桜の日 違う時間の 同じ眼差し

2121

春風の吹く放課後

小説は、音楽だって奏でられるし、美しい絵も描けると思う。

紙と黒いインク、電子書籍や小説投稿サイトであれば画面に表示される液晶の上、そこに記された文字は時間と世界も軽々と飛び越えていける。登場人物の想いに触れて、心を動かすことも。

真面目に『小説を書く』ということを始めてから、十数年が経つ。

これまでに書いた小説は、小説投稿サイトと自分の個人サイトに上げていた。自主企画やコンテストには度々参加していたから、その交流からお互いに小説を書いて読む仲間もできた。

その人たちがたまにしていたのが、『自分の書いた小説を文庫本にまとめること』だった。自分も少し前に今まで書いたものが結構溜まっていたので、製本して文庫の形にした。

画面上で読むのも悪くはないけれど、やはり手に取れる本というのは良い。単純に読みやすいし、本棚に自分の本の背表紙があるというのは優越感がある。

スマートフォンを操作して、入金完了で発送準備が一冊あることを確認する。製本した冊数はそんなに多くない。いつもの仲間達と、追加で数冊分。

ツイッターには小説を書く仲間達が画像と共に「買いましたよ! これから読みまーす」とツイートしてくれていた。僕はそれを嬉しく思いながら、リツイートして感謝の気持ちをリプライする。もちろん、いわゆるハートを投げるのも忘れずに。

小説を書いている仲間達といるのは楽しい。わいわい騒ぐのももちろん、相手の小説を読みに行くのも楽しい。締切間近に息も絶え絶えなつぶやきをするといつもなら返信をくれる仲間が同じく締切間近の修羅場中で、ただ『いいね』をすることで相手の頑張りを感じることも。

自分の中で、息をしやすい場所になっていた。

僕は、現実の世界で小説を書いていることはほとんど誰にも言っていなかった。言うのは気恥ずかしかったし、自分のことをさらけ出すのは得意ではないのだ。住み分けというものも大事なのである。





友人と久々にご飯に行くことになった。出張で地元の方に帰ってくるのだという。久々にあった友人はスーツ姿で、髪型も記憶とは違っていた。けれど話してみれば学生のときと変わらず、地元駅前の居酒屋に入った。

「仕事は何してるんだ?」

「音楽関係の仕事」

次の言葉が、不意打ちだった。

「お前も変わらず書いているようで」

「え、知ってるの?」

「ああ、読んでるよ」

「……まじで?」

「なんでそんなに驚くんだよ? 前にサイト教えてくれただろ?」

「そう、だけど」

前にって、何年前だと思っているんだ。その個人サイトだって、三回くらい引っ越ししてるんだぞ。

「俺、お前の小説好きなんだよね。文庫にまとめたのも持ってるぞ」

「は!?」

そんなに驚くことか? とでも言うように、不思議そうに首を傾げる。小説を書いているなんて話をしたの、一回しかしてないのに。今でも追ってるなんて思いもよらない。

「……感想をくれたこととか、読んだとか、一言も言ってなかったじゃないか」

恥ずかしい。それ以上に嬉しい。さらっと『好き』だなんて言わないで欲しい。嬉しすぎて泣きそうになる。読んでくれている人が、今、ここに、いる。

彼は中学生のときの友人だった。軽音楽部に入り、たまに音楽も作っていた人だ。僕もライブがあるときはいつも行っていた。

放課後の教室、澄み渡った青い空を背景に三階まで舞い上がった桜が花びらを散らす。窓際の席に座った僕と彼は、自分たち以外のいない教室でゲラゲラと笑いながら他愛のないことを話していた。

友人が窓の外に目を向ける。つられるように僕も外を見ると、春の風が学ランを脱いだ首筋を通り抜けていった。手を伸ばせば桜の花びらを掴めるだろうかと、やはりなんてことのないことを考えていた。

青春とは、あのときのことを言うのだろう。

「音楽に携わる仕事をしたいんだ」

友人は外を向いたままおもむろにそう言った。アーティストとしてデビュー出来たら一番いいけど、作曲家や編曲家でもいい。音楽を作る仕事をしたいんだ。友人はそう続ける。

朗々と夢を語る友人が眩しかった。━━だから、あのときの自分も口が滑るように言ったんだ。

友人は、視線を正面にいる僕に戻した。空の色を映した瞳は、空よりも深く澄んでいる。

「お前もやりたいこととか頑張ってることとか無いの? なんか、ありそうかなって思ってたんだけど」

そう促したから、簡単に口から出てしまった。今まで一度も友人に言ったことが無かったのに。

「……小説を、書いているんだ」

反応がこわかった。

小説を書く、という行為はテレビの向こうや本の向こうにいる世界の人のすることだ、とどこかみんな思っているような気がする。自分の気持ちや妄想を書き殴り、そして読まれるということは、自分のことをさらけ出すようで嫌な感じがした。それに、そんなこと打ち明けられたら、みんな反応に困ると思っていた。

いいじゃん、と友人はどこか嬉しそうに言う。ずっと秘めていたことを明かして、嬉しく思ってくれる人がいると思わなかった。剥き出しにした心に優しく触れるような安堵感があった。

「僕もね、文字を書く仕事を……いや、物語を紡ぐ仕事をしたいんだ」

初めて口にした思い。それを自分の耳で聞くことで、余計に強くそう願った。

僕は、物語を書きたいんだ。

個人サイトに上げていたから、そのURLを教えた。

それ以来、友人と夢を語り合ったことは無かった。

進捗を聞かなくたって、お互い目指す方向に進んでいる。ある種の信頼のように、走り続ける。それに、いい報告があればきっと伝えてくれるに違いないという確信があった。あいつも同じことを思っているのだと思う。……高校までは。

彼とは大学で疎遠になってしまった。友人は東京の大学を、僕は地元の大学に進学したからだ。友人の学部は、確か経済学部にいったのだったと思う。大多数の人がそうであるように、彼も夢を過去の戯れにして現実を生きる人になったのだと思っていた。

「俺もね、ついにデビューが決まったんだ」

「まじで!?」

今度は僕がそう言うことになる。見た目は変われど、友人は変わらず同じように突き進んでいた。いい報告があれば伝えてくれるに違いないということも、間違っていなかった。

「夢みたいだ」

「何言ってるんだよ。現実にしたんだよ。お前だって、現実で書いてるじゃないか」

ああ、確かにそうだ。中学の放課後の地続きに僕たちはいる。

「それでさ、俺のもう一つの夢はお前に歌詞を書いてもらうことなんだよ」

……正直にいって、考えたことがなかった訳ではなかった。けど、彼も同じように考えているなんて思ってもみなかった。

「歌詞は書いたことがないから自信は無いけど」

「大丈夫だよ、俺はずっと見てきたんだから。お前ならできる。俺の曲に乗せて、物語を紡いでくれ」

友人は言う。あのときと同じ深く澄んだ眼差しで。

「俺で、よければ」

やはり気恥ずかしさが抜けなくて、そう承諾した僕に友人は嬉しそうに笑った。

春風の吹く、同じ季節の今。

あのときの青春はここにある。

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