遺言

鈴木怜

遺言

『マミコです。どうせ私の作品を読んでくれる人も、支えあう小説書きの仲間もあなた以外にいないので死のうかと思います。今まであなたには色々と迷惑をかけてしまいましたね。来世ではきっと、恩返しがしたいです』


 仕事を終えて帰宅すると、そんな留守電が届いていた。


「……なんぞこれ」


 まるで意味が分からなかった。頭の中で様々な疑問が浮かんでは消えていく。


「…………まずあなたはどちら様ですか」


 反射的にそんな突っ込みを入れてしまった。たった一人だけの自宅に情けない声が響く。

 マミコという名前に心当たりなどなく、そもそも何かを書いているような知り合いすら思い出せず、そもそも迷惑を現在進行形でかけられている自分には、返されるような恩もなく。

 つまりそれは、まったくもって知らない人物からの電話だった。


「……忘れよ」


 頭をぽりぽり掻く。それがいいと判断した。

 まだ帰って間もないため、着替えてすらいなかったのだ。

 しかし、シャワーを浴びているときに、その電話のことがずっと頭の片隅から離れなかった。

 もし、マミコの名乗った彼女が死んだら。間違いなく通話履歴が残るだろう。そうなると警察が我が家にやってくるかもしれない。そうやって事が大きくなると待っているのはワイドショーだ。それはさすがにいただけない。


「可能性とすれば、間違い電話か」


 まったくもってこれ以上ないほど迷惑な電話である。

 電話の通話履歴から、マミコの番号を呼び出した。

 ぷるるるるる、ぷるるるるる、ぷるるるるる、ぷるるるるる。

 いくら待ってもそんな無機質な音しか鳴らなかった。

 しばらく経って、留守電サービスが立ち上がる。

 最悪の可能性もよぎり、どうしようか迷ったが、こっちの目的は間違い電話だということを伝えることである。ただそれを吹き込めばいいだけなのだから、と自分を納得させた。それに間違い電話だということを明確にしておけばワイドショーはやってこないだろう。


「あー、先程の電話を受けた者ですが。残念ながら私はあなたのことを知りませんのでね。間違い電話ではないでしょうか。今後こんなことはしないでいただきたい」


 電話を切る。ふぅ、と息をついた。


「最後の一言は完全に余計だったか」


 しかしこれでワイドショーが追ってくることはないだろうと、当初の目的は果たせたのだからを自らを納得させる。

 夜も深くなってきた。「寝るか」と一人呟いてベッドに向かった。



 ────────────────────



 翌朝、電話には留守電が一件入っていた。


『あなたのことは知りませんのでね、今後こんなことはしないでいただきたい、ですって? 誰が絶対そんなことしてやるもんですか』


 昨日とはうってかわったような、怒気のこもったマミコの声が入っていた。


「うわめんどくさ」


 自死を選んでいないことはよかったのだが、それはそれとしてやけに喧嘩腰なのがどうにも癪に触った。

 ぷるるるる、と電話を鳴らした。今度も出なかった。


「あのね、間違い電話の一つや二つでそんなにキレ散らかすもんじゃないでしょうよ。それともあれですか? メンがヘラっておられるのですか?」


 留守電を切る。すぐに鳴ったが無視してやった。

 わざわざ留守電になるまで待つマミコの姿を想像するととても滑稽だったのだ。

 顔も知らないがやけに笑えた。

 留守電になったのを確認する。いい気味だ。


『は? 誰がメンヘラですかわざわざそっちが電話してきたのが始まりでしょうが何言ってんのあんた』


 カチン、ときた。

 思わず電話をかける。

 マミコも居留守電には居留守電で返してきた。


「いやいやあんたが自殺を示唆した電話なんてするからでしょうよそれともなにか? あの電話は悩んでいる私かっこいいでもしたかったのかこの電話にも出ない間抜け!」

『は? わざわざ留守電になるまで待っててそれか? 私かっこいいなんてこれっぽっちも思ってないが? 電話には絶対に出ずに留守電でしか物事を言えないモラルぶっ壊れ野郎が!』

「はあああ!? 売れない物書きが一般人に意地張ってんじゃねえ! 物書きなら物書きらしく小説にして言いたいこと言いやがれ!」

『やってやらあああああああああっ!! 一日で仕上げてやるううううううううう!!』

「おう待ってやらあああああああああ! 夜までに仕上げやがれえええええええええええ!!」


 そんなことを留守電で叫びあっているうちにもうすっかり出社する時間になっていた。

 朝から最悪の気分だった。



 ────────────────────



「先輩、どうしたんですか?」


 仕事中もかなり鬼気迫る表情になっていたのか、休憩中に会社の後輩が心配してきた。


「ゆうべ変な電話があってさ」

「へえ。どんな?」

「マミコって名乗って、物書きだけど読者もいないので死のうかと思いますみたいな変な電話」

「うっ」


 急に後輩の動きがぎこちなくなった。


「先輩、それ、出ました?」

「いや、留守電だったよ」

「……あの、変なこと言いました?」

「……かけ直したけど」

「……名前は?」

「……マミコって名乗ってた」


 世界は広いが世間は狭い。

 もしや後輩がマミコ本人か、と身構えた直後。

 後輩はずざざ、と土下座してきた。


「うちのマミコがご迷惑をおかけしました」

「……うちのマミコぉ!?」


 どういうことだと説明を求める。後輩は申し訳なさそうに話を始めた。


「あの子は時々書けなくなるんです。で、電話魔になったり部屋中荒らし回ったりお酒が止まらなくなったりするんですけど」

「ちょっと待っ」

「最近は私の元へと電話するように言っていたんですけどね、どうにも昨日からお酒も大量に入り始めたみたいで」


 後輩の頭がいっそう下がる。


「昨晩様子を見に行ったらそれはもうひどい有り様でした」

「……そう」


 色々と脳の処理が追いつかない。


「死んでやるううううって泣いてるのをなんとかして慰めて、ゆっくり待つからねって言ったんですけど、今日になって私書くわ今なら書けるわなんて息巻いちゃって」

「……で、何かあったと思ったの?」

「はい」


 調子が戻ったと思ったんですどね、と乾いた声で後輩が呟いた。


「本当に申し訳ありません他所様にご迷惑をかけて」

「……ま、無事なのが分かっただけいいよ。頭上げて。ああでも一つ」

「なんでしょう?」


 後輩の頭が傾いた。


「殴り込みに行っていい? マミコ、さん? のを読まないといけなくなったからさ」


 最低限読者が一人増えたという意味では、彼女は間違いなく良かったのだろう。

 思うところは無いわけではないがあんな電話がかかってくるよりよっぽどマシなのだなら。

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遺言 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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