彼女に名前で呼んでもらうためには

平 遊

彼女に名前で呼んでもらうためには

「や~まのん。」

そう呼びかけながら、後ろから彼女が俺の肩をたたく。

振り返れば、満面の笑みを浮かべた彼女がそこに立っている。

自慢じゃないが、メチャクチャ可愛い彼女だ。

「ねっ、今日どこ行こっか?やまのん、どこ行きたい?」

少し背の低い彼女が、下から俺の顔を覗き込んで来る。

可愛い。

メチャクチャ、可愛い。

何も不満がないくらいに、可愛い。

ただ一つを除いて。

「ねぇねぇ、やまのん、聞いてる?」

俺の名前は、山野正隆。

俺のことを『やまちゃん』と呼ぶ人は、かなり多い。

苗字に『山』がつく人の、あるあるだろう。

だが、今の今まで『やまのん』と呼ぶ人は、彼女だけだ。

しかも、出会ってすぐ、付き合う前から彼女は俺を『やまのん』と呼び始めた。

付き合い始めても、呼び方は変わらず。

もちろん、ベッドの上でさえ。

・・・・正直、萎えてしまう、時もある。


『やまの』と呼び捨てならまだわかる。

本当なら、名前で呼んで欲しいけど。

『正隆』とか。『まぁくん』とか。

だいたい、『のん』って、なんだよ?何故最後に『ん』を付ける?

「ねぇったらっ!こらっ、聞いてるのかっ、やまのんのんっ!」

・・・しかも、たまにこうして『やまのんのん』と呼ばれることも。『やまのんのんのん』もあったか。

この際、俺は改名した方がいいのか?

山 のんのん に。

「聞いてるよ。聞いてるけど。」

「だったら返事くらいしなさいっ、やまのんのんっ!」

「・・・・はい。」

バレないように小さな溜息をひとつ。

「俺、ちょっと欲しい本があるんだけど。」

「じゃ、とりあえず本屋さん行こう!」

ニコッと笑って、彼女が腕を絡めてくる。

やっぱり、可愛い。

つい、呼び方なんてどうでもいいか、と思ってしまうくらいに、可愛い。

(でも、やっぱりなぁ・・・・。)

彼女と連れ立って本屋に向かいながら、俺はどうしたもんかと頭を悩ませていた。


「なぁ、麻里。ひとつ、お願いがあるんだけど。」

「ん?なに?」

アイスミルクティーを飲んでいた彼女がストローから口を離し、俺を見る。

彼女の名前は、麻里子。

俺は、付き合い始めてすぐくらいの頃から、彼女を『麻里』と呼んでいる。

「いい加減、俺のこと、名前で呼んでくれない?」

随分悩んだ挙句、俺はストレートにお願いすることにしたのだ。

「いいよ。」

麻里は、拍子抜けするくらいに、あっさりとそう言った。

まじでっ?!ほんとにっ?!

なんだよ、こんなことなら、さっさとお願いすれば良かったじゃないか、俺っ!

その場で小躍りしたい気分の俺に、麻里は続ける。

「でも、ひとつ条件がある。」

「えっ?」

条件?

条件が無いと、俺は彼女に名前で呼んで貰えないの!?

とは思ったものの、口には出さないでおく。

「なに?条件って。」

俺の問いに、麻里は何やら目を輝かせ始める。

何か、イヤな予感。

しかも、イヤな予感ほど、当たるんだよな・・・

「私のこと、『まりりん』って呼んでくれるなら、いいよ。」

子供みたいにキラキラした笑顔で、麻里はそう言った。

そして、絶句する俺に構うことなく、残りのアイスミルクティーを飲み始める。

『まりりん』て。

どこのアイドルだ?

いや、アイドル並みに可愛い彼女ではあるけど!

『りん』て、何だ?

何故、『りん』を付ける必要がある?

何故、『麻里』じゃダメなんだーっ!

「私、彼氏に『まりりん』て呼んでもらうの、ちょっと夢だったんだよねー。」

すっかりアイスミルクティーを飲み終わった彼女が、期待値特大の笑顔で、俺を見つめている。

「ねっ、呼んでみて。『まりりん』て。」

何の罰ゲームだろうか。

俺、何か悪い事しただろうか。

ただ、彼女に「名前で呼んで欲しい」とお願いしただけなのに。

「・・・・まり、りん」

「違う違う~!『まりりん』!」

恥ずかしさを堪えてようやく声を絞り出した俺に、麻里はソッコーでダメ出しする。

「・・・・まりりん。」

「え~?聞こえないなぁ?」

なんだろう、今日は麻里が小悪魔に見える。

いつもは天使に見えるのに。

俺、騙されてたんだろうか?

「わかったよっ、呼べばいいんだろっ。」

ヤケクソになって、深呼吸をひとつ。

俺は、麻里の目を見ながら、麻里を呼んだ。

「まりりん。」

「なぁに?まぁくん。」

俺の目の前で、麻里が天使の笑顔を見せる。

なんだろう、この胸の高鳴りは。

もう一度、呼んでみる。

「まりりん。」

「なぁに?まぁくん。」

くぅぅっ、たまらん!

俺、もう死んでもいいかも!

いやっ、だめだっ、まだまだ死にたくないっ!

もっと呼んでもらいたいっ!

俺はきっと、幸せ全開の顔をしていたんだろう。

そんな俺を、麻里はクスクスと笑いながら眺めていた。


「なぁ、麻里。」

「・・・・。」

「じゃなくて、えっと、まりりん。」

「ん?なぁに?まぁくん。」

あれ以降、麻里は『まりりん』と呼ばないと、俺を無視するようになった。

・・・・『やまのん』時代より、悪くなってないか?これ。

未だに俺は、『まりりん』と呼ぶことには馴れずにいる。

正直、恥ずかしい。

周りに人がいない所ならまだしも。

でも、彼女に名前で呼んでもらうためには、この恥ずかしさを乗り越えるしか、ない。

恥ずかしささえ乗り越えれば・・・・

「まりりん。」

「なぁに?まぁくん。」

そこには天使が待っている。

でも、俺はたまに考えてしまう。

世の中の男子諸君も、みんな俺みたいに涙ぐましい努力をしているのだろうか、と。

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