君が僕を好きと認識した回数を数えて、と先輩は言った

吉岡梅

先輩の彼女であるはずの私

「ホワイトデーのクッキーと、これ」

「ありがとうございます先輩。……これは?」

数取器かずとりきだよ。いわゆるカウンタ。そのボタンを押してご覧」


 手の平に収まるサイズのちんまりした機器。言われるままにボタンを押すと、パチリという音と共に「000」と表示されていた数値のドラムが「001」に変化した。


「わ。動いた。数を数えるやつですね。でも、なんでこれを」

「その数取器カウンタを日々持ち歩いて欲しいんだ」

「これを……ですか」

「そして、君が僕の事を好きだと認識する度、その加算ボタンを押してくれるかい」

「え? はい。あの、でも……?」


 私がしているのを尻目に、先輩は手早く片付けを済まして鞄を手にした。


「じゃあ、帰ろうか」

「は……はい」


 私も慌てて部室を出た先輩を追う。最寄りの駅までの5分間。私は自転車を押す先輩と並んで無言で歩いた。


「じゃあ、また明日」

「はい。また明日」


 自転車に跨り帰っていく先輩が見えなくなると、私はひとつため息を吐いた。先輩に告白してからもうひと月。バレンタインデー。勢いに任せて告白し、OKを貰った。天にも昇るような気持ではあったが、その後、2人の関係にあまり進展はない。いつも通り部室で一緒に実験をし、記録をつけるだけだ。唯一それまでと違うのは、先輩が駅まで送ってくれるようになった事だけだった。


 私たち、本当に付き合ってるのかな。だんだんとそんな不安が募って来ていた。先輩は特に嫌がっている様子はないが、嬉しそうな様子もない。最低限のライン、迷惑な事はしていないはずだ。私は鞄のポケットに仕舞ったクッキーをそっと触った。大丈夫。うん。大丈夫――なはず。


 ホワイトデーの今日、先輩はクッキーをくれたじゃないか。私はそう自分を励ます。でも、先輩、普通に渡してきたな。もう少し嬉しそうとか、恥ずかしそうとか無いのだろうか。それとも、先輩にとっては「付き合ってる」という定義に合わせた当たり前の事、くらいの考えなのだろうか。当たり前。――なかば義務や儀式のように? そう考えてしまい、私は頭を振った。


「よくないなあ、私」


 電車に乗り、空いていた座席に座るとスカートのポケットに違和感を覚えた。取り出してみると、カウンタだった。そうだ。これを貰ったんだっけ。私はそれをじっと見つめる。


「わかんないですよ。もうっ」


 パチリ、という音と共にカウンタがひとつ増えた。


###


「カウント9。予想より早いペースだね」

「ついつい押してしまって……」

「勢いだけで連続で押す、と言う事は無かっただろうね。知りたいのは大きさではなくて、回数だからね」

「あ、はい。ちゃんと好きでした。あ。です。あーっと……」


 放課後の部室。言葉に詰まっている私に、先輩は眼鏡の奥からふわりと笑ってカウンタを返してきた。そのまま何事も無かったかのように棚からフラスコやビーカーを取り出す。なんだろう、もう。私はどうしたらいいのか、どうしたいのかがぐしゃっとなってしまって、ぎゅっと手を握った。パチリ。


「あ」


 掌を開くと、カウンタは「10」になっている。気が付くと、先輩が肩ごしに覗き込んでいた。


「10だね。うん。じゃあ――」


 先輩が私の肩に手を置く。え、と思っていると、そのままくるりと体を反転させられ、先輩と向き合った。


「ありがとう」


 そう言って先輩は私の髪を撫でた。よしよしとするように。私が固まっていると、すっ、とそのまま手を降ろして頬を撫でる。なぜか首筋にぞくぞくと電気が走る。え、もう1回してほしい。が、そこで先輩は手を離してにこりと微笑んだ。


「キリが良いってことで」

「キリが」


 先輩はくるりと背を向けると、また実験を再開する。キリとは。カウンタの数字のことだろうか。10回分溜まったらご褒美的な何かをするというシステム? なんだかポイントカードみたいだ。でも、カウントは自分発信だから違うのか。――というか、何これ。そもそもシステムって何。何で私だけこんな気持ちにならなきゃならないの。もうもうもう!


