第2話
うららかな陽光が差し込んでいる。僕は盆を持ったまま少々歩みをゆるめて、窓から目を細めて蝶が舞い飛ぶ花壇を見た。折しも季節は春。色とりどりの花々が今を盛りと咲き誇る。
――とは言え、バイオ技術のたまもので、花は一年中咲いているのだが。しかしやはりこの季節に花が咲き乱れているのはとても似つかわしい光景だ。
それに蝶も生きている本物が庭に飛んでいるなんて、このヨキアの家、クィンツ家以外では、そうお目にかかれるものではなかろう。アルテナ星では、ソーテリアとカインという二つの人種の人間以外に、生き物はまことに希少なのだから。
うららかな日差しの春というのも、気象科学庁の操作がなせる業だ。
気象科学庁では、四季が一巡するように設定していて、時に雨が降り、冬には雪が降り、適度に寒く、また暑くなるように、天気と気温を設定している。今日は晴れに設定されてあったらしい。
セルツ星へ向けて出発した頃はまだ冬のさなかで、この庭は雪に覆われていたものだ。ところが戻ってきたらすっかり暖かくなっていた。
――作り物とは言え、やはり春は美しい季節だ。
僕はそんなことを感じながら――アンドロイドだが、それくらいの感想は持てる――マイレイディの部屋へと再び歩みを進めた。
「勝手なことをしおって!」
ノックをしようとした扉の中から、大きな声が聞こえた。
やれやれ、マイレイディ・ヨキアは叔父上にご叱責を受けている最中らしい。
コンコン、ノックをして扉を開け、軽く一億ペリネはくだらないだろう絵が飾られていて、三千万ペリネはするであろう黒光りするテーブルを置いてあるヨキアの私室(これで私室だ!応接間やホールに至ってはどれだけの金がかかっているか!)に僕は足を踏み入れた。
「失礼します」軽く一礼をして、僕は手に持った盆をマイレイディと叔父上トワイ氏が向かい合わせに座る椅子の間、テーブルの上に置いた。
「だってしょうがなかったんだもん」
ぷんっ。ヨキアはそっぽ向いて、指に金の髪をくるくると巻き付けている。
「お茶をどうぞ、トワイ様」
僕はティーカップに注いだ薫り高い紅茶をトワイ氏に勧めた。
ぎろっとトワイ氏の青い目が僕に向く。
「君がついていながら、なんということかね?」
「なんのことでございましょう、トワイ様」
僕はにっこり笑って――しらばっくれた。
おおかた、先日のセルツ星に行ったときのことを言っているのだろう。そう、ヨキアが一時的にとは言えウィシュと結婚していたことだ。
「ふん、わかっていてそう言うのだから、最近のアンドロイドは始末に負えん」
そう言うと、トワイ氏はお茶に手を伸ばし、くいっと傾けた。が。
「あちっ、あちちっ」
「叔父様、相変わらず猫舌なのねえ」
トワイ氏の慌て振りがおかしかったのか、くすくすっとヨキアが真珠のような白い歯を見せて笑う。――彼女の笑顔はなんと愛らしいことか。僕は一瞬見とれてしまった。
「そ、そんなことより、ともかくっ」
ハンケチで口元をぬぐいながら、トワイ氏はヨキアをにらみつけた。
「お前たちのしたことはわしが告発すれば犯罪なのだぞ!?」
「だからっ、しょうがなかったって言ってるじゃない!それに…お膳立てしてくれたのはレノなんだし…」
うっ。
ヨキアは僕にすがるような目を向けている。
確かに僕がしたんだが…。
「じゃあ、何かね、このアンドロイドが何もかも計画して実行したと、こう言うのかね」
「申し訳ありません、トワイ様、わたしのせいでございます。どうかヨキア様をお責めにならないでくださいませ」
マイレイディにあんな目をされたんじゃ、一身に責めを負うしかないではないか。
――マイレイディは僕が守るのだから。そう心に決めているのだから。
では、さて、いかにしてこのトワイ氏を説き伏せるか。僕は頭の中で計算し始めた。
「ではお前が、間違っても法を犯さないであるはずのアンドロイドのお前が、わしのサインを偽造し、公文書偽造の罪を敢えて犯したと、そう認めるのかね」
苦虫をかみつぶしたような顔をして、トワイ氏は口元の髭をひねっている。
そう、ウィシュとの婚姻届を宇宙艇から届け出た際、未成年のヨキアには保護者か後見人の承諾が必要だった。しかし親族中に反対されていた以上、その説得には時間がかかることも容易に想像できた僕は、このトワイ氏のサインを承諾書に偽造したのだ。
「ご処分はいかようにも受けますので。しかしヨキア様には何の咎もございませんことをご承知いただきたいと」
「レノは悪くないわよっ、叔父様っ」
トワイ氏と僕の会話に、ヨキアが割って入った。しかもいきり立っている。
「レノはあたしのためにしてくれたのよっ」
――ああ、マイレイディ、僕はその言葉だけで――。僕はうっとりとヨキアの声を聞いた。
「しかしだな、法を犯したことは」
「当局にはばれてないんでしょ?なら叔父様が言わなきゃわかんないじゃないの」
しれっとヨキアが言う。
経営はこのトワイ氏に任せているとは言え、これでこのアルテナ星でも屈指のグループ会社のオーナーだというのだから、社会的に考えれば、――こわい。
「……。…君に言い分はあるのかね」
ヨキアの相手はしていられないとばかりに、トワイ氏はこちらに再び顔を向けた。
「そうですね、一つだけ言わせていただければ、あれは緊急避難措置だったということです」
僕もしれっとそう言う。どうやらヨキアの悪いところがどんどんうつってきているようだ。飼い犬は主人に似ると、遠い昔、まだ犬という生き物が多かった時代にはそう言ったらしいが、さて、それに似たようなことか。
「緊急避難措置とはどういうことだ」
釈然としない。そういう風に眉をひそめてトワイ氏が尋ねる。
「ですから、あの宇宙艇が事故を起こしたのはご存知でございましょう。あれでヨキア様の合成食料はすべて流れてしまい、ヨキア様は十日もの間、食料を摂取することが出来ませんでした。それで私は帰路は生を用意して差し上げようと」
「だが、セルツ星で合成食料を手に入れられたはずだ。現に君はセルツでそうしたと記録に残っておる」
僕の言葉を遮るように、トワイ氏はそう続ける。
「仰るとおりでございます」
ここは一つ引くが賢かろう。僕は頭を下げる。
「では何故だ」
「ヨキア様の精神状態を鑑みれば、合成食料では埒があかなかったと申し上げます」
「ヨキアの精神状態…?」
腑に落ちぬと、トワイ氏は眉をひそめる。
「はい、トワイ様は十日間の飢餓状態を体験なさったことがおありですか」
「いや…それはないが…」
また髭をひねる。トワイ氏には毎朝髭を整えるための専用の使用人がいるらしい。そのご自慢の髭だ。
「ヨキア様は宇宙艇の中で、合成食料では飽き足らないご様子でした。その上、その合成食料もなくしたのですから、ヨキア様の食料への執着はいかばかりだったとお思いでしょうか。それに…」
「それになんだ」
僕が言いよどんでいるので、トワイ氏は焦れて先を促す。
「ヨキア様の叔父上様にこのようなことを言うのは憚られるのですが…その…」
「だから何だ」
「早くおっしゃいよ!」
ヨキアも焦れている。さすがに血のつながった親族同士だ。僕は心の中で苦笑する。
