つけ麺処 ふなかせつ
砂田計々
つけ麺処 ふなかせつ 特盛
「言いたいことがあるなら言えよ」
「つけ麺1丁」
「あいよ」
「……じゃなくて、何かあるなら言えばいいだろ」
奥さんは、僕が注文した「つけ麺」を旦那に言い渡したきり、一言も喋らなかった。
ここは濃厚な鶏白湯スープが絶品のつけ麺屋である。
メニューはラーメンかつけ麺の二択で、僕はつけ麺ばかり食べていた。
カウンターに10席あるばかりのひっそりとした店の前にはいつも行列ができている。
僕はあえてピーク時をはずして足しげく通っている。腹の減り具合を調整してでも通いたくなる味なのだ。早い、うまい、安い。どれをとってもここを超える店は知らない。
ひとつ気になることがあると言えば、この店を営む夫婦の仲があまりよろしくないということだった。
お昼時を過ぎて、店内には僕と店員夫婦の3人だけになり、しばらく沈黙の時間が流れる。
旦那はつけ麺を作り始めて、煮えたぎる鍋に集中している。
奥さんはテーブルを拭きながらピッチャーを入れ替えて回っていた。
熱々に温めたスープを椀に注ぐのとほぼ同時にタイマーが鳴って、麺が茹で上がったことを知らせる。
湯から上げた麺を、さっと氷水で締めたあと、捻りを加えてどんぶりに盛る。低温料理されたピンク色のレアチャーシューと半熟煮卵、最後に三つ葉を添えて完成。
「はい、お待たせしました、つけ麺ね。ごゆっくりどうぞ」
さっきまで無言だった奥さんが突然笑顔になって配膳してくれる。
二人とも客にはすごく愛想がいい。
水を一口、口にふくんで舌をフラットな状態にリセットする。
麺は中太ちぢれ麺で濃厚なつけダレがよく絡む。ゆで加減は柔らかすぎない弾力を残した硬さ。
麺、チャーシュー、麺、煮卵、麺、チャーシュー、麺。の順番で食べて、最後に濃厚なつけダレをレンゲで少量掬って啜る。割り下で薄めず、そのままの濃い味を舌に覚えこませるように一口だけ飲む。それが僕の食べ方だ。
伝票を持ってレジに行くと、奥さんがすかさず気づいて会計してくれる。
800円。僕はちょうど支払った。
ポイントカードを忘れずに出してチェックを入れてもらう。
「あっ。今回で溜まったので次回は注文のときに言ってくださいね」
「はい」
ついに待ちに待ったポイントが溜まった。
1回につき1ポイント、合計20ポイント。
次回、ついに裏メニューが注文できる。
10食ごとに1食無料サービスも受けられるが、僕は断然、20ポイント一気に使ってようやく注文できる限定メニューの方に興味があった。
「ごちそうさまでした」
僕が店を出ようとすると、「ありがとうございました!」と夫婦が揃って見送ってくれた。
店を出てすぐに、厨房で夫婦が喧嘩を始めているのが見えて、ちょっと残念だった。
あれから、しばらくは仕事の都合で店に行けなかった。
僕は時間を見つけてなんとか行こうと思っていた。
ある夜、店の前で行列を見て、また今度にしようかと通り過ぎたけど、これを逃すとまたいつになるかわからないなと思いなおしてついに列に並んだ。
僕はもう我慢できなかった。はやく濃厚鶏白湯のつけ麺が食べたい。レアチャーシューに齧りつきたい。煮卵で口の中をいっぱいにしたい。
列に並んで店内を窺っていると、今夜も夫婦は仲が悪そうに見えた。
僕の順番になって、奥さんが案内に来た。
「あ。いつもありがとうございます。奥の席にどうぞ」
奥さんは水をいれてくれた。
「注文はつけ麺でよろしいですか?」
「いえ、今日は、これ……」
僕は溜まったポイントカードを出した。
「ああ!そうだったわね」
僕は裏メニューを一つ注文した。その詳細は、「特別なトッピングがされたつけ麺」という以外、詳しくは明かされていなかった。
すると突然、奥さんは気合の入った声で、
「あんた、裏つけ麺1丁」
「よっしゃ!!」
注文が通ると、夫婦は一切喧嘩などしていなかったというように、阿吽の呼吸で作業に入った。
せまい厨房の中を奥さんがくるっと回り、旦那にどんぶりを手渡す。旦那はどんぶりを受け取ると、アイコンタクトで奥さんに合図を出した。奥さんは黙って頷き、包丁でチャーシューに取り掛かる。繊細な包丁使いでチャーシューの塊はあっという間に形を変えた。
そうこうしているとタイマーが鳴り、上がった麺を氷水の方で待ち構えていた奥さんにパスして、さっと締める。分担作業が行き届いている。
熱々のつけダレ、つやつやに締まった中太麺、半熟煮卵と三つ葉、それに、
「はい、お待ち!裏つけ麺だよ!」
網目状に切り込みの入った極厚レアチャーシューが麺を覆いつくすように盛られている。
裏メニューとはつまりレアチャーシューの特盛つけ麺だったわけだが、僕はそれよりも、夫婦の関係性に感動してしまった。
喧嘩をしているように見えたのは二人がプロだったからかもしれない。プロ中のプロ。プロゆえに言葉を介さなくても意思疎通ができてしまう。アマチュアはそれを見てただ不機嫌だと思ってしまう。
僕は感服して、裏つけ麺を一気に平らげた。もちろん美味だった。
「ごちそうさまでした」
会計を終えて、店を出るとやっぱり厨房の二人は仲が悪そうなのだった。
おしまい。
つけ麺処 ふなかせつ 砂田計々 @sndakk
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