琴子様は尊いが過ぎる

灰崎千尋

掃きだめに鶴

 彼女の来訪は突然だった。

 その日、我らが加戸川かどかわ市立第二中学校は四月の始業式を迎え、クラス替えに大いに沸き立っていた。春休みに溜め込んだ有り余るパワーを発散しているのか、その騒ぎようはさながら動物園のようだ。

 私、鈴木すずき麻衣子まいこはどうかと言えば、仲の良い友達とことごとく引き離され、これはどうにかしなければ一年間ぼっち確定だぞ、と顔を青くしていた。中学二年生、波乱の幕開けである。

 そして気になることがもう一つ、貼りだされている自分のクラスの名簿に見慣れない名前があったのだ。


 『花山院琴子』


 こんな風流な名前の人がうちの学年にいただろうか。もしいたなら、去年のうちに話題になっていた気がする。まず読み方がわからないし……かざんいん? はなやまいん?

 首を傾げているうちに、朝のショートホームルームが始まる。


 新担任は堀先生だった。通称ホリセン、国語科教師。当たり外れで言うと、普通。まぁ外れじゃないだけマシである。しかし顔が少し強張っているような。


「えー、おはようございます。このクラスの担任になりました、堀です。去年もいたからみんな知ってますよね。なので僕のことはさておき、編入生の紹介をしようと思います。どうぞ、花山院かさんのいんさん」

 

 ホリセンの言葉からややあって、「失礼いたします」と可愛らしい声がした。ガラリと引き戸が開いて入ってきたその姿に、誰もが目を奪われた。

 濡れ羽色の髪が胸元まで真っすぐに伸び、歩く度にさらさらと流れる。シンプルなハーフアップで耳を出し、すっきりとした輪郭が露わになっていた。涼やかな目、通った鼻筋、小さな唇。それぞれが見事に調和して、自分と同い年とは思えない美しさである。そのほっそりとした指が白いチョークを手に、この学校のどの先生よりも綺麗な文字で『花山院 琴子』と縦に書いた。


花山院かさんのいん 琴子ことこと申します。不束者ふつつかものではございますが、何卒なにとぞよろしくお願いいたします。」


 本当に中二なのか、あらゆる意味で。

 彼女の一挙手一投足に目が離せないのは私だけではないらしく、落ち着きのない年頃の同級生もみなしん、と静まり返っていた。


「えー、花山院さんは、色んな事情で一年だけこの学校に編入することになりました。なんというか、この地域のことには詳しくないそうなので、色々教えてあげてください。あ、下品なこと以外ね。席は鈴木の隣か、頼んだぞ」


 頼まれてしまった。前後右は男子だし左隣は空席だしで早速ぼっちだったのだがそういうわけだったか。というか待って、え、心の準備が


「鈴木さん、とおっしゃるの? よろしくお願いしますわ」


 彼女は花がほころぶように微笑んだ。そのあまりの可憐さに、私の胸がきゅんと震え、叫んでしまいそうな口元を手で押さえた。


「どうかなさって?」

「いえ……よろしくおねがいしマス」


 それが私たちの出会いだった。






 あれから数か月が経ち、花山院琴子という少女について、我々も少しずつわかってきた。


 花山院家というのは由緒正しい公家、華族の家柄なのだそうだ。つまりは本物のお嬢様、尊い血筋を引いていらっしゃるのだ。そんな彼女がどうしてこんな有象無象ばかりの公立中学校に来たかと思えば、「社会勉強」のためなんだそうである。幼稚舎から私立に通っていたものの、同じ家との付き合いばかりで、もっと視野を広げるために他の学校へ転入したいとご両親に直訴されたのだという。それで許されたのが一年間限定の編入。この加戸川二中が選ばれたのは日本地図へダーツを打って当たったから。高貴な人の考えは謎である。


 彼女と机を並べるうちにもう一つわかったのは、美しいということはそれだけで尊い、ということだ。このご時世ルッキズムだなんだと取り沙汰されることもあるが、本当に美しいものを見てしまうとただ圧倒され、打ちのめされるのである。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。その美しさは強い力であり、見よ、下品な男子どもが彼女の周りでは大好きな下ネタを控え、猿のように騒ぐのを控えているではないか! ともすれば仲間外れが起きがちな女子でさえ、ここまでの力の差を見せつけられては無駄と見て大人しくしている。彼女との差に比べれば、我々の中の個人差など微々たるもの。しょせん平々凡々の集まりなのだから。


