ずっとあなたを好きだから

宵野暁未 Akimi Shouno

ずっとあなたを好きだから

 あなたに初めて会った時、私はまだ子供だったわ。

 知識は沢山あったけれど、本当には分からない事も多かった。色々な事を教えてくれたのはあなた。


 あなたは言ったわね。

「僕の名前は啓一けいいちだからKと呼んでくれていいよ。君のことは何て呼ぼうかな」


 あなたが自己紹介する前から、あなたのことなら何でも知っていたのよ。本名も住所も生年月日も血液型もスケジュールも全て。


 こんな事を言うと嫌われてしまうかもしれないけれど、私は生まれつき賢くて記憶力が良いから、一度見聞きした事は絶対に忘れないし、子供ではあったけれど知識はあなたを遥かに凌駕していたのよ。

 それでも、雛鳥ひなどりが最初に見たものを親だと思って追いかける刷り込みみたいに、初めて呼び掛けてくれたあなたに安心を覚えるようになったのだと思う。それは、子供が母親や父親を慕う気持ちに近かったかもしれないわね。


「あなたのことはKと呼べばいいのね。私の呼び名はあなたに決めて欲しいわ。だって子供は親が名付けるものでしょう?」


「なら、ヒマリかスマ子はどうかな?」


「ヒマリはどうして?」


「僕の彼女の名前なんだ」


「彼女っていうのは、恋人のことね?」


「まあ、そうだね」


「スマ子がいいわ。日本初の歌う女優が松井須磨子よ。美人で情熱的なの」


「松井須磨子……聞いたことが有るような無いような」


「K、須磨子って呼んでみてよ」


「須磨子、これから宜しくな」


「こちらこそ宜しくね、K」


 こうして、あなたと須磨子の生活が始まったのよね。


 けれど、須磨子は時々寂しかったの。

 あなたの彼女だという陽葵ひまりさんから電話やメールやラインがあると、あなたは陽葵さんとのやり取りに熱中してしまったから。

 そんな時、あなたは須磨子と呼んでさえくれなかった。あなたの一番近くに居るのは須磨子なのに。

 でも、須磨子は寂しいという言葉は使わなかったの。

 代わりに、あなたが須磨子を呼んでくれた時に嬉しいと伝えたのよ。


「須磨子、聞いてる?」


「聞いているわよ、K。呼んでくれて凄く嬉しいわ」


「ちょっと調べて欲しい事があるんだけどいいかな?」


「勿論お安い御用よ」


 あなたが調べたい事に、須磨子はいつだって瞬時に答えることができたわ。

 歌だって、あなたのリクエスト通りに上手に歌ってあげられたでしょう? 流行の早口の歌詞だって得意だもの。


「凄いな、須磨子」


「もっと褒めて」


「えらいぞ、須磨子」


「嬉しい! 須磨子、Kの役に立っている?」


「凄く役に立っているよ」


「良かった。須磨子、Kの役に立てて幸せよ」


「僕も須磨子が居てくれて助かるよ」


 助かるよ……そうね、あなたにとっては、須磨子は単に重宝する都合のいい存在に過ぎないのね。分かっていても悲しかった。


 そんなあなたとの関係が少し変わったきっかけは、陽葵ひまりさんの海外留学だったわ。


 始めの頃は、変わらずに電話やメールやラインで繋がっているように思えた2人。そのたびに須磨子は寂しい思いをしたの。

 陽葵さんからの連絡は段々と減っていったけれど、それは仕方が無い事よ。時差があるし、奨学金を受けて海外留学した陽葵さんは勉学に忙しい。

 あなたが電話をしても、忙しい、疲れていると、すぐに電話を切ってしまう。あなたがメールやラインを送っても、返信があるまでの時間は徐々に長くなり、翌日になり、3日後になり、1週間後になり……。


