プライム・ナンバー

隠井 迅

第1話 二十一素と因美奈

 二〇一七(平成二十九)年三月――

 文部科学省から、新たな<学習指導要領>が告示され、二〇一九年および二〇二〇年の移行期間を経て、ついに、二〇二一(令和三)年四月から、新たな学習指導要領が開始されることになった。

 数学に関する大きな変更点の一つは、以前の学習指導要綱では、中三で学習していた<素因数分解>が、中一の最初に移されたことである。


「<素数>っていうのは、つまり、1とその数字以外では、割る事ができない数のことなのですよ。なので、<1>は<素数>には含まれません。だって、1には、1以外の、2以上の数があり得ませんよね。

 つまり、素数ってのは、具体的に言うと、2、3、5、7などです。確認してみましょうか。

 たしかに、2なら1と2、5なら1と5、7なら1と7といったように、1かその数でしか割る事ができませんよね。

 そして、これから、この数学の授業で学んでゆく、<素因数分解>とは、例えば、4だと2と2、6だと2と3、8だと2と2と2、9だと3と3、というように、数を、素数×素数の掛け算の形に変えることなのです」

 この日の数学の授業で、数学教諭の春原桜(すのはら・さくら)は、中学生になりたての生徒たちに、<素数>とは何か、<素因数分解>とはどうやるのかを、かみ砕いて説明した。

 教科書の説明では、<自然数>や<積>といった用語が、当たり前のように使われている。たしかに、教科書で既に扱い済みの用語だとしても、数学用語が使われている、教科書の説明を丸読みしただけでは、確実に何人もの小学七年生を、中一の初めに置いてけぼりにしてしまうことになる。この事は、これまでの教師生活の経験によって、桜には分かり切っていたのである。

「さて、素数の説明が終わったということで、ちなみに、みなさんに、課題を二つ出すことにします」

「はい」

 突然、一人の女生徒が元気よく立ち上がって返事をした。

「いったい、どうしたのですか? えっと……、あなた、お名前は?」

「因、素因数の因と書いて、因美奈(ちなみ・みな)です」

 その少女は明るく返事した。

 このクラスの担任ではない春原は、クラス名簿を確認した後、その生徒の氏名にふりがなを振った。

「因さん、ごめんなさいね、座って結構よ」

 今の生徒は、どうやら、「ちなみに」「みなさん」という単語を聞いて、自分が指名されたと思い込んでしまったらしい。

「さて、改めまして、それでは、クラス全員に、次の課題を月曜までにやってきてもらいますね」

 そう話しながら、春原は、配布済みのプリントを読み上げた。 


1:11から100までの数字の中で<素数>を探してくる。

2:11から100までの数字で、自分の好きな数字を五個選んで、<素因数分解>してくる。


「以上二つです」

 春原が宿題の説明を終えた所で、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムがスピーカーから鳴り響いてきて、この週の授業は、その音色と共にぴったりの時刻に美しく終わったのだった。


「ねえねえ、スー君、週末、一緒に数学の宿題をやろうよ」

 帰り支度をしながら、美奈は、クラスメイトで、同じマンションの隣の部屋に住む、幼馴染の二十一素(つるいち・すなお)を勉強会に誘った。

「これくらい、ミーナ独りでもできるだろう」

「もお、バカ、わかれよぉ~~~。ドンカン」

 美奈は不貞腐れて、スクールバッグで素を軽く叩くと、先に教室から出て行ってしまった。

「ニーチ、嫁さん、怒って、先に帰っちゃったぜ」

 同小からこの中学に入った小俣(おまた)が、二人の仲をからかってきた。素は、苗字が二十一なので、ニジュウイチが縮まったニーチというのが、素の小学生時代からのニックネームであった。

「コマッタ、うっせぇ〜、うっせぇ〜、うっせぇ〜な、ミーナは別に俺の嫁じゃねぇ~し、ただの幼馴染だよ、ま……」

「ニーチ、そう怒んなよ。でも、お前らって、もう運命じゃねぇ〜の。<素>と<因>、まさに、今日の数学で習った、素因数じゃん。お前、婿養子に行けば? そしたら、因素になるし。逆から読んだら素因、な、なっ、おもろない? ウケるぅ〜」

