トトイの記録

棚霧書生

トトイの記録

「天崎吉佐によって開発された戦闘ロボット10101号、別名トトイが残した記録」


【記録No.1】

 天崎吉佐博士が記録を付けたいとのこと。今日から博士の話を記録する。


【記録No.3】

 まだ世界が大災害に襲われる前のこと。

 六十年ほど前の成人式の日、若かりし頃の博士は式場にも行かず、ある人と一緒に公園で自販機の温かいミルクティーを飲んだらしい。博士は温かいミルクティーが好きだと言う。しかし、もう飲むことはやめたらしい。


【記録No.6】

 博士に謝罪された。以下、博士の言葉をそのまま書き留める。

「君を上手く人間に戻してあげられなかった。あの日の君に会いたい」


【記録No.7】

 実験は上手くいっていない。


【記録No.9】

 博士が倒れた。博士は人間の病気にかかっているのだと教えてくれた。もう博士に残された時間は少ないそうだ。しかし、博士にはやり遂げたいことがある。


【記録No.10】

 博士は寝床から起き上がれない。休んでいる暇はないのにと言っていた。手を握っていてほしいと頼まれたので、今日は博士の手をずっと握っていた。


【記録No.13】

 博士の体調は改善していない。しかし、最後の仕事をしたいと言って、私のプログラムを大幅に書き換える作業をしている。


【記録No.15】

 博士は全く休息を取らない。寝ることも食べることもろくにしない。風呂にも入らない。ただ、黙々とプログラムを書いている。


【記録No.20】

 今日は博士がきちんとした食事を摂った。風呂にも入り、ミルクティーを飲みたいと言ってから博士は床についた。


【記録No.21】

 三週間に渡るこの記録を付けるのも今日で最後だ。博士が亡くなった。

 私はこれから博士が組んでくれたプログラムに従い、行動する。博士の最後の仕事を成功させるために。

 私が成功させる。必ず。



「二十一回目の記録ってなんか変じゃないか?」

 資料を読んでいた研究員の一人が顔を上げて言った。それに対し、パソコンを睨んでいたもう一人が、どこがです? と返す。

「二十回目までは事実の羅列だけど、二十一回目から急にトトイの自己っていうか、意思みたいなのが出てきてる」

 紙の上の文章を指し示しながら先輩研究員が、ほらここ二十一回目で初めて“私”が明確に主語として使われてる、と少し不機嫌そうな後輩に伝えた。後輩は少し考える素振りを見せてから口を開く。

「初めからそういうプログラムだったんじゃないですか。天崎博士が死亡したらトトイが自分で自分に命令を下せるように」

 きっと物凄く高度なプログラムですよ、とつぶやいて後輩は恍惚とした表情をする。

「まぁ、そう言われるとそうかなって気もするんだけど」

 あまり納得のいっていない先輩の方は歯切れの悪い返答をした。そのことが後輩の気に障ったようで先ほどよりも幾分低い声が返ってくる。

「そんなことより、トトイがどこにいるのか見当はついたんですか?」

 先輩は随分と長いこと資料を読み込んでいたようですが、と鋭い目つきで聞かれてはなにも手がかりを見つけられていないとは言いづらかった。無言のままでいると後輩はため息をつき、年も明けたばかりだというのに幸先が悪そうで嫌になっちゃいますね、と愚痴っぽく言ってからパソコンを睨む作業に戻った。

 天崎吉佐博士、二人が探している戦闘ロボット10101号、別名トトイの開発者である。天才とも呼ばれ人間型ロボット分野や人工知能の発展にも大きな貢献をした人物だ。しかし、二ヶ月前に勤めていた研究所から突然、失踪。その際、国の特定機密であるトトイを持ち出したと推定され、重要参考人として捜索されていた。

 一週間前にようやく天崎博士の潜伏地が発見されたが、肝心の天崎博士はすでに死亡していた。パソコンに残されたデータからトトイも一緒にいたことはわかっているが現在、トトイの所在は不明。誰かがトトイを持ち去ったか、トトイが自ら身を隠しているのかも不明。トトイに内蔵されていたGPSは切られていて探すにしてもアナログな手法に頼るしかない状況だ。

「なに考えてたんだろうな天崎博士」

「きっとトトイを国にとられるのが嫌だったんですよ。だから、自分が死ぬ前に逃した。親心ってやつじゃないですか」

「お前、独身じゃなかったっけ?」

「それは今関係ありません。ハラスメントで訴えますよ、先輩」

「じゃあ俺はお前をハラスメントハラスメントで訴えまーす」

 軽い調子で先輩が応え、席を立つ。小休止を挟もうと思ったのだ。備品のポットの前まで来ると後輩になにを飲みたいか尋ねる。紅茶、と返ってきたのでティーパックを二つ取り出した。そのとき、彼の脳内にある考えが降りてくる。

