読者も仲間もいませんが

λμ

煩わしい悲鳴

 酷いお題だなあと思った。いや、なにも酷くはないのだが。なにもは嘘か。はっきり、私の頭というか、発想が酷いのだ。


 読者なんていねーよ、と題を見た瞬間に思ってしまった。


 もちろん、まったくいないわけではない。いま見てみたら長短あわせて五十本以上の話を投稿しているらしく、そのほとんどに星が輝いている。カクヨムという空間における評価しましたという証だ。PVに限れば必ず一以上がついている。読んだか否かはともかく誰かがページを開いた。そういうことだ。

 

 人はいる。

 だが、それが読者であり、仲間であるという感覚が、ない。俯瞰してみると、ちょっと笑ってしまうくらいにネガティブだ。酷い話である。


 いままで読んでくれた人たちを否定するのかと言われそうな気がしてくる。気がしてくるだけだ。本当に言ってくるような人はいない。いないはずだ。いたらブロックするし。


 別に否定はしていない。読みましたと言われたら、ありがとうと返します。添えられた当たり障りのない言葉に、当たり障りのなさそうな言葉を選んで返します。なんのためにそうしているのかと言えば、よりよい作者であると見られたいから。ひいては、もっと読者が欲しいから。まったく酷い話だ。


 読者も仲間もいないと言いつつ、自分も相手を見ていない。いないんだから見ようがないと嘯く。カクヨムで最も読まれた作品はどれだろう。PV数のオーダーは数千万くらいだろうか。一話あたりに直せば数十万か。途方もない数字だ。それだけの読者がいる。そう思わされる。だが、違う。

 

 膨大な数字は一部の作品の読者であり仲間で、自作の読者や仲間ではない。自作に限ればPVの大半は開いてダメだと閉じられた回数に思え、輝く星の大半は「私の作品にも星をください」のサインに見える。読まないと読まれない。いや、より正確に言えば、読んだふりをしないと、読んだふりをしてもらえない。


 マジメに読んだら損だ。なにせ向こうは読んじゃいない。とにかく開いてページを送って応援ボタンを叩き面白いですビックリマークで星三つ。さあ、さっさと返してこい。レビューもしようか。面白いですビックリマーク。ほら、ちゃんと返しておけよ。次だ次。そんなもんである。別にそれでもいいと思う。どうせこっちも読んじゃいないしと強がる。


 読まれないのは面白くないからだと思う。そしてそれは間違いじゃない。面白ければ読まれる。面白いの基準は何人が面白いと言ったか。つまり星やPV。誰かが面白いと言っていなければ面白くない。これが面白いと言う前に他人を捕まえ「これ面白いよね?」と尋ねる。同意されたら面白い。肩を竦められたらやっぱりそうかと棚に戻す。誰も彼もが自分の感性を信じていない。


 偉そうに言ってはいるが、自分もそうだ。そもそも滅多に読みにいかない。読みにいったら打ちのめされるから、ではなく、九分九厘つまらないからだ。わざわざ読みにいって「つまらないですね」と伝えるのは酷すぎる。星がたくさん輝いている作品でも同じ。合わないものは絶対的に合わない。ごくまれに面白い作品をみつけても自分で小説を投稿しているから評価できない。できないことにしている。

 

 読んでほしいから読みましたと思われたくない。だから、読まない。捻じくれていると自覚している。PVがつき、星が輝き、感想が届く。ありがとうございますと感謝しながら誰がつけたのか見に行く。作品を投稿していると知る。そういうことかと考える。なにか特別な理由でもなければ自作が面白いと言われるわけがない。そういうときだけ自分の感性を信じる。もはや悪い冗談だ。


 なにが「私と読者と仲間たち」だと思う。


 そんなもん、いねーよ。


 酷い作者である。

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