二十一回目のお祝い

葵月詞菜

第1話 二十一回目のお祝い

 とある私設図書館の地下書庫に、作業室と称した小さな小部屋がある。

 そこにはこの地下書庫の番をしているというサクラという少年が、まるで我が城のように入り浸っていた。そして、少年の友人ということになっている高校生は、ことあるごとにその作業室に呼び出されていた。

 ――今日もまた、「暇だったら遊びに来てよ」という軽い誘いを断れず来てしまった。

 滝谷弥鷹たきや みたかはうっかりすると足元を掬われそうな薄暗い通路を慎重に進んでいた。転倒も怖いが、この書庫に時に漂う不穏な空気が不安を煽る。気持ちに合わせて早足になるのを堪え、弥鷹は少年の待つ作業室に向かって一路邁進した。

 作業室の扉は少しだけ開いていた。室内から漏れ出る光にほっとしながら、ノブに手を伸ばした。

「よう、サクラ」

「あ、弥鷹君。学校お疲れ様」

 サクラは定位置の椅子に足を抱えるようにして座っていて、キャスター付きの椅子ごとクルリとこちらを向いた。

 弥鷹も慣れたようにソファーに鞄を置いてその横に腰掛けた。サクラがよっと椅子から立ち上がり、小さな冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いでくれた。

「今日は何なんだ?」

 弥鷹は遠慮なくお茶で喉を潤して、無邪気な顔でこちらを見ている少年に尋ねた。

「何って?」

 サクラは不思議そうに小首を傾げる。

「何ってお前が呼んだんだろ。ただの暇つぶしか、それともちゃんと用があるのか」

 この少年が弥鷹を呼び出すときはたいがいがどうでも良いようなただの暇つぶしだが、時には何か目的がある場合もあった。その多くは、少し変わったものを弥鷹に見せたいと彼が思った時だった。

 この地下書庫ではいわゆる「不思議なこと」が当たり前のように起こる。

「今日はね、ちょっと相談にのってほしくて」

「相談?」

 珍しい。サクラはいつも気ままな自由人で、弥鷹の方が振り回されて悩まされることはあれ彼が悩むとは意外だった。

「何か失礼なこと考えてる?」

「いや別に。で、何なんだ?」

「あのね、今日兄さんの誕生日なんだ。プレゼント何が良いかなって悩んでて」

「……」

 弥鷹は寸の間きょとんとし、軽く頭を傾けた。

「お前の兄さんの誕生日、いつだって?」

「今日だよ」

 聞き間違いではなかった。弥鷹は眉間に皺を寄せて落ち着いた声で言った。

「当日になってまだ悩んでるのか?」

「そう、当日だから焦ってるんだよ」

「何でもっと早くに言わなかった?」

「だって気付いたのが今朝だったんだ」

「……」

 それもどうなのだろう。いっそ気付かないままの方が良かったのでは。

(ていうかもう午後も夕方に近いぞ……)

 呆れた顔の弥鷹に構わず、目の前の少年は至極真剣な顔で腕を組んで考えている。

「弥鷹君ならどうする?」

「ええ~……」

 聞かないで欲しい。だいたいサクラの兄について弥鷹はほとんど知らない。何が好みか、どんな性格をしているのかすら知らないのだ。無茶振りにも程がある。

「――サクラ、無駄なあがきをするのは諦めろ。今日はもう心を込めておめでとうだけ伝えろ」

 結局それくらいしか言えなかった。いや、これでも精一杯だ。他に何と言えというのか。

 サクラはまだ「うーん」と難しい顔で唸っていたが、やがてふうと息を吐いた。

「……まあそうだね。忘れてた僕にも非があるよね。まあどっちにしても兄さん今日留守だからいいや」

「え?」

「今夜は大学のゼミの研究か何かで泊りで作業なんだって」

 それを早くに言え。それならもう少し時間があるのだし、ゆっくり考えればいいだろう。

「ならお前は今晩を使って兄さんが帰って来るまでに考えろ」

 どちらにしてもあまりアドバイスができるとは思えなかったので適当に返しておいた。

「弥鷹君冷たいなあ~」

 わざとらしく泣きまねをしていたサクラが、ふと顔を扉の方へ向けた。

「サクラ?」

「ああ今年が二十一回目……最後だったっけ」

 サクラはそう小さく呟いたかと思うと、弥鷹の腕を引っ張って立たせた。

「うわっ、急に何だ」

「兄さんの代わりに僕が受け取ってあげなくちゃ。弥鷹君も行こう」

「行くってどこへ?」

 弥鷹はサクラに引っ張られるがまま部屋を出た。一気に暗い空間に引き込まれて足元が覚束なくなる。迷いのない足取りで狭い通路を進むサクラの後ろをかろうじてついて行くのが精一杯だった。棚の間に取り付けられた微かな明かりが貴重な光源だが、弥鷹にはどこをどう進んでいるのかさっぱり分からない。ここでサクラに手を離された瞬間迷子になること確定だ。