「では申し上げます。…ヨキア様の性格というものをお考えいただきたい」
「性格…これのか…。ふむ…」
さすがに本人を目の前にしては、実の叔父と言えど言いにくいらしい。しかも彼女は本家の総領でもあるのだから。
「そうさな、その…自由を愛するというか、まだまだ、その、子供っぽいというか…」
「またずいぶん真綿にくるんだような言い方ですね」
僕はにっこりと口元に笑みを浮かべる。
「はっきり仰ったらいかがでしょう。ヨキア様は我が儘気儘、身勝手、自己中だと」
「ちょっと、レノ!ずいぶんな言い方じゃない!」
マイレイディはぷうっと頬をふくらませて怒っている。
「マイレイディ、すみませんが、今はちょっと黙っていてくださいね」
「何でよぉ!だいたいレノはあたしのアンドロイドのくせに、何で主人であるあたしの悪口を言うのよぉ!」
ヨキアはまだぎゃあぎゃあ言っているが、僕はトワイ氏に「いかがでしょうか」と向き直った。
「た、確かに君の指摘通りだと、わしも思うが…しかしそれとこれとどういう関係が…」
「ですから、この我が儘なお嬢様が、たいそうな飢餓状態に置かれた後で、ただの合成食料で我慢できるとお思いでしょうか。合成食料だけでは、身体的な飢えから解放されたとしても、精神的なそれからは解放されません。――かといって、アルテナ星以外での生の摂取は違法です。となれば、ちょうどセルツ星にいてヨキア様と結婚したがっていたウィシュ殿の血を合法的に分けていただくしか手はなかったのです。つまり、結婚しかなかったということです」
立て板に水とばかりに僕はまくし立てる。だがトワイ氏はまだ釈然としない様子だ。
「だが、精神的にといっても」
「では、トワイ様は、このクィンツ家でも本家の総領でいらっしゃるヨキア様に精神的な異常が起こっても、いっこうに差し支えないと思し召しなのでしょうか?」
ずいっ。僕は身体を乗り出して問いつめる。
「い、いや、そうではなく」
「もしや、そうなれば、トワイ様はその実権と財産を手中に出来ると、そうお企みなのかと、私どもは疑わざるを得なくなると…」
「そっそんなこと、考えたことも」
一種の脅迫である。マイレイディの叔父上まで脅すなんて、全く、僕も人が悪くなったもんだ。
「あら、もしそうなら、あたし、弁護士に言って後見人の変更をお願いしなきゃ。…となると今グループ会社の経営をもお願いしているわけですけど、それからも手を引いていただいて、そうですわねぇ、カウテ叔父様かナティカ叔母様に経営や後見をお願いする…ということも検討しなければねぇ」
ヨキアも悪のりして、そんなことを言い出す。――さすがはマイレイディだ。僕は心の中で苦笑した。
「だからっ、そんなことは毛の先ほども思っておらんと、さっきから」
真っ赤な顔をして必死に否定するトワイ氏に
「ですよね」
にっこり。最上の笑顔で僕はその言葉を肯定してやる。
「ヨキア様、まさか実の叔父様が、そのようなことを考えていらっしゃるわけがございませんよ。ですから、先ほど私どもが申し上げた『緊急避難措置的対処』だったということも、おわかりになってくださっているはずですよ。……ですよね、トワイ様」
「う、うむ…」
「まあ!ありがとう!叔父様」
ヨキアはさも感激した風に、胸の前で固く手を組んで立ち上がった。
「さすがは大人でいらっしゃるわ!これなら安心して会社の経営をお任せできるというものよ。ねえ、レノ?」
「もちろんですとも。私どもがトワイ様のサインを偽造したことなど、些末なことと思し召して、不問に処していただけることと、存じておりますとも」
「む…、しょ、しょうがないな…」
トワイ氏はやはり何やら釈然としない様子だったが、これ以上ここにいて、会社の経営や後見人の立場を取り上げられてはたまらないと、「で、では、また様子を見に来るからな」と言い置いて、そそくさと部屋から出ていき、屋敷を後にした。
「ふーっ、もう、あのじじいったら!」
トワイ氏を見送った後、大きく溜息をついて、マイレイディはまたすとんとソファに腰掛け、紅茶を口に運んだ。
「マイレイディ、お言葉が過ぎますよ」
一応はたしなめてみる。無駄な努力と自分でも感じていたが…
「んもうっ、叔父様のつまんない用で紅茶が冷めたじゃないっ。スア、スア!」
ヨキアは内線のフォンに向かい、大きな声でメイドを呼んだ。
ほどなく扉が開き、スアというメイド――彼女もアンドロイドだが――が部屋に入ってきた。
結い上げた黒い髪、そして白い肌に映える紺色のメイド服。そして作り物にありがちな美しい顔立ちとすばらしいプロポーションである。
「ご用でしょうか」
スアが軽く小首をかしげてヨキアに問う。
「用があるから呼んだの。紅茶が冷めちゃったの。これはもう下げて」
「はい、かしこまりました」
「で、ね、お腹空いたから、食事を用意して」
「はい。今日はどのタイプにいたしましょうか」
「そうねぇ、Aのタイプで。あ、老人のはダメよ」
「承知しております」
スアはにっこり微笑んで紅茶の盆を手に客間から下がっていった。
「もうお食事ですか?まだ日も暮れてないというのに」
僕はカーテンを透かして外を見る。日は中天近くにあり、日が暮れ暗くなるにはまだ数時間は要するだろう。
「いいじゃない、お腹空いちゃったんだもん」
――やっぱりマイレイディは怒るとお腹がすく傾向にある。さっきのトワイ氏とのことが腹が据えかねているらしい。
確かにこのマイレイディ・ヨキアを叱るなどとは、親族でもうるさ型のトワイ氏とナティカ叔母様くらいのものだからな――。ま、我が儘なこのお嬢様にはいい薬かもしれないが。ここのところ僕もヨキアには甘くなってるからなぁ…。
そう、あのセルツ星の一件以来、僕はマイレイディに弱くなってしまった。どういうプログラムの変化なのか、時にマイレイディのためにはならないと思いつつ、理性とはかけ離れた判断をしてしまうことがある。
「それよりさっきは巧く叔父様を言いくるめられたわね。さすがはレノだわ」
ふふふっとヨキアは思い出し笑いをする。
――う。
そう、この笑顔に弱いのだ。この笑顔のためならと、何故か思ってしまう。
身体の中を流れるオイルがどくどくと駆けめぐり、熱量が顔に集中するのが自分でもわかる。
「お待たせいたしました」
その時スアが盆に食事をのせてやってきた。そして僕の顔を見て「…ったく、アンドロイドのくせに、何赤くなってんのよ、レノ」と小声でつぶやいた。
「本日のはタイプA、十八歳男性のものでございます」
盆からテーブルの上に、赤い液体の入ったコップが移された。
これが彼ら――はるか遠い昔、地球でヴァンパイヤと呼ばれていた――ソーテリア人種の食料なのだ。日に三度、これを摂取する。とは言え、この生のものを毎度毎度摂取できるのは、金持ちに限られている。なんと言ってもカイン人種から取られる血液そのものなのだから希少なのだ。そしてこれを買えない者は、ヨキアが不味いといっていたあの合成食料で我慢しなければならないのである。
ヨキアはテーブルの上のコップに手を伸ばし、口をつけると、こくこくこくとたちまち飲み干した。
「…不味い」
――またですか!?
