私と読者と仲間たち「秘密のKACクラブ」【KAC20216】
雪うさこ
偏愛
私は作家だ。気の合う仲間三人と、ある一つのテーマを決め、そして定期的に同人誌を出版していた。
我々の取り扱うテーマは「フェチズム」。
どんな人間にも少なからず、人には言えない
私のフェチは『ガラス』だ。ガラスに映りこんだ人間の姿を目にすると異様に興奮するのだ。
先日、家族の用事に付き合い、近所の菓子屋に行った。菓子屋は二重のガラス戸が据え付けられており、そこに店内の人間の様子が反射して映り込んでいた。
みなさんも一度は目にした事があるのではないだろうか? ガラスに映り込んだ人間の姿を。不明瞭な、それでいて現実とリンクしている映像を。それは言葉ではなんとも形容し難い、不思議な世界である。
エプロン姿の店員の女性が接客をしたり、商品の陳列を行ったりしている後ろ姿の
わたしに一種独特なフェチがあるように、他の作家仲間にもそれぞれに好き好んで大事にしている「フェチ」があった。我々はそれらを言語化し、自らの欲を満たすことに傾倒していたのだった。
ところが、やはり。自分の中だけで抱えているものというのは、いずれ限界が来るものである。——そう。そのころからわたしは、他人の中にあるそれを覗き見てみたいと思い始めたのだ。けれどもこの欲求は、わたしだけでなく、仲間の一人であるA氏も抱いていたらしい。今回の件の発案者は、このA氏であった。
「どうだろうか? 我々の作品へ熱烈なコメントを寄せてくれる読者に、聞き取り調査をしてみては。我々の作品で心動かされる人間だ。それ相応のそれを抱えているに違いないと思うのだ」
多分そこにいた四人——わたしを含めて——は、その誰もが少なからず創作活動に行き詰まっていたのかも知れない。なので、特に反対する意見が出ることもなく、全員一致でその案を実行に移すことになったのだった。
さっそくわたしは、家に届く封書を精査し、その中から便箋にびっちりと感想を記載してくれる男性を見出した。わたしは彼に連絡を取った。彼は最初、心底驚いたような様子だったが、わたしたちの企画の意図を理解すると、すぐに快諾してくれたのだった。我々はホテルの一室を借り、数日後には、彼と面会をすることにしたのだった——。
***
「なんだかお恥ずかしいものですね。こうして自分のフェチシズムについてお話するのは。……わたしが好きなのは、『欠けたもの』なのです」
やってきたのは線の細い気弱そうな青年であった。顔色は陶磁器のように蒼白だった。唇は瑠璃色に近く、いやに血色が悪く見えた。二重で大きく見開かれている瞳は生気のないような
その瞳と同じ色の髪は、短く切り揃えられていて、地味な白いワイシャツに鉄黒色のスラックスを身に
だが彼の口から語られる言葉は、とても外見からは想像しがたい内容であった。
「『欠けたもの』と言いますと、普通の方にはとても想像できないことであると思います。それを説明する前に『美』について少し触れたいと思います。古代ギリシア叙事詩人であるヘシオドスはこう言っております。『美しきもののみが愛でられ、美しからぬものは愛でられぬ』。わたしはそれは違っていると思うのです。『美』を評価するには、『均衡』や『調和』が必要となるのでしょう。ですが、わたしはそういった『整ったもの』には興味が持てないのです。おわかりなりますか?
