泉は前田南氏が務めている安藤証券に努めている27歳の女性である。勤務態度は真面目で、無断欠勤をするような女性ではないとの事。彼女を恨むような人物には覚えはないが、最近、恋人と別れたと言う話をしていたとのこと。


「お話ありがとうございます。今後もお話を伺うことがあるかもしれませんが、本日はお帰りになっても大丈夫です」


(大した情報はなかったな)


 一旦、前田南を家に帰らせてから、天井下がりの記憶処理を行わなければと考えてから山本の元に戻った。


「あ、警視」


 そこには天井下がりを引っ張っている山本の部下たちの姿があった。


「先ほどから天井から離そうとしているんですが、駄目ですね。全然、動きません」


「会話は?」


「全然、こちらの言葉に答えませんね。通じている感じもないですよ」


 天井下がりはどうやっても天井から動かないようである。コミュニケーションも取ることができない。


「取り合えず、あれはもういい。このままここの部屋を封鎖。関係者以外入らせないようにしろ」


「わかりました」


 山本が部下たちに指示を出した後、坂上は天井下がりを見る。


「お前がやったのか。それとも別の者なのか」


 天井下がりはそんな彼の子孫に対し、沈黙を保つのみであった。


 その後、坂上は部屋の住人である佐々木泉の捜索を指示した後、ある事務所に向かった。


「落ちこぼれに、タケじゃないか。何の用だ?」


 茶色のコートを纏った男は二人を見るや嫌な顔をする。この男の名前はゲッケイジュという。この探偵事務所の所長である。


「ゲッケイジュの力を借りたくてな」


「そこの落ちこぼれはそんな顔をしていないが?」


「黙れ、馬鹿」


 軽口を叩きながらゲッケイジュは二人をソファに座らせ、自身はデスクの元に向かう。


「で、何の用だよ」


「今日、殺人事件と思われる事件が行われたのだが、どうも奇妙でな」


 坂上は今回の事件のことをゲッケイジュに伝えた。


「確かに天井下がりは人を襲った記録が無いわけでは無いが、基本的には人に危害を加える妖怪では無いはずだ」


 ゲッケイジュはタバコに火をつける。


「それにそこまでの被害をもたらす力を持つとも聞かない。そもそもそいつはその現場から姿を消すどころかずっと天井にくっついているんだろ?」


「ああ、だが被害現場にいたのはそいつだけだ」


「そもそも本当にそいつがそのような被害をもたらすようなやつなら、今頃お前たちを襲っているだろう?」


 確かにあのような人の手足を引きちぎるような力があるのであれば、発見者もその後に来た警官にも襲い掛かることはできるだろう。それをやるどころか天井でじっとしている。


「だが、あれと会話することもできない」


 それでは真実を知ることはできない。


「だからここに来たってか?」


 そう言ってゲッケイジュは近くにいた猫又のハーフであるマタタビを見る。彼女は様々な動物と意思疎通を行うことができる特技を持っている。しかしながら彼女は首を振った。


「俺たちでも天井下がりとの意思疎通はできないな」


「そうか……」


「一つ気になるんだが……」


「なんだ?」


 ゲッケイジュは問いかけた。


「その部屋の住人は何処行っているんだ?」


「そうだな。どうやらこうなるとその住人が重要になるようだ」














 数日後、


「坂上警視。佐々木泉が見つかりました」


「そうか。今、行く」


 坂上は山本と共に佐々木泉がいる部屋へ向かう。


「今まで佐々木は何をしていたんだ?」


「どうもネットカフェを巡っていたようですね。しかし金銭の余裕が無くなったとして出頭してきたそうです」


「そうか……」


 やがて警官がいる部屋まで来た。


「はっ坂上警視。佐々木泉はこちらです」


 警官が敬礼した後、ドアを開ける。坂上が入ると佐々木泉が座っていた。


(普通の女だな)


 何処にもいそうな女性であった。


「佐々木泉さんだな」


「ええ、そうです」


 女性は冷静な様子で頷く。


「事件について話してもらおう」


「別に私があいつを刺し殺したというだけだけど?」


(うん?)