セルツ星への旅から帰ってきてからというものの、ヨキアはこの生の食料にも文句を言うようになっていた。
「マイレイディ、これは生、なんですよ?しかも十八歳男性のものなんですから、極上の品で」
「だって…」
「以前は喜んで飲んでいたじゃないですか」
「でも…」
「わかってます、あなたの言いたいことは。けれどカイン人種の身体から直接血を飲むのは、さすがのこのアルテナでも禁止されてるんですって、何度言ったら」
「でも飲みたいのっ!――ウィシュの首を咬んで、こう、血が口の中にじゅわっと滲み出してきて、それを吸い取るようにして飲んで…ああ…。…忘れられないのよっ、あの美味しさを!」
ばたばたばたと投げ出した足を打ち鳴らして、ヨキアは訴える。
「レノの不手際ね。カイン人種から直接飲ませるような真似、どうしてしたの。取ってからコップに移して、お嬢様に差し上げればよかったんじゃない」
スアが涼しい顔をして僕を横目で見て、そう言う。
確かにスアの言うとおりだ。いたずらにヨキアの本能に火をつけてしまったのは、確かに僕の責任だ。しかしあの場合、ウィシュにマイレイディを騙し悲しませた罰を与える意味でも、ああするのがよかろうと思ったのだ。だが、後々になってこんなことになるとは――。
ふう。
僕は溜息をついてヨキアの座る椅子の横にひざまずき、彼女の目をのぞき込んだ。ヨキアはぷうっとまた頬をふくらませている。
「マイレイディ、お聞き分けください。あなた方ソーテリアが無分別にカインを襲い、その血を飲んだらどうします。あっという間にカインは滅びる。するとあなた方ソーテリアもカインの血を飲めなくなる。それに合成食料も原材料の一部には、ごくわずかとはいえカインの血の成分が必要なのです。となると、畢竟、あなた方も滅びてしまうのです。――だからこそ、カインを襲ったりその血を直接飲むことは許されていないのです」
「でも宇宙艇の中ではウィシュの血を飲ませてくれたじゃない!」
「…ですから」僕はき分けのない子供を相手にしている気分だった。まったくもう十八だというのに。
「それはウィシュ殿と結婚なさっていたから許されていたことなんですよ」
「だけど、あたしは飲みたいの!カインの首から直接飲みたいの!」
「お嬢様」
スアも目でたしなめる。
けれど、アンドロイドのメイドの言うことなど聞くわけがない。ぷいっとそっぽ向くヨキアだ。
どーすんのよ。スアが口に出さず目で語りかける。
どーすんのよったって…。
僕は途方に暮れる。まったくこのお嬢様には困らされることばっかりだ。
「……、…方法がないわけじゃやないんだけど…ねぇ」
スアが「ふう」と溜息をつき小さく独り言を漏らす。
おい、ちょっと…ッ!僕はスアのその一言にあわてた。今のが耳に入ればマイレイディは――。
「えっ、なになに、なんなの、スア!」
――やはり聞き漏らすようなマイレイディではなかった。目をきらきらさせてヨキアは立ち上がりスアに詰め寄る。
あーあ、僕は知らないぞ。
「え、その…、あの…」
あらぬ方を見る僕に、スアはしまったと思ったのか、口ごもった。
「何なのよっ、その方法って!早く言ってよ、スア!」
もとよりそんな雰囲気を感じ取ってあきらめるマイレイディではない。
「…えーと、あの…、……レノぉ」
ついにスアは僕に助けを求めてきた。――まったく抜けたアンドロイドもあったもんだ。いや、マイレイディの笑顔に参っている僕だってそう言えた義理じゃないんだが…。
「…ええ、確かに方法がないわけではありません。しかしそれはあなたにとって、また色々なことに良くない結果を生みます。それがわかっているからこそ、僕たちはあなたにお勧めしないのです。それをおわかりいただいて、マイレイディにもカインから直接食料を摂取することなど断念いただくよう、お願いし」
「――レノ」
「は、はい」
「あたしは誰」
くいっと顎をあげてヨキアは僕をちろんと見る。
「は、マイレイディ・ヨキア様にて」
僕は恐懼し一礼する。
「あたしはあなたの何」
「…ご主人様です」
「だったらあたしの言うことを」
「ダメです」
ヨキアの言葉を遮って、僕は目に力を込めて彼女を見る。
「あなたのためだからこそ、です」
「……レノぉ」
じとっ。戦法を変えたらしい。今度はマイレイディは僕をそんな目で見る。
「う…、ダメだと言ったらダメなんです」
やばい。気持ちがぐらつく。一転、僕はマイレイディから目をそらした。
「ひどい…。期待を持たせておいて、あんたたちってば…。アンドロイドって人間をもてあそぶ趣味でも持ってるっての?」
ヨキアは椅子にすとんと腰掛けて、スカートの裾をつまんで今度はいじいじとすね始めた。
「そんな、それは誤解です!」
スアが叫ぶ。そりゃそうだろう。僕たちは人間の役に立つようにプログラミングされている。そんなことを言われたら、アンドロイドしてのアイデンティティ――そういうものが認められるのかどうなのか知らないが――が成り立たないというものだ。
「マイレイディ」
僕はまたマイレイディの横のひざまずき、彼女の手を取った。
「僕たちはあなたのために存在していると言っても過言ではないのです。だからこそ、あなたのためにならないと判断したものは排除しますし、同様にあなたの未来のために良くないとなれば」
「ふうん。そう」
僕の言葉を遮って、ヨキアは目を光らせる。
「それなら、あたし、このままだとおかしくなっちゃうわよ?」
「マイレイディ!」
またまたヨキアは戦法を変えたらしい。――今度は脅かしかよ…。まったくあの手この手で来るんだからたまったもんじゃない。
「カインから直接血を飲みたいが為に、あたしは精神に異常をきたし、ふらふらと街へ出てはカインを襲うかもぉ」
僕は、今日何度目だろう、また溜息をつく。
「そうだとすれば、僕たちはあなたを軟禁状態に置くということも辞さず、ということになりますね」
「ひっどい!」
「それがひいてはあなたを守るということなのですから」
僕がそう言うと、ヨキアはぷいっと顔を背けた。そしてうつむいたままそれ以上言葉を発しない。
――わかってくれたのだろうか。それにしては様子が…。
「マイレイディ?」
僕はマイレイディが顔を向けている方に回り込み、しゃがんで彼女の顔をのぞき込んだ。
――う。
ぽろぽろ。ヨキアは涙をこぼしている。そして。
「ひどい、ひどい、レノってば、そんなことまで言うなんて…、ひどい…」そう小さな声でつぶやいている。
「マ、マイレイディ、あの、その、僕はあなたのために」
ううう。僕はマイレイディの涙には弱いんだって!
