かわいい人魚の飼い方

「ごめんね、エル」


 彼女とつないだ指先を見つめながら、僕は懺悔するように呟く。彼女は「ううん」と小さく首を振った。


「謝らないで、カイ。わたしはカイと出会えてよかったって思ってるの」


 蓮華の花畑を思わせるような、可憐で柔らかな声。その声色は、僕とエルが初めて出会った日から、なに一つ変わってはいない。それが、余計に僕の心をじりじりと焼く。

 ざあぁん、と音を立てて波が砂浜を洗い、サンダルをはいた僕の足を濡らす。ちりちりとサンゴ砂が転がる音が止む前に、ふたたび波が砂浜を駆けあがってくる。


「気休めはいいよ。きっとエルは僕のことを、自分勝手でひどい人間だって思ってる……」


 彼女の顔をまともに見ることができず、俯いたまま、ほんの少しだけ苛立ったように僕はいう。

 苛立っているのは、エルにじゃない。

 不甲斐なくて、惨めな僕自身にだ。


「そんなに自分を責めるようなことをいわないで。それとも、カイはわたしのいうことが、信じられない?」

「そんなわけないよ! だって……」


 ムキになり、勢いに任せていい返そうとしたけれど、言葉が続かなかった。

 やっぱり僕は情けない人間だ。


 僕の住むこの小さな島では、以前から異種族交流という、ちょっと変わった文化があった。

 ことの始まりは、むかし、この島がまだ本土からは遠く離れた、未開の島と認識されていた頃。

 ある日、ひとりの男が漁に出て、仕掛けていた網を引きあげると、そこに人魚の少女がかかっていた。

 男は人魚に絡まっていた網を丁寧に外してやったが、よく見ると人魚はあちこち傷だらけ。このまま海に返すのは忍びないと、男は人魚を連れ帰って傷の手当てをしてやることにした。

 この島の人たちは、男が連れ帰った人魚の少女の傷が癒えるまで、まるで我が子のように甲斐甲斐しく世話をしてやった。

 人魚の少女は体力を取り戻すと、島の人々に恩返しをするように、機織りや漁の手伝いをした。特に、彼女とともに漁に出ると驚くほどの豊漁となったため、島民たちの中には、彼女を海神ワダツミ様の遣いだと崇拝する者まで出るほどだったという。


 やがて、傷も癒え、故郷の海に帰った人魚の少女は、この島の人間にとても親切にしてもらったことを、父親である人魚族の王に報告した。

 その話にいたく感激した王は、交流のある様々な半獣人族の王たちに、この島の人間とのあたたかな交流の話を伝えたという。

 人魚と島の人間たちとの交流の話は、またたくうちに半獣人族たちの間に広まり、やがてこの島には、多くの半獣人族たちが訪れることになった。

 島にやってくる半獣人族の多くは子どもだった。彼らは二週間ほど、島に住む子供たちの家で一緒に暮らし、人間の様々な文化を体験した。

 簡単にいえば人間族へのホームステイといったところだ。


 例えば、去年の春に釣り船屋のタケルのところにやってきたのは、「ハーピー」の少女、ユウだ。

 ユウは両腕が美しい七色の翼になっていて、自由に空を飛び回ることができた。


「島にはジェットコースターなんてないけれど、ユウと一緒に空を飛ぶのは、そんなものよりももっとスリリングで楽しいんだ!」


 そういって、タケルはいつも彼女のことを自慢していた。


 その、半年後。秋に農家のミカの家にやってきたのは、「ケンタウロス」の少年、ケイだ。

 彼はへそから下が馬になっていて、とにかくよく走ることができた。おまけに、体力もあったので、収穫した農作物を運んだり、農機具で畑を耕したりと、島の大人でも大変な力作業もなんなくこなした。

 ケイは夕方になると、いつもミカをその馬の背にのせて、島中を駆け回っていた。

 島の運動会でも、ケイはぶっちぎりの一番だった。

 ミカはそんなケイにすっかり心を奪われてしまったようで、次はミカがケンタウロスの国に留学するんだと張り切っている。


 これまで、僕の家に半獣人族がやってきたことはなかった。

 いつもタケルやミカがうっとりとした表情で彼らの自慢話をするのを、僕はただ羨ましそうに聞いているだけだった。

 だから、父さんから「今度、うちに人魚の子がホームステイすることになったぞ」といわれたときは、飛び跳ねて喜んだんだ。

 なんといっても、人魚は半獣人族の中でももっとも人気のある種族だ。おまけに、やってくるのは僕と同じ年頃の女の子だという。

 世界で最も美しい種族といわれる人魚族の少女がやって来る、そのことだけで僕の心は天にも昇りそうだった。


 僕は彼女がやってくる前からクラスの友人たちに、「今度、うちに人魚の少女が来るんだ!」と自慢しまくった。

 クラスの誰もが僕を羨望の眼差しで見た。僕は優越感で一杯だった。

 

