指先の剣

lager

お題「スマホ」

 枯れ枝の先に、ふっくらと蕾の萌える季節だった。

 柔らかな真白の膨らみが、冴え冴えとした月明かりに照らされて、夜風にその身を揺らしている。

 空気は冷たかった。僅かに水気を含んだそれは、そのうちにほんの僅かばかりの温もりを宿し、丑三つ時の桜並木を吹き抜けていく。

 春の夜だ。


「さあ、いい加減に観念なさい」


 凛、と。

 風の中でもよく通る美しい声が、響いた。

 月光を受けて照り光る黒髪が靡き、その下の白磁の肌を艶やかに飾る。

 清浄なるを顕す白衣びゃくえは肩口の布が切り取られ、目にも鮮やかな緋袴は膝下丈。夢のように舞い広がる千早は淡く色づき。

 意志の強い瞳は、瑠璃の光。

 それは、まだ年端もゆかぬ一人の少女であった。


りんぴょうとうしゃ


 その白魚のような指が手印を刻んでいく。


かいじんれつざい!」


 徐々に熱の籠っていく呪声と共に踏み出した足が、地を蹴飛ばす。

 春の夜気を切り裂き、矢のような速度で飛ぶ体が、拳を握り締めた。

 

ずぇぇぇえええんん!!!」


 神力もあらたかに、破邪の拳が繰り出され――。


「ぐっはぁあああああ!!!」


 、粉微塵に吹き飛んだ。


 ……。

 …………。




 くっそー。

 また負けちまった。


 まったく、あの脳筋娘め。

 なにが「ずぇぇぇぇえええんんん!!!」だよ。

 八割お前の筋力じゃねーか。神力使え。


 はあ。

 今回は良いところまで行ったと思ったんだけどなー。

 あの忌々しい退魔一族と熾烈な戦いを繰り広げること幾星霜。

 今代の継承者がまだ男も知らぬ小娘だと知った吾輩は、奴の通う学び舎に忍び込むことにしたのだ。

 そして、偶然目についた年若いイケメン教師に成り代わり、奴の周りの友人たちを手籠めにしていった。


 ふふ。まったく、ちょろいちょろい。

 雀の雛が人間に化けて歩いているようなアホな子供には、流行りのドラマのワンシーンを一ミリの狂いもない完璧な演技で再現してやったり。

 歴史の勉強が苦手だというアホな子供には、個別の授業で臨場感たっぷりの一大大河ドラマ紙芝居で室町幕府の趨勢を解説してやったり。

 自尊心が見上げ入道のように膨れ上がったアホな子供には、偶然を装って街中で出くわし洗練された大人の休日スタイルを見せつけてやったり。


 あの手この手であの小娘の学友たちの信頼と尊敬を集め、2月14日には女生徒たちから大量のチョコレートを集め、男子生徒たちからは羨望の念を集めた。

 そうしていよいよ件の小娘を学内で孤立させ、その精神を蝕んでやろうと裏工作を始めたところ、かつて怪異の王と呼ばれたこの吾輩ですらがドン引きするほどの陰湿なイジメが発生したのだ。


 いやー。

 怖えのなんのってもう。

 江戸時代の大奥もかくあらんや。

 今どきの女子中学生ってのはみんなあんなもんなのかねえ。

 そりゃ怪異も衰退するわけだよ。


 しかし何が怖えって、お前。

 その身の毛もよだつイジメの数々を、あの小娘が真っ向からぶち破っちまったことだよ。

 トイレの個室に閉じ込められて水をぶっかけられりゃあ、扉をぶち破って犯人全員便器に頭突っ込ませる。

 制服を汚されりゃあ、それをクスクス笑ってた女生徒全員の制服をぶち破って半裸にさせる。

 ロッカーに生ごみ突っ込まれりゃあ、隣のロッカーぶち破って全部自分のと取り換えちまう。


 吾輩、本当は人間どもに陰気を吸わせて正気を失くさせ、小娘を孤立させて精神を弱らせ、そのこんの気を喰らってやろう、なんてことを考えていたのだけど、吾輩の立ち入る隙間が全くないうちに、その学園ドラマは完結してしまった。

