カリオカナの祈り

hitori

第1話 カリオカナの祈り


 ユグドリア大陸のグレン火山がまだ爆発していなかったころ、密林の奥地に一つの集落があった。ある時から、熱にうなされ、意識を失い死んでしまう病が流行り始めた。族長や長老たちが集まり、何度も話し合いがなされた。


 「生贄を捧げよう」

 「そうだ、動物ではだめかもしれぬ」

 「もう3匹も捧げた」

 「しかし、そうは言っても誰を生贄にするのか」


 みな困り果ててしまった。誰を選ぶこともできないのだ。小さな集落のこと、全員が顔見知り、助け合って生きてきたのだ。


 「くじ引きにしよう。明日の昼に全員広場に集まるように伝えてくれ」


 族長の一言で、みな沈んだ顔で帰った。部屋のすみで話を聞いていた族長の娘カリオカナもまた悲しそうな顔をしていた。

 1イミシの昼、族長が広場に立った。集められた人々に生贄のことが告げられた。もう十人以上もの人間が病で死んでいたので、みんなは仕方ないと黙ったままだった。


 「太陽と月の神に祈りを捧げてから、くじ引きをする」


 族長の言葉に続いて、神官キチェリオが広場の奥にある神殿に向かい祈りを捧げた。女たちのすすり泣く声が聞こえる。祈りの儀式を終えると族長が再び口を開いた。


 「ここに集まった人数分の棒を用意した。青く塗られた棒をひいた者が生贄となる。みな公平にだ。わしもひく。男も女の区別はしない。年寄り、子どももひく。不正のないように、みんなが見ている前で行う」


 族長の前に大きな木箱が置かれた。たくさんの棒と青く塗られた一本の棒が投げ込まれ、黒い布がかけられた。


 「まず、わしがひこう」


 そう言ってから、族長は目隠しをした。右手を出し、黒い布の下から木箱の中をかき回した。抜き出した手に持っていたのは、何も塗られていない棒だった。それから、次々とくじ引きが行われていった。みな顔をひきつらせながら手を伸ばす。まるで中に毒蛇でも入っているかのように。

 残りは十人となった。まだ青い棒はでない。若い女が泣き叫んだ。それでも、みんなに押さえつけられながらくじをひいた。青い色はない。そばにいた男が女の肩を慰めるようになぜた。父親だ。次はその父親がひく番だ。父親は覚悟を決めたように口を真一文字にして目隠しをし、手を入れた。目隠しをしたまま抜き出した手を見た人々にどよめきが起きた。あわてて目隠しを取ると、手に握られていたのは青い棒。男の娘は泣き崩れた。


 「生贄の儀式は8イミシに行われる。それまでの二十一日間は神官が世話をする。家族と会うことも許されぬ」


 族長は人々に家に戻るように告げた。カリオカナはとても悲しく思った。人間の生贄ほど悲しいものはない。神がそのような犠牲を望むはずがない。そう思えてならないのだ。彼女は神殿の脇に祭られた女神チェブルの前に立った。チェブルは女神の中でも最高の地位に置かれた存在。カリオカナは祈った。誰も犠牲になることなく、病から救って欲しいと。


 翌日、2イクから、集落は沈んだ空気に包まれた中で、儀式のための準備が始まった。森から大きな木が切り出され、枝を落とし、生贄の張り付けに使う杭になった。人々は食べ物を神官に届けた。生贄までの最後の食事にと差し出す。神官や補佐役のチャルムは儀式までの間、禁欲生活に入った。穢れた体で儀式を執り行うことはできない。酒も女もタバコも禁じられた生活だった。チャルムは鉄でできた刃物の手入れを始めた。

 カリオカナは毎日チェブルに祈りを捧げた。


 1イシから神官たちは断食に入った。カリオカナは祈った。

 「チェブル様、どうか救いの手を差し伸べてください」

 カリオカナは水汲みのために川に行った。幾人かの女たちが洗濯をし、おしゃべりをしている。そこに一艘の小舟が流れてきた。と、船がひっくり返り、男が川に投げ出された。水嵩が増していた川は男を飲み込もうとしている。必死にもがく男、船は流されていった。女たちが騒ぎ始めたのを聞きつけた男が一人、走ってきた。すぐに近くにあった大きな木を川に投げ込んで、自分も飛び込んだ。木を押しながら泳ぎ、落ちた男に近づいた。