「そうだ。しかし、私たちとしては詳しく聞きたくてね」


 先ほどの彼女の言葉に僅かな違和感を覚えたが、坂上は彼女に質問を始めた。


「先ずはあの天井のあれについて君は知っているかな?」


「あれ?……はいはい、あれね。なんというかいつの間にかあいついたのよね。よくわからないわ。何か教えろと言われても答えられないわ」


「そうか。あなたは事件発生前から無断欠勤をしていたとのことだが、理由は何かな?」


「別に話す必要ありますか?」


「是非ともお聞きしたい」


「わかりましたよ」


 彼女はため息をつくと話し始めた。


「別に無断欠勤をしようなんて思っていなかったんですよ。ほら、ふと休みたくなることありませんか。あれを猛烈に感じたんですよ。それでだらだらしていたらいつの間にか仕事を休んでいて、でも一日休むとなんかやる気が一気に下がったんですよ。それで全く動く気が無くなってしまってね」


 彼女はそこまで言った後、少し眉を上げた。


「そう言えば、その頃から天井のあれが出てきたかしらね」


「ほう、不気味でしょうに。誰にもそのことを言わなかったのですか?」


「まあ不気味よ。でも、別に何をするでもないし。いることに慣れちゃってね」


(見たの割に肝が据わった女だな)


 そう思いながら坂上は質問を続ける。


「では、遺体の聖澤和夫さんとは面識はありますか?」


「ああ、あいつは元カレですよ。最近、別れたんですけどね。金ばっか要求してくるし、渡さないと暴力振って来るんですよ。馬鹿な男だったんで、別れたんですけど。その後もしつこくて、そうあの日もあいつがやってきたんですよ」


 彼女はそこで区切ってから話を続けた。


「あいつまた、金を要求してきて、もう彼氏じゃないと告げたら暴力を振るってきたんですよ。痛かったです。そうした後、あいつ。天井のあれを見たんですよ」


 そこで彼女は笑い始めた。


「愉快でした。天井のあいつにビビり散らしていて、大の男がだらしないですよね。ぎゃあぎゃあ喚いて、やがて警察に連絡し始めたんですよ。全く、こういうところだけは常識的というか。それでふと天井のあいつを見たんですよ。そしてこう思ったんですよ」


 彼女は笑みを深める。


「今ならやれるって」


 そう言った後、彼女はこう続けた。


「ナイフを持ってきて、あいつを刺したんですよ。痛い、痛いって泣き叫んで滑稽でしたよ。その後、そのまま私は家から出ました。その後は、ネットカフェでゆっくりしてました」


 乾いた笑い声でそう言った彼女に坂上は問いかける。


「そのまま家を出た?」


「ええ、そうよ」


「待て、聖澤の遺体は手足を引きちぎられていた。それはあなたがやったのではないと?」


「ええ、もちろん。そもそも私にそんなことできると思いますかあ?」


(確かに……ならやはりあれが……)


「そう言えば、家に鍵はかけなかったわね。だから誰でも入れたのでしょうね」


 すると彼女がそんなことを言い始めた。


「どういう意味だ?」


「だから……私が出て行った後、誰かが入ってきて天井のあいつを見た後に、こう思ったんじゃない?」


 彼女は何らの感情も込めることなくこう言った。


「今ならやれるって」









「それで結局、見つかっていないんだな」


「そうだな」


 ゲッケイジュはそう言うと坂上は頷いた。


 事件の捜索は続けられているが、今でも聖澤和夫の手足を引きちぎったものは発見されていない。上層部からは佐々木泉の逮捕で幕を閉じるように指示を出されている。


「真実を知っているであろう天井下がりはどうするんだ?」


「うちの連中であの部屋を貸し切り誰にも見られないよう監視することにする」


「そうかい。ずっとその場にいる妖怪か……やつは一体、何を見ていたんだろうな」


「ああ、そうだな」





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