魔導書の中で会いましょう

井ノ下功

鏡合わせ

 仕事でも生活でも何でも、だ。とにかくひたすら疲れてしまって仕方がない時、そしてそのせいで小説が書けない時、私はいつもお気に入りのキャラクターを呼び出す。

 私の世界を満たしてくれる、唯一無二にして最強の仲間たち。だからできるだけ彼らのことは“キャラクター”ではなく“人間”として扱いたいと思っているが、疲れている時は仕方がない。


「助けてくれ、アーチ……!」


 アーチは私の書いた『魔法使いの師匠』という物語の主人公だ。フルネームはアーチボルト・ウルフ。イギリス在住の魔法使いである。親友からアイデアを貰って生み出した、負けず嫌いで好戦的な紳士。

 呼んだはいいけれど、彼はなかなか応じてくれなかった。まぁアイツはいつも忙しくしている奴だからね。分かってる。そういう設定だし。

 でも偶然ヒマだった、ということにする。これぞ作者権限だ。


「いつになく疲れていますね、イノシタさん?」


 どこからともなく現れたのは、身長六フィート(確か百八十二センチ)のイケメンだ。黒髪長髪に黒縁眼鏡! 真っ赤なコートがよく似合う! はぁ癒しだ。見た目だけは。

 視線は基本、冷たい。


「妄想ばかりはかどらせていても現実は変わりませんよ」

「シビアなこと言うなよ」

「正論ですが何か?」


 ちぇっ。私は心の中で舌を出す。分かってるって、コイツはこういうやつだ。でもそこがいいのだ。別に私はイケメンに優しくされたいわけじゃない。そういうのはむしろお断り。乙女ゲームとかぶっちゃけ反吐が出る。(ドМというわけでもない。)

 私は閉じたパソコンへ覆い被さるようにしながら尋ねた。


「最近なんか面白いことなかった? ネタが欲しいんだネタが」

「キラーパスやめてくれます? ネタになるような話はありません」

「いや何でもいいんだマジで。あ、お弟子さんたちはどうよ。元気?」

「元気にやっているようですよ」

「長期休み以外は会わないの?」

「原則、休日の外出は校則で禁止されています」

「何言ってんだよ、あくまで“原則”だろ」


 絶対にあの三人組は日曜日になると学校を脱け出しているに違いないのだ。そもそも最初の話の時だって、無断外出してロンドンで遊んでいたのである。なんだったかな……確か、ヴィンスの服を買いに行くとか、流行りのお菓子を食べに行くとか、そんなような名目で。

 私が睨むように見詰めると、ソファの背に寄りかかっていた彼は観念したように軽く溜め息をついた。


「確かに先日来ましたが、特にこれといってネタになるような話はありません」

「なんで来たの? ただ遊びに来ただけ?」

「ヴィンセントがうっかり禁じられていた魔法薬を飲んで、猫に変身したまま戻れなくなってしまったので、その解呪に来たんです」

「おいおいおいおい、いいネタ持ってんじゃねぇかおい! なにが“何も無い”だよ!」


 魔法のある世界観だとそういうことが起きうるからいいんだよね! 現代ものだとそういうのは何でもありの二次創作限定だから!


「はいそこんところ詳しく。一から十まで全部キリキリ吐いてくれ」


 すかさず起き上がってパソコンを開いた私に、アーチは「……元気になられたようで何よりです」と呆れ返った視線を寄越しながら、その日のことを教えてくれた。

 良かった、おかげさまで筆がはかどる。読んでくれる人がいる限り、私がこの手を止めることはできない。いや、読んでくれる人がいなくたって、私は決して手を休めたりしないだろう。

 それは何より自分自身のために。

 私がこの物語を紡ぎたいのだ。稚拙でも粗削りでも何でもいい。でもできれば洗練された文章でもって、生きている人々を描きたいのだ。

 真っ白い画面を文字で埋めていく。すっかり集中モードに入った私は、アーチがいつ帰ったのかも分からなかった。










   ☆








 魔導書から出てくる感覚というやつは、何度経験しても慣れない。車酔いに近しいものを感じるから余計に嫌いだ。僕は溜め息をついて、そこはかとない吐き気をこらえながら、本の革バンドをしめた。

 表紙には『Kou Inoshita』と刻まれている。タイトルではない。

 ページの隙間から淡い金色の光が漏れ出ている。魔導書がきちんと続きを自作している証拠だ。未完成の魔導書はこうやって、自分で自分を補っていく。定期的なケアは必要だが、上手く完成させれば、そこから新しい魔法が生まれてくることもある――形にならない魔法、つまりただの駄作で終わることの方が多いけれど。


「お疲れさまぁ。ちゃんと回復したみたいねぇ」

「ええ。今回はかなり早く済みました」

「この魔導書、ケアが大変で。いつもありがとうねぇ」

「命の危険がないだけマシですよ」


 といっても、狂った人間の話に付き合うのは少々骨が折れる。


「自分が世界を作ってる、って勘違いしている人に話を合わせるのって、けっこう大変なのよねぇ。“可哀想に、あなたこそ物語の中の人間なのよ”って、ついつい憐れんじゃうし」


 管理を一手に引き受けている妙齢の司書は、おっとりと首を傾げてそう言った。


「それでも管理しなくちゃいけない。彼らの世界もまた、私たちの世界を構成する一部だから。……本当、大変だわぁ」

「心中お察しします。そういえば、この図書館の後継者は決まりましたか?」

「それがねぇ、まだなのよぉ。誰かいないかしらぁ?」

「見つかることを祈っております」


 暗に“知らない”と言いながら、僕は一礼して図書館を後にした。司書の愚痴は長くなるから、早々に切り上げるのが得策である。

 出た途端に陰気な風が吹きつけてきて、コートの裾を翻した。首を縮めながら、僕はなんとなく感傷的になって、己を神だと思い込んでいる人間に心を寄せた。


(たとえ物語の中に生きていようとも、あの人の中ではあの人が世界の中心なんだろう。……たぶん、僕がそうであるように)


 そう思えば、憐みなど浮かんではこないのである。

 僕は足早になってその陰気な図書館から離れた。




 おしまい

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