四章 休息

 (······ふぅ、ようやく家に着いた······)


 学校を早退した俺は、炎天下に重い足を引きずり回して帰路についていた。

 徒歩十分、学校から家まで然程遠くない。

 しかし、この重い足取りのせいでその十分が永遠のように感じた。自転車ならまだマシだったのかもしれん。


 庭に入ったところで、ピコン、とスマホが音を鳴らした。


 『大丈夫かよ?』


 ロック画面の通知にはそう一言だけ、太田からだった。あいつまだ授業中のはずなんだけど。


 『丁度今家に着いたところ。思ったよりキツい』

 『今?遅くね?』

 『遅い。ようやくかって感じ』

 『思ってたより辛そうだな。まあゆっくり休め』

 『ども』


 なんだかんだ良い奴なんだよな、どこか憎めない。

 一年の頃、太田とは席が隣で、入学式の後に話しかけられたことがあった。

 初対面なのに妙に馴れ馴れしく、第一印象としてはチャラついて鬱陶しいという、なんとも最悪な感じだったのを覚えている。


 最初は愛想笑いやら適当な相槌で遠慮していたが、そのうち段々と壁が無くなり、いつの間にか仲良くなっていた。

 まあ、二年次の文理選択でまさか同じ理系に進級するとは思ってもいなかったけど。


 『ところで』

 『ん?』

 『授業中だろお前』

 『自習になった(^^)』

 『黙って自習しとけ馬鹿野郎』


 (期末があるってのになにやってんだ······)


 もはや太田バカに掛ける言葉も無く、スマホをポケットにしまった。もう絶対助けてやらない。


 ピコン、とまたスマホの通知が鳴った。


 『悪口打つ元気はあるのな(笑)』


 やかましいわ。


 (はぁ、頭痛い······熱中症かもしれないな)


 ダメだ、吐き気もしてきた。いよいよ本格的な症状が出てきやがった。


 家に帰るなり粉末のスポーツドリンクを作り、冷凍庫の保冷剤をいくつか取り出して自室に戻った。

 部屋着に着替えて保冷剤にタオルを巻いて脇、首元、頭にそれぞれ当てる。

 スポーツドリンクが入った瓶サーバーを近くに置いて、こまめに飲みながら身体を休める。


 少しだけ楽になった気がする。

 保健室の壁に貼ってあった熱中症の応急処置を覚えておいて正解だった。本当によく覚えていたもんだわ。

 にしても、まだ六月なのに熱中症とか本当に勘弁してほしい。


 「はぁ······ひんやりして気持ち良い······」


 あぁもうすぐ寝れそう······昼休みの時とはまた別の心地よさだ······。

 何故だろうか、吐き気や頭痛なんかどうでも良くなってきた。


 かくして俺は、程なくして意識を手放したのだった。

 わずらっていた熱中症さえも忘れて───。



♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 「───······ん······」


 よく寝た······今何時だ?

 スマホを探していると、ベッドの側に人影があった。


 「お、ようやく起きた」

 「なんだ、ゆずか······」

 「おはよ、今日学校早退したんだって?」

 「ああ、熱中症で午後の授業は出られなかった」


 赤城柚木あかぎゆずき、二つ上の姉だ。

 今年の春から現役で大学に合格し、キャンパスライフを大いに楽しんでる。

 小中高と学校は全て同じで、学年こそ二つ違ってはいたが登下校はほぼ一緒だった。

 仲はそれなりに良いと思う。喧嘩もしたことないし。


 「ていうか何で早退したの知ってるんだ?」

 「学校から電話があったよ」

 「え、なんで?」

 「こっちが聞きたいんだけど」


 何故姉に電話してんだ。そもそも何でゆずの電話番号知ってんだ。


 「······ところで、今何時?」

 「二時ちょうど」


 あれ、一時間くらいしか寝てないのか······。

 もう四、五時間くらい寝てたものかと思ってた。


 「······にしても、熱でもあったの?」

 「え······?」

 「保冷剤溶けてるし、タオルびしょ濡れだけど」

 「······うわ、何だこれ」

 「シャワー浴びてきなよ」


 熱にしたってとてつもない量だ。タオル絞ったら汗滴るんじゃないか?

 どう考えてもこれは異常だ。一度病院に行ってみようか······。


 「ちょいと失礼·········うん、熱はなさそうだね。頭痛とかは大丈夫?」


 そう言ってゆずは布団に身を乗り出し、額に手を当てて熱を確認した。姉属性極まってるな。


 「だいぶ楽になった。吐き気もしないし」

 「吐き気って、ちょっとそれ大丈夫だったの?」

 「まあ何とか。ここ最近の寝不足が災いした」

 「アホか、もっと寝なさい」


 ぐうの音も出ねえ。

 まあそりゃここ一週間ろくに寝てない奴が熱中症で死にかけてました、なんて世話ない話だわな。


 「······とりあえずシャワー浴びてくる」

 「はい、行ってらっしゃい。あ、バスタオル干してあるから後で持ってくね」


 サンキュ、とだけ言って俺は浴室へ向かった。

 窓の外は未だに日が高い······確かまだ二時だっけか?

 さっきゆずに教えてもらったのにもう忘れてら。まだ頭がぼうっとしてるのが分かった。


 「───慎也ー、開けていい?」


 シャツを脱ぐと戸の奥からゆずの声が聞こえた。


 「悪い、今シャツ脱いだばかり───」

 「失礼しまーす。はい、バスタオルと着替え」


 さっきの質問の意味は何だったのか。

 まあ今更上裸体を見られようが、別に減るもんでもないが。小五までは同じ湯船に浸かってたしな。


 「······ありがとう、そこ置いといて」

 「はいはーい。失礼しましたー」


 何の気無しに洗濯機の上にバスタオルと着替えを置いてその場を立ち去った。嵐のような人だ。



♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 「───ふぅ、さっぱりした······」

 「そりゃ良かった」


 濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに行くと、ゆずがソファでスマホをいじっていた。この大学生は他にやることないのかな。


 「まだ二時半か······そろそろ五限が終わるところだな」

 「コーヒーでも淹れようか?」

 「お願いします」


 早退しておいてこんなに優雅な午後過ごすのはどこか背徳感がある。まあ知ったこっちゃないけど。


 「たまにはこんな平日も良いな······」

 「あたしは毎日こんな感じだけどね〜」

 「黙ってコーヒー淹れてくれ」

 「その口の悪さもいい加減直しなよ。コーヒーお預けするよ?」

 「俺の口調とコーヒーは関係なくない?」


 くだらないやり取りをしていると、コーヒー豆の香りが漂ってきた。良い匂い······。


 コーヒーを待つ間、特にする事も無いのでテレビを付ける。

 普段見ることがない情報番組がやってた。何もかも新鮮な気分だな。


 「ほい、お待たせ」

 「あざっす」


 淹れられたコーヒーの匂いは豆とはまた違った香りを放つ。因みにブラックは飲めないのでミルクと砂糖が入ってる。マイルドなのが一番。


 「······うん、美味い」

 「お姉ちゃんが淹れるコーヒーが一番でしょ?」

 「そうだね世界一美味しいよ」

 「うわー適当だなー」


 ちょっと変わった平日の昼下がり。テレビに映るニュースは流行りの感染症の話題や殺人事件など、不穏なものばかりなのに、俺らはと言えば平穏に包まれている。

 これから俺の身に起こる、非現実的で壮絶な出来事などつゆ知らずに。


 カップの中で揺れるコーヒーをもう一口だけすすった───。

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名無しの夢日記 @Minakawa-HSG

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