ぱーらっぱー

白里りこ

第1話



 私はテレビのニュースを流しながら、とある曲のジャズアレンジ風の楽譜を作成していた。五線紙に鉛筆でサッサッと線を引いていく。

 こんなことを急いでやる羽目になったのは、先日の出来事のせいだった。


 ***


「ねえねえ」


 私に憑いているゴーストのエイヴァがまとわりついてきた。


「世界平和への計画は進んでるの?」


 私が黙ってエイヴァを手で払いのけると、エイヴァはむくれたようにくるくると空中を舞った。

 周囲のほとんどの人にはエイヴァの姿は見えないし、声も聞こえないので、エイヴァはやりたい放題である。


「約束したのに。これからは世界平和のためを思ってトランペットを演奏するんだって……」

「……」

「ねえねえ」

「……」

「ねえってばー」


 エイヴァは宙返りをした。その瞬間に、周囲の全てのものが白黒になり、時間は凍りついたように動かなくなった。

 私は溜息をついて、動作を停止したワープロから手を離した。


「エイヴァ。仕事中にこういう悪戯するのはやめて」

「だってミアったら、ちっとも世界平和のために働いてくれないじゃない。アフガニスタン紛争も、始まったきりひどくなるばっかりだし……」

「トランペットに戦争を止める力があると思ったら大間違いです。それにあなただって、人のことは言えないはず。時間旅行の力を使って、しょうもない悪戯をしてばかりでしょう」

「だって」


 エイヴァはぶすっとした声を出した。


「昨日二十年後に行ってみたけど、アフガニスタンではまだ戦争が続いていたんだもの」


 それはまた、随分と長い。私は、エイヴァの顔のあたりに広がる闇を見返した。


「あの時間旅行は、ただ遊んでただけじゃなかったってわけ?」

「そうだよ。9.11の犠牲者であるこの私は、戦争なんてちっとも望んでいないのに」

「そう……」


 私は、デスクの上で時が再び動き出すのをじっと待っている、翻訳中の雑誌の原稿を見た。私はこの出版社にて、ロサンゼルスに住まう日本語ユーザー向けの月刊誌を編集する仕事を引き受けている。今回の記事は、近所の公園で毎月開催されている音楽フェスについてだ。このフェスには、私もトランペッターとして出演することになっていた。


 私は、公園の芝生を埋め尽くす観客の群れと、眩い日光のもとで輝く自分たちの姿を思い浮かべた。


 ぱーらっぱーぱーらぱーぱー ぱーるらー ぱーりらー るー……


「それじゃあお願いを叶えてあげようかな」

「本当?」

「次のフェスの曲目にジョン・レノンの『イマジン』を入れてあげる。どれだけの影響力があるかは知らないけれど」


 私は原稿を指さした。


「この記事が今度いろんな言語で発行される。その読者がフェスにやってきて、『イマジン』を聴くかも。そうしたら少しは、平和に思いを馳せてくれる仲間が増えるんじゃないの?」


 この程度でいいのだろうか、と私は案じたが、エイヴァは手のひらを打ち合わせた。


「それは良い案だね、ミア!」

「そう? だったらこの時空停止状態を早く解除して」

「もちろんだよー」


 ぱっ、とエイヴァは姿を消して、オフィスに色と時間が戻ってきた。


 ***


 ニュースでは相変わらず、先月のテロ事件についてと、対テロ戦争の開始を報道している。時折その映像を見ながら、私は『イマジン』のアレンジを続ける。


 想像してごらん、世界に国境が無かったら──


 テロの被害に怒り狂っているこの国では、この平和的な歌詞を忌避する風潮まで生まれてきている。一部では歌の放送禁止の動きも出たとか。

 だからこそ、そのメロディラインをトランペットでなぞることには、何か意味がある気がした。


 歌詞を封じられたとしても、平和への願いは消えたりしない。


 テレビでは、また、ワールド・トレード・センターに飛行機が追突する映像が流された。

 それは、エイヴァたちの命が失われた悲劇の映像でもあり、アメリカ国民の怒りを煽るセンセーショナルな映像でもあった。


 私はそれをちらりと見ると、再び紙に鉛筆を走らせた。


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ぱーらっぱー 白里りこ @Tomaten

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