 さて、ここまで我々と琴子嬢との違いばかり述べてしまったが、彼女もまた中二女子。可愛らしいところもたくさんあるのだ。

 例えば、以下は私と彼女の最初期の会話である。


「ねぇ、わたくしの最初のお友達になってくださる?」

「ハイ、エエ、もちろんです」

「嫌だわ、敬語なんておよしになって。私のことも琴子と呼んで頂戴。下のお名前をうかがってもよろしい?」

「えと、麻衣子、でs……だよ」

「あら、『子』がついてお揃いね! 嬉しいわ。よろしくね、麻衣子」

「へ、へへへよろしく」

「ところでこの学年には、あなたの御親族が多いのかしら? 鈴木というお名前が名簿にたくさんあったけれど、もしかしてご両親が名士でいらっしゃるの?」

「いやいやいや! 鈴木ってのは日本で二番目に多い苗字だからってだけだよ! 血の繋がりなんて一つもないよ!」

「まぁ、そうなの? 私ったら何にも知らなくって恥ずかしい……」

「ヴッ……琴子さんの周りにたまたま少なかったんだって」

「そう、かしら。ふふ、優しいのね麻衣子」


 そう言って微笑まれた私が悶絶したのも仕方がないというもの。そう、彼女は人柄も可愛らしくて素晴らしいのだ。天性の光属性。聖女。天使。

 私の受け答えがことごとく挙動不審なのは、どうかご容赦願いたい。何せ私は、一目見たときから彼女が「推し」になってしまったのだから。

 アイドルにハマったこともなく、二次元は嗜む程度、好きなキャラクターくらいはいたがここまで胸を鷲掴みにされたことはなかった。

 しかも琴子嬢は、登校すれば毎日教室にいるのだ。供給過多である。

 血筋が尊く、容貌が尊く、人柄が尊い。尊いの三乗。尊いが過ぎる。いつか私は、琴子嬢が尊過ぎて死ぬんではないかとまで思う。




 琴子嬢の前では、デュフフと笑いそうになってしまう。こういうものはてっきり、いにしえのオタク特有のものかと思っていたのだが、自分事となってようやくわかった。あまりにも尊いものの前で叫ぶのを耐えながら、しかし相手に嫌われないように微笑もうとすると「デュフフ」になるのだ。これはつらい。きっとそんなことで彼女は私を嫌ったりはしないだろうが。彼女に気持ちの悪いものをできる限り見せたくないのだ。

 メッセージのやりとりも非常に危ない。相手が「推し」だと思うと、他の友達に送るような文面が作れなくなってしまうのだ。その結果、「本日はお日柄も良く」的なものであったり、「昨日はよく眠れたかナ!?」的なもの、もしくはスタンプ連打など、送ったあと後悔するのが常である。それでも、「麻衣子のメールって面白いわ」と微笑んでくれる琴子嬢はやはり神。


 おそらく私と同志、と思われる者も少なくない。そのうちの誰かから、私が嫌がらせを受けたこともある。私物が無くなったり、トイレの個室の上から水が降ってきたり、まぁそんなあたりの。でも私がそういう目に合うと、琴子嬢は友人としてとても心配してくれて、私以上に悲しんでしまうのである。それは当人たちにとっても本意ではないのか、じきに止んだ。彼女にはいつも幸せに微笑んでいてほしい。その心で通じ合ったのかもしれない。




 琴子嬢は、幾人かの男子および女子に定期的に愛を告白されていた。しかし彼女はその全てに対して、「ありがとう」と言いつつも断った。


「恋愛というものが、わたくしにはまだよくわからないの。そんな気持ちでお付き合いしては、お相手に失礼でしょう?」


 彼女はかつて、私にそう打ち明けてくれた。私はそれを聞いて安堵してしまい、そんな自分が嫌になった。

 彼女が幸福でいてくれればいいと思うのに、誰かの恋人になってしまうのは嫌なのだ。私は心まで平凡で、醜い。

 別に私が恋人になりたいわけではないのだ。全てを投げ出しても「おしたい」。でもきっとそれは、彼女が望んでいることでもない。この気持ちはどこまでもエゴなのだ。

 それに思い至ってからは、多少上手く立ち回れるようになったと思う。彼女を心の中で推しつつ、彼女の良き友人として。






 しかし、琴子嬢がこの学校にいる期間は、最初から決まっている。別れの日が来るのは、あっという間だった。中学二年生という時間はこんなにも短いものだったのか。いや、琴子嬢のおかげで、この一年が楽しすぎたのだ、きっと。

 三学期の終業式を終えて、我が組は卒業式か、というくらいにしんみりしていた。みな涙ながらに琴子嬢に別れを告げ、一人また一人と教室を去っていく。残されたのは、私と彼女だけだった。


「ねぇ、麻衣子」


 温かな春の陽射しの中、彼女は私の手をそっと両手で包んだ。その指はやはり白魚しらうおのように美しく、しかし指先は少し冷えていた。


「今までのようには会えなくなるけれど、それでも、わたくしとずっと友達でいてくれる?」


 どうしてそんなに不安そうなのだろう。今までのようにはいかないだろうな、と思っていたのは私の方なのに。嗚呼もしかして、それが彼女に伝わってしまったのだろうか。彼女は心の機微のわかる人だから。

 私は彼女を安心させたくて、その手を包み返した。


「当たり前じゃない。一生推す」


 私がそう答えたときの彼女の笑顔は、私の中に永遠に焼き付いていることだろう。




「ところで『推す』というと、どこへ推薦するつもりなの?」

「そうだなぁ、全世界かな」

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