「……うー……、わ、わかりましたっ、言えばいいんでしょっ」
「ほんとっ!?」
ぱあっ。途端にヨキアの顔が輝く。
――あーあ。スアのそんな声が聞こえたような気がした。
「その方法を言うだけですよ?」
「うんっ、なになに?」
顔いっぱいに喜びを表して、ヨキアは僕の目を見つめた。
うー…ホントに僕はどうしちまったんだ。彼女の涙と笑顔にこんなに籠絡されちまって…。やれやれと言うふうに手を広げているスアを目の隅にとらえながら、僕は渋々口を開いた。
「――また結婚すればいいんですよ」…と。
このアルテナ星のみならず、今や多くの惑星に住むカイン人種とソーテリア人種は――ソーテリアのほとんどはアルテナ星に住んではいるが――はるか昔、地球という母星から発したのだと、伝説は語る。
そしてソーテリアは、地球上ではヴァンパイヤとしてカインから怖れられていたという。なぜならばカイン人種の血を食料としていたからだ。
けれど地球のヴァンパイヤ伝説と彼らソーテリアは違う点が多々ある。ソーテリア人種は太陽や明るいことを嫌うことはないし、鏡にもちゃんと映る。第一ソーテリアから直接血を吸われたカインが、ソーテリアに変化したということなぞ聞いたことがない。
もともと地球のヴァンパイヤ伝説が間違っていたのか、それはわからない。あるいは地球にいた頃にはそうであったのかもしれないが、アルテナ星に来てから変化したのか。
そもそもヴァンパイヤとソーテリアは別のものだと論じる学者もいる。 端的に言えば、ソーテリアは呪われた一族の末裔ということではなく、悪魔の化身でもなく、ただ単に進化の過ちによりどこかで枝分かれした人種であろうと。
ソーテリアは非常に長命なたちで、健康にも優れているし、繁殖力もある。これはアルテナの気候が彼らソーテリアに非常に適しているせいであろうと、論じられている。
一方カインはこのアルテナにおいて、特に非常な不適合であるわけではなかったが、あまりにものソーテリアの生命力の強さに押され、やがて数の不均衡が起こり、結局はソーテリアの捕食対象とならざるを得なかったらしい。――大規模な人種間戦争があったと歴史は語る。――結局はソーテリアが勝ったわけだが、彼らは馬鹿ではなかった。普通ならば勝った側と負けた側、捕食する側とされる側が対等になることはあり得ない。それが自然の法則だ。だが彼らはちゃんとカインにも人権を認め、またカインを不必要に減らすことのないよう、法律でもって直接の捕食を禁じたのだ。そしてカインは、ある意味特権を持つことになった。いろいろな面で手厚く保護され、血を売れば働く必要はなく、遊んで暮らせるという特権を。週に一度、血を抜く、それだけで――。
そう、あくまでも血を抜いたものを、ソーテリアは摂取するのであって、決して首を咬んで直接血を吸ってはならないのだ。カイン保護法第一条第一文に記載されている重要条項である。
が、例外が一つだけある。
ヨキアが宇宙艇のなかでやった例の方法である。――結婚すればいいのである。結婚は宇宙法において重要な約束と見なされ、人種の例外なくその持てるものは分け与えなければならないと定めている。
――すなわち、カインの持つその血も同様である。
「なーんだ、そんなことだったの」
ヨキアはけらけらと笑った。
「ですが、今度は宇宙艇内にいたときのように簡単ではないんですよ」
「どして?」
眉をひそめる僕に、ヨキアは首を傾げる。
「誰かカインを連れてきて、婚姻届にサインさせればいいんでしょ?」
――ったく。このお嬢様は何にもわかっちゃいない。世間知らずもここに極まれりだ。
「いいですか、あなたはまだ成人の二十一歳に達しておりません。ということは、後見人の承諾が必要だということはおわかりですね?」
「ああ、またトワイ叔父様をちょっと脅かせば何とかなるんじゃない?結局宇宙艇でのことも納得なさったんだし」
うふふ、とヨキアは今にもカインの首から直接血が飲めるとばかりに嬉しそうだ。
が、僕は首を横に振る。
「あれは『緊急避難的措置』だとトワイ様にも申し上げましたでしょう。同じ手が通じるとお思いですか」
「ええー、ダメなのぉ」
薄紅色の唇をとがらしてヨキアは不満げな表情を作った。
「それだけじゃありません。いや、それよりももっと大事な点があります。――結婚とは持てるものを分け与えなければならないのです。もちろんそれであなたはカインから血を飲むことが出来ます。しかしあなたの持つ莫大な財産も、相手のカインに分け与えねばならないんですよ?」
ヨキアの持つ財産はかなりのもので、アルテナでも屈指のグループ企業のオーナーである彼女は、かなりの贅沢をしても使い切れないほどの金が毎年毎年転がり込んでくる。小さな惑星を丸ごと一個買ったとしても、まだあまりあるほどの財産家なのだ。
「えー、でも、ウィシュの時は巧くいったじゃない?権利放棄の書類にサインさせて、巧く離婚できたじゃない」
「あれは宇宙艇という密閉された空間だからこそ巧くいったんです。かなり強引な手でね。あの手が地上においても使えるとはお考えにならないでください」
「えー…でもぉ…」
「ではお聞きします。あなたはその財産を、個人的な一時の欲求に負けて、他の人間に半分分け与える、それによる社会的影響というものを考えたことがありますか?」
「え、社会的影響って…」
「おわかりにならないのでしたら申し上げます」
もし、とあるカインが――しかものカインがソーテリアに抑圧されていることを不満に思うカインであるならばよけいに――ヨキアの財産を半分持つことになってしまったら、大変なことになるだろう。そのカインがカイン人種に豊富に金を提供するようなことになれば、彼らは血を売ることをしなくなる。血を売らなくても暮らせるからだ。そしてソーテリアは文字通り血に飢える。合成食料もあるとは言え、生の血に対する需要はかなり高いのだ。特にソーテリアの上層部――ヨキアのような――は、生でなければ我慢が出来ないという輩が多い。やがて血に飢えたソーテリアは、法律を無視してカインを狩るだろう。それは本能に根ざしたこと故、容易に想像できる事柄である。そしてカインもおとなしく狩られるままにはなっていないだろう。莫大な財産を手に入れたカインは出来る限りの反抗をするに違いない。――再び人種間全面戦争に突入する。
