書くも長き不在

RAY

書くも長き不在


 突然、実家の母が脳梗塞で倒れた。

 父は既に他界しているため、身の回りの世話をする者が必要だった。


 東京で一人暮らしをしていた私・須崎すざき 玲香れいかは、六年余り勤めた会社を退職して実家へ戻った。そして、勤務時間に融通が利く、非正規の仕事に就いた。

 外で働いている時間は短くなったものの、家事と母の世話は基本二十四時間労働で週二日の休みはあってないようなもの。生活環境が一変したことに加え、自由になる時間がほとんどなくなった。


 文学部で日本文学を専攻していたこともあって就職先は出版社を選んだ。

 昔から文章を書くのが好きで、就職してからも、暇さえあれば、オリジナルの小説や詩を書いた。よく利用していたのは「ライト&リード」というウェブサイト。大手出版社が手掛ける小説投稿サイトで通称「ライリ」。書いたものを公開できるだけでなく、会員同士が気軽にコミュニケーションを取れる仕様となっており、リアルタイムで作品の感想や評価を伝えたり、仲間同士で自由に意見交換をすることができる。


 ライリに登録した頃は、私の作品が評価されることはなく、読まれることもほとんどなかった。

 ただ、他の方が書いた作品のいくつかに目を通して納得した。どの作品も私の書いたものとはレベルが違っていた。ストーリー、キャラ、文章力、世界観、構成など、どれをとっても素晴らしいの一言。それもそのはず。プロフィールを見ると、商業作家として本を出している人やコンテストで惜しいところまで行った人が五万といる。

 こんな作品が当たり前のように投稿されている中、読んでもらうには人一倍の努力が必要。他方、私がライリにやってきた目的は文章がもっと上手くなりたいからであって、周りがお手本で溢れている環境は願ったり叶ったり。


 しばらくして私の小説にもファンがついてくれるようになり、志しを同じにする書き手や気の合う仲間も何人かできた。そんな仲間とざっくばらんな話をするのはとても有意義で、毎日が充実していた。ライリは私の生活の一部となり、無くてはならないものとなった。


★★


 実家に戻って半年が過ぎた。


 新しい環境には慣れたものの、母の容体が良くなることはなく、毎日が戦争のように忙しかった。大袈裟な言い方をすれば、一日三十時間ぐらい働いている気がした。

 時間を見つけてライリにアクセスはしていたけれど、パソコンの前で寝落ちすることが多く、そんな状況では小説を書いたり仲間とコミュニケーションを取ることもままならない。アクセスの回数は自ずと減っていった。


 そんなある日、私の身体に異変が生じる。

 身体が思うように動かず、手足のしびれや背中の痛みが感じられるようになった。医者によれば、疲れやストレスが原因とのこと。仕事には普通に行っていたものの帰宅後はグッタリして何もやる気が起きず、誤魔化し誤魔化し家事と介護をこなしていた。


 さらに三ヶ月が過ぎた。


 ライリを訪れて仲間の作品にコメントを残そうとした瞬間、違和感を覚えた。

 仲間の作品を素晴らしいと感じるのと同時に、自分がそこにいるのが場違いのような気がした。「私はもう以前のように書くことができない。そんな自分はライリに居場所がないのでは?」。そんな考えが脳裏を過ぎった。


 思い返すと、実家に戻ってから一歩も前に進むことなく同じところをぐるぐる回っているような感覚があった。生きているのではなく生かされているようだった。「これではいけない」と思いながら、精神的にも時間的にも余裕がなくて何もできなかった。ライリを訪れることで当時の生き生きとしていた自分が思い出され、それが酷く苦痛に感じられた。


 その日を最後にライリを訪れることはなかった。


★★★


 ライリにアクセスしなくなって半年が過ぎた。

 実家に戻って一年余りが経ったけれど、母の容体も私の体調も一進一退でほとんど変わりはなかった。


 ふとライリのことを思い出した。「このままIDを残しておいても意味がないから削除しよう」。そんなことを考えた。


 久々にアクセスすると、小説置き場のレイアウトが少し変更されて、新たにチャットスペースなるものができていた。コミュニケーションを推進するために独立したコーナーを設けたようだ。


 チャットスペースの表題のところに「新着」の赤い文字が点灯している。新たな書き込みがあることを示しているのだろう。

 ただ、私にとっては意味のないこと。なぜなら、それは、私の知らない誰かが書いたものだから。おそらく自作のPRか何か。


 以前は、音信不通になった私のことを心配するコメントがいくつか寄せられた。しかし、それは一年以上も前のこと。そんなコメントに返信することなく、ずっと不義理を続けてきた私を気に掛ける人などいるはずがない。

 言い換えれば、今の私に仲間などいない。みんな「仲間だった人」。過去形に成り下がってしまった。


 しかし、次の瞬間、私の目はチャットスペースに釘付けになった。

 同時に、両の目から涙が溢れてきた。


 そこには、数えきれないほどたくさんのコメントがあったから。そして、発信者はすべて、私が知っている、大切な仲間だったから。


 心配する声や励ましの言葉が並んでいる。

 文章は十人十色で、発信者の性格がコメントにも表れている。心がこもっているのが見て取れる。中には、定期的に近況を報告してくれた人もいる。件数は減っているものの、今月に入って十人ほどの名前がある。


「……ごめんなさい……ありがとう……ごめんなさい……ありがとう……」


 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、きずがついたCDのように同じフレーズを何度も繰り返した。

 仲間を軽んじていたことを深く反省するとともに、長い間、不義理をしていた自分を仲間として扱ってくれたことに心から感謝した。そして、ライリのIDを削除しようとした自分を恥ずかしく思った。


「もう一度書いてみよう」


 そんな言葉がポツリと漏れた。

 あの頃の自分に戻るには時間が掛かるかもしれない。でも、ライリにはまだ私の居場所がある。一人ではできないことでも仲間がいればきっとできる。それは、リアルだけでなくバーチャルだって同じ。


 その前に私にはやらなければならないことがある。

 もらったコメントに対してしっかり返事をすること。「ごめんなさい」と「ありがとう」の前に、まずこう言いたいと思った。


 ――みんな、ただいま!――



 RAY

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

書くも長き不在 RAY @MIDNIGHT_RAY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