第21話 カオリ
『理由はいまだ解明されていないのですが、試験管を用いたアナログ的な実験であれ、遺伝子操作を用いた標的ゲノムの改変実験であれ、人工的に受精させたベイビーには、男児女児に関わらず、まったく『巫力』が遺伝しないことが判明しています。これまで様々な…、時にはヒトとしての倫理規程すら逸脱してしまう危険な実験さえ試みられたのですが、成功例は一つもありません。…ええと、つ、つまりはですね、巫力発動因子のトリガーの一つには、明らかに、せ、せ、性行為が含まれていると、お、思われる訳なのです…』(ニーナ談)
ちなみに、両親に俺が迷宮探索隊の候補生になったと知らせた際、どこか白けたような反応しか返ってこなかった理由は、巫力を有した子供に支給される莫大な特例児童手当を受け取れるのが、10歳までという年齢制限があるからだ。まあ両親にしてみれば、巫力に目覚めるのなら、もっと前に目覚めてくれよ、我が家もリッチになれたのに…、ってことだろう。
実際に、俺のように遺伝とはまったくの無関係で、しかも16歳を過ぎてから、突如として『巫力』に目覚めるというパターンは本当にレアなケースらしい。
これはきっと、俺がパラレルワールドのような、このダンジョンあり世界に巻き込まれてしまったことと、大きく関係があると思われる。だからと言って、何がどう関係しているのか、ちゃんと説明することはできないのだが…。
さらにもう一つ。俺が迷宮探索隊の候補生になったと伝えた際、妹が怒ったように驚いた理由なのだが、これはニーナに、夫が巫力発動因子を有する場合の『婚姻特例法』というやつを解説してもらっている時にわかってしまった。
実は俺と妹は、母親に再婚歴があるために、異父兄妹だったりする。
日本の法律では、というか、世界のほとんどの国では近親者間の婚姻を禁止しているのだが、巫力発動因子を有する男子が関わってくる場合では、その辺の事情ででさえもガラリと異なってしまうのだ。
『巫力発動因子を有する男性と、その血縁に近い女性との間で産まれたベイビーは、まず間違いなく、極めて高い潜在巫力を生得して誕生します。現に英雄クラスの迷宮探索者の多くは、そうした出自を持つ者が少なくありません。しかも、一千件近い異父母近親出産のデータから分析された結果によれば、父方が異父母の兄弟かつ巫力発動因子を有しており、また母方が異父母の姉妹かつ無巫力保有者で、年齢差3歳以内の妹である場合こそ、潜在巫力が最も高い数値で遺伝することが明らかになっています』(ニーナ談)
という訳で、『婚姻特例法』では、異父兄弟姉妹の婚姻も認めているのだ。
しかもウチの場合は、年の差2つなので、まんまBINGO。まあ妹にとってみれば、ふってわいたような人生イージーモードのチャンスなのかもしれない。って、もちろん俺には無理ゲーの話なのだが。
『巫力発動因子を有する男性であれば、配偶者の数にも制限はありません。…は? そうです。言い換えれば、国家公認という形でハーレムの所有を認可されていると思って頂ければよいかと。…ええ。もちろん永瀬さんが迷宮探索隊の候補生となった時点で、重婚の権利が発生していますよ。まあ実際は永瀬さんの年齢が婚姻可能な十八歳になった時から有効になるのですが…。はい? 自分は陰の者? モテない? 女性に避けられる? いえいえ、そんなことはまったくありません。逆に永瀬さんが身近で近づきやすい高校生かつ候補生であることが、逆に世の女性達を大いにやる気にさせてしまうと思われます。…もしも永瀬さんが地上に戻られ、その希有な能力が広く知られてしまったら、私にとっても大きなマイナスとなるでしょうね。永瀬さんの優秀な巫力発動因子を巡り、壮絶な競争が繰り広げられると予想されますから』(ニーナ談)
…地上に戻ると、俺がモテる?
って、どうしてこうなった? なんだか意味がわからない。
というか、俺がモテるのは、顔つきとか体系とか性格とか趣味趣向とか、何一つ、まったくもって関係がなく、“なんだかよくわからない股間の種”、たったそれだけのせいらしいのだ。
おそらく俺に告ってくる女子なんて、俺の姿形がまんま億単位の札束に見えているに違いない。
…って、仮にそう見られていたとしても、もしも俺が『来る者は拒まんのやで!』などという姿勢でウエルカムに徹したら、それこそウルトライージーかつ手当たり次第に、不特定多数の女子とヤレてしまうってことか?