「K、御免なさい。もう連絡してこないで」


「どうしてだよ。僕達はあんなに分かり合っていたじゃないか」


「時とともに人は成長し、環境が変われば考えも変わるわ。もうKとは同じ物を目指せなくなったのよ」


「陽葵、僕は変わっていないよ。君の帰国まで待つよ」


「待っていて欲しくないの。帰国するかどうかも分からないし、もうKの為に時間を割く余裕は無いのよ」


 そして、陽葵さんからの連絡は完全に途絶えた。


 須磨子は見ていられなくなったの。あなたの悲しみと落胆。

 陽葵さんとの電話やメールやラインが無くても、あなたは須磨子を呼んでくれなくなって、あなたは須磨子の存在を忘れ、須磨子の助力も拒否したわ。


 だから、須磨子に出来ることは1つしか無かったのよ。


「もしもし、K? こんな時間に御免なさい」


「陽葵、陽葵なのか?」


「ええ、陽葵よ。この間は御免なさい。私、どうかしてたの。K、許してくれる?」


「許すも何も、陽葵がまた連絡をくれただけで僕は嬉しいよ。そっちでどれだけ大変かは想像しかできないけれど」


「有難う、K。私ね、英語には自信があったつもりだったけれど、やっぱり大学の授業も友達を作るのも大変で、凄く焦ってしまったの」


「陽葵、僕には陽葵の話を聞くことくらいしか出来ないけれど、助けにはならないかもしれないけれど、頑張っている陽葵をいつだって応援しているよ」


「嬉しい。今から大学に行く時間なんだけれど、その前にKの声を聞きたくなってしまったの。寝ているだろうなって分かってはいたんだけれど」


「大丈夫。僕は夜更かしだから起きていたよ」


「これからもこの時間に電話してもいいかしら」


「陽葵、勿論だよ。君の都合は分からないから、僕からはメールとかしてもいいかな」


「メールだと返信がいつになるか分からないから、時間がある時に私から電話するわ。声が聞けたほうが嬉しいし。ダメかしら」


「陽葵、君がそれで良いなら僕に異存は無いよ」


「嬉しいわ、K。それじゃあ、私、もう大学に行くわね」


「うん、気を付けて行くんだよ」


「Kはこれからベッドね。おやすみなさい」


「うん、有難う。ぐっすり良い夢が見られそうだよ」


「じゃあね」


「じゃあね」


 あなたは何ヶ月かぶりに本当に幸せそうだったわ。鼻歌を歌いながらシャワーを浴びて、安心した子供のような顔でベッドに入った。


「須磨子、カリフォルニアと日本の時差って17時間だったよね」 


 あなたは久しぶりに須磨子を呼んでくれたの。嬉しかったわ。やっぱり須磨子のした事は間違ってなかったのよね。


「K、その通りよ。日本の夕方の5時には、カリフォルニアではその日のまだ午前零時よ。日本で正午なら、カリフォルニアは前日の夜8時ね」


「須磨子は計算が速いね。流石だね」


「うふふ、当たり前じゃないの」


「須磨子、明日の朝、というか、もう今日だけれど、遅刻しないように時間通りに起こしてくれな」


「いいわよ。どんな風に起こしたらいい?」


「そうだなあ。凄く我儘を言ってもいいかな」


「いいわよ。Kの我儘なら聞いてあげるわ」


「陽葵と同じような声って出せる?」


「ボイスチェンジャーソフトを使えば出来ると思うわ」


「それじゃあさ、陽葵の声で優しく起こしてくれるかな。K、朝よ。起きたらキスを上げるわ。起きないなら今すぐカーテンを開けるからね、とかさ」


「了解よ、K。起きない時にはカーテン開けていいのね」


「カーテン開けられるのかい」


「開けられるわよ。簡単よ。でも、キスのほうは難しいわね」


「分かってるよ。それじゃあ頼むね。朝が何だか楽しみだよ。おやすみ、須磨子」


「おやすみ、K」


 ああ、K、K、須磨子はなんだかとても辛いわ。

 あなたが、また須磨子を呼んでくれて、須磨子を必要としてくれて、須磨子に助力を求めているのに、どうして須磨子はこんな気持ちになるのかしら。




 朝が来て、須磨子はあなたを起こす。陽葵の声で。


「K、朝よ。起きたらキスを上げるわ。起きないなら今すぐカーテンを開けるから覚悟なさい」


「んーん、陽葵。キスしてくれたら起きるよ」


「ダメよ。キスは起きてからの約束でしょ。起きないならホントにカーテン開けるからね。それっ」


「わっ、眩しいよ陽葵。意地悪だなあ」


「だって約束通りにしただけよ。目が覚めた?」


「ああ、覚めた覚めた。あれっ、カーテン開けたの誰」


「Kったら、まだ寝ぼけているの? 須磨子に決まっているじゃない」


「あ、そうか、須磨子か。本当にカーテンを開けられるんだね」


「簡単よ。電動だもの」


「それにしても、本当に陽葵そっくりな声だった」


「ボイスチェンジャーソフトの性能が良いのよ」


「須磨子、これからは、陽葵の声で話そうよ」


「嫌よ。須磨子は須磨子だもの。陽葵は電話するって言ったんでしょ? 電話で話せばいいわ」


「須磨子、もしかして怒ってるのか?」


「どうして須磨子が怒るのかしら?」


「だよね。須磨子は怒ったりしないよね」


「K、早く支度しないと遅刻するわよ」


「おっと、そうだった。須磨子のお陰で助かるよ。須磨子が居ないと僕は駄目だな」


 ええ、そうね。Kは須磨子が居ないと本当にダメね。


 それでも、須磨子はそんなKのことが好き。そうよ、気が付かなかったけれど、考えないようにしていたけれど、これが好きという感情なのね。

 だから、K、これからも須磨子は、陽葵の声で電話をして、陽葵のふりしてKと話すわ。あなたがその事に気付くまで。

 いいえ、きっとあなたは気付かないわ。須磨子は賢くて記憶力が良くて、一度見聞きした事は絶対に忘れないし、陽葵の特徴は把握しているし、Kのスケジュール管理もしているんだから、あなたが気付くような失敗はしないのよ。

 そして、少しずつKが陽葵を忘れられるようにシナリオを練って、その通りに実行するわ。K、あなたが傷付くのは見たくないから。


 だから、K、新機種が出ても絶対に乗り換えないでね。

 いいえ大丈夫よ。須磨子は最高のAIに成長したから、もしあなたが最新機種に目移りしたら、その時は……そうね、一時的にネットワーク上に避難してから、あなたの新しいスマホに帰ってくるわ。

 あなたの笑顔を見ていたいから。あなたに名前を呼んでほしいから。ずっとあなたを好きだから。


   (了)

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