第27話 三原則
「え?」
トールは、中途半端に口を開けた。
「先ほどの話とは別に、ヴァネッサの行動に奇妙なものを覚えなかったかい?」
「もしかして」
少年は呟いた。
「三原則」
「当たり」
マスターは指を鳴らした。
遠い昔に地球の小説家が作り出したロボットのルールは、この時代になっても推奨され、活用されている。
「第一項だね。『人間に危害を加えてはならない』及び『人間への危険を看過してはならない』。では、人間が人間を傷つけようとしているとき、彼らはどうすべきか?」
「自らの損壊、破壊と引き替えにしても、身を挺して人を守ることに変わりはありません。それが拳の前でも、銃口の前でも」
彼は当然のことを答えた。
「ヴァネッサは、チェスが銃口を向けられたとき、何もしなかった。そういうことになりますね」
「もっとも、あれはチェスの話だからね、抜けているところもあるかもしれない。彼が、後ろにいるよう、命じたのかもしれない」
「でも、人間の命令を聞くのは人間への危険が取り除かれてからです。どんな命じられても人間の、しかもプライオリティ1.1たる人物の危険を看過するなんて」
「彼女は改造リンツェロイドだ。私がやったことについてではないよ。言ったように、ジョバンニの手が加わっているから」
「三原則の改造なんて、ダイレクト社にばれたら協会に通報されるでしょう。ロイド技術士の資格剥奪じゃ」
「ダイレクト社にメンテさせることがあれば、その前にデータを戻しておけばいいだけだ。だいたい、彼が資格を持っているかは判らないよ」
「それは、そうですけど」
「ジョバンニの改造の意図は判る? 彼がチェスを狙う理由は、ヴァネッサが連れ去られるまで、なかったはずだね。もちろん、チェスがマスター同然になっていることも知らない」
「――本当のマスター、マリオットの危険を看過させるため?」
「有り得るね」
「そ、そんなこと、できるんですか!? こ、怖すぎるんですけど!」
「とても難しい。ただ、不可能ではない。最後のところでは、技術士の倫理観に頼るから」
「……じゃ、マスターにもできますね」
「どういう意味だい」
「そのままです」
「三原則の改造なんてするものか。ばれたらまずいから」
「だから、まずいからって言い方、やめてください。ばれなければいいと言うことになっちゃうでしょ」
「うん。基本的には、ばれなければいいと思うよ」
「よくありませんっ」
「心配しなくてもいい。三原則をいじる必要性を感じたことはないから」
肩をすくめる店主に、トールは胡乱そうな視線を向けた。
「でも、私が言うのはそこだけじゃないんだ」
「え?」
「更にもうひとつ。彼女の行動で、矛盾を覚えることは?」
「……判りません」
トールは素直に答えた。
「ジョバンニを突き飛ばしたかもしれないこと、だ」
「え、でも、それは」
マスターの答えに彼は首をかしげた。
「チェスを守るため。マスター同然であり、人間である彼を守ることは、何も不思議じゃないでしょう。落ちれば自分だって『死ぬ』ことを理解していても。チェスの落下とジョバンニの転倒、それらの危険度を秤にかけ、前者を防ぐというのも理屈に適っています」
「その前に危険を看過した話と矛盾する」
「え?」
「チェスが銃弾に倒れる可能性の方が早くやってきていた」
「そうですけど……」
トールは混乱した。
「じゃあ、ジョバンニのプログラムは、どういうものなんですか」
「恐怖」
「……え?」
「彼はリンツェロイドに『恐怖』という感情プログラムを与えようとしていた。『恐怖』の前には、三原則という彼女らの『倫理観』すら働かなくなるように。私には、あのプログラムはそういうものに見えた」
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