僕は訥々とヨキアにそう説いた。
「そ、そんなことまで起こるの?」
「可能性の問題です。もちろん、僕はソーテリアとカイン、両人類の理性というものを信じたいですが。しかしあなたの持つ財産というのは、それだけの影響力を持っているのですよ」
「………」
さすがにことの重大さがわかったらしい。ヨキアはすっかり考え込んでいる。
「…じゃ、この財産を持つ限り、あたしはカインから直接血を飲めないって――こういうこと?」
「かと言って、財産を手放すことも出来ないでしょう。あなたが思うさま贅沢をしたり、好き勝手したりわがままを言ったり、僕たちアンドロイドを持っていられるのも、いつもいつも生を飲めるのも、すべては財産のおかげなんですから。――せいぜいご先祖やお父上に感謝なさるんですね」
「でも、財産がいくらあったって、あたしが一番欲しいものが手に入らないんじゃ何にもなんないじゃないッ」
――やれやれ…。どうしろってんだ…。僕は頭が痛くなってきた。(断っておくが比喩的表現だ)
「しょうがないでしょう、それがあなたの立場というものなんですから」
「立場なんかそんなもの知らないッ!あたしはカインの血が飲みたいの!レノ、何とかしなさいッ」
とうとうヨキアは癇癪を起こしだした。金色の髪を振り乱して、そこいら辺のものを僕に向かって投げつける。
「ちょ、ちょっと、マイレイディ、落ち着いて」
僕は目の前に迫るコップやクッションを受け止めながら、ただひたすら彼女を宥めるしか術はなかった。
――僕がアンドロイドでなくカインならば、喜んでこの首を差し出したものを…。
そんな考えが脳裏――頭部に埋め込まれた人工頭脳チップだが――によぎったが、もとよりそれは無理な話であった。
それ以来、ヨキアはことあるごとに、つまり日に三度の食事のたびに、カインから血が飲みたいと我が儘を言い続けた。そしてその度に八つ当たりされるのは僕やスアだった。
「もう、いい加減にして欲しいわ」
スアは高価な絨毯にぶちまけられた紅茶の跡や、ずたずたになったカーテンを片づけながら、僕にそう愚痴をこぼした。
「……」
確かに同感ではあったが、僕はマイレイディに弱い。それを知っているスアが僕を責めるような目で見ているのを感じているし、だからこそ僕は何も言い返せない。だから僕はただひたすら壁に飛び散ったカインの血を拭き取っていた。――先程マイレイディがコップを放り投げたのだ。その時は食べ物を無駄にするなんて、ときつく叱ったのだが。
「で、レノはどうするつもりなの。あのまま放っておくの?」
スアは窓の外を顎でくいっと指し示す。花壇のところでヨキアはせっかく美しく咲いた薔薇の花びらをむしっていた。
「やばいんじゃないの?」
「うーん…」
彼女は我が儘なだけにもろい。要するにまだ子供と同じなのだ。
「カインと結婚させるしか、彼女の欲求を満たすことは出来ないんだが…。かといって、食料とするために結婚するというのも、変な話だしなあ…」
そう、ヨキアは結婚の何たるかをわかっていない。食料としてそうしたい、というのであって、結婚の本質ということからすれば、むしろウィシュの時の方が幼い恋心であったとは言え、純粋だったような気がする。
「今は法的にも勝手に結婚できないわけだから、何とか抑えられているけれど、彼女が二十一歳になったら好きに出来るんだし、――そうなったら大変よ?」
「わかってるよ…。…何か、何か荒療治が必要だよなあ…」
そう、荒療治が。
それには彼女を押さえられる強い存在が必要だ。父親はもういない。…となると、夫。彼女が愛し、また愛されるような、そしてものの道理がわかった大人の男と結婚すればいいんだ。
優秀な強い男に彼女をゆだねて――。そう、誰か…。そしてヨキアは妻となりいつか母となり、幸せになって――。幸せに…。
――僕では彼女を幸せに出来ないのだ…。
とどのつまりは自分が彼女を守れる存在ではないことを、僕は心から嘆いた。
――マイレイディ。
その後二、三ヶ月はヨキアはイライラと欲求が受け入れられないことに怒っていた。しかし人間の怒りというものはいつまでも持続するものではない。そのうちあきらめたのか、あまり言わなくなった。また今までの普通の生活に戻ったのだ。僕とスアはほっとしていた。――とはいうものの、マイレイディはその欲求の中に、相変わらず爆弾を抱えていることに違いはなかったけれど。
その頃から、僕はヨキアの親族に計り、ヨキアにふさわしい社会的地位や経歴の男のリストアップを始めた。そしてその男性たちと自然に親しくなれるように、出会いの場をセッティングしたり、デートできる段取りをつけたりと、まるでピエロの役回りを演じていた。
ところがことごとく、マイレイディのお気には召さないようで、結婚はおろか、恋愛感情が発生するまでにも至らなかった。というのは、相手の男性にしたって、彼女の持つ財産は大いなる魅力で、そしてそれが見え隠れする限りは、ヨキアの彼らを見る目が厳しかったというのが原因のようだ。よほど財産目当てのウィシュのことでは懲りたらしい。
僕はといえば、複雑だった…というところか。
彼女が僕も納得できるような男と結婚してくれなければ困る。
けれど。
相変わらずマイレイディは僕にちょっとした我が儘を言う。――僕だけに。それが嬉しかったのも事実だ。
結局膠着状態のまま二年が過ぎ、マイレイディは二十歳となっていた。