「こっちの方から気配はするんだけどなあ」

 サクラがもういくつ目かになる棚の角を曲がる。目の前で光が弾けて弥鷹は思わず目を瞑った。

「……なあ、ホントこの地下書庫どうなってんの?」

 視界に映るのは今までの暗くて怪しい空間の地下書庫ではなかった。いつの間に外に出たのかと目を疑う程に青い空と緑の木々が広がっていた。前にも似たような経験をしているが何度でも驚かされる。

「色んなところに繋がっているんだよ」

 サクラは何ともないように言って周りをきょろきょろと見渡した。何かを探しているようだった。弥鷹もまねをして辺りに目をやってみたが特に何も見つけられなかった。

 その時、頭上から羽ばたきの音が聞こえ、一陣の風と共に白い鳥が舞い降りてきた。白い翼をもった大型の鳥で、白鷺に似ている。鳥はサクラを一瞥して、弥鷹の方をじっと見つめた。その迫力に思わず一歩下がると、訝し気な低い声が聞こえた。

「あの坊主はこんなに小さかったか?」

「ああ、ごめん。それは兄さんじゃないよ」

 サクラが横から口を挟むと、鳥は少し安堵したように息を吐いた。

「なるほど。良かった、また子どもに戻ってしまったのかと思ったぞ」

 どうやら弥鷹はサクラの兄と間違われたらしい。

「して、あの坊主はどこだ?」

「今日は都合が悪くてこっちに来られなかったんだ。だから代理で僕が来た」

「何と! 今年が最後だと言うのに……残念だ」

 鳥は困ったような表情をし――弥鷹にはそう見えた――仕方がないとばかり頷いた。

「ではお前を信用して託そう」

 白い翼の中に嘴を突っ込むと、器用に何かを取り出した。水色の封筒だ。それをサクラの方へ突き出す。

「確かに受け取ったよ。安心して、兄さんが帰って来たらちゃんと渡すから」

「ああ、きっとだぞ。頼む」

 鳥は何度も頷き、そしてふふと柔らかく笑った。

「もう二十一回目のお祝いになるのだなあ。長いようで早かった」

「兄さんがちゃんとした大人になれたかは分からないけどね」

 サクラが笑うと、鳥も「確かに」と相槌を打った。

「だが直にお前も大人になるだろう」

「うーん……僕はどうかな?」

 どこか自信なさげに肩を竦めて見せるサクラに鳥は首を横に振った。

「お前さんがどういう姿形でいようと、みな大人になっていくものだ」

「……だと良いけど。その時には本体が戻って来てるといいな」

 サクラがポツリと呟いた。弥鷹は黙って一人と一匹の話を聞いていたが、どういう流れなのか全く分からない。そもそも何で鳥が言葉を話しているのだろう?

(――なんて考えるだけ無駄か。ここでは不思議なことが起こって当たり前なんだから)

 弥鷹が考えることを放棄した時、鳥が白い翼を大きく広げた。

「では兄に伝えよ。二十一回目、わたしからの最後の祝いだ。おめでとう、健やかに過ごせと」

「必ず。今までありがとうございました」

 サクラが小学生らしからぬ丁寧なお辞儀をして、鳥が立って行くのを見送っていた。弥鷹も流れで頭を下げる。

「なあ、何あれ?」

 鳥が見えなくなったところで訊いてみる。

「お祝いだよ。あの鳥はうちの一族の子どもを大人になるまで見守ってくれる守り神のような方なんだ」

「へえ? 今年が最後っていうのは?」

「一応二十歳で大人、その後一年だけ最後の見守りをしてくれるんだ。毎年祝いの詞とありがたい手紙を持って来てくれる。うちの誕生日の儀式みたいなもんだね」

 初めて聞く儀式だ。

「今年で兄さんは二十一歳。本当は直に挨拶に来るべきなんだけどね」

 まああの兄さんだから仕方ない、とサクラは溜め息を吐いた。弥鷹はちゃんと会ったことがないがどういう人なのだろう。

「しかしお前の家は儀式まであるのか……」

 このサクラという少年と言い、この意味不明な地下書庫の存在と言い、普通の一般家庭ではないことは察するが、関われば関わるほど謎が深まる。

「そんな重苦しい儀式でもないよ。ただのお祝いとお守りだと思えばいいんだ」

 そういうものだろうか。弥鷹は納得できない気持ちをそのまま流すことにする。

 サクラが鳥から預かった水色の封筒を掲げて見つめた。

 きっとその手紙は、彼の兄の誕生日を祝いこの先の祝福を願うものなのだろう。

「で、お前からのプレゼントはどうするんだ?」

 初めの相談を思い出して訊くと、サクラはまた難しい顔になった。

「……季節限定のコンビニスイーツで良いかな?」

「……お前が良いと思うならそれで良いんじゃね?」

 弥鷹はサクラと並んで、また暗い地下書庫へと戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二十一回目のお祝い 葵月詞菜 @kotosa3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