 今では、小娘が登校する度に誰からとなく「お早うございますっ!!」と威勢のいい挨拶が投げられ、教室では誰一人として彼女に近づくものはいなくなっていた。


 いや、確かに孤立してるけども……。


 そうこうしているうちに、小娘のサポートとして同じ学園に通っていた男子生徒の手で吾輩の正体が看破されてしまい、吾輩は正面から小娘と戦う羽目になってしまった。

 あのなぁ。

 そういうことをしたくないから、こうやって裏で糸を引いてお前の魂を弱らせようとしたんだろうが。


 結果は、惨敗。

 いやはや。こうして力を封じられるのも、もう何回目になるだろうか。

 今回はなー。行けると思ったんだけどなー。

 ちくしょー。


 …………なーんてな。


 ふふふ。

 吾輩とて、伊達にもう何度もあの忌々しい退魔一族と争い続けてきたわけではない。

 今回だってちゃんと、奴が戦いを挑んでくる前に自分の力の分身を切り離し、消滅を免れていたのだ。

 そして、吾輩は今、あの小娘が持つスマートホンの中に潜んでいる。


 怪異と電子機器など相性が悪そうだなどと思うなかれ。

 怪異の本質とはすなわち人間との関りだ。

 それを信じ、恐れるものが多ければ多いほど怪異は力を増していく。

 誰もが良く知る古典の大妖ともなればもちろんその力も大きいが、そういうものは時代の流れに弱い。むしろ最近は様々なメディアによって怪異のキャラクター化が進んでしまい、有名な妖怪ほどその力を削がれてしまっている。


 怪異の力の源とは、不知への不安や恐怖だ。

 いったい今の女学生の何人が、喩伽山の阿久良王だの安達ケ原の鬼婆だのの話を聞いて恐れをなす?


 そこへ行くと、現代の若者にとって、もっとも近しい場所にある不安や恐怖とは、この薄っぺらい金属の板の中にあるのだ。


 出先でバッテリーが切れたらどうしよう。

 リプライが遅れて嫌われたらどうしよう。

 みんなの話題に取り残されたらどうしよう。

 変なサイトにアクセスしたせいで請求書が届いたんだけど。

 見覚えのない番号から着信が入ったんだけど。

 急に動かなくなっちゃったんだけど。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう!!


 かかか。

 滑稽なことではないか。

 おいおい人間どもよ。

 そんなに不安を露わにしていたら、すぐに怪異に取り込まれてしまうぞよ?


 今だって、ほら――。


「なーんか最近肩凝るのよねぇ」

「桃ちゃん。またスマホで夜更かししてたでしょ」

「だって、一回見ると気になっちゃうんだもん」


 桜並木の中に置かれたベンチで、少年少女がのんびりと駄弁っていた。

 吾輩が滅せられたときにはまだ蕾であった桜は、今はもう九分咲きになっている。

 忌まわしき小娘がスマホを操る指先に、淡い花びらが散っていく。


「もうすっかりはまっちゃったねえ、桃ちゃん」

「ふん。いつまでもスマホごときにビビッてられないわ。『手当たり次第にリンクを触らない』。『利用規約を一から十まで読む必要はない』。『画面は目から30センチ以上離して見る』」

「課金はひと月2千円まで」

「う゛」

「も~も~ちゃ~ん?」


 隣に座る男子の視線から逃げるように顔を背ける少女には、クラスメイトを屈服(もはや調伏と言ってもいい)させた威厳は影もなく、こんな小娘に拳一つで散らされた吾輩の方が情けなく思えてくる。

 しかし。ようやくここまで小娘に近づくことができた。

 貴様がこのスマホに慣れれば慣れるほど、徐々に徐々に吾輩の陰気が貴様の魂を蝕んでいくのだ。


「あ、ねえ。ほら見て、この掲示板。『第三部の名言といえば?』だって」

「そうやって話逸らすんだから」

「も~。あんたも好きじゃない。ええっと、なになに……『最高にハイってやつだ』、『もしかして、オラオラですか~?』……えぇ? あれが入ってないじゃん。もう。しょうがないなぁ」


 はっ。

 愚かな人間どもめ。

 そこは『てめーは俺を怒らせた』一択だろうが。


「あれ、桃ちゃん。フリック入力覚えたんだ」

「ま・あ・ね~。ええっと。『レロレロレロレロレ――」


 ばちゅん。


 その、瞬間。

 一体何が起きたのか分からぬままに、吾輩の意識を神力が貫き、力の残滓が吹き飛ばされた。


 ば、ばかな。

 いま、一体何が……。


 がく。


 ……。

 …………。


「あれ? なんか肩が軽くなった気がする」

「ね、ねえ。桃ちゃん。今、術発動しなかった?」

「ええ? あ、ホントだ。……なんで?」

「……ああ、ほら。今指で九字切ったでしょ」

「え?」

「フリック入力だよ。横に五回、縦に四回を交互に」

「あ、あ~。確かに。ええ……。こんなんでいいの?」

「普通はダメだと思うけどね。桃ちゃんだからじゃない? 普段から九字切って破邪する癖がついてるから……」

「ふうん。ま、別にいっか。誰にも見られてないし」

「そうだね。払うような魔物もいなかったしね」

「ねえ、あんたはどう思う? 三部の名言」

「僕、五部のほうが好きだなぁ」


 



 

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