その日、ヨキアは仕事から帰ってくるやいなや、私室のソファに座ってぼーっとしていた。そしていきなり眉をひそめ怒ったような表情を作ったかと思えば、ふう、と溜息をついてみたり、様子がおかしかった。
ヨキアは一年前くらいから、グループ会社のオーナーとして、トワイ氏について経営の勉強をしている。彼女が成人になったら引き継ぐべきものだからだ。とは言え会社の体制はしっかりと整っていて、大きな方針を示したり、取引先との付き合いや、いくつもの会社の視察といったところが彼女の仕事になるだろうが。
いつもならば僕も彼女の仕事についていき、色々な補佐をするのだが、その日は邸宅の改装工事が入っていて、僕はその指示をするようにヨキアに命じられていて一緒に行けなかったのだ。
だからヨキアに何があって何でヨキアがこんな風なのか、僕にはわからなかった。――今日は予定によれば、トワイ氏と一緒に新工場の視察だったはずだが。
超高速プレインで二時間かかる土地に、ヨキアの会社の一つ――クィンツバイオ農場工業――は新しく工場を建てた。それは数年前開発されたバイオの新工法で、穀物の栽培のスピード化をいっそう押し進めたもので、特に目新しいものではなかったが、ヨキアは落成式を兼ねた視察に出席しなければならなかったのだ。
(穀物はカイン人種の為のものだ。カインには炭水化物や野菜などの無機質、タンパク質や脂肪を主成分とする合成肉などの食料が必要だからだ)
僕は溜息をついているヨキアにお茶を差し出しつつ、それとなく尋ねてみた。
「マイレイディ、どうかなさいましたか」
「ううん…別に…」
「いかがでした、新工場は」
「うん、別に…」
「何か変わったことでもあったんですか?」
「ううん、…別に…」
ヨキアはそう言うばかりだ。…こんな魂の抜けたような彼女は珍しい。心ここにあらずといった風情だった。
その訳は三ヶ月後、件の工場にヨキアが再び視察に行ったときに判明した。その時にはお供でついていくことが出来た。
――そしてそれはヨキアが特に希望した視察だった。
「お嬢様がまたまたいらしてくださり、社員の志気もあがるというものですよ」
工場長の見え透いたおべんちゃらを、「ああ、そう」と気のない返事でかわして、空色のワンピースと、同色の帽子をかぶったヨキアはきょろきょろとあちらこちらを見回していた。
カラス張りの向こうではスピード栽培された穀物が、オートメーションの機械によって刈りとられている。清潔で効率的な工場だ。
工場長にしてみれば、仕事の内容などさしてわかっていない小娘が、何の視察だというところだろうが、何と言っても彼女はオーナーである。努めてにこにことしている。せめて機嫌を損ねないようにしなければならないのだろう。――ご苦労なことだ。
「…あの」
「はいはい、何でございましょう」
揉み手をせんばかりに工場長はお伺いを立てる。
「前に…視察に来たときに、あたしに…その、…怒った人がいたでしょ」
おや。僕は驚いた。そんなことがあったのか。
それにこんなおずおずとした様子のヨキアはちょっと珍しい。
「はいはい、まったくけしからんことでございました。あの技師ですな。お嬢様と知っていたにもかかわらず、怒鳴りつけるなどと、まったくいやはや」
「彼は…今、どこに?」
「はあ、あの後早速、彼は主任技師から降格させまして、修理係にしましたので」
「そんなこと聞いてるんじゃありません。…今どこにいるかって聞いてるの!」
工場長を叱りとばすがごとく、ヨキアはきつい声を出す。
おやおや。公の立場で来ているってのに、こんなに激高するとは何事だ?
僕は訝しく思った。
「は、はい、ただいま呼びますのでっ」
直立不動でそう返事して、工場長は振り向き、「おい、あの、何てった、前の主任技師、あれ呼んでこい!」部下に命じた。
「マイレイディ」
僕はそっとヨキアに耳打ちした。
「その主任技師があなたに何か?怒鳴りつけたとはいったい?」
「…え…ああ、うん…」
ヨキアの答えははなはだ歯切れの悪いものだった。
僕はなんだか良くない予感がした。ヨキアは良きにつけ悪きにつけ、感情も言葉もはっきりしている。そのヨキアが、どうしてだ?
僕も、そしてヨキアも、身構えるようにその技師を待っていた。
程なく廊下の向こうに長身で筋肉質ではあるもののほっそりとした体格、黒髪、黒い瞳の男が現れた。黒い髪は長く、後ろで一つに束ねられている。身につけた白いつなぎの作業着は所々油が付いて、首からは先程までかけていたのかゴーグルがぶら下がっている。スタイリッシュであるとはとても言えず、けれど背筋をまっすぐに伸ばしたその姿勢には、どことなく威風堂々といった感じがする。自分に自信を持っているということが伺えるような男だ。
「何ですか、早く修理しろとせかしているのはそっちでしょう。だいたい僕は元々修理技師ではなく、設計や操作が専門の技師であって」
工場長の部下にせかされつつも、悠然と歩いてくる男がそこで言葉を切った。ヨキアに気づいたからだ。
「ははあ、そういうことですか」
つかつかつか。男が近づいてくる。
「オーナーでしたね」
恐れ入る社員たちの中で、彼は特に彼女に対しへりくだる様子はなかった。
「ええ、こんにちは」ヨキアの顔に緊張感が走っている。
「僕にご用だそうで。いったいなんです?この前あなたを怒鳴ったことに対してまだ何か?」
「あ、あの」
「お聞きになったでしょう、あの件で僕は降格されました。それとも今度こそクビですか」
彼はヨキアから視線を逸らさず冷たい声で言い放つ。
――何様のつもりだ、マイレイディに。僕は彼をにらみつける。オーナーに対し不遜もいいところじゃないか。クビにしてやればいい、こんなヤツ。
「…そうじゃないの」
けれどヨキアの言葉は僕が思っていたこととは正反対で、しかも弱々しい調子でだった。
「あなたに謝りたいと、ずっと思っていたの。…その、あれはあたしが悪かったわ。ごめんなさい」
ごめんなさい?ごめんなさいだって!?
