道場の跡取り息子と隣の少女

中村 天人

ツインソウル

 一日の厳しい稽古が終わったあと。

 誰もいない道場には、顎の長さできれいにブロンドの髪を切りそろえた少女、イオラが一人残っていた。

 16歳になったイオラは、みんなが帰った後も一人稽古に励み、最後に感謝を込めて丁寧に道場の掃除をするのが日課になっている。


 今日も同じように道場の雑巾がけをしていると、そこに年上の三人の少年がやって来た。

 床に手をついて一生懸命掃除をしているイオラを見て、侮辱するような眼差しで言葉を放つ。


「おい、お前。跡取り息子と仲良くして、道場を乗っ取ろうとしてるんだって?」

「親が下級騎士だから、玉の輿にでも乗ろうとしてるんだろ」

「女のくせに目障りなやつ。どうせ力じゃ男に敵わないんだから、今みたいにこれからも掃除だけしてろよ」


 少年たちの失礼な態度に、イオラがムッと顔を曇らせる。


 最近のイオラは、努力のかいあってぐんぐん腕を上げており、道場の跡取り息子ガイオンと肩を並べるほどの腕前となっていた。それを妬んだ上級騎士の子どもたちが、この時間を狙ってイオラに嫌がらせをしに来たのだった。


 馬鹿にしながら「あははは」と笑う少年を見て、悔しそうに唇をかみしめたイオラが雑巾を投げつける。


「うわっ、きったねー!」

「私を侮辱するな! 女だって関係ないだろう。私はお前らなんかよりずっと強い。悔しいなら、くだらない嫉妬を燃やしていないでもっと武芸を磨いたらどうだ!」

「なんだと⁉ こいつ、生意気な!」


 雑巾を投げつけられて逆上した少年が、思い切りイオラに殴りかかった。

 しかし、毎日血のにじむような鍛錬をしているイオラはそれを軽々と交わし、逆に足を引っかけて相手を転ばせた。

 少年たちが、自分より身分の劣る少女の行為に苛立ちを感じる。そして怒りをにじませイオラを取り囲むと、髪の毛や道着を乱暴に引っ張って床に転ばせた。

 その中の一人が馬乗りになって殴りかかろうとした、その時。


「お前ら、何やってるんだ!」

「げ、ガイオン!」


 いつも頑張ってるイオラに、ガイオンが飲み物を差し入れに来た。

 運悪く悪事がバレた少年たちが、一目散に裏口から逃げて行く。そして、驚きを隠せないガイオンが、イオラの髪の色に似た金色のたてがみを揺らしながら駆け寄った。


「大丈夫か? イオラ」

「……余計なことを」

「何言ってるんだ。男が女を助けるのは当たり前だろ」


 ガイオンは、男だろうが女だろうが関係なく同じことをしただろう。

 しかし、無意識だからこそ出てしまったガイオンの性差を感じさせる言葉に、悔しさで顔を歪めたイオラが差し出された手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。


「それが余計だと言っているんだ! 今後一切私に構うな!」

「イオラ……」


 女だから、下級騎士の生まれだからと、今まで散々しいたげられてきたイオラは、呆気にとられるガイオンに怒りをぶつけ足早に道場を後にした。

 そして、悔し涙を見られないよう誰もいない森へと走る。


 ————馬鹿にされないように努力してきたのに、それでもこの国で私の価値は無いに等しいのか。


 性別や地位。

 そんなものに左右されないよう、強くなればいいと思っていたし、実際強くなったはずだった。

 しかしそれでも無くならない自分への差別と、日毎に増してゆく妬み。幼馴染と比較する周囲の目。


 家が隣だったこともあり、イオラとガイオンは小さい頃から横にいるのが当たり前だった。しかし、成長して色々なしがらみが分かる今は、いくら努力しても超えられない壁があることをイオラに感じさせる。

 ガイオンのせいではないと分かってはいるものの、十代の少女の胸には周りの評価が突き刺さった。


 しばらく走り続け、日の暮れる森の中で涙をぬぐった時だった。


「おい」


 誰かに呼び掛けられ、イオラがギクッと体をこわばらせる。


 ————もしかして、ガイオンが追ってきたのだろうか。


 プライドの高いイオラは、幼馴染に自分の弱いところを見せたくなかった。

 しかし、すぐに相手はガイオンではないと知り、安堵しつつも迫りくる危険に体をこわばらせた。


「さっきは跡取りに助けられたが、もう誰も助けに来ないぞ」

「貴様ら、私を追ってきたのか……!」


 しつこく後をつけてきたのは、先ほど嫌がらせをしてきた三人の少年。意地悪に口を歪めながらイオラを取り囲み、じりじりと詰め寄っていく。

 後ずさるイオラは、すぐに木の際まで追い詰められて、動けないよう腕を掴まれてしまった。


「なんだ、自分が弱いって分かって泣いてたのか? ははっ、弱虫女。二度と生意気な口がきけないよう、しっかり叩き込んでやる!」


 目の前の少年が拳を振りかぶり、殴られることを覚悟したイオラが目を閉じた。

 ビュンッと風を切る音が聞こえたその時。


「いたっ」


 拳が降るかわりに聞こえてきた少年の声。

 不思議に思ったイオラが目を開けると、誰かに手首を握られた少年が苦痛で顔をゆがませているのが見えた。


「ガイオン!」

「おらぁぁぁっ!」


 イオラが呼びかけると同時に、ガイオンは少年の手首を握ったまま振り回して体ごと吹っ飛ばした。

 投げ飛ばされて地面に転がった少年が、起き上がってすぐに攻撃の体制に入る。それを合図に、少年たちが一斉にガイオンに襲いかかり、三人の少年とガイオンの殴り合いが始まってしまった。