ふーむ。やっぱり全然リアルじゃない。俺自身がモテまくるという状況がどうにも信じられないだろ。
『とにかく、永瀬さんはすでに有名人の一人です。ネット上には、迷宮探索隊や候補生の個人情報を詳しく載せたサイトが無数に存在しますので。中でも、『億り人(妻&愛人)になろう!』が特に有名ですね。永瀬さんが候補生になった直後から、住所や家族構成、学歴趣味趣向など、あらゆる個人データが掲載されているはずです。正確なデータを提供すれば、結構な額の懸賞金が支払われますから。永瀬さんの個人情報を知り得る、以前のクラスメート達にとっては、割のよいお小遣い稼ぎになったと思います』(ニーナ談)
◇◇◇
結局のところ、俺は『妻に娶って欲しい』というニーナの申し出に、曖昧な返事しかできなかった。
というか、そりゃあそうだろ。俺は16だし、結婚生活なんて想像できる訳がないのだから。
それに俺がニーナと話し込んでいる間、膝を抱え込んだまま身動き一つしないカオリのことが気になってしまったのだ。
きっとカオリは、大嫌いな俺になどに話しかけて欲しくはないだろう。
でもここは、先程背中をコガして臨終しかけた俺のように、あっという間に死が訪れる未踏領域なのだ。
俺はカオリに謝らなければならない。もう先延ばしにしてはいけないのだ。
実際のところ、俺たちがいつから親しくなったのか、出会いの場面とか交わした言葉とか、そんなものは何一つ覚えていない。気がついた時には、すでに俺とカオリは仲良しになっていたのだ。まあ同じ幼稚園に通っていたし、家が近所で母親同士も仲が良かったせいだろう。
ただ、最初から主従関係は決まっていた。
勝ち気でわがままなカオリがボスかつお姫様で、俺が絶対服従の下僕かつ子分かつ奴隷。ああしろこうしろと仕切るのはいつもカオリで、俺はただ黙ってつき従うのみ。別にそんな関係が嫌だなんて思ったことは一度もなかった。はるか昔から俺は口下手な陰の者だったし、好き勝手に引っ張り回してくれるカオリと一緒にいれば、驚いたり笑い転げたり泣かされたりと、とにかく退屈なんてしなかったからだ。
小学校に入っても俺たちの関係は変わらなかった。
放課後は一緒に帰ってどちらかの家で夕食の時間まで一緒に過ごす。長いRPGを二人プレイでクリアしたり、俺にはピンとこなかったディズニーアニメのDVDを並んで観たり、流行の音楽を聴かせ合ったり。
小六になって、やけにカオリが大人びて見えるようになり、なんだか気後れを感じ始めた後も、俺たちの関係は変わらなかった。カオリはクラスの陽キャな男女らと遊びに出かける際、『今度の日曜、よみうりランドに行くからよろしく』とか、『二日後の花火大会、駅前で六時に待ち合わせ』などと言って、いつも俺のことを誘ってくれたからだ。
その頃から、カオリは本物の人気者になっていた。
眩しいまでの可愛らしさに、すらりとした足の長さ。クラスの中に紛れていても、カオリだけ蛍光マーカーで囲ったように目立ってしまう特別なオーラ。そして学年一の賢さと、ずば抜けた運動神経。まさにザッツパーフェクトな美少女だった。
一方の俺は、スポーツでも勉学でも容姿でも、『平凡かそれ以下』があたり前の男となりつつあった。
成長期がやって来るような気配はゼロだったし、相変わらずの口下手だったし。
とにかくその頃から、俺は回りの男子女子らに『どうして橋本香織と仲がいいのか?』としつこく何度も質問された。もちろん俺は答えることができなかった。俺自身でさえ、ずっと不思議に思っていたからだ。
その答えに最も近づいたのが小六の夏休み、近所の神社で毎年開催される夜祭りでの出来事だった。
夜店で賑わう境内を、カオリと陽キャグループが一塊になって練り歩き、例によってその輪の中に入れない俺だけが、みんなの背後に付き従う。それでもぼっちを感じないのは、カオリが時おり振り返って目線で合図を送ってきたり、微笑んでくれるからだった。
あの時、いきなり空がストロボのように光り、すさまじい勢いで雨が降り出した。
土砂降りというか、本当に目を開けていられない程のぶっとい大雨。俺たちは雨宿り先を探して走り出し、すぐにバラバラになってしまった。
小さな公園の中に、ひさしがある遊具を見つけて飛び込み、息を落ち着かせて隣に目をやると、そこにはカオリだけがいた。
透明な滴が滴る長い髪。ずぶ濡れになってしまった浴衣。いつの間にか大きくなっていた胸のふくらみ。少し透けて見える下着。
「うわっ、びしょ濡れ。せっかくの浴衣が台無しだわ」カオリはそう言って口を尖らせた。
授業中に居眠りしていたらパラレルワールドに巻き込まれたらしく、あっという間に迷宮探索隊の候補生になって東京ダンジョンに潜っていました。 しゅーと @syuto211
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