スマホ、お貸しします。

今福シノ

短編

 駅前の居酒屋を出るころには、午前2時をまわっていた。


「くそっ!」


 ゴミをポイ捨てするみたいに吐き捨てる。浴びるように酒を飲んだはずなのに、俺のさはほとんど晴れなかった。

 それもこれも、同期入社の高橋たかはしのせいだ。


 そもそも入社したときから、アイツのことはどこか胡散うさんくさい気がしてならなかった。

 自分のためなら、自分がよく見られるためには手段を選ばない。そのためなら他人がどうなろうとかまわない。そんなヤツ。


 結果、俺の手柄となるはずだったプロジェクトはもっていかれた。

 そして――気がつけば俺が好意を抱いていた先輩、八重樫やえがしさんと付き合っていたり。俺が好きなことは、アイツも知っていたのに。がんばれ、なんて言っていながら、陰でアプローチを重ねて、俺のことを笑っていたんだ。


 ふらつく足どりで帰り道をたどる。意識はどこかぼんやりしているのに、どす黒い感情が渦巻いているのだけははっきりと自覚できる。

 いや、それだけじゃないんだろう。


「俺もアイツみたいになれたらな……」


 いっそのこと、高橋アイツになれたら。そんな子どもじみたことを考えてもどうしようもないのに浮かんでしまうのは、アルコールのせいなんだろうか。


「お困りですか?」


 すると突如、そんな声が鼓膜に響いて、俺は立ち止まった。

 酔いで重たく感じる頭を上げ、周囲を見る。俺を呼び止めた彼女・・は斜め後ろからこちらを見て笑っている。


「お困りのようですね」

「なんだ? アンタ」


 丑三つ時だっていうのに声をかけてくるのは、怪しいやつに違いない。無視するのが吉。

 それなのに俺が反応したのは、彼女の見た目にあった。


 丸イスに腰かける彼女の前には、道端で小汚い占い師がやっているみたいな小さな机。けれど服装はキャリアウーマンを彷彿ほうふつとさせるスーツ姿に、きちんとセットされたセミロングの黒髪。アンバランスというか、不自然。


 そして極めつけは――机に並ぶ、いくつものスマホ。


「中古のスマホ販売でもしてるのか?」


 iPhone、Xperia、Huawei……ありとあらゆる種類のスマホ。どれもこれも新品には見えず、使い古された見た目をしている。


「私は、お客様のご要望に応じてスマホの貸し出しを行っております」

「貸し出し?」


 あれか? スマホを失くしたり壊しちまった時に貸してくれるみたいな。


「飯塚康太様。あなたのお求めの品も、ご用意させていただけます」

「なんで俺の名前――」


 そこまで言った瞬間、俺は言葉を失った。

 机の上の、1台のスマホが目に留まったからだ。


「高橋の……スマホ?」


 そんなことはあるはずない。だけど目の前のそれに、俺は見覚えがあった。

 最新機種の黒いiPhoneに、センスの悪いゆるキャラのストラップ。数日前、高橋が買い替えたのだと自慢してきたそれだ。


「ええ。こちらは高橋ゆたか様のスマホになります」

「は……?」

「こちらのスマホを、貸し出しいたしましょうか?」


 他人のものだと称するスマホを貸そうとしてくる。こんなもの、詐欺に決まっている。


 だけど、もし本当なら……?


「……いくらなんだ」

「料金は一律、1日5万円となっており、延長は別途料金をいただいております」


 高いな……。


「ですが、初回の方には1日無料のサービスを行っております」

無料タダ?」


 なら、俺は痛くもかゆくもない?