 道場の跡取り息子とは言え多勢に無勢。

 イオラが加勢しようとするが、逆にガイオンの邪魔になってしまいそうでなかなか手が出ない。


 お互いにボコボコに顔を腫らした四人が、決着がつく前に息を切らして手を止めた。

 一時休戦になると、少年のひとりが肩で息をしながらガイオンに語り掛ける。


「お前……ここまでして、こんな女の肩を持つ意味……あるのかよ」


 同じく肩で息をするガイオンが、不敵な笑みを浮かべて答える。


「男と女が……助け合ったって良いじゃねぇか」

「なんだ。結局お前も、コイツのこと女だからって差別してるのか」


 少年の悪意ある言葉にイオラが胸を痛めた時、すかさず怒りをにじませるガイオンが吠えた。


「違う!」


 ガイオンの怒鳴り声が森の中に響き、バサバサッと鳥が数羽飛んで行く。大声と気迫に恐怖を感じた少年たちが、一歩足を引きガイオンを見据えた。


 そして、腫れた顔を夕焼けで赤く染めるガイオンが、鋭い眼光で自分よりも年上の少年たちを睨み上げた。


「これは差別じゃない!」


 あまりのガイオンの気迫に、少年たちの目に大きな獅子の幻影が映る。三人がギクリと体を縮め、誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。


「男だろうが女だろうが、それぞれ良い所も悪いところも受け入れ、手を取り合って、補い合うために存在するんじゃないのか? 違う者同士が一緒にいるからこそ完成するものがあるんだ。そして、最強の俺に見合うのは、人一倍努力して最強になった奴」


 そう言って闘志を納めたガイオンが、僅かに微笑みをもらした。


「……つまり、俺にはイオラが必要なんだよ。男も女も関係ない。分かったらさっさといなくなれ。じゃないと……」


 両手を頭の後ろで組んだガイオンが、いたずらっぽく言い放つ。


「父ちゃんに言いつけてやるからな」


 師範にバレたら大変だ、と、少年たちは一目散にその場からいなくなった。「お前らよりイオラの方が強いから覚えとけ!」と去りゆく背中に呼びかけるガイオン。

 先ほどの喧騒から一変、静寂が訪れる森の中、ガイオンが小枝を踏みしめながらイオラに歩み寄る。


「大丈夫か? イオラ」

「……ああ。……さっきのは」


 自分が冷たくあしらったにもかかわらず、助けに来てくれて、さらに自分を認めてくれたガイオンに何と言葉をかけていいか分からず、イオラが口ごもる。

 しかし、ガイオンはそんなのお構いなしに、いつも通りの笑顔をイオラに向けた。


「細かい配慮は俺にはできない。それに、頭を使うことは苦手だからな。俺はイオラがいないと困るんだ」


 気を使わせまいと、わざとおどけるガイオンの気づかいに、イオラもわざと憎まれ口をたたく。


「……頭だけじゃなく、私は力もおぬしには負けてないぞ」

「がはは! いいぞ、その意気だ!」


 ガイオンがイオラの肩に手をまわすと、その衝撃でイオラの体が少し沈む。

 そして家路につきながら、気心の知れた幼馴染同士、信頼のこもる眼差しをかわした。


「だから、これからも俺の相棒でいてくれよ」


 飾らないガイオンに、自分がこだわっていたことがちっぽけに感じたイオラが自然と笑顔になる。


「そうだな……」


 ガイオンの申し出を受け入れるイオラが、感謝をこめつつ冗談交じりに言う。


「私がいないと、そなたはボロばかり出るからな」

「なんだとぉ? 随分元気になって来たじゃねぇか!」

「ひゃ、ひゃめろ!」


 ガイオンに頬っぺたをつままれたイオラが間の抜けた声を出した。そして、つままれて赤くなった頬をさすりながら、そっぽを向いて小さく呟く。


「……いつもありがとう。ガイオン」

「イオラ……」


 珍しく素直なイオラに足を止めたガイオンが、正面へ周って幼馴染の顔を真っ直ぐに覗き込む。

 そして表情を引き締めて告げた。


「俺と結婚しよう」


 見たこともない真剣な顔で見つめられ、耳まで真っ赤に染めたイオラが汗をかいて慌てふためく。


「けっ……⁉ なぜそうなる!」

「だって、イオラ強いだろう。結婚するなら強いやつがいいもんな」

「……嫁の候補を、強さで決めているのか⁉︎」

「んぁ? だめなのか?」

「だめに決まっている!」


 期待外れの返事に機嫌を損ねたイオラが、プイッとそっぽを向いた。




 これを機に、イオラとガイオンは今まで以上にお互いを信用し合い、共に武芸を磨くようになる。そして数年後、見違えるほど腕を上げた二人は、一から自分たちの力を試すべく世界一巨大な勢力を誇る国へと旅立った。


 そして、異国の地で時代を動かすことになるのだが、この時の二人はまだ知る由もない。

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道場の跡取り息子と隣の少女 中村 天人 @nakamuratenjin

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