 パチリパチリ、パチ。


 私はなんだか込み上げてきてしまって、連続でボタンを押してしまっていた。先輩がいつもとあまり変わらない様子で振り返る。


「それは困るな」

「すみません。なんだか私、いたたまれなくて」

「いたたまれない。珍しい言葉を使うんだね」


 今言うのそこ? 先輩らしいと言えばらしいけど。もう。私がもう一度パチリとボタンを押すと、先輩がその手を取って覗き込む。


「カウント19。――困ったな。僕にも準備というものがある」


 準備。何を言っているのだろう。私はもういろいろ分からなくなって。泣きたいような気持になってしまう。駄目だ。これはいけない。子供か、私。でも、なんなの本当に。これもみんな先輩のせいだ。こんなに好きなのに。私は先輩が好きで、憎らしくて、困らせてやろうなんて思ってしまってボタンを押した。パチリ。


「20、か。そうか。ふむ」


 先輩は顎に手を当て、何やら考え込んでいる。しばらくそのまま私を見つめていたが、思い立ったように立ち上がる。そして自分の頬をパチリと両手で叩いた。


「決めていた事だし、この機会を逃すとずるずる行ってしまいそうだし。よし」


 先輩が、すっと私の前に立って手を伸ばす。あ、また頭を撫でてくれるのだろうか。から。そう期待していた私の想いとは裏腹に、その手はつつつ、と頬を撫で、そのまま顎の下に添えられる。――え。


「こういう時は取った方がいいのかな」


 先輩が呟いて眼鏡をはずし、覗き込んでくる。


「嫌だったら言ってね」


 私は何も言えずに、――言わずに、そのまま目を閉じた。唇に先輩の唇が触れ、そして離れていく。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして?」


 私たちは顔を見合わせ、ぷっと吹き出してしまう。


「ごめんね、急に」

「いえ、その、嬉しいです」

「実はね、付き合い始めてからずっと考えてたんだ。付き合うって、何をしたらいいんだろうか、と。それに、思いついても、どういうタイミングですればいいのだろうか、とね」

「えと、はい。なんとなくわかります」

「だからね、あらかじめアクションを決めておいて、カウンタのキリがいい所まで進んだら、決めていた事をしよう、っていうルールにしてみたんだ」

から。ってなんでですか」


 私が聞くと、先輩はす、と目を逸らした。


「僕は割と意気地がなくてね。なかなか行動に移せないんだ。だから、そういうルールを決めてしまえば、従いやすくなると思ったんだよ。カウンタに背中を押してもらうというか、カウンタの呪いというか、ね」


 呪い。いつもの先輩らしくない言葉に、私は思わず笑ってしまった。


「ごめんなさい。おかしくて、つい」

「やっぱりおかしいかな」

「はい。あ、いえ。わかります。私だってバレンタインデーがなかったら、先輩に告白なんてできなかった思います。きっかけが欲しいっていうか、そういのありますよね」

「ああ、そうなんだよ」


 先輩は、ほっとしたように微かに笑った。


「でも、もうちょっと分かりやすくしてくれればいいのにって思いました」

「いや、どうもそういうのは苦手でね」

「もう。……あ、でも、何をするか決めていたって事は、次も決まってるんですか?」

「さあ、それはどうだろうね」


 先輩は悪戯っぽく、ふふ、と笑う。先輩は先輩なりに頑張っていたんだ。やきもきしてたのは私だけじゃなかったんだ。それが嬉しかった。頑張る方向がちょっとズレてるのはアレだけど。それも先輩らしいと言えば先輩らしいのかもしれない。


「それにしても」

「はい」

「20カウントまで早すぎた。思っていたよりも何倍も早くて焦ったよ。次のカウントはいくつにするか。これは再検討しないとね……」

「ええー」

「いっそのこと、このシステム自体を無しにしようか。自分で発案しておいてなんだけど、変だし。……どう思う?」


 先輩は少し不安げな顔をして私の目を覗き込んでくる。私はカウンタを先輩の目の前に突き出すと、パチリ21回目のカウントを刻んだ。

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君が僕を好きと認識した回数を数えて、と先輩は言った 吉岡梅 @uomasa

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