 我が家にやってきたエルは、僕を海のいろんな場所に連れて行ってくれた。

 色とりどりの魚が泳ぐサンゴの海、ウミガメの寝床、イルカの遊び場、クジラと見間違えそうな小魚の大群、数メートルもの高さの海藻の森。

 海の中の世界はどれも僕にとって魅力的だったし、そんな場所をたくさん知っているエルのことを、友人たちに自慢したい気持ちでいっぱいだった。

 だけど、僕は友人たちにエルを紹介することはなかった。


「もうすぐ、日が沈むね」


 水平線の近くに夕陽が傾き、海の上には金色の光の道が輝いていた。

 この太陽が沈むまでに、海の世界に戻る約束になっている。

 エルとの別れの時間が近づいていた。


「カイ、短い間だったけど、本当に楽しかったよ。わたし、カイと友達になれて嬉しかった。だから、さようならはいわないよ」


 エルは僕とつないでいた手をそっと放すと、一歩、また一歩と、光の道が浮かぶ海の中へと進んでいく。

 彼女の背中が遠く、小さくなるにつれ、僕の中に積み上がった悔恨が、重くのしかかってくる。

 やがて、エルの体が半分ほど海に浸かったとき、僕は思わず駆け出していた。

 服が濡れるのも厭わず、押し寄せる波をかき分ける。

 足にまとわりつく海水が重く、僕を押しとどめようとする。

 それでも、僕は必死に足を動かす。


「違うんだ! エル! 僕はずるいやつだった! エルの友達にふさわしくなんてない!」


 水しぶきをあげながら、僕は叫ぶ。

 腰まで海水に浸かって、走っているのか泳いでいるのか、自分でもわからない。

 波が顔を濡らす。鼻がつんと痛み、口の中に塩の味が広がった。


「僕があんなふうにみんなにいいふらさなければ、エルだって他の半獣人族と同じように、この島の子どもたちとたくさん遊べたんだ! エルがこの夏の間、僕以外の子どもたちと遊べなかったのは、僕のせいなんだ!」


 振り向いたエルはほんの一瞬、驚いたように目を丸くした。

 

 僕は、エルにいくつも嘘をついていた。

 僕の友達は、海で両親を亡くしたから、海が怖いんだ。

 僕の友達は、半獣人族を怖がっているんだ。

 僕の友達は、きっとエルと仲良くしたがらないと思う。

 僕の友達は……

 なんでも友達のせいにして、僕はエルを誰にも会わせなかった。

 そして、嘘を積み上げた結果、僕はエルにこういった。


「僕の友達はエルに会えば、きっとエルのことを傷つけてしまう。でも、僕はエルを傷つけたくないし、友達にもエルを傷つけて欲しくない。だから……僕の友達とは会えないよ」、と。


 僕のこの言葉には、たった一つの真実でさえも存在しなかった。

 重ねた嘘は後悔となり、高く積み上げたジェンガのようにぐらぐらと不安定に揺れ動いている。


 僕の友達は、みんな半獣人族との交流を楽しみにしていたし、エルにだって会いたがっただろう。エルだって、僕の友達と会いたかったはずだ。

 でも、それは叶わなかった。いや、僕が叶えようとしなかったんだ。

 だって、僕は他の誰にもエルと会わせたくなんてなかったから。

 でも、今まさに海の世界に帰らんとしている彼女の後姿が、僕の中の積み木を不器用に抜き取り、そしてタワーは音を立てて崩壊した。


「違う……本当は、僕はエルのことを守りたかったんじゃない! 守りたかったのは、僕自身だ! エルの気持ちなんて、ちっとも考えてなかった!」


 エルは優しい眼差しをむけたまま、ゆっくりと首を振った。

 夕陽を背にしたその顔は笑っているようにも、泣いているようにも見える。



「そんなことない。だってカイは、この夏の間、ずっとわたしと一緒にいてくれたもの。だから、それで十分、楽しかったよ。わたし、この世界で最初に出会ったのがカイで、本当によかった」


 エルの言葉は、どこを切り取っても嘘なんてないんだと思うような、優しい声だった。

 もし、彼女が人間の女の子だったら、僕はたちまち恋に落ちていたはずだ。

 僕だけじゃない。優しくて、気遣いができて、そして、いつだって笑顔でいてくれるエルのことを好きにならないやつなんて、きっといないだろう。


「またね、カイ」


 柔らかに微笑むと、エルは夕日に染められて赤く輝く海に飛び込んだ。

 彼女の足が水面を打ち、パシャンと水しぶきが跳ねる。

 その波紋が、波にのまれるのを茫然と見送りながら「ごめんね、エル」と、僕は心の中でまた謝った。


 顔と胴体が魚で、人間の手足が生えているのは、こっちの世界では「人魚」ではなくて「半魚人」っていうんだ。

 だから、僕は友達から嘘つき呼ばわりされたくなくて、「の少女は来られなくなった」っていうしかなかったんだよ。

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ちょっと意外な結末の短編集 麓清 @6shin

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