 「これにつかまれ」


 助けられた男の名は、タシランドゥ。カリオカナはタシランドゥを族長に合わせた。その夜、族長は長老たちと会った。あの知らない男、川から助けられたタシランドゥについての話だ。


 「知らない男だ。生贄の代わりにしてはどうだ」

 「神様からのご慈悲かもしれんぞ」

 「奴隷を買ってくるよりいいんじゃないか」


 生贄に選ばれたなら、その者は代わりになる奴隷を連れてくることで死を逃れることもできるのだ。しかし、今回、生贄に選ばれた男には奴隷を買うゆとりなどなかった。むろん、他の人たちでも同じだった。裕福ではない集落のこと、他所の集落でも襲わないかぎり奴隷など手に入らない。昔は奴隷狩りも行われたようだが、今はない。


 カリオカナはタシランドゥが族長たちの話に気づかないようにと、外に連れ出した。話をしているうちに、流行り病のことになった。


 「このずっと奥のほうでも、似たような病が出ていた」

 「今もですか?」

 「いや、もう治まっていた」


 カリオカナは、どうやって治まったのかが知りたかった。やはり生贄を捧げたのだろうか。


 2メン、族長は神官に会って話をした。タシランドゥを生贄にできないかと。しかし、生贄の日まで残りは六日。生贄の体を清めるには短すぎる。その次のイミシまでは長い。それまでの間に病で何人が死ぬかわからないのだ。話は物別れに終わった。

 タシランドゥは森に出かけた。森の中へは入らず、草の多いふちを歩き、何かを探しているようだった。

 カリオカナはその日もチェブルに祈りを捧げた。誰も犠牲にならないで欲しいと。人が死ねばチェブルも悲しむはずだから、きっと救いの手を与えてくださると信じ、祈った。

 家に戻ると、タシランドゥがカゴいっぱいにした薬草をカリオカナに見せた。


 「これは何ですか?」

 「干したあと、煮て薬にするんだ。流行り病に効く」


 薬草は二日間干された。4カバン、薬草を煮だして、カリオカナは病人の家々を周り、薬を飲ませた。四日後には生贄の儀式がなされる。それまでに、この薬が効くことを証明したかった。カリオカナは族長にお願いをした。薬が効けば生贄の儀式を取りやめにして欲しいと。


 5エツナブ、生贄の体に塗る青い顔料が用意された。カリオカナは病人の家々を周り、薬を飲ませた。チェブリに祈り、儀式が取りやめになることを望んだ。


 7アハウ、儀式の前日だ。族長は神官を訪ねた。薬草でみんなが回復していることを告げ、儀式の取りやめを願い求めた。しかし、神官は首をたてにはふらなかった。


 「神と取り決めた生贄だ。病が治まれば、それはそれで感謝の生贄となる」


 8イミシ、人々は広場に集まった。体を青く塗られた生贄が連れ出され、杭に張り付けられた。補佐官チャルムが弓の用意を始めた。生贄の心臓を貫くためだ。


 「神官様、私たちは元気になりました。だから生贄などやめてください」


 一人の女が叫ぶと、多くの人たちも声を大にした。しかし、神官は答えた。


 「それは良いことだ。だが病から解放されたなら、神に感謝をせねばなるまい」


 すると、人々は何も言い返すことができなくなった。しかし、カリオカナは思いを解き放った。


 「いいえ、そんなはずはありません。人間の死を喜ぶ神などいないはずです。病で死ぬことを悲しむ神は、犠牲の死も悲しみます。生贄など望んだりしないはずです。私たちは儀式を望んでいないのです。薬草のおかげで病に勝つことができました。これは神からの救いなのではないでしょうか。私たちの死を嘆く神からの贈り物です。そんな神が生贄を求めるはずありません」


 人々の願う熱い視線を神官は無視することができなくなった。儀式は取りやめになり、杭から生贄が降ろされた。


 カリオカナはその日も祈りを捧げた。21回目の祈りは願いではなく感謝だった。


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