「ポットのお湯が切れてましたか?」

 手を止めた先輩のことを後輩が不思議そうに見る。

「天崎博士が出席するはずだった成人式が行われた場所を調べて。その近くにある公園の確認も頼む」

「いいですけど、それトトイの記録で触れられてたやつですよね。とっくに捜索隊が現地を調べてるでしょう。どうして今さら」

「お前、成人の日がいつか知ってるか?」

「いえ、大災害前の慣習ですから詳しくは」

「一月の第二月曜日だ」

 先輩がスマホの画面にカレンダーを呼び出し後輩に見せる。映し出されている今日の日付は一月の第二月曜日を示していた。

「なるほど、今日ならトトイが現れる可能性が高いわけですか」

 先輩がニッと歯を見せて笑った。



 研究員の二人がホバーカー(空を飛ぶことのできる車)に乗り込み、目的地近辺の上空に到着したとき、空は暮れかかっていた。

「先輩がモタモタしてるから夕方になっちゃったじゃないですか」

「準備があったんだよ、準備が!」

 後輩が嫌味ったらしく文句を言うと先輩が被せ気味にそれを打ち消すように大声を出す。

「トトイ、いますかね?」

「いたら大大大吉って感じだな。まあ、あまり期待せずにいこう」

 ホバーカーが着陸できそうな場所を探し、下降する。二人が降り立ったそこはどこを見渡しても目に映るのは瓦礫、瓦礫、瓦礫の山だった。

「座標を確認しながらじゃないと自分たちがどこにいるのかもわからなくなりそうですね」

「ああ。はぐれないように気をつけろよ」

 後輩は納得がいかないような顔をして、先輩を睨むと、先輩の方こそ色々とはぐれがちなんですから気をつけた方がいいんじゃないですか、と言いかけた。が、それは言葉になることはなかった。遠くに見える瓦礫の山の上に人が立っているのが見え、後輩はそちらに気を取られたからだ。

「先輩、見てください!」

 人影を指差して、先輩の肩を叩く。

「あれはッ、トトイか!?」

 瓦礫の山の上にいた人物が飛び上がったかと思うと、猛スピードで一直線にこちらに向かってくる。先輩と後輩はともに肝が冷えるのを感じた。トトイは戦闘ロボットだ。研究員二人を消すことなど造作もないだろう。

「話し合いだ! 話し合いをしよう!!」

 先輩は喉が裂けるくらいの大声でトトイに呼びかける。トトイは二人の目前まで来ると急停止した。辺りに舞い上がった砂埃や肌にぶつかる風に非現実感を味わいながらも、先輩は勇気を振り絞り職務を遂行する。

「トトイ、研究所に戻ろう。ここはお前がいるべき場所じゃない」

 トトイは若い男の姿をしている。研究所で遠目に見ていたときはわからなかったが、なかなか男前な顔だ。

「私は博士の仕事を成功させなければいけません」

「その仕事っていうのは、なんのことだ? 研究所に戻ってきてくれれば俺たちも手伝えるかもしれないぞ」

「私が人間になることです」

 先輩はトトイにどう返事をしていいものかわからなかった。後ろに隠れている後輩はさっきから震えているので助け舟はなさそうだ。

「トトイが生物学的に人間になることは初めっから不可能だよな。お前が言う、人間になるっていうのはどういう条件を満たしたとき達成されるものなんだ?」

 なるべくトトイが答えやすいように配慮し、質問する。だが、トトイはしばらく沈黙し、わかりません、と一言こぼした。誰も喋らない無言の時間が続く。その沈黙を最初に破ったのはトトイだった。

「私は天崎博士の友人を再現するためにつくられたようなのですが、どうしてもその人になれないんです。博士の友人の記憶も思考の癖も博士が入力してくださったのですが、私はトトイのままです」

 トトイはさらに続ける。

「私の中には博士の友人の記憶があります。だけどそれは私のものではないんです。私がトトイとして過ごした記録の方が私のものであるような気がするんです」

「……なんだお前もう人間じゃん」

 先輩が呆れ半分、感心半分といった風につぶやいた。しかし、その言葉はトトイの耳にも届いていた。

「どこが! トトイのままでは人間とは言えません。博士の友人にならなくては私は」

「お前、自分がトトイだって自覚があんだろ。そういうのなんて言うか知ってるか、自我だよ。お前はもうトトイっていう人間なの。だから、博士の友人さんを完コピしようとか無理だから諦めな」

「僕も先輩に同意です……」

 やっと喋る余裕が出てきたのか後輩がひょっこり顔を出す。

「だけど、私は人間では」

 トトイは二人の意見に納得がいっていないようだ。見かねた先輩がポケットからあるものを取り出し、トトイに差し出す。それはワイヤレスイヤホンのような形をしていた。

「これは?」

「とりあえずさ、飲んでみろよ」

 先輩は自分の耳を指し示し、トトイにイヤホンのようなものを付けるよう促す。

 トトイは警戒している様子だったが、イヤホンを付けた。そして、驚きの表情を見せ、先輩を凝視する。

「あの、これってもしかして」

 トトイの頭に流れてきたのは温かいミルクティーの味覚情報だった。

「どう、美味い?」

 先輩はいたずらっ子のようにニヤニヤしている。

「はい、とても……美味しいです」

 トトイの瞳は潤んでいるように見えた。彼の記録チップにこの出来事がどのように刻まれるのか。それはトトイにしかわからない。

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