「いかがなさいますか?」


 再び、問いかけてくる。

 それに、俺は――



 **



「高橋君! これはどういうことかね!?」


 翌日。朝いちばんに課長の怒号がフロアに響き渡った。


「お、オレですか?」

「君だよ! 君!」

「オレ、何かしましたか……?」


 てっきりプロジェクトのことをめられると思っていたのか、目を白黒させている。

 そんな様子の高橋に、課長は烈火のごとく、


「君だろう! Twitterに私の悪口を投稿して拡散させたのは!」

「ええっ!?」

「とぼけても無駄だ! 以前教えてもらった君のアカウント、私をおとしめる内容ばかりじゃないか!」


 高橋はすぐさまスマホを取り出して操作する。Twitterを起動し、課長の言ったとおりであることを確認したんだろう、絶句している。


「君には期待していたんだが、こんな非常識なことをするとは……これはプロジェクトの担当も再考した方がいいかもしれないな」

「そ、そんな課長! オレじゃないです!」

「じゃあ他に誰が投稿するというんだね!?」

「そ、それは……」

「ともかく! 反省したまえ!」


 荒い足音を立てて、課長が出ていく。

 俺の目に映る高橋の表情は、絶望そのものだった。



 **



「時間どおりのご返却、ありがとうございます」

「ああ……」


 その日の夜中。24時間前と同じ場所で、俺は高橋のスマホを返却した。


「いかがでしたでしょうか?」

「そうだな。まあまあ、だったよ」


 嘘だ。

 最高の気分。

 今思い出しても脳裏にはっきり浮かぶ。アイツの、青ざめた表情。笑いを我慢するのが大変だった。


 高橋のスマホを借りてすぐ、俺はアイツのアカウントで課長の悪口をつぶやきまくった。

 最初は疑心暗鬼だったし、どうしてスマホのロックを解除できたのかはよくわからないが、言えることはひとつ。


 あの時たしかに、俺は高橋として高橋アイツのスマホを使っていたんだ。


「……なあ」

「はい、なんでしょう」

「他のやつのスマホとかも……借りれるのか?」


 見れば、机にはまだ多くのスマホが置かれている。


「はい、もちろんです。ここからは有料となりますが、よろしいでしょうか?」


 その問いに、俺は黙って財布から一万円札を5枚、取り出した。



 **



「くくく……」


 思わず、笑いがこぼれてしまう。


 目の前のガラス窓から見下ろせるのは、美しい夜景。手には、高級ワインの入ったグラス。

 そして、


「飯塚君、いいの? このホテル、すごく高かったんじゃ」

「何言ってるんですか、八重樫さんと行くのならこれくらいじゃないと」


 後ろからバスローブ姿で歩いてきた八重樫さんを抱き寄せる。


 あれからもう一度高橋のスマホを借りた俺は、ヤツのLINEを使って八重樫さんと破局させた。あとは簡単だ、傷心の彼女をなぐさめるだけ。


 それから、IT企業の社長のスマホを借りて、俺の口座に金を入金させた。おかげでこんな高級ホテルに泊まってもまだ腐るほど金がある。


 あとは、イケメン俳優のスマホで不倫相手とのメールを週刊誌に暴露。普段すかした姿しか見せていなかった人間が慌てふためいて記者会見をするのは見ていて最高にゾクゾクした。

 政治家のスマホも借りた。おかげで、アイツらが普段どれだけ腐ったことをしているのか知ることができた。今度それをネタに匿名で脅してやろうか。


「次は誰のにするかな……」

「? 何か言った?」


 八重樫さんが頬を赤らめて言う。きっと、高橋にもこんな表情を見せていたんだろう。それが、アイツのスマホをちょっと借りただけでこれだ。


「なんでもないですよ。それより――」

「あっ」


 俺は彼女を抱きしめ、ベッドに倒れこむ。そこから先は、快楽の世界だ。

 恍惚こうこつおぼれながら、俺は頭の中で次の快楽を探し求めていた。



 **



 今日も高橋のスマホを借りることにした。


「さて、何をしてやろうかな……」


 会社のトイレの個室で思案する。夜は八重樫さんと食事だ。どうせその後はホテルに行くから、返すのは彼女が寝てからにしよう。


「ん?」


 震えているのは、俺のスマホだった。電話のようだ。


 自分のスマホなのに、操作するのは久しぶりな気がするから、なんだか変な気分だな。


「もしも――」

「おい! てめえいつになったら借金返すんだよ!」


 スピーカーから響いてくるのは、まるでサラ金業者のような声。


「は……え?」

「とぼけんじゃねえ! 飯塚康太! てめえがこの電話で金を貸してくれって言ってきたんだろうが! 期限までに返さねえってのはどういうつもりだあ!」

「お、俺は別に金なんて」

「うるせえ! 今どこにいるんだ! おい――」


 怖くなって、思わず通話を切る。そして電話番号を着信拒否。


「なにがどうなってるんだ……」


 サラ金? そんなの身に覚えがないぞ。そもそも金なんていくらでもあるのに。


 銀行アプリを立ち上げる。そうだ、金を返せって言われてもここから出せばいい――


「え……」


 瞬間、俺は言葉を失った。

 つい昨日まで数千万あった残高が、数百円になっていた。


「うそだろ……?」


 呆然とつぶやいた直後、またしても着信。非通知設定。


「も、もしもし」

「ギャハハハハ! ほんとに出たよ! 飯塚さんで合ってる? イエーイ!」

「あんた金持ちだねー! 住所もわかったし、今から行くわー! ヒャハハハ!」

「ひっ」


 急いで通話を切る。電源を切って、いやそれだけじゃ不安だ。

 俺はスマホを床にたたきつけて、勢いよく踏みつける。


 と、ともかくなんとかしないと。今夜の予定は一旦キャンセルして考えよう。


 慌ててトイレから出る。と、誰かとぶつかりそうになった。


「きゃっ」

「すみません――あ、八重樫さん。今夜のことなんですけど」

「……は?」


 そんな言葉とともに向けられた視線はさげすむようなそれだった。


「え、あれ……」

「今夜? なんのこと?」

「じょ、冗談やめてくださいよ……」


 唇が震える。ゴミを見るような目。

 この表情は、見たことがあった。だけどこれは、俺じゃなくてアイツを見たときの。


「冗談? ふざけてるのはそっちじゃないかしら、高橋君・・・

「……」


 彼女は、俺をアイツの名で呼んだ。


「お、俺ですよ。飯塚ですよ」

「何言ってるの」


 八重樫さんはため息をつく。


「手のスマホ、高橋君のでしょ。じゃああなたは誰だっていうのよ」


 たしかに、手に持っているのは高橋のスマホで間違いなかった。


「悪いけど、仕事以外で話しかけないでくれる?」

「あ……」

「それじゃ」


 八重樫さんが去っていく。

 いや、そんなことはどうでもいい。


「スマホ、借りなきゃ」


 あの店に行って、スマホを借りて。


「あれ……」


 だけど、誰のスマホを借りたらいいんだ?

 今持ってるのは、誰のスマホだったっけ?


 真っ暗な画面に、顔が映る。

 だけど、それが誰なのか、よくわからない。


「あれ……?」


 俺、一体誰なんだ……?

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スマホ、お貸しします。 今福シノ @Shinoimafuku

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