異世界転世

人生

 無間地獄




 ――俺の名前は軽井沢かるいざわみことだが、これは俺の真名ではない。


 なぜならここは、俺の生きるべき世界じゃないからだ。

 ずっと昔からそう感じていた。この両親はきっと本当の親じゃない。ここは俺のいるべき場所ではない。俺の親はどこか別の場所にいるか、とうに死んでいるのではないか。俺はどこか他所から来た子供なのではないか。


 というかそもそも、この世界が俺の本来いるべき世界ではないのだ。


 目を覚まさなければならない。


 嫌なことばかりで、何もかも上手くいかない。それでいて平凡で、不幸だと言えるほどの不幸でもない。世界にはもっと悲惨な不幸が溢れていて、それらに比べれば俺の苦痛など普通のもの。つらい、死にたいと嘆いても一笑にふされるほど、この世界での俺の人生は、俺の価値は、なんの意味も持たない。誰にとっても俺は特別な存在ではなく、俺などいてもいなくても同じなのだ。


 ということは、だ。

 ここは俺のいるべき世界ではなく、俺はどこか別の場所から間違ってここに入り込んでしまったのだ。

 あるいは何者かの手によってこの世界に閉じ込められている。


 脱出する手段はきっと、これしかない。


 俺は地上がチープなジオラマに見えるような高所から、身を投げた。




                   ■




「おっす、オラはマシラタウンのサトル――」


 何度目とも知れない自己紹介をした時、ふと、その名前に違和感を覚えた。


 オラは……サトル?


「どうしたのサトルちゃん、ほら、ちゃんと挨拶して――」


 近所に引っ越してきた隣人への挨拶。何度目とも知れない挨拶。何度目? そんなに頻繁に隣人が変わるのか?

 隣に越してきた利発そうな少年。彼はきっとこれから冒険の旅に出て、そして有名になってこの町に凱旋する……なぜかそんなイメージが浮かんだ。

 そうやって何度も、町を旅立つ少年と出逢い、見送ってきたような気がする。

 まるでゲームのNPCみたいに、同じ台詞を繰り返して――


「俺は……」


 優しい母の微笑みが、突如として何か恐ろしいもののように思えてきた。


「サトルちゃん……!?」


 俺は駆け出した。


 町の外の草むらをかき分け必死にどこかへ向かって進んでいると、不意に、何かに蹴躓いた。


 それはデンキネズミと呼ばれる、危険な野生動物――




                   ■




「うわぁあああああああああ……!?」


 叫び、飛び起きる。


「大丈夫ですか!?」


 女の声がするのだが、姿が見えない――視界の半分だけが真っ暗で、もう片方には地獄が広がっていた。


 全身に包帯を巻き、一部が欠損した人々が呻き、叫び、苦しみに喘いでいる。それらに対応する白衣姿の男女。ここはどこだ。病院か。それとも……。


「大丈夫ですか? ここがどこか分かりますか? 自分の名前は言えますか?」


「俺の、名前――俺は、アムール・フランシスコ……」


「そうです、あなたはアムール准尉……」


 そうだ、俺はこの国メトロポリテーヌを守るために戦っていたんだ。敵国の侵攻から、祖国を、愛する彼女を……、彼女?


「思い出せない……」


「思い出せない? あなたはアムール准尉です。あなたのいた部隊はロルマ軍の戦略兵器の攻撃を受けて――」


 女の声だけが聞こえる。なぜかと思えば、俺は頭に包帯を巻いていて、眼帯をしているのだ。片目が見えない。女はそちら側に立っているのか――しかし、どうにも彼女の言葉には現実感がない。准尉? ロルマ軍? いったいなんの話を……。