確かに以前にもヨキアの口からその言葉を聞いたことがある。けれど二度までも聞こうとは僕はついぞ思わなかった!
しかもたった一度会ったことがあるだけの男に!
僕の頭部に埋め込まれた人工頭脳チップは反乱を起こしたようにめまぐるしく計算し直していた。
けれど僕のそんな混乱をよそに、ヨキアと彼――名札にはノマイ・テッツとある――は周りが注視するのも気にならない風に話していた。
「あの装置はさわっちゃいけないって言われていたのに、つい好奇心からさわっちゃったあたしが悪かったんです。それで危うく事故になるところで…。あなたが怒鳴るのも当たり前よね…」
「やっとわかってくれましたか」
「なのにあたしったら、怒鳴られたことが恥ずかしくて悔しくて、当たり散らして…。――それにあなたが降格されていたなんて、知らなかった…。それも含めて謝ります。ホントにごめんなさい」
深々とノマイに頭を下げて、ヨキアは工場長を振り返った。
「工場長」
「は、はいっ」
「彼は正しいことを言ったに過ぎません。なのに彼を降格するのは間違った処分ではないでしょうか」
鋭い目で射すくめられて、工場長は青くなった。
「は、わ、わかりました、すぐに彼を元の役職に復します」
「よろしくお願いします」
またもヨキアは頭を下げた。
またも!
あのヨキアが!
しかもこんなおべんちゃら言いにまで!!
僕の人工頭脳チップは今にも壊れそうな勢いだった。
仕事を済ませて、今日もヨキアはいそいそと出かけていった。――僕のガードも断って。
今日はノマイというあの男が、この都市に来るのだという。
三日と開けずヨキアはあの男と会っている。この邸宅にも来たことがある。
――どういうつもりなのだろう、ヨキアは…。
僕は自室の机の引き出しから、書類の束を引っ張り出して目を通す。――何度目だろう、これで。これを見るたび、ヨキアがどういうつもりでノマイに会っているのかわからなくなる。
書類の一番上の用紙には、『ノマイ・テッツに関する報告書』と大きく書かれ、内容は彼の生い立ち、家族構成、学歴、学生時代の様子、勤務状態、現在の健康状態、性格、特徴、――つまりノマイに関して調べられることすべてが書いてある。
ふう、と僕は大きく溜息をつく。
確かに優秀で仕事も至極まじめにやっているようだし、僕が見たところなかなか正義感が強く、人に好かれ、言うことなしの好人物だ。この邸宅に来たときの様子を見ても、あの我が儘なヨキアに一歩も引かず、ダメなことはダメだと言うし、それが何故ダメなのかを彼女が納得するまで説得できる力もある。彼女をいい方向に転換させてくれているのは確かだ。――ノマイと付き合うようになってから、ヨキアは変わったと、僕も思う。
だが。この報告書に一番最初に記載されている事柄、この一点がどうにも引っかかる。――『カイン人種』との。
ヨキアは恋に落ちたのか?それとも――。
彼はカイン人種にしては珍しく、真面目でよく働く。よくあるカインのように血を売って生計を立てているというような輩ではない。それに男としても魅力的だと僕も認めざるを得ない。ヨキアが恋に落ちたとしてもうなずける話だ。
しかし僕は思いだしていた。あのセルツ星からもどってからしばらくの間のヨキアを。カインの血を直接その首を咬むことによって飲みたいのだと、当たり散らしていたヨキアを。
もし、その思いをずっと抱えていたのだとしたら?
そしてカインとの結婚でしか、それは許されないのだから、ひょっとしてその為にノマイと付き合っているのではないのか?
ぞくっ。なんだか背筋が寒いような気がした――しつこいようだがこれも比喩的表現だが――。
もうすぐヨキアは二十一歳になる。誰の許可を受けずとも、結婚できる年齢になるのだ。たとえ相手がカイン人種であろうとも。
どういうつもりなのだろう、ヨキアは――。
僕の予想にたがわず、ヨキアは二十一歳の成人の祝いの席で、親族や会社の主立った重役たちが集まる中、ノマイと結婚すると爆弾発言を投げ込んだ。
もちろん多くの懸念の声が挙がったが、誰にもヨキアを止めることは出来ない。ヨキアはもう自分のことを自分で決定できるだけの資格を勝ち取ったのだから。
その席でノマイは、はにかむヨキアの傍らで穏やかに微笑んでいた。
もっと嬉しがったらどうだ?莫大な財産が転がり込んでくるというのに。――いや、同時にヨキアの食料となるための結婚か。僕は少々皮肉と同情の入り交じった目でノマイを見ていた。
ところがその翌日のこと。
婚姻届を出すにあたって、僕とスアに話があるというので、僕たちはヨキアの私室に呼ばれた。
「あのね」
ライティングデスクに向かい座り、そう切り出したヨキアは、幸せそうに微笑んでいた。ほっそりとした白い指が机の上で軽く組まれている。
「財産の整理をしたいと思ってるの」
「整理とは…いったい」
僕は訝しく思いながら、ヨキアの言葉を待った。
「うん、ノマイが私たちにはこんなに多くの財産は不必要だと言うの。多すぎるお金は人を幸せにしないって言うのね」
「はあ、ま、一理ありますね」
僕は肯いた。そしてノマイという青年を見直していた。財産目当ての男ではなかったのだ。
「会社関連のものをのけて、個人財産の半分を、福祉関係団体すべてに寄付します。その規模に応じて配分してちょうだい。そしてもう半分は会社の名義とし、その資産とします」
晴れやかな顔でヨキアはそうきっぱりと言い放った。
「ちょ、ちょっと待ってください、そうすると、あなたの持っている個人財産はすべて手放すということに…」
僕は慌てた。まさかここまでやろうとは。
「でも会社はあるじゃない。あたしがグループの総帥なのは変わらないでしょ。それだけでも大したことだわ。そうでしょ」
「そ、そりゃあそうですが…」
「そのお給料だけでも、自分の三十倍はあるってノマイは言うの。でもそんなに要らない、生活していくなら自分の給料だけでも十分だってそうも言うの。だからあたしのお給料はレノに管財人として管理してもらうつもりよ。一応、何か事があったときのために管理しておいてね」
「ええっ、あの方、お嬢様にどんな生活させるつもりでいらっしゃるんですか!」
スアが驚いて声を上げた。
「失礼ね、スア」
ぷうっとヨキアは頬をふくらませた。ああ、こんな表情は昔のマイレイディと同じなのに。
「大丈夫よ、あたし、彼の家に――ここよりもずっとずっと小さいけど――引っ越すし、結婚したら合成食料で我慢するつもりだし」
「ええええっ!!」
僕とスアは声をそろえて驚いた。このマイレイディが、生でないと嫌だと言い、我が儘言い放題・贅沢し放題だったマイレイディが、合成食料で我慢する!?
「彼が言うの。血はカインにとって生命力だ、その生命力を奪って生きるのは、カインに対して罪深いことだって。合成食料があるのなら、何もカインの血を飲まずともそれにすべきだって」
歌うように囀るように、ヨキアは美しい声でしゃべっている。それもちっとも変わらないのに――。
「それに、自分以外の血をあたしが摂取するのは嫌だと言うのよね。その代わり、週に一度だけ、自分の血を飲ませてあげるって言ってくれているし、ね」
うふふ、とヨキアは嬉しそうに笑った。
「はあ…、そうですか…」
スアは呆然として、僕は悲しい思いでヨキアの前に立ちつくしていた。
「で、ね、スアには一緒にノマイの家に来て家事をやって欲しいの。あたしにはとても出来そうにないし」
「ええ、それは結構ですが…。私はお嬢様の持ち物ですし…」
スアは毒気を抜かれたような顔で肯っていた。
「で、レノは会社に移ってちょうだい」
「は?会社に…?」
「ええ、あたし、これからはグループ総帥として本格的に仕事をしなきゃいけないわけだけど、まだまだ何にもわかってないのよね」
ぺろっとその薄紅色の唇の間から桜色の舌を覗かせて、ヨキアは言った。
「だからその補佐をしてもらいたい――と言うよりは、あたしの代行をして欲しいの」
「僕がですか!?」
「うん、レノならお父様が総帥をしていた頃からずっと秘書をしていて、会社のことよくわかっているし、安心して任せられるかなって思って。もちろんあたしが判断しなければならないところは、あたしがするんだけど。でもよほど大きな事じゃない限りレノに任せて大丈夫だと思うの」
「しかし…、――僕はアンドロイドですよ?」
僕は信じられないとばかりに頭を振った。
「だからじゃない。一番信頼がおけるのはあなたなの。ずっと一緒にいて世話をしてくれたレノなのよ」
けれどヨキアはそう言ってにっこり笑う。僕は信頼がおけると言われ嬉しい気持ちと、なんだか寂しい気持ちが入り交じり、複雑だった。だが。
「レノ、あなたに全権を委任します。しっかりやってちょうだい」
ヨキアにぴしっと言われ、僕は「は、はい、マイレイディ」そう答えるしかなかった。
結婚式は、これがアルテナでも屈指のグループ企業の総帥の結婚式かと思うくらい地味だった。親族と僕たち二体のアンドロイドに見守られただけの小さな結婚式。けれどヨキアはノマイの腕の中でとても幸せそうに輝いていた。
とうとう僕の出る幕はなくなってしまったんですね。
僕は彼女の笑顔を見ながら心の中でつぶやいた。
誰よりも何よりも守らなければならないマイレイディ。愛しいマイレイディ。でも愛してくれる人が出来て、その人があなたを守ってくれるんですね。
僕は涙が出るものならば、その透明な液体を目からこぼしてみたかった。
コンコン、と小さくノックされたかと思うと、返事も待たずにドアが開いた。
「ハーイ、レノ」
「ああ、こちらにおいでになっていたんですか」
社長室に入ってきたヨキアを認めて、デスクに向かっていた僕は立ち上がった。以前は特別にあつらえたドレスやワンピース、スーツを身にまとっていたヨキアだったが、今ではそこいらで売っているセーターにスラックスという服装だ。
「たまにはね。一応名ばかりとは言え総帥って肩書きはあるんだし」
結婚して三年たって、だがヨキア自身はいよいよ輝くばかりに美しかった。
「でもレノがちゃんとやってくれているから、あたしは安心なんだけど」
うふふっと笑うところは、少女だった頃のヨキアを彷彿とさせる。
「おかあちゃま~、だっこ~」
その声に覗き込んでみると、白いワンピースを着た小さなレイディが、ヨキアの足下にしがみついてる。
「おやおや、久しぶりにティアさまのお顔を拝見しましたね。前にいらしたときはまだ赤ちゃんだったのに、大きくなられた」
僕はほほえましく小さなレイディを見つめた。
「んもう、甘えん坊で我が儘で困っちゃうのよ」
そう言いながら、頭をなでてやっている。
「我が儘なのは遺伝でしょうかね」僕がくすくす笑うと、「んもう、レノってば意地悪ね」と軽くにらまれてしまった。
「いやん、だっこぉ」
「だめです」
「いやんいやん~!!」
抱っこしてくれないヨキアに、ティアは焦れて暴れ出す。
「だっこしてくんないと、ティア、なくんだもん~!!」
まったく、小さい頃のマイレイディによく似ている。――だから僕はつい。
「僕が抱っこしてあげようね」
そう言うが早いか、僕はティアを抱き上げた。
「…あなた、だあれ?おかあちゃまのおともだち?」
僕と同じ目の高さになかったティアはきょとんとして、僕の目をじっとのぞき込んでいる。
「僕はレノですよ、小さなレイディ。あなたのお母様にお仕えしている者です。ひいてはあなたに――」
「レイディってティアのこと?」
「そうですよ」
僕の顔は自然と緩むようだった。なんて可愛いのだろう。
「まったく、レノは甘いんだから」
ヨキアが苦笑している。僕は指でティアの頬をつつく。ほんのりピンクの頬を産毛がうっすらと金色に彩っていた。
「マイレイディ・ヨキア、ティアさまはあなたが面倒を見てらっしゃるんですか」
「ええ、そうよ。手が焼けて困っちゃってるわ。スアも手伝ってくれるんだけどね」
「よろしかったら、またティアさまを連れてこちらにいらっしゃってください。僕が遊び相手になりますよ」
そう言って僕はヨキアに向かい片目をつぶった。
「レノが遊んでもらうんでしょ?」
くすくすとヨキアは笑う。……図星だ。そう僕はこの小さなレイディにまた振り回されてみたいのだ。ヨキアにそうされたように。――やっぱり僕のプログラミングにはどこか欠陥があるような気がする…。
けれど。
「小さなレイディ、――いや、マイレイディ・ティア、あなたは僕がお守りしますからね。安心なさっていてくださいね」
僕はティアの体重を腕に感じて幸せだった。
ずっとずっと。あなたをお守りしていきましょう。
いずれあなたを幸せにしてくれる人の手にお渡しするまで。
マイレイディ。
マイレイディ・ティア。
END.
マイレイディ 如月麻乃 @asano_kis
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