第28話 心なんかない

「な」


 少年ロイドはぽかんと口を開けた。


「何で、そんなこと」


「ジョバンニを異常者だと言う君なら、判るんじゃないの?」


「本来なら、稼働停止を怖れないロイドを……怖れさせる。『分解』への恐怖を教えて……」


 ぽつぽつとトールは言って、黙った。


「私にもない気質だから、想像だけれどね。『ばらばらにしてやる』と言って平然とされているより、怖がられる方が快感なんじゃないかな」


 さらりとマスターは言い放った。


「ほ、本当に、そんなことのために?」


「さあね。だいたいそれなら人間でいいじゃないか、ということになりそうだけれど」


「よくないですっ」


「オリジナルのプログラムが巧く稼働すれば喜ばしいのは理解できるけれど、嗜虐的な嗜好とどう整合するんだろうね。そこはどうにも判らないな」


「判らなくて幸いですっ」


「それにしても、興味深いプログラムだよ。彼はやはり天才だねえ」


「異常者ですっ、どう考えてもっ」


 とうとうと語る店主に、トールは逐一もっともな指摘をした。


「だが、そのプログラムは未完成だ。チェスの落下という危険を前に、ヴァネッサはああした行動を取った。ジョバンニの改造に彼女が『勝った』という解釈も、叙情的でよいけれど」


 少し、彼は笑った。


「どんなに精巧、かつ複雑に作っても、それはプログラムが働いた結果だ。私はそう思う。それでも見てみたいと思うよ。彼の出す結果を」


「それって……」


 助手は少し、間を置いた。


「たくさんのリンツェロイドが、変質者の犠牲になればいいということですか」


「そういうつもりじゃないんだが。手厳しいねえ」


「あなたのプログラムです」


 ふん、とリンツェロイドは鼻を鳴らした。


「ともあれ、万事とはいかないが、ヴァネッサとチェスについてはほぼ『めでたし』じゃないかな。マリオットもジョバンニももう彼女を追わず、金と環境とデータがあって、アジアート氏が失敗することもまずないだろうからね。逃亡時間の一部は欠けるが、ヴァネッサは元通りと言えるだけの状態になるだろう。ああ、問題のジョバンニ・プログラムは、消しておくよ」


 その方がいいだろう、と呟くと店主は眼鏡を外し、疲れたというようにこめかみの辺りを押さえた。


「――マスター」


「うん?」


「僕も、そう思いました。最初は。データが戻ればって」


 トールはうつむいた。店主は眼鏡をかけ直した。


「何か疑問が生じたのかい」


「『それ』は本当に、ヴァネッサでしょうか?……その、ヴァネッサだと、思うんですけど」


 曖昧に彼は呟き、ええと、と頭をかいた。


「何て言うか、僕はヴァネッサだと思う。マスターも。たぶん、チェスも。でも……」


 その視線はそっと上げられ、彼のマスターに合わせられた。


「もし、僕があんなふうにばらばらにでもなって。マスターが直してくれたとして。――データをコピーされた〈トール〉は、〈トール〉かもしれないけど、『僕』じゃないような、気がするんです」


「……そう?」


「す、すみません。僕、変なことを言いました」


 はっとしたように、少年ロイドは慌てた。


「バックアップと損壊直前とのデータに差分は出ますけど、そのことは別として、コピーしたらおんなじですよね」


 彼は照れ笑いのようなものを浮かべた。


「当たり前だ。何、言ってんだろ、僕」


 取り繕うように少年ロイドは言ったが、彼のマスターは何も答えなかった。


 不自然な沈黙が降りた。


「あの……」


「君が言うのはこうかい、トール」


 ゆっくりと、店主が声を出した。


「同じハード、同じソフト、同じデータ。……それでも『心』の複製はできない、と」


「そ、そんなこと」


 トールはやはり慌てて、首を振った。


「変なことだって、言ったじゃないですか。ちょっと間違ったんです、僕。だいたいマスターはいっつも、ロイドに心なんかないって、言うじゃないですか」


「言うよ。無い」


 はっきりと店主は言った。


「ヴァネッサの言葉は真実の一端を突いていると思うよ。リンツェロイドは機能停止を怖れない。怖れることがあるとすれば、マスターの指示に従えないということだけ。――君は?」


「……え?」


「君は、リンツェロイドに心があると思うの?」


「――いいえ、マスター」


 トールは首を振った。


「たとえ、心と呼ばれる何かによく似た揺らぎがあっても、ロイドである以上、プログラムが働いた結果だと、僕も思います。ヴァネッサはジョバンニのプログラムに勝ったのではなく、彼の改造プログラムに、欠陥があったのだと」


「そう」


 よかった、と彼は言った。いつものように。


「それじゃ……話してきます」


「うん。頼むね」


 にっこりとマスターは微笑み、ネクタイを緩めた。彼のリンツェロイドはそれに笑みを返して、〈クレイフィザ〉の奥へと向かった。


- Next Linze-roid is "Carrol". -

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クレイフィザ・スタイル ―ヴァネッサ― 一枝 唯 @y_ichieda

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