 俺は、あの……。


「デンキネズミ……」


「デンキネズミ? それはなんですか? ロルマ軍の新兵器ですか?」


「俺は……オラは――俺?」


 頭がズキズキと痛む。


「出血が……!」


 人々の呻き声がする。聞き覚えのある声がする。あれはフレンツか。生きていたのか! 良かった、お前だけでも助かって――




                   ■




 一人の男がいた。

 彼は私に花束を差し出していた。


「僕と、結婚してくれないか」


「…………」


 男を愛している。その申し出は願ってもないものだ。嬉しい。嬉しいと感じているのに――


 違う。違う。そうじゃない。私は、俺は――




                   ■




 一人の少女が立っていた。

 ぼろきれをまとった彼女は、俺が手落としたライフルをおもむろに拾い上げる。


「それを、こっちに……」


 俺が手を差し出すと、少女はそのライフルをこちらに向けた。


 最後に見たのは、




                   ■




 見知らぬ天井があった。

 独特の、薬品めいた匂い。

 あぁ、ここは病院か。すぐにそうだと分かった。俺はベッドの上にいる。


 長い、長い夢を見ていた。

 気持ちが悪い。いや、身体はすっきりしている。肩も軽く、スキップでもしたいくらい調子がいい。


 見れば、ベッドサイドに母の姿があった。隣には父が。嗚咽を漏らす母の肩を、父が優しく抱いている。いつも厳しい顔の父が、今だけはなぜか悲しそうで。


 ……なんだよ、俺が無事だったのがそんなに――


「……え?」


 ベッドの上には、俺がいた。




                   ■




 ……これから数時間後、世界が滅ぶらしい。


 未だに信じられない。


 だけどそれは事実らしく、新聞もラジオも、テレビもネットも、どこもかしこもがこの数日間それだけを伝えていた。


 周囲のことは、よく分からない。

 俺はずっと自分の部屋に引きこもって、ただただその日がやってくることに怯えていた。


 世界が滅ぶなら、どうか俺の知らないところで。

 眠っている時に、そうと気付かずそのまま死にたい。


 クスリを飲んで、水でお腹を満たして空腹をごまかして、布団をかぶってベッドの上で膝を抱えて震えている。


 全部夢だったらいいのに。

 悪い夢だと、あぁ良かったと――そう思えたら、どんなにいいか。


 いっそ、死んでしまおうか。死にたくないとあんなに思っていたのに、急にそんな心境に陥る。

 自殺したら地獄に堕ちるのだろうか。昔、食べ物を粗末にした少女が地獄に堕ちる、そんなお話に恐怖した。地獄。鬼がいたり閻魔様がいたり。あるいは悪魔が溢れた、恐ろしい世界。それは死と同じくらいの、恐怖の対象だ。


 自殺して地獄に堕ちるくらいなら、世界の滅びに巻き込まれた方が……。


「…………」


 この薬を一度にたくさん飲めば、それで死ねるだろうか。そのまま目を覚まさずに――


 手首を切るのは痛そうだし、血がどばどば流れる光景はショッキングで躊躇われる。首を吊るのは苦しそうだ。なんでも、胃の中のものが全部出るらしい。


 拳銃があればいいのに。それなら一発で死ねるのに。


 飛び降りるのが一番楽そうだけど、いざ屋上なりに出てみたらきっと身が竦むだろう。落ちる瞬間、落ちているあいだ……地上へと近づく恐怖を想像する。それにもしも助かってしまったら? そのせいで残る一生を身体に問題を抱えたまま生きて行くことになったら?


 ……そうだ。もしも、死に損なったら?


 もしも、世界が滅びなかったら?

 薬を飲んだとして、それでも明日も世界は続いていくとしたら……?


 そう考えると、死ぬことへの恐怖が強まる。

 だけど一方で、世界の終わりを目にする覚悟もない。


 津波だろうか。地震だろうか。それとも隕石か。怪獣や悪魔が来るのか。鳥や獣が襲ってくるのか。ウイルスか。ゾンビか。少し笑える。


 それともあれか、なんとか教の言う終末がやってくるのか?

 ふざけんなよ。勝手につくりだして、勝手に滅ぼすんじゃねえ。何様だよ。神様ですってか? 笑えねえ。


 死が救い? そんな訳あるか。だったらこんなに恐い訳がない。お前らも恐いから死に救いを求めてるんだろうが。


 なんにもない人生だった。特別なものもない。ただ夢があって、それに向かって頑張ってきた。それなのに――


 くそう。くそ、クソ、クソ……!


 死にたくない。




                   ■




 散り散りになっていく。

 バラバラになっていく。


 俺はいったい何者だ。

 俺は――


 今、生きているのか?


 それとも、死んでいるのか?


 ――目を覚ます。


 どこかの部屋。窓辺のベッドに俺は寝ていて、窓から差し込む朝日に目を細める。


 自分が死ぬ夢を見た。

 何度も、何度も死ぬ夢を見た。

 どうして死んだのか、その理由は思い出せない。

 ただ、死んだことだけが分かった。

 突然のことだった。呆気ないことだった。よく分からなかった。安堵もした。恐怖もあった。じわじわと押し寄せる死に追いつめられ、楽になろうと自ら命を絶った。生きようとした。誰かを殺そうとした。何度も殺した。何度も殺された。憎まれていた。愛されていた。笑っていたし、泣いていた。


 全部、夢だ。

 あるいは、違う世界の自分……なんてな。


 俺があいつだったのか、あいつが俺なのか。


 外に目を向ける。窓が開いている。風が吹いている。


 光が降り注いだ。




                   ■




 長い長い、まるでそれは走馬灯だ。


 昔、こんな小説を読んだ。空に映し出される恐竜。人類の進化の様子。

 それらは全人類が、あるいは地球が観ている走馬灯……。

 どこか遠くの地で放たれたミサイルが、数時間後に世界を滅ぼすのだ。


 SFが嫌いだ。いつだってそこには悲観的な未来しかなくて、人類は滅ぼされる。


 地球が好きな訳じゃない。この世界もいろいろ問題ばかりで、正直滅んで一度すっきりさせればいいとさえ思う。何度も死にたいと思ったし、やるせない日々に何度も世界の終わりを願った。


 だけどいざ地球が滅ぶとなったら、他の星に移住するとかになったら、それはなんだか嫌で、俺はずっとこの部屋にいたいと思う。もちろん、死にたくはない。だけど部屋の中にある、これまで集めた本とか俺の私物を残して、捨てて、どこか遠く未開の地に行くのはなんだか嫌だ。


 地球にいたい。家にいたい。年取って身体がダメになるのは嫌だけど、普通に生きていきたい。未来ではきっと、不老不死的な技術が確立していてくれることを願っている。


 生きていたい。




                   ■




 たぶん、ここは地獄なんだろう。

 命を粗末にした、あるいは大罪を犯したものが堕ちる、地獄。


 生きているつもりだったけど、その現実が地獄そのものだったんだ。

 何度も生きて、悲惨に死ぬ。そういう人生を歩み続ける、地獄。


 今は、何回目の人生なんだろう。

 この地獄はいつ終わるのか。

 終わった先に、何が待っているのか。




                   ■




「軽井沢さん? 分かりますか?」


 先生、患者さんが意識を取り戻しました――



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異世界転世 人生 @hitoiki

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