ぱーぱーぱー
白里りこ
未来の機器
スマホが急にうんともすんとも言わなくなった。
画面が真っ暗で、いくらボタンを押しても起動しない。
いよいよ買い替え時かと思った時、耳元で「ふふっ」とあどけない笑い声がした。それで私は思い出した──二十年前の些細な出来事を。
***
「ねえ、ミア」
ハンナが手土産のコーラを持って、呆れたような顔で私に話しかけてきた。
「何でそんなに鬼気迫る表情で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ曲ばっかり、さっきから何回も何回も何回もやっているわけ? 公園中の人が迷惑してるわよ」
私はトランペットを下ろすと、真剣な眼差しでハンナを見上げた。
「どうしてもうまくなりたいんです。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』」
「何で? いえ、別に構わないのだけれど」
「実は……」
私は傍らに立つ小さな黒い影を手で示した。
「ここにいる幽霊が御所望なんです」
「あなたそれ見えてたの?」
思わぬ返答に、私は「へっ?」と間抜けな声を出した。
「ハンナこそ見えていたのですか?」
「あなたに何か憑いてるなとは思っていたわ。先月のテロ事件の辺りからかしらね」
「そうですか。なら話は早いです」
私は頷いた。
「このエイヴァちゃんには、時空を超えてあちこち飛び回る能力があるみたいなんです」
「な……何ですって?」
「そこで、彼女は、二十年後の未来に行ってみたいそうなんですが……どうも、それだけ年数が離れていると、時間旅行がうまくいかないそうなんですよ。そこでエイヴァは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の音楽を聞けば何とかできそうだと言うんです」
「何を言っているのかよく分からないわね」
「私にだって分かりませんよ」
私は肩を竦めてみせた。
「エイヴァがあんまりしつこく言うものだから、私、CDショップでサウンドトラックを買ってきたんですよ。でも駄目だと言うんです。トランペットの生演奏でないと嫌なのだと」
「意味不明ね!」
ハンナは首を振った。
「ゴーストってみんなそうなの? 私は会話したことがないから分からないけれど」
その時、急にエイヴァが口を開いた──いや、身につけた黒いフードの中にはあるはずの顔がなく、ただただ闇があるだけなので、本当に口を開いたのかは怪しいところだったけれど。
「ミア。そこのお姉さんもトランペットを吹くの?」
「え? そうだけど」
「じゃあ、二人でやってよ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』」
「二人で?」
「そこのお姉さんには一オクターブ下を吹いてもらうの。そうしたら臨場感が出ると思うの」
「はあ……」
私は首を傾げながら、ハンナにエイヴァの要望を伝えた。
「ふん」
ハンナは腰に手を当てた。
「まあちょっとくらいならつきあってやっても構わないわよ」
「ありがとうございます」
そこで私たちは、公園内の池のほとりに二人してトランペットを構えて立った。私のブレスを合図に、即席のアンサンブルが奏でられる。
ぱーぱーぱー、ぱらぱぱぱぱー、ぱらぱー、ぱーぱーぱーぱーらーぱららー!
エイヴァは体全体でリズムを取っていたが、私たちが吹き終えると、シュンッと姿を消した。
ハンナはマウスピースから口を外した。
「……うまくいったみたいね」
「はい」
「訳がわからないわ。さ、私たちは私たちの練習をしましょ……」
シュンッとエイヴァが再び姿を現した。その闇色の手には、四角くて薄い箱が握られていた。
「あー楽しかった!」
「エイヴァ?」
「これ見て! 未来の人が使っていたちっちゃなコンピューターの魂を抜き取ってきた」
「はあ!?」
私は声を上げた。
「駄目でしょ、エイヴァ。戻してきなさい」
「まあまあ、時間旅行のコツは掴んだからいつでも戻しにいけるよぉ。それよりもこれで遊ぼうよ──」
***
私は動かなくなったスマホを見つめ、額に手を当てた。
「エイヴァ?」
私は、今も私に取り憑いたままの小さなゴーストに語りかけた。
あの後、スマホの魂の使い方が分からなかったエイヴァは、さんざんこねくり回した挙句、未来に──二〇二一年に戻っていった。
「悪戯はやめて、早くこれの魂を返して」
「はーい」
私の肩のあたりにフワリと現れたエイヴァは、どこか懐かしい気配がした。エイヴァが手に持った四角いものをスマホの画面に落とすと、ブッ、と音がして、スマホが復活した。
「……変なことになっていないといいけれど……」
その時、特大の音量でアラームが鳴った。
ぱーぱーぱー、ぱらぱぱぱぱー、ぱらぱー、ぱーぱーぱーぱーらーぱららー!!
私はスマホを取り落としそうになった。
「……あの時の演奏の録音……!?」
「ちょっと時空を行き来して、録音しに過去に戻っていたの!」
「余計なことはやめて……!」
私は設定を解除しようとしたが、エイヴァは「消しちゃうの……?」とどこか寂しそうに言った。
「……残して欲しいの?」
「うん……この悪戯のために過去に戻って、二人に演奏を頼んで、こっそり録音してきたのに……」
私は一瞬混乱したが、やがて得心がいった。
あの時エイヴァが不自然なほどにしつこく『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の演奏を頼んだのは、この悪戯のためだったのだ。スマホの魂を抜き取ったエイヴァは、時空をわずかに遡って演奏を録音した。……無駄に弾がかかっている上に、本当にくだらないけれど、何だか無碍にもできなかった。
「……仕方がないなあ」
私はそのままスマホをカバンに突っ込んだ。エイヴァの顔は見えなかったけれど、笑ったような気配がした。
ぱーぱーぱー 白里りこ @Tomaten
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