テレビドラマ脚本「兄さんの帰宅」

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

 


〈登場人物〉

長内おさない駿人はやと(23) 二年前に家出。行方不明だったが、一週間前に帰宅。

         半年前に水死。つまり幽霊である。

長内陸人おさないりくと(17) 駿人の弟。高校二年生。

松岡まつおか佳子よしこ(17)  陸人の同級生。五ヶ月前に転校して来た。

青森県警警察官(声のみ)




○荒海、夜。

   大シケの海。フェリーの甲板かんぱん

佳子よしこ「死なせて! 死にたいの!」

駿人はやと「そんなことは明日あした考えろ」

   波音にかき消される二人の声。

   駿人のキーホルダーが一瞬光る。


長内家おさないけリビング(二月初旬夕方)

   一人暮らしを思わせるリビング。

   帰宅した制服姿の陸人りくと、ガスファンヒータのスイッチを入れ

   コンビニのレジ袋をテーブルの上に置く。

陸人りくとNa「二年前に家出して行方不明だった兄さんが、何の前触まえぶれもなくこの家に

 帰ってきたのは一週間前、母さんが入院した次の日だった。家出青年の帰宅なん 

 てありふれた話だけど、うちの場合はかなり特殊な例だった。帰宅した兄さんは、

 幽霊だったのだ」

   いつの間にか駿人が椅子に座っている。笑顔。

   少しも幽霊らしくない。夏服。

駿人「おかえり」

陸人「ただいま。兄さん、今日は何処どこかに出かけたの?」

   コンビニの袋から夕飯(菓子パン)を出し、お茶の仕度したくをし始める陸人。

駿人「うん。仕事を探しにな」

陸人「仕事? うそだろ?」

駿人「冗談だよ。幽霊が就活しゅうかつしてどーすんだ。病院に行ってたんだ。母さんのと

 こ」

陸人「母さんと話したの?」

駿人「いや。話しちゃいない。母さん、眠ってたし」

陸人「この頃、母さん、よく兄さんの夢を見るっていってたよ。そろそろいいんじ

 ゃない?」

駿人「うん。心配かけたこと謝らないとな」

   茶を兄の前に置き対座たいざする陸人。

   携帯電話が鳴る。

陸人「もしもし」

佳子「(受話器からの音漏れ)もしもし長内陸人さんですか? 松岡です」

陸人「マツオカ?・・・ 松岡佳子まつおかよしこ・・・さん?」

佳子「突然でごめんなさい。クラス名簿を見て電話かけたの。ちょっと訊きたい

 ことがあって」

駿人「(小指を立てて)お前の彼女??」

   陸人、首を横にふる。

佳子「これからあなたの家に行っていい?」

陸人「訊きたいことって? 電話じゃ駄目なのかな」

佳子「あなたのキーホルダーの事」

陸人「キーホルダー?」

   陸人をみている駿人。

   首を傾げながら電話を切る陸人。

陸人「これから家に来るって」

駿人「何だよ。お前、モテるんだな。可愛いか?」

陸人「まあね。でも話したのは今が最初。五ヶ月前に転校して来た」

駿人「へえ、転校生か」

陸人「ところで兄さん、何でこの家に化けて出たの?」

駿人「て出たって言うな」

陸人「母さんが倒れたから?」

駿人「それもある。ちょっと気がかりなことがあってさ。そのことにカタがつかな

 いと、安心してお父さんに会いに行けない。未練みれんってやつだ。未練が晴れるまで

 の間、ここに泊まらせてもらおうと思って。金が無いからホテルとかインターネ

 ットカフェには泊まれないし、野宿は寒いし」

陸人「しょ〜もねえ(あきれ顔)。幽霊、金いらね~し、寒くもね~し。可愛い弟

 のことが心配で…とかじゃないのかよ」

駿人「お前は大丈夫だよ。お前がいたから俺は安心して家出できたんだ」

陸人「はいはい。でも、何時いつまでも居てくれていいよ。ここは兄さんの家なんだ

 から。幽霊、食費も光熱費もかかんないし」

   玄関の呼鈴。

   陸人、返事をして出迎えに行く。無表情で黙り込む駿人。

佳子「こんばんは」

陸人「いらっしゃい。どうぞ」

   佳子をリビングに入れ椅子に座らせる陸人。

   無表情で微動だにしない駿人。佳子には彼が見えていない。

   駿人の前に置かれた茶碗を見つめる佳子。

佳子「家族は?」

陸人「親父は十年前に死んじゃって、お袋は入院中。兄貴は現在、行方不明」

佳子「行方不明?・・・」

陸人「そう。いま独り暮らしだから、ご遠慮なく」

   お茶を佳子の前に置く陸人。佳子、駿人の前に置かれたお茶を見る。

   じっと動かない駿人。

佳子「お客さん来てたの?」

陸人「まあね」

   沈黙。二人とも話のきっかけをつかめない。

陸人「さっきの電話、キーホルダーって何?」

佳子「うん。長内君の鞄についてる奴」

   うなずいて鞄からキーホルダーを外す陸人。

陸人「これのこと?」

佳子「そう。(手にとり)これと同じキーホルダー持っている人、知らない

 ?」   

陸人「兄貴が、同じもの持っていたけど」

佳子「お兄さんが?」

   腰につけた同じキーホルダーに触る駿人。

   深刻な顔でキーホルダーを凝視する佳子。


○警察署(佳子の回想)

