何の為に書くか

今福シノ

短編

「やっぱ、自分の書きたいものを書くべきだろ」


 三橋みはしのそんな一言で、部室の静寂は破られた。

 まるで水面に投げた石が波紋を描くように。これが小説ならそうたとえるのが最適だろう、そんな風にぼくは思った。


「そうは言ってもさ」


 最初に反論をしたのは緒方おがただった。


「学祭も同人販売でも売り上げがイマイチだったのはお前も知ってるだろ? いくらサークル活動だからって、好き勝手するのがいいとは俺は思わないね」

「じゃあ流行はやりのテンプレとかを組み合わせるのがいいってのかよ」

「そこまでは言うつもりはないさ」


 こんな議論が出る理由はもちろん、ぼくらが所属しているのが大学の文芸サークルだからだ。活動内容は文字どおり小説を読んで、書く。それを学祭などで発表する。


 と言っても、実際に活動しているメンバーは数えるほどしかいない。きちんと活動に参加して部室にいるのは三橋、緒方、ぼく、それから3年の市ヶ谷いちがや先輩。中でも三橋と緒方のふたりは、時々こうして創作について議論していた。


「俺はさ、できるだけいろんな人に自分の作品を読んでもらいたいって思うんだよ」


 緒方が言う。


「そのためなら、時には自分の書きたいことを押し殺さないと駄目だろ」

「ダメなのはそれだろ」


 今度は三橋が切り返す。


「今から周りの目を気にして書いてたら、クセになるって言ってるんだよ」


 誰もふたりの議論には口を挟まない。このテーマが出るのが今日はじめてじゃないからだ。それに、参加してどちらかの側につかないといけない状況になったら、サークルの分裂につながりかねない。


 隣の市ヶ谷先輩も彼らを見守ることなく、黙って本を読んでいる。彼女も、議論に足を踏み入れたことはない。


 ……ま、それもそうだよな。

 市ヶ谷先輩は、ぼくらとは違うんだから。


 ふ、と息を吐いて、ぼくも白熱するふたりから目を離して読書に戻ることにする。今日持ってきたのは、お気に入りの作家の新刊。

 賑やかな外界を遮断するのに、これほど効果てきめんな代物を、ぼくは他に知らない。



 ***



「あれ、ふたりは?」


 購買に飲み物を買って帰ってくると、部室には市ヶ谷先輩しかいなかった。


「バイトだって帰っていったわ」


 彼女は手元の文庫本に目を落としたまま答える。


「一気に静かになりましたね」

「これでやっと、落ち着いて読書ができるわ」

「あはは……」


 苦笑して、買ってきたカフェオレにストローを通す。


 波紋の消えた水面に浮かぶのは、ぼくらだけ。お互い不可侵で読書に勤しむ。それがいつものふたりだけの時の過ごし方だったけど、今日はなんとなく、ぼくは口を開いて、


「市ヶ谷先輩はさっきの話、どっちが正しいって思います?」


 ぴくり、と彼女の眉が動く。切れ長の目が、ぼくの方を向いた。


「あ、別にどっちが正しいとか言うつもりはなくて」


 それは、ただの興味本位。

 市ヶ谷先輩が――商業出版の経験のある人・・・・・・・・・・・が、どう考えているのか。


「……そうね」


 本を閉じる。


「君はどう思うの?」

「ぼく、ですか?」


 訊き返されるとは思っていなかったので、少したじろきながら、


「ぼくは正直……わからないですね。それにほら、ぼくの作品ってサークルで一番人気ないじゃないですか。そんなぼくが色々語るなんて分不相応というか」


 それも、商業作家たる市ヶ谷先輩の前で。

 彼女が商業デビューしたのは、2年前――ぼくがまだ1年生のころだった。彼女が作り上げる恋愛小説に多くの人は魅了された。ぼくもそのひとりだ。


「そう……」


 先輩はつぶやく。


「書きたいものを書くか、読者が望むものを書くか、だったわね」


 それから、言った。


「私は、そんなのどうでもいいって思ってるわ」

「どうでもいいですか」


「だって――私が書く理由は、あなただもの」


「え……?」


 今、なんて?


 ポカンとするぼくに、先輩はさらに重ねて言う。


「言っておくけど、私がデビューできたのは君のおかげよ」

「そ、そんなことないですよ」

「そんなことあるのよ。だってあのデビュー作は、あなたの作品を読んだから書けた小説なんだもの」

「ぼくの、作品を」


 まさかそんなことが。ぼくみたいな人間が書いた作品が、先輩のようなすごい人に影響を与えているなんて、言われたところで信じられない。


「だから今度は、私の小説を読んで、その力で書いてほしい。そう思って次回作も書いたのに」


 言うと、市ヶ谷先輩はねたように、


「君、最近読んでばっかりでぜんぜん書かないんだもの」

「そ、それは……」


 スランプ、なんて大それたことを言うつもりはない。けれど、最近書けていないのは事実。

 もしかしたら、近くにいてすごい作品を書く先輩を、自信をもって創作論を述べるみんなに対して、萎縮いしゅくしていたのかもしれない。


「私、あなたの書く小説、好きよ」

「ぼくの、小説が……」


 そんなことを言われたのは、初めてだった。


「言っておくけど、私がどんな作品を読みたいとかは言わないから」


 私が読みたいのはあなたの・・・・作品だから、と。


「だから……待ってる」

「……わかりました」


 読者ぼくにとって、市ヶ谷先輩は作者。それだけの関係だと、勝手に決めつけていた。

 だけど違う。

 作者ぼくが先輩に、読んでもらうんだ。

 同じサークルの仲間として。

 表裏一体の関係として。


「待っていてください」


 ぼくは言う。


「書いてみせます。市ヶ谷先輩がワクワクするような作品を」

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