ヘンリー・ダーガーのように

タカテン

僕が執筆を続けるのに大切にしてること

 前世紀のアメリカにヘンリー・ダーガーという男がいた。

 3歳で母を、15歳で父を亡くし、天涯孤独となった彼は生涯を通して清掃夫や皿洗いなどアメリカ社会の底辺で生きた。

 結婚はしていない。おそらくは童貞だっただろうとも言われている。


 孤独のまま81歳で幕を下ろした彼の人生は、本来なら誰にも知られることなく膨大な歴史の中に埋もれるはずだった。

 が、死後の整理をしていたアパートの大家が、彼の部屋で驚くべき発見をする。

 それは花模様の表紙に金色の文字で『非現実の王国で』と題名が記された原稿と、その物語の挿絵集だ。

 原稿は15000ページ以上、挿絵は300枚。

 誰にも知られることなく、ヘンリー・ダーガーが密かに書き綴っていた小説だった。

 

 この発見はデザイナーであり大学教授でもあった大家の手によって広く世間に知らされ、小説はあまりに膨大なテキスト量の為に今まで刊行されたことはないものの、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』として原稿が美術館に所蔵されている。 

 

『非現実の王国で』の発見により、死後一躍有名人となったヘンリー・ダーガー。

 人々はその貧しい暮らしの中での偉業に賞賛を送った。2004年には彼の人生を綴った映画も公開されている。

 

 そんな死後に才能を認められた例と言えば、誰もが思い出すのが画家のフィンセント・ファン・ゴッホだろう。

 彼もまた誰にも認められないまま、貧しく不運のうちに最後は自殺を選んだ(*自殺ではないという説もある)。

 ただ、ゴッホとヘンリー・ダーガーには大きな違いがある。

 画家として成功したかったゴッホと違い、ヘンリー・ダーガーは決して作家としての名声を追い求めなかった。

 何故なら彼は部屋の持ち物を大家に「捨ててくれ」と頼んでいたからだ。


 だからこそ思う。

 ヘンリー・ダーガーは貧しくこそあれ、ゴッホと違って心は時に満たされていたのではないか、と。

 

 もちろん、死ぬ間際にはつまらないものに人生を費やしたと後悔したかもしれない。

 ただそれでも、夢中になって『非現実の王国で』を書いている時だけは楽しかったはずだ。

 なんと彼はこの物語を約60年間に渡って書き続けている。しかも資料集めにゴミの山を漁ったり、記事をスクラップしたり、自ら挿絵を描くほどのハマりようだった。

 その間、誰にも見せず、出版社への持ち込みもない。ただひたすら彼は書き続けた。

 何故ならその物語を書くことがヘンリー・ダーガーの心を満たす行いであり、喜びであり、生き甲斐であったからだ。

 

 時は流れ、Web小説の投稿サイトが溢れかえる今、誰もが自分の書いた小説を簡単に発表出来るのは確かに便利だ。

 長く活動を続けていると読者も増えるし、カクヨムで知り合った執筆仲間とツイッターやオフ会で交流するのはとても楽しい。

 ただその反面、期待していたほどの評価を受けられないことや周りの仲間が次々と書籍化していくのに自分は落選続きという現実に心が淀むこともある。

 そうこうしているうちにあれだけ楽しかった創作を苦痛に感じることもあるだろう。

 誰もがゴッホのような苦しみを味わう可能性があるのだ。

 そんなときの為にも、ヘンリー・ダーガーという先輩の生き方を、創作は――自分の頭の中にあるものを形にすることは純粋に楽しいんだって事を覚えておいてほしい。 


 創作をする人なら誰もが感じたことのある原点を、僕たちはもっと大切にしよう。

 ヘンリー・ダーガーのように。

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