——そう。なにかが『欠けている』ほうが美しく見える。整っているもの、完全なるものは、確かに美しいのかも知れません。ですがわたしにとったら、なんだか味気がないものです。美しいものと醜いものは正反対の位置にあるのではなく、同じ位置にあるものだと思うのです。みなさんもご経験がおありになりませんか? 醜いものを見ると目が離せない。あれはなぜか。醜いものの中にある魅力を感じ取っているからではないでしょうか? 美しいものに惹かれる気持ちと、醜いものに惹かれる気持ちは、どう違っているのでしょうか? 多分、それはどこか似通っているのだと思うのです。
そうですね。具体的にお話したほうがよいでしょう。高校時代、とても魅力的な男と友人になりました。彼は整った顔立ちをしておりました。一つの点を除けば——彼は、女子学生にとっても人気があったことでしょう。その一つというのが、彼の顔にある
美しいものに傷がある——。そういうものが、わたしの欲を異常なまでに満たしてくれるのです。わたしたちは生涯友人です。彼にとったら、わたしは親友かも知れませんけれども、わたしにとったら、彼は充分に性的興奮を与えてくれる相手であったことに違いがありませんでした。しかし、満たされた生活は長くは続きません。彼とは大学進学と共に離れ離れになり、また私は欲求不満の毎日を送ることになったのです。
ところが先日、私の欲を十分に充してくれる女性に出会ったのです! 隣の部署に異動でやってきた女性がおりました。彼女はかわいらしい女性です。わたしよりも三つ年下で、小柄で色の白い綿毛のような女性です。顔立ちも愛らしく、そこに座っていたら、世の中の男性のほとんどが振り向くような女性です。けれども同僚たちは、彼女に対してつっけんどんな態度をとるのです。わたしは不思議に思い、彼女の部署に足を運びました。そこでわかったのは、彼女が杖を使用しているということでした。
——ははあ、なるほど。彼女を避ける男性たちの本音が理解できました。彼女は、生まれながらに股関節を
わたしは彼女に声をかけ、それから何度かの会食を経験しました。そして今では、彼女とは恋人の関係になりました。同僚たちからは『苦労するでしょう』と慰められますが、いえいえなんの。わたしはそこが好きで彼女とお付き合いをしているのです。ああ——おわかりになりますか? この恍惚感。優越感。特別感。あの同人誌を書いていらっしゃるみなさまでしたら、きっとご理解いただけると思います。ですから、わたしはこの場にやってまいりました」
彼が偏愛しているのは傷ついたものが好きという感覚——と理解した。
人は醜いものにも心動かされる。はるか昔から「死」、「醜」、「悪魔」などを恐れながらも作品にして残してきたのだ。醜いものの中に美を見出してきたのだ。
彼は健康な人間よりも不健康——いや、からだに不具合を抱えている人間が好きだということだ。
わたしの隣に座っているB氏は喉をごくりと鳴らした。ここにいる人間すべてが、彼のフェチズムに惑わされているようだった。
「あの不具合のある足を
「あなたのそれは一種のサディズムですか」
「自分で人を傷つけることは好みません。そもそも、そこにある美に、なにかが欠けているほうが良いのです。もし美しい絵画があったら、そこに傷が入っているほうがいい。美しい陶器があったら、欠けているほうがいい。人間もそうだ。美しいものが傷を負っているというのが、
苦痛、苦悩、
彼の口元は
羨ましい。
羨ましい。
羨ましい——。
語りつくし、満ち足りた笑みを浮かべて姿を消した男を見送り、我々は顔を見合わせた。
「これはなかなか
発案者のA氏の言葉に、わたしを含めた三人は大きく頷いた。
「秘密のクラブだな」
「そうだ。『秘密のKACクラブ』とでも名付けようか」
C氏の提案に賛同した四人は顔を見合わせる。創作活動に行き詰っていた我々だが、そこにいる全員の
「さて。自作のプロットでも練り上げようじゃないか」
「そうだな」
「これは、いいものが書けそうだ——」
わたしには仲間がいる。執筆をしていく上で切磋琢磨できる仲間だ。そして、わたしには読者がいる。わたしの性癖を理解してくれて、こうして刺激を与えてくれる読者だ——。
わたしは今日も書く。わたしの欲を満たしてくれる行為は、頭の中で繰り広げられる妄想。そして、それを形にできる「書く」という行為だからだ。
—了—
私と読者と仲間たち「秘密のKACクラブ」【KAC20216】 雪うさこ @yuki_usako
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