   テーブルの上に並べられた遺留品。

   広げられた衣服、そしてキーホルダー。

警官「(声のみ)あの人が所持していたのはこれだけです。あとは、海に流された

 んだろうなぁ」


○ 長内家リビング

佳子「(キーホルダーを見ながら)今日、長内君、誰かと話しているときに『それ

 は、今日考えることじゃないよ』って言ってたでしょ」

陸人「口癖くちぐせなんだ。今日は悩まない。明日悩めばいい。明日になったら、明後日あさって

 悩めばいい。そうやって次々と先送りすれば、永遠に悩まなくていい。兄貴が教

 えてくれた。でも、これって逃げだよな」


○荒れた夜の海(佳子の回想)

駿人「そんなことは明日考えろ!」


○長内家リビング

佳子「違う。逃げじゃないわ」

   驚いて佳子を見る陸人。

佳子「ねえ長内君、私の話、聞いてくれる?」

陸人「・・・(肯く)」

佳子「誰にも話さないでね」

陸人「・・・(肯く)」

佳子「私・・・死のうとしたんだ。半年前」

陸人「自殺?」

佳子「そう、フェリーの甲板かんぱんから海に飛び込んだの。嵐の夜だったわ」

   佳子を見る駿人。

佳子「でも、死ねなかった。嵐の海に飛び込んで私を救けてくれた人がいた。

 その人も甲板に居たらしい」

   駿人に眼をる陸人。駿人、肯く。

佳子「『死なせて』って、私言ったわ。『死にたいの』って。そしたら」

陸人「『そんなことは明日考えろ』って、そいつは言った」

佳子「うん」

陸人「それで、松岡は死ぬのをやめたんだ。・・・今は?」

佳子「まだちょっとね。でも生きるのが辛いとか考えるのは明日にしてる。私を救

 けてくれた人に悪いし」

   沈黙。

佳子「(思いつめた顔で)私を救けてくれた人は、長内君のお兄さんだと思う。

 ごめんなさい」

陸人「何で謝る」

佳子「お兄さんは、私が船に引き上げられたあと、大波にさらわれた。長内君のお

 兄さんは死んじゃった。私のせい」

   陸人、駿人に眼をる。首を横に振る駿人。

陸人「松岡のせいじゃないよ」

   沈黙。佳子の携帯が鳴る。

佳子「(携帯の画面を見て)母からだわ。出ていい?」

   陸人が肯くと、佳子は携帯の通話ボタンを押し廊下に出る。

佳子「(廊下から聴こえる声)あ、お母さん、今、同級生の家に来てる。六時

 には帰れると思うけど。大丈夫よ、私今、悩みとか全然ないし・・・あっ、それ

 からね、私を救けてくれた人の身元がわかったの。明日、青森の警察に連絡す

 るわ。私が電話する」

   佳子が電話中に・・・

   兄弟、立ち上がる。

陸人「兄さん」

駿人「なに?」 

陸人「彼女を救けた人って、兄さんだね」

駿人「うん」

陸人「兄さんが気になっていた事って松岡の事だったんだ」

駿人「まあな」

陸人「彼女、死なないってさ。聴いてただろう」

駿人「ああ、聴いてたよ」

陸人「兄さんの未練みれん、無くなっちゃったね」

駿人「うん、今日でさよならだ。未練が無くなった幽霊は一分五十六秒以内に成

 仏しなきゃいけないきまりだ」

陸人「一分五十六秒? そんなこまかいきまり、本当にあるのかよ」

駿人「行かないでくれとか言って泣いたりしないのか?」

陸人「だって、行かなきゃならない決まりなんだろ」

駿人「お前って結構薄情けっこうはくじょうな奴だな」

陸人「兄さんに言われたくないよ」

   駿人、弟に背を向けるが寂しさを隠せない。

陸人「兄さん、この一週間、兄さんと話せてよかったよ」

   陸人に背をむけたまま右手を挙げてバイバイをし、

   ゆっくりと消えてゆく兄。

   立ち尽くす弟。

   リビングの飾り棚に置かれた写真。笑顔の兄弟が写っている。

                                 (了)

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