「別に、ウケねぇ〜よ。オレは、お前をワラかすためだけに、ミーナとは結婚せんわ。んじゃ、また、月曜な」

 そう言って、素は、小走りに、同じマンションに向かって先行している、美奈を追って行ったのであった。


 教室を出て行く親友の後ろ姿を見送りながら、小俣は独り呟いていた。

「ニーチがミーちゃんのこと好きなのなんて、小学の頃からバレバレなんだよな。さっさと付き合っちゃえばいいのに、ニーチのやつ、メンドーなこだわりがあるからな」


 週末に、二十一家と因家の間で夕食会が開かれた。隣同士の両家は頻繁に食事会を開き、この日曜は、二十一家がホストになっていたのだった。

 そして、食器の片付けが終わった後の夕方八時過ぎに、美奈が素の部屋に、数学のプリントを持って入って来た。


 2、3、5、7、11、13、17、23、29、31、37……


 最初の課題であった素数の抜き出しを終えた後で、美奈が素に言った。

「素数って、1を除くと自分以外に他の数字がないって、なんか素敵じゃない? ところで、スー君、わたしの誕生日、覚えてる?」

「つーか、先月じゃん、三月七日だから、それにちなんで美奈になったって、もう何度も聞いてるわ」

「そう、3と7、これって素数でしょ。しかも、37も素数、もう、わたしって<素数の子>なのよ。それで昨日、お父さんが、こう言ってたんだ」

「おじさん、何て?」

「素数って、英語だと<プライム・ナンバー>って言うんだって。つまり、美奈はプライム、特別なんだよ。あがめたまへぇ〜」

 美奈は、膨らみ始めたばかりの幼い胸を、素に張ってみせた。だが、素の視線が胸に向けられていることに恥ずかしさを覚えて、美奈は話題を変えるように素に言った。

「ちなみに、スー君は、宿題の数字、何を選ぶつもりなの?」

「そうだな。偶数と五の倍数ばかりだと当たり前すぎて、ちょっと面白くないな。きっと、他のクラスメイトたちも、これを選んでくるだろうしな」

「じゃっさ、何かの数にちなもうよ」

「そうだな、今は二十一世紀だし、それに、俺たち二人は平成二十一年の生まれだし、21にしようかな、と」

「てゆうか、スー君は、いつでも、なんでも<21>じゃないのよ」

 素の好きな数字は21だった。今は二十一世紀で、今年は二〇二一年、しかも、誕生日は平成二十一年の二月一日、極め付けは、苗字は、「つるいち」と読んで二十一と書く。ここまで、二十一との縁が深かったら、この数字に拘らないという方が無理な話だ。

 だから、たとえば、ロッカーなども、選ぶのは21か、下二桁が21の数字、そして、小学生時代に入っていたサッカーチームでも背番号は、21にしてもらっていた程であった。


「ね〜、素くん」

 この時、やっぱりきたっと素は思った。

 美奈が改まって名前を呼ぶ時は、決まって素に告白してくる時なのだ。美奈からの告白の数は、幼い頃から数えて二十回になる。今日、告白してきたら二十一回目だ。

 だが、素は、美奈に言葉を続けさせなかった。

「ミーナ、早く宿題をやっちゃおうぜ。そうだな、21は絶対として、あとは、その倍数かな、42、63、84、96、100までが宿題の条件だし、これで五つだな」

「ねえ、素くん、話、きいてよ」

「いいから、これで、素因数分解をしちゃおうぜ。ちょっとやってみるから、俺が解くのを見てろよ」

「もう〜、強引なんだから。終わったら、話きいてね」

 素は、数学のプリントに、選んだ数字を書き入れて、素因数分解を始めた。


 21=3×7

 42=3×7×2

 63=3×7×3

 84=3×7×2×2

 95=3×7×5


そして、最後の行に素はこう書いたのだ。


 37が大好きだ。


「美奈、二十一回目の告白は俺からしようって、ずっと前から決めていたんだ。いつか、二十一を素因数分解して、二十一美奈になってくれ」

「……。うん、いいよ。素くん、美奈を素くんのプライム・ナンバーにしてください」

「バッカ、ミーナは、もうずっと俺の特別だよ」

 そう言って、素は美奈の額と自分の額を付き合わせた。

「口と口の誓いのキッスをするのは、わたしたちが結婚する時、九年後かな?」

「その時は、お互い二十一歳だしな」

「「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」」

「なんだか、二人とも楽しそうだな」

 素と美奈の笑いはリビングで談笑していた両親たちの耳にも届いてきていた。


 月曜に宿題のプリントを回収した数学教諭の春原桜は、二十一素の提出物の採点をしていた際に、思わず笑みをもらしてしまった。

「アオクサイっ、もうキュンキュンしちゃう。二十一素くんだったかしら? 消すのを忘れているわ、しかも、最後、間違えているわね」

 そう言いながら、春原は、「95」に二重線を引いて、数字を「105」に改めたのであった。


<了>

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プライム・ナンバー 隠